1-6 記憶、初恋、線香花火。
花火、と聞いてひとつの記憶を思い出した。
――おめーは本当に〝好きな人〟いねーのかよ?
そんなスナガミからの質問に、俺は『特にいない』と答えた。
これは紛れもない真実だ。俺は今、好きな人はいない。
……今。
じゃあ〝過去〟はどうだろうと考えたときに、ひとつだけ思い当たることがある。
『それじゃ――つけるぞ』
俺は目の前の【少女】に向かって言った。
地面にしゃがみこんだ俺たちの手にはそれぞれ〝線香花火〟がある。
まだずいぶんと小さかった頃の話だ。
夜。夏の虫の声が空気に滲むように響いている。
周囲は暗く、地面に立った一本のロウソクの火がかろうじて俺たちふたりのことを照らしていた。
『あ、まって』
目の前の少女が声をだした。
記憶の中で、彼女の顔は夜の闇に塗りつぶされたみたいに影になっている。
表情は読み取れないし、それが一体〝誰〟だったのかも――今の俺は思い出すことはできない。
『まって』と少女は繰り返した。
『ん?』
『――いっしょに、だよ?』
少女はそれがとても大切なことのように言って、手の中で線香花火の軸を揺らした。
『ああ。いっしょに』
お互いにうなずきあって。
せえの、の声で線香花火の先をロウソクに近づけた。
『……あ』
じじじ、と一瞬もったいぶったように先端から火花が散った。
幽かな蕾のような火の玉はやがて大きくなって、ぱちぱちと力強く弾けはじめる。
『『きれい――』』
ふたりの声が合わさって。
夏の夜の底で、小さな光の花が咲く。
その儚い景色を、俺たちは向かい合ってふたりで眺めている。
『あのね、ほんとはね――〝火〟をつけたくなかったの』
少女はおもむろに語りはじめた。
『だって、火がついたら、はじまって。はじまったら、いつかはおわっちゃうでしょう? それって、すっごくさみしいから。さみしくて、かなしいから。だから――そんなきもちになるくらいなら、火なんてつかなくていいって。はじまらなくていいって。思ってたんだけど』
少女は途中で区切って、すうと短く夜の空気を吸った。
線香花火をつまんだ指の先の空では、今まさに舞い散る炎が最高潮に達しようとしていた。
彼女はそのきらめきを愛おしく眺めながら言った。
『でもね、やっぱり今は――この光をみられてよかったって思うよ。きみとこうして――あ』
ふたつの火の玉は唐突に落ちて。言葉は途切れた。
一瞬の静寂のあとに夜虫の声が戻ってくる。
『……おわっちゃった』と少女は言った。
『おわっちまったな』と俺は答えた。
はじまったらいつかおわりがくる、と少女は言った。
さみしいきもちになるくらいなら、はじまらなくていいと。彼女は言った。
今ではその気持ちが、俺にも痛いほど分かったから。
だからこそ――俺は言ってやった。
『でも、きっと』
『え?』
『きっと、また――いつか』
おぼろげな夢のような記憶の中で。
『……ほんとう?』
『ああ、約束だ』
俺たちはお互いに小指を近づけて。触れて。重ねて。絡めて。
契ったのはひとつの願い。他愛のない、だけどどこまでも純粋な想い。
『『また、いつか――いっしょに』』
そんな儚い思い出は。
今となっては、現実にあったかどうかも分からないおぼろげな夢のような記憶は。
俺にとってはじめての。
――〝恋〟に近い感情だったように思う。