3-22 え、ただのルームサービスだけど?
「協力するぞ――最後の恋愛の練習にな」
なんて。格好をつけて言ってみたものの。
相変わらず俺の恋愛偏差値は低いままだ。(昔と比べれば『初心者』から『初級者』くらいにはなれたかもしれないが、それでも苦手意識しかない)
そんなやつを相手にして、御伽乃リリアという最高峰女優の演技の足しになるか不安だったが……。
「ねえねえ、これ美味しいよー♡」
ルームサービスで運ばれてきた食事を嬉しそうに口に運ぶリリアのことを見ていると、深く考えすぎなくとも良い気になってきた。
俺たちは変わらず最高級ホテルのスイートルーム――その一室である広いリビングのテーブルに腰掛けている。(もう一度言う。ホテルの部屋の中に広大なリビングルームがあるのだ! もはやホテルというより超豪華な邸宅じゃあないか!)
「わー。こっちも美味しー♡ ……あ」
「うん?」
リリアはフォークを手にしたまま、いたずらを思いついた園児みたいに唇の端をあげた。
「ねえ。ユートも食べてみる?」
「食べてみるもなにも……俺の分だってこっちにあるぞ」
「そうじゃなくて――あーん♡」
「……っ!」
「どうしたの? ほら、くちあけて?」
「い、いや……それは……」
「はやくー♡」
リリアが手にしたフォークの先には焼かれた肉が刺さっている。先端からはぽたりと透明な液体が滴った。それは果たしてステーキの肉汁なのか、もしくはそれ以外の液体によるものか――
俺はリリアのつややかな桜色の唇と、目の前の肉に視線を交互にやりながら、
「……やっぱりだめだ!」
と、リリアの『あーん』を拒否してやった。
「えー、どうして――わっ」
かわりに俺はリリアが持っていたフォークを逆手にとって、リリアの口元へともっていく。
いわゆる『あーん』をしかえす形だ。
「……これならいいぞ。ぎりぎりな」
「ふうん。これがユートのぎりぎりなんだ?」
リリアはにやにやといたずらな笑みを浮かべてから、俺に聞こえないくらいの声で何やらつぶやいた。
「――これじゃ意味ないんだけどな。せっかく間接キスできるかと思ったのに」
「ん? なにか言ったか?」
「ううん、なんでも♡」
リリアは爽やかに首をふった。
「ま、今日のところはこれで許してあげよっかな」
「今日のところもなにも……今日で最後じゃなかったのか?」と俺は一抹の不安を覚える。
「あは。冗談冗談。安心して。今度こそ演技の練習は今日で最後だから。だから――せっかくのユートとのぎりぎりの異性交遊、堪能しないとね? じゃあ、いただきまーす♡」
リリアは口を開いて、ぱくり。俺が差し出したフォークを頬張る。
口腔内で舌がうごめく感覚が(わざと大げさにやっている可能性もある)、フォークを握っていた俺の手にも伝わってきて、なんだか妙な気持ちになった。
「うん、美味しい♡」
「そ、そうか。よかった」
「……でも」
「ん? でも?」
「これで好きな人からの『あーん』は人生で最後かと思うと、すこしさみしいね」
俺はやれやれとため息を吐く。
「なにを言っているんだ。お前だったら、好きな人なんで選び放題だろう」
それこそ〝御伽乃リリアに『あーん』をできる権利〟なんてものがあったら、法外な金額を払ってでもしたいという人が現れそうなものだが。
「うーん。相手は、ボクの本当に好きな人じゃないと意味ないんだよ?」とリリアは俺の考えを見透かしたように言う。
「ふん。俺だって、お前の本当の好きな人じゃないだろうが」
俺は皮肉に返してやる。
たしかに今の俺はリリアの彼氏をおおせつかっているかもしれないが……それはあくまでも配役だ。
俺はリリアにとって、今夜だけの練習恋人に過ぎない。
「……失格」
「ん?」
リリアは頬を膨らませながら、びしっと指を俺の顔の前に立てた。
「ユートはカレシ失格! もー。そういうこと言わないでよね。たしかに無理なお願いをしたのはボクのほうだけど……最後の一夜だけ付き合ってくれるって言ったのはユートのほうでしょ? たとえそれが練習だとしても、今だけはちゃんとしっかり、ボクとの恋愛を楽しむこと。――約束ね?」
「あ、……ああ。すまん」
「あやまらないの!」
「ん、わるい」
「またあやまってる!」
「す、すま……わかった」俺はどうにかもちこたえて、無理やり胸を張ってやった。「きちんとお前の彼氏をまっとうしてやろう」
「ほんと? それならよし♡」とリリアはようやく満足げに微笑んだ。
俺は短くため息をつきながら、グラス(中身は林檎のサイダーだ。めちゃくちゃうまい)を飲み干した。そこでスッ、とドリンクのメニューが俺の前に脇から差し出される。
『飲み物はいかがいたしますか?』
「あ、ども。じゃあ今度は――このぶどうのジュースで」
『割り方などはいかがしましょう?』
「割り方……? あ、いや……ふつうで」
『ストレートですね? かしこまりました。氷はお入れしますか?』
「オネガイシマス」
『かしこまりました』とそのタキシード姿の女性ウェイターは優雅に去っていった。しばらくすると、頼んだぶどうジュースをもってきて、机の上の空いたグラスと交換してくれた。『引き続きごゆっくりお楽しみください』
「あ、ドモドモ――って!」
どこまでも高級レストランのような接客に、俺はあらためて突っ込んだ。
「ここ、本当にホテルの部屋だよな!?」
「うん、そうだけど?」と肉を切りながらリリアが言う。
「……なんでホテルの部屋に、料理人やウェイターがスタンバイしてるんだ!」
「え、ただのルームサービスだよ?」
「ただのなわけあるか!」
俺の想像していたルームサービスとは次元が違いすぎる。
なんせリビングルームには仮設のオープンキッチンが設営されて、そこで白い衣服に身を包んだ専用のコックが料理をその場で作ってくれている。完成した料理はウェイターたちが運んでくれて、ドリンクなど他の要望もこまめに聞いてくれている。そんなものが『ただのルームサービス』であってたまるか! どこの星付き高級料理店だよ!
「ユート……なにか不満なの?」
「不満なわけあるか! 満足すぎて怖いくらいだ!」
「ほんと? よかった。どの料理もとっても美味しいもんね」
「ああ。美味しすぎる! 最高だ!」
『よろしければ追加をお作りしますか?』
「よろしくお願いします!!!!!!」
俺はリリアに懐柔されるがごとく。
次から次に高級料理やドリンクが運ばれてくる『ただのルームサービス』をすっかり楽しんだ。
♡ ♡ ♡
そのあとの『ふつうのデート(リリア曰く)』も、やはり次元が異なるものばかりだった。
そもそもスイートルームとはいえ、ホテルの一室だけで『デート』だなんて何をするものかと思っていたのだが――その考えはいとも簡単に覆された。
至れり尽くせりだった食事がひととおり終わると、今度はデザートの時間だった。
俺でも知っているような有名海外パティスリーの菓子職人だという方が、特別につくってくれたものをいただいた。(まさしくそのデザートを部屋に運んできてくれた海外の初老の男性が、ぺこぺこと物腰柔らかく挨拶をしてくれた。『ご丁寧にどうも』と俺も軽く合わせていたが、名札のところにはそのスイーツ店と同じ名前が書かれいた。『まさかこのひと、創業者本人か……?』とも思ったが、度重なる規格外な出来事に頭がショートしそうだったので、それ以上深掘りするのはやめておいた)
食事だけじゃない。
そのあとも部屋に派遣されたエステティシャン(なんで俺たち2人だけのために10人近くも来るんだよ!)によるリラクゼーションを受けたり、『家のテレビ何台分だよ!』というくらいに巨大なモニターで、まだ日本では公開されていないはずの映画を観たり(なんで手配できたんだよ!)、なんか世界大会で優勝しただとかいう珈琲職人が、目の前で最高級コーヒーを淹れてくれたり(ブラジルからこのためだけに来たってなんだよ! 地球の裏側だぞ!)、――他にもエトセトラエトセトラ。まさにこの世の贅のすべてを尽くした『ふつうのデート♡』とやらを俺たちは堪能した。やれやれ。ふつうってなんだ?
あとは、まあ。
部屋についていた温水のジャグジーバスにも一緒に入った。(誤解を招かないようにあらかじめ言っておくと、お互いに水着だ)
お湯はなんでも有名な温泉の源泉をそのまま運んできて使用しているらしい。例のごとく浴槽のそばにはウエイターが控えていて、時折旬の果物が芸術的に盛られたカクテル(当然ノンアルコールだ)が運ばれてきた。それを優雅に飲んでいる途中でリリアが、『今日はね、星がきれいに見えるみたい』というと、天井だと思っていた屋根が『ウイイイイイイン』と開いて、そこから夜景を見渡すことができた。(もう色々規模感がすごすぎる! 夢の中だとしても思いつかないレベルだぞ!!!!!)
そんなわけで。
今はふたり、バスローブ姿でベッドの上にいる。




