3-26 1秒だって待てない!
「すまん、リリア! 俺、やっぱり、――っ」
言いかけたところで。
ぴりりりりり。と。
どこか聞き慣れた音が鳴った。
俺が設定していたスマホの着信音だ。
「……あ」
ふと枕元をみると、サイドテーブルに俺のスマホが置かれていた。
届く距離にあることを確かめてから、俺は手をのばす。
『あ……もしもし、ユウくん?』
電話の相手は絵空さんだった。
ひどく焦っているようで、動揺が声からもみてとれる。
『あのね、そのね、――霞音ちゃんが――』
「っ! 霞音がどうしたんですか!」
思わず前のめりになる。
がちゃり。片方の手首で金属の音が鳴った。
『実は――』
絵空さんが電話の向こうで語りはじめる。
俺はその言葉のひとつひとつを受け止めていく。
平静を装ってはみるが、頭の中はぐるぐるとせわしない。
電話を切ると、リリアが不安げに俺のことを見つめていた。
「……どうしたの?」
俺は息のかたまりをひとつ吐いてから、
「霞音が、倒れたらしい」
リリアはぴくんと眉毛を動かした。
「歩いてる途中で、急に。……そのまま、目を覚まさないみたいなんだ」
「……そう、なんだ」
リリアはとても心配そうにはしているが。
その声の裏には、また別の不安があるようにも思えた。
「俺、いかなきゃ」
ベッドから起き上がろうとしたら、リリアに引き止められた。
「ねえ――それって、今日じゃないといけないこと?」
リリアは珍しく、震えるような声を出している。
「確かに霞音ちゃんは心配だよ? でもそれって、今きみが行ってどうにかなることなのかな? 今すぐにユートがいかなくても――」
「なにを言ってるんだ、リリア」
「ボクだって!」
リリアが叫んだ。その勢いに俺は驚く。
演技をしているとき以外のリリアで。
感情がこんなにも乱れたのは、ハジメテのように思えた。
そして他ならぬリリア自身も。
自らの感情に驚いたみたいに目を見開いた。
「…………」
すこしの沈黙のあとに。
リリアはどこか寂しそうに微笑みを浮かべて言った。
「ボクだって――〝夢〟かもしれないよ?」
ひどく繊細で、透明な。
そのまま世界の果てに消えていきそうな声で。
彼女はつづける。
「明日の朝になったら、キミの前から跡形もなく消えちゃってるかもしれないよ? 真夏の夜の夢。白昼夢。一夜限りの幻。――そうなったとしたら、キミは後悔しない? もうこんな夢、二度と見られないかもしれないよ?」
リリアはそこまで言い切ると、ゆっくりと深呼吸をしてから沈黙をつくった。
俺からの答えを、それこそ朝になろうが待っているという意思が感じられた。
でも。俺は。
「今日じゃなきゃ、いけないんだ」
すぐに。はっきりと。
言ってやった。
「……っ」
リリアの身体がぴくんと跳ねる。
「すまん、リリア。たしかに俺は、なにが夢でなにが現実か、自分でも分からなくなってしまっている。そして、御伽乃リリア――他ならぬお前が俺に見せてくれるようとしている現実は、たしかにこれを逃せば2度と手に入らない夢かもしれない。明日になれば消えてしまう夢で、世界中の誰もが憧れる夢かもしれない。それでも……あとはお前と同じだ。世界のことなんて関係ない。知ったことか。ほかのだれでもない俺自身が憧れた夢を。一緒に見ていたいと思うたったひとりが、今の俺にはいるんだ」
リリアはその間も俺の瞳をじっと見つめていた。
そして彼女はそこで――何かを察し、気づいたようだ。
俺の瞳の中に映る、ここにはいない誰かの存在に。
リリアは眉をさげて。
寂しそうな、悔しそうな。
なにか大きな想いを噛みしめるような表情を一瞬(本当に一瞬)見せたあと。
「――うん。そっか」
完璧に。微笑んだ。
「わかった! へんなこと言ってごめん」
「……すまん」
俺はあらためて頭をさげた。
「あやまらないで」とリリアは明るくつとめるような声でいう。「霞音ちゃんがたいへんなんだもんね。――カレシのキミが行ってあげたら、きっと霞音ちゃんも喜ぶよ……あ」
しかし。
途中でリリアは申し訳無さそうな声を出した。
「うん?」
「ごめん。……カギ、家に置いてきちゃったんだった」
「……カギ?」
そこで俺も気づいた。
がちゃり。未だ俺の右の手首は、ベッドの木製のフレームに手錠で固定されてしまっている。
カギというのはその手錠のものであろう。
「おいおい……カギもなかったら、このあとどうするつもりだったんだ……」
「ごめんね? 気分が盛り上がっちゃって。勢いで」
リリアは舌を軽く出しながら、胸の前で手をあわせた。
まったく。
リリアという世界一の偶像は、やっぱり世界一狂っていた。
役に入り込んでいたとはいえ、あとさきも考えずに恋人役の俺を『カギのない手錠』でベッドに縛り付けるなんて、あまりに異常だ。
「でもちゃんと家にはあって。急いで届けさせるから、もうすこしだけ待って――」
「いや、……その必要はない」
俺には今すぐにでも、会いに行かなければならないやつがいる。
1分でもはやく。1秒でもはやく。
そうなれば、これ以上は待っていられない。
「え? でも、そのままじゃどこにも行けないよ……?」
「ああ、このままじゃ、な」
俺はそう言ったあと。
手錠がついたままの右腕に左手を添えて。
「え? なにするの?」
思い切り、力をこめて。
「……どりゃあああああっ!!!!」
ベッドのフレームを。
へし折ってやった。
「……え? えーーーーーっ!?」
リリアが思い切り目を見開いた。
「な、なにしてるのさ!?」
「ふは――こうすれば、どこにだっていけるだろ?」
俺は自由になった右腕(とはいえ、まだ手錠はついているのだが)を上げてみせてやる。
ぱらぱらと木片が、ホコリひとつなかったホテルの床に散っていった。
「もう一秒だって、待っていられないんだ」
「で、でも、それにしたって……! なにも壊すなんて思ってもなかったから……」
色々と規格外な部屋だ。
ベッドだって相当に高級なものだろう。
何十万か何百万か知らないが、俺にとってはそんなことより大切なことがある。
今この瞬間。かけがえのない現実のこの一瞬に。
大切しなきゃいけない、想いがある。
「わるいな。一生かけて弁償するさ」
「はは。ボクも相当だと思ってたけど……ユート。キミも充分、異常だね」
リリアはどこか呆れるように笑った。
「でも……もうすこしだけ待てばよかったのに。もったいない」
とリリアは短い息を吐きながらつづける。
「うん? 言っただろ。そんなには待っていられない」
「うん。だから――今すぐ届けさせるって言ったでしょ?」
「……え?」
リリアはそこで、楽園を散歩する天使のように優雅な足取りで窓際に近寄っていった。
ばららららら、となにか激しい音が外で鳴っているようだった。合わせて部屋の中にも振動が伝わってくる。その音と震えは次第に大きくなっている。
リリアはぶあついカーテンを『よいしょー』と言いながらスライドさせて。
その窓を開け放した。
「な、な、なあっ……!?」
俺はたまらず目を見開いた。
その窓の外には。ヘリコプターが1台。
ホバリングをしながら、深い紺色の中空に鎮座していたのだから。
「なんだよ、これはああああああ!?」
「これ? ボクの自家用機だよ♡」
リリアはなんてことないように言ったあと。
プロペラの激しい風圧で、自慢の長い髪を、なんでも願いを叶えてくれる女神様みたいにはためかせながら。
ヘリーの運転手から、ひとつの小さな『カギ』を受け取った。
「ね? 今すぐに届けさせるって言ったでしょ?」
「はは……すまん。俺の中の『今すぐ』とは常識が違ったみたいだ……」
呆然としていると、リリアは手にしたカギで手錠を外してくれた。
かちゃり。外れた手錠はそのまま無情に床へと落下する。
「よかった。これでキミは自由だよ。いろんな意味において」
「……あ、ああ」
もはや乾いた笑いしか出なかった。
俺が異常?
その言葉、しっかりそのまま返してやるぜ
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