3-20 これが最後のお願いだから
――『ねえ。ユート』
――『今からあえない?』
わるい。今は無理だ。
――『どうして?』
すこし、ひとりになりたい。
――『ひとりでなにするの?』
かんがえごとがあるんだ。
――『かんがえごと』
ああ。俺にとっては、すごく……たいせつなことだ。
――『ふうん』
わるいな。それじゃ、また。
――『今からあえない?』
おおい! 人の話をきいてたのか!
――『あのね』
――『前に話してた舞台。おぼえてる?』
……ああ。
もちろん覚えてる。リリアの〝夢〟だ。
――『そのオーディションの本番がね、明日なの』
――『だからさ……最後の一晩だけ』
――『〝恋愛のお稽古〟――手伝ってくれない?』
電源ボタンを一度押して、俺はスマホの画面を閉じた。
前にリリアが話してくれた大人気ミュージカルの舞台。『世界最後の初恋』――通称セカコイ。
リリアは世界一の女優でありながら、そのオーディションに落ち続けていて。
演出家からは『お前の恋する演技はホンモノじゃない、ニセモノだ』と言われてしまったという。
もともとは、リリアの夢であるセカコイの舞台のオーディションに合格するために。
今までリリアがしたことがなかったという――『現実世界の恋愛経験』を積む練習に、と俺と仮初の恋愛契約を結んだ。
しかし、その7日間の契約が切れたあとも。
リリアは俺のことを『本気で好きになった』という。
最初は半信半疑ではあったが……そこであの生配信だ。
あろうことか、リリアは全世界に向けて『学校に好きな人がいる』と宣言し、翌日にはその〝片思い〟の相手は俺であることを明らかにした。
芸能界は(特にそれが若手女優ならなおさらの)人気商売だ。
――御伽乃リリアに片思いの好きな人がいる。
そんな誰もが飛びつきたくなるゴシップが、あろうことかリリア本人から提供されたのだ。
事実。全世界のお茶の間は連日連夜、リリアの恋話で盛り上がった。
そんな一種の炎上騒ぎになってまで、リリアは俺のことを好きだと言ってくれた。
世界に向かって宣言してくれた。
本気の度合いを示してくれた。
トップスター・御伽乃リリアとしての未来がどうなってもいいと。
それだけの覚悟を示してくれた。
スマホの画面が震える。
――『ねえ。今からあえない?』
――『これが最後の、おねがい』
リリアの真剣な表情が、脳裏に思い浮かんだ。
♡ ♡ ♡
「や」
ドアから顔を出したリリアがあっけらかんと挨拶をした。
場所は俺には一生縁がないと思っていた、都心の超高級ホテルの最上階だった。
リリアに呼び出されたあと、俺は例のごとく家の前に停められた送迎車に乗り込むと、しばらくの運転のうちに地下の駐車場のようなところに到着した。周囲にあるのは、俺でもロゴを知っているような超高級外車ばかりだった。その中でも異彩を放つ黒塗りの車から俺は降りて、英国紳士のような装いのホテルのスタッフに案内されてエレベーターへと乗り込む。中にはもうひとり、正装をしたスタッフの女性がいて、優雅な素振りで中へと迎え入れられた。何階にいくのか気になりちらりとパネルに目をやると、そこにはひとつのボタンしかついていなかった。どうやらこのエレベーターは、その階層専用のようだ。(そんなことってあるのかよ……?)随分と長い間エレベーターは上昇をつづけていて、途中で耳が痛くなった。気になって尋ねてみると、やはり最上階へと向かっているらしい。目的階について。エレベーターを降りると、背後から『どうぞ、ごゆっくりとお過ごしください』と深々としたおじぎとともに見送られた。『あ、いや……部屋は? 何号室とか、あるんじゃないのか?』『いえ。お進みになりましたら分かるかと存じます。こちらのフロアには――その1室しかございませんので』
まさしく。だれにでもわかった。
黒いふかふかの毛並みの絨毯(下手すると俺の家の布団よりも寝心地がよさそうだ)が敷かれた廊下を進むと、その突き当りに扉があった。深呼吸をして、こんこん。部屋をノックしたところで冒頭へと戻る。
「や」
ドアから顔を出したリリアが、あっけらかんと繰り返す。
「……よう」
「はいる?」
俺はやれやれと首を振る。
「一応はそのつもりで来たんだがな」
「よかった――はい♡」
リリアは両手を広げて、俺を招き入れる仕草をする。
「なんのつもりだ?」
「ひさしぶりに会えたんだもん。ぎゅうしちゃ、だめ?」
「……だめだ」
「えー、けち」
リリアがわざとらしく頬を膨らませる。
「べつに俺たちは、付き合っているわけじゃないだろ」
「霞音ちゃんとは違って?」
「……ああ」
リリアは唇を軽くとがらせる。
「ふうん。いいなあ。嫉妬しちゃう」
「嫉妬?」
「うん。だって、ボクだって好きな人とお付き合いしたいし」
「お前にもいるのか……好きな人」
リリアは驚いたように目を見開いた。
「あは。何言ってるの? 眼の前にいるよ?」
「…………」
「ボクは、ユートのことが、好き」
リリアは俺の胸元で、白くて細い指先を、ゆっくりと滑らせながら言う。
「世界に向けて配信するだけじゃ、まだ足りなかった?」
「もう一回」
「え?」
「もう一回――言ってくれるか?」
「へんなの。うん。いいよ? 何度だって言ってあげる。ボクはユートのことが好き」
好きと愛しているの違い。その間で揺れる今の俺には。
リリアの言葉の響きが。
好きの響きが。
そのどちら側にあるのかが、いやがおうにも分かってしまう。
そしてその確信を。
俺はこのあと、リリアに伝えなければならない。
「ボクは。ユートのことが。好き。――どう? これで満足?」
「……ああ、満足したよ」
「ほんと? じゃあ、ぎゅー♡」とリリアが両手を広げる。
「それとこれとは、話が別だ」
「あは。残念。でもいいよ。――つづきは中でしよ?♡」
まるで異世界にでも繋がっていそうな重厚な扉の中に。
俺は吸い込まれるようにして消えていく。




