3-28 高速道路を抜け出して
「渋滞って……どれくらいですか!?」
俺は送迎車の後部座席から、運転手に向かってきいた。
まさしく夢のようだった最高級ホテルをあとにして。
リリアが手配してくれていた車に乗り込み、目的の住所を告げて高速を走っていたのだが……。
その途中で渋滞に巻き込まれてしまった。
『この先で大きめの事故があったみたいでして……この調子じゃ、なんとも。1時間以上は覚悟をしておいた方が良いかもしれませんね……』
運転手が申し訳なさそうに答えた。
「〜〜っ……!」
俺は息を吐いて、やるせなさをぶつけるように座席へ背中を預ける。
窓の外の景色は完全に停滞していた。
無数に敷き詰められた車のライトと、道路脇に所狭しと並んだ街路灯が無機質な光を煌々と発しているせいで、まるで今が夜なことを忘れそうになる。
車は数分ごとにようやくちょろちょろと動きだすくらいで、カーナビを見るとこの先の道路はしばらく混雑を示す『真っ赤』な色に染まっていた。
『次の出口で下道に降りようと思います。……とはいえ、そこまでたどり着くのにも相当の時間はかかるかもしれませんが』
「……そい」
『はい?』
「それじゃあ、遅い」
そうだ。それじゃあ遅い。
せっかくあのスイートルームでベッドを破壊までしておいて、こんな渋滞なんぞで足踏みをしてる場合か。
これまで現実を先延ばしにしてきたぶん。
今は1秒でもはやく――きみのもとへと行きたかった。
『遅いと申されましても、この渋滞じゃどうにも……あ』
困惑する運転手をさしおいて。
俺は停滞中だった車の内側から容赦なくドアの鍵を外して。
容赦なくドアを開いて。
容赦なく外へと――飛び出した。
『ここは高速道路ですよ! なにを考えてらっしゃるのですか!』
後ろで運転手が叫んだ。
なにを考えているのか?
そんなものは、やっぱりどうしたって。
――ひとりのことしか、ない。
俺は頭を下げて、「ここまでありがとうございました。――リリアにも、よろしく伝えてください」と言ってからドアを閉めた。
『~~~~~っ!』
運転手はまたなにかを強く言っているようだが、今の俺の耳には入らない。
あたりを見渡して、停滞する車の隙間を縫うように進んでいく。
車に乗っていた人たちは、なにか信じられないようなものを見ているように呆然としていた。
目をこすり、窓を開けて、なにか叫んでいる人もいる。
多種多様な車のライトが俺の目を突き刺して眩しい。
数多のクラクションが鳴らされる。罵声のようなものも届く。しかし。構うものか。
――構うものか。
やがて渋滞の間をくぐり抜けた先で、道路脇に非常階段を見つけた。
入り口には鉄製の扉がついていた。ノブを回して体重をかける。ギギギ、と年季の入ったさびが剥がれる音がして、ドアがひらいた。
渋滞に巻き込まれている車とそれらが発するライトの発光や大声、驚愕の表情を浮かべている人々に別れを告げるように、俺はそのドアを後手でしめる。がちゃり。
扉の向こうは螺旋階段のようになっていて、錆びついた鉄製のステップが地上に向かって降りていた。
非常灯の明かりは心許なかったが、俺は手すりを使わずに、その段差を駆け下りていく。
その途中で足元を取られ、踊り場のようなところに転んで尻もちをついた。
「痛っ……!」
なにをやっているんだ、と俺は思う。
こんな真夏の夜に。夢の世界を捨ててまで。肉体を強打してまで。
それでも俺は立ち上がる。駆け下りる。
「っ! 出口、か……?」
ふたたび現れたドアを抜けると地上に出た。
まわりの地面には膝下くらいまでの下草が茂っている。
かき分けながらアスファルトの道路まで抜けると、じじじ、となにかの終わりを告げるように近くの街灯が明滅した。
「……方角は」
俺は汗ばんだ手でスマホを取り出し地図アプリを起動させた。
自分が今いる場所を確かめる。マップを拡大して、目標地点の方角を定める。
「あっちだ!」
顔をあげると、その目的の方角の低い空に、わずかに端の欠けた白い月が浮かんでいた。
――ちょうどいい。と俺は思った。
あの月を目指せば、そこが俺の現実だ。
俺はごくりと喉を鳴らして深呼吸をしてから、下道を自らの足で走りはじめた。




