1-5 ぷりんにはこの世のしあわせが詰まっています
「なんだか、人通りのすくない道です……」
霞音の『もっと一緒にいたい』という願望を汲み取った俺は、彼女をとある場所へと案内していた。
街の路地裏のような場所を歩きながら、俺の背後で霞音が不安そうな声を出す。
「まさかとは思いますが、へんなところへ連れて行くつもりではありませんよね……?」
「まあ待て。もうすぐだ」
俺はスマホで地図を確かめながら言う。
やがて路地裏を抜けると、すこし広めの通りに出た。
道なりに進むとようやく目当ての場所へと辿りつく。
「わるいな。こっちのほうが近道だったんだ」
「こ、ここは――公園、ですか?」
「ああ、そうだ」と俺はうなずいた。
「どうしたのですか、急に。砂遊びでもしたくなったのですか?」
「……それはそれで楽しそうだが。あいにく今日は童心に帰るつもりはない。目的はアレだ」
俺が視線で示した先には、飲食の移動販売車やキッチンカーが何台か停めてあった。
まわりには椅子やテーブルも並んでいて、買ったものをその場で食べられる仕組みだ。
「期間限定でこの公園に青空出店してるらしくてな」
「そうなのですね、しりませんでした――なんだか賑やかで楽しそうです」
きょろきょろと物珍しそうに周囲を見回している霞音を、近くの空いていたテーブルに座らせた。
俺は『ここですこし待っててくれ』と言って事前に調べていたキッチンカーに近寄り、【とあるもの】を買ってから席へと戻る。
「っ! それは――」
俺が手にしたモノを見て。
霞音がきらきらと目を輝かせた。
「ぷりんではないですか……!」
「ああ。お前の好物のな」
霞音は小さい頃からプリンには目がない。
むしろ俺のことよりもプリンの方が(恋愛感情としても)好きなんじゃないかと思っていたほどだ。
「私に、いただけるのですか……?」
「なんのために2つ買ってきたと思ってるんだ」
「せんぱいが私の目の前で2つともたいらげるおつもりかと」
「極悪非道の所業かよ……安心しろ、そんなことはしない」
とん、と1つを霞音の前に置いてやる。
「本当に、いいのですか」
彼女はいまだ疑うような視線を向けていたが。
おそるおそるプリンを手にして、全体をくまなく吟味したあと、
「ふうう――」
ゆっくりと深呼吸をして、両のてのひらを合わせ、丁寧な『いただきます』とともにスプーンですくい――口へとほおばった。
「……! おいしい、ですっ」
霞音はぱあと顔を明るくさせてつづける。
「舌の上でとろける触感、濃厚な卵とバニラの風味、ほろ苦いカラメルソース――まさしく、この世のしあわせが詰まっています――!」
「そうか、そいつは良かった」
そのあとも幸せそうにプリンを口に運ぶ霞音をみて、俺はなんだか微笑ましい気持ちになる。
まったく。ふだんからそういう無邪気な表情を見せて俺に接してくれれば、可愛げも増すんだがな。
「そういえばせんぱい――どうしてこちらのお店のことをご存知だったのですか?」
霞音が名残惜しそうにスプーンで容器の底をなぞりながら言った。
「ああ。前にSNSで流れてきたときに『プリンが美味しい』って感想があってな。それで霞音に今度、買っていってやろうと思ってメモしておいたんだ。しかし……こうしてお前と直接来られて良かったよ」
「ふうん――そうだったのですか」
霞音はまたいつもの得意げな表情を浮かべてつづけた。
「私のためにぷりんの情報を覚えていてくださるなんて。やっぱりせんぱいは、私のことが大好きなのですね」
「……っ」
ふだんであれば、『勘違いするな。これはただの餌付けだ』などと皮肉のひとつでも返していたかもしれないが。
あいにく、今の俺は『霞音のことが大好きなカレシ』として彼女に接しなければならない。
だからやっぱり、俺はどこまでも慣れない言葉を、吐いた。
「あ、ああ……好きな人の幸せそうな表情を、俺も見たいからな」
霞音は目を一瞬大きく広げたあと、まるで雪解けにように口の端をゆるめた。
俺はまた顔が赤くなっていくのをごまかすために、口元を腕で覆った。
「せんぱい、すこし待っていてください」
「ん?」
そこで霞音はおもむろに席を立って、販売車が並ぶメインの一角に向かってとてとて歩きはじめた。しばらくして彼女が戻ってくると、その手には飲み物が1つ、大切そうに握られていた。
「せんぱい、どうぞ」
「お――いいのか?」
「はい。ぷりんのお礼です」
俺は紙コップを受け取り、飲み口から香りをかぐ。ブラックのコーヒーだ。
「せんぱい、こーひー、お好きですものね」
霞音はまるで『私だってせんぱいの好きなもの、知っていますよ?』とでも言いたげに得意げな表情をしている。
「覚えててくれてうれしいぜ。しかし……お前の分の飲み物はいいのか? コーヒーは苦手だよな。紅茶でも買ってきてやるが」
「いえ、私は大丈夫です――さきほどのぷりんで充分です」
と霞音は言ってテーブルに両ひじをついた。
「せんぱい」
「ん?」
霞音はまっすぐに俺の瞳を見つめて。
まるでプリンを味わっていた時みたいに甘く微笑んだ。
「――ありがとう、ございましたっ」
「っ! お、おう……」
そんな霞音の微笑みは。
腐れ縁の幼馴染である俺ですらも、油断すればKOさせかねない魅力的なもので。
ふいに俺の心が、現実的にどきりと高鳴った。
「べ、別に……せっかくカレシになったんだ。これくらい」
俺はまばゆい霞音の笑顔から目をそらして、たどたどしく言った。
「ふふ、そうですね。私の彼氏さんなんですから。これくらいしてもらわないと困ります」
霞音が人さし指を立てながら言った。
ふと視線を上げると、空の低いところに白い細切れの雲が連なって浮かんでいた。
その隙間からまるで南国の海のように濃厚な青空が覗いている。
もうすぐ梅雨も終わり、本格的な夏が始まるらしい。
『あ、おかあさーん。みてみてー、花火大会だってー』
ふと近くを通った親子連れからそんな会話が聞こえてきた。
気になって振り向くと、この夏数年ぶりに『花火大会』が近くで行われるらしく、そのポスターが看板に貼ってあった。
「そうか――今年はやるんだな」
鮮やかな色を散らす花火の写真をぼうっと眺めていたら、霞音から声がかかった。
「せんぱい。もしかして、どなたかと『一緒に行きたい』などと思われています?」
「ん……そうだな」
きっと霞音は『自分と』とでも言わせたいのだろうが。
さっきからずっと〝やられっぱなし〟というのもなんだか癪だったので、
「久しぶりの花火大会だ。たっぷり堪能するために〝俺ひとり〟で行くのもいいかもしれないな」
などと皮肉に言ってみた。が。
「ふふ――そうですか」
霞音は『素直じゃありませんね、せんぱい』と言って。
やっぱりどこまでも上からな様子で微笑んできたのだった。