3-13 手繋ぎ以上のコトをして
「か、霞音っ!?」
霞音にベッドの上できゅうと手を握られて。
思わず声が上ずった。それもそうだ。
今まで。
形式上『恋愛マウント強者』を装う霞音の方からは、決して俺の手を取ったことはなかった。
あくまで『霞音のことが大好きな』俺の方から霞音の手をつなぐ。それが俺たちの中で自然と守られてきたルールだった。
それなのに。
今の霞音は自ら俺の手を取って(緊張からだろうか、手のひらはじっとりと暖かく湿っていた)。
きゅう、きゅう、と。なにかを必死に伝えるように握りしめてきたのだから。
「う、あ……せ、せんぱいになら、たまには、私から、つないであげても、いいかなと、思いまして」
言葉のひとつひとつが震えている。
慣れないことを無理やりしているのが伝わってくる。
「そ、そうか……たまには、な? その、いいかも、しれないな!?」
俺の方だって急なことで動揺している。視線はまともに霞音に向けれない。握られた手をどうしていいか分からず、ぎくしゃくと変なふうに全身に力が入る。冷や汗は止まらない。呼吸も早くなってきた。完全に挙動不審だ。
「ん? か、霞音……?」
しかし。
霞音の予定外行動はここで終わらない。
「せ――せんぱいっ」
意を決したように。
彼女は握っていた手を。
自らのふくよかな胸元に寄せるように引きつけて。
その勢いのまま。
バスケットボール大だった距離を。
――ゴルフボール程度の距離まで縮めてきたのだから。
つまりはそんなもの。
ほぼ密着だ。
「……っ!」
俺は思わず息を飲む。飲み込んだ息は吐き出せない。胸の奥に激しい熱量をもって押し込められる。今にも爆発しそうだ。
どうしてだ? 相手は霞音だぞ? なぜこんなにもドキドキするんだ?
「せん、ぱい――っ」
眼の前に霞音の顔がある。目がある。鼻がある。唇がある。呼吸がある。震えがある。体温がある。
なにも考えられない。なにも考えられない。
思考が止まっているかのようだ。
時間が止まっているかのようだ。
そんな一瞬。
あるいは『永遠』とも思える時間の果てに。
「わ、私たちは、どうしたって――っ」
霞音は。
「カレシと、カノジョなのです。ですから――っ」
震える声で。
「せ、せんぱいとなら――っ」
顔を真赤に染めながら。
「――き、きすだって。良いです、よ?」
そう。
言い切った。
「っっっ!?」
俺の身体の奥から、言葉にならない声が出る。
霞音のセリフをもう一度。
頭の中で繰り返す。
――せんぱいとならきすだって良いですよ?
そんなもの。
(なにを言ってるんだ、霞音のやつ……!)
すこし前までは、手をつなぐことすらも躊躇っていたほどだ。
どうやら『夢の中の俺』がそれ以上の進展(つまりは、手繋ぎ以上のコトだ)を求め、霞音に何度かアプローチをしていたようだが……それはそれとして。
そんな初心な霞音が。
「せんぱい――」
顔を真っ赤にして。
瞳をうるませて。
暖かな吐息がかかる距離で。
「きすだって――良いのですよ?」
そんな『手繋ぎ以上のコトバ』を繰り返してくる。
やはり。どうかんがえても。
(異常事態じゃないか……!)
思考は混乱をつづける。
眼の前には霞音の唇がある。頭の中が熱を持っている。眼の前には霞音の唇がある。理性と本能がぐちゃぐちゃだ。眼の前には霞音の唇がある――。
「……っ」
様々な種類の葛藤と混乱と思考の果てに。
俺は。
「霞音っ!」
びくりと震えた霞音の肩を。
両手で支えて。俺は。
「――しっかりしろ」
と。
ひとこと。
言ってやった。
「……はい?」
霞音は回していた目をぱちくりとさせる。
「しっかりしろ」と俺は繰り返す。「霞音――今のお前、なんだかへんだぞ」
びくん。
霞音が身体を跳ねさせた。
「へん……? へんとは、どういうことでしょう。私は、生まれてこの方、ずっと正気で――」
「正気?」
顔は真っ赤で。冷や汗は止まらず。目をぐるぐると回して。
明らかに正気でないのに、自らのことを正常だと言い張る霞音の様子がおかしくて、ついつい笑みがこぼれた。
「ふ。どこがだ。へんはへんだろうが」
「へ、へんではないです、失礼でみゅっ」
「噛んだな」
「~~~~っ! か、噛んでなどいませんっ」
今度は『ぷくう』と頬を膨らます。
「せんぱいが、へんなことをおっしゃるからです……」
なんだか懐かしさも感じる一連のやりとりで、随分と雰囲気が和らいだ。
幾分か『まとも』になった霞音に(いや、まともに戻れたのは俺も同じだ)、俺はため息をつきながら言ってやる。
「で。なにがあったんだ?」
「……?」
霞音が眉間にしわを寄せた。
「最初からずっとへんだっただろ」
「うー……そ、そのようなことは……!」
「ごまかさなくていい」
ここまで徹底的にあの恋愛マウント強者を演じてきた霞音の方から、手を握ってきただけでなく、キスまで求めてくるだなんて。
なにか大きな『理由』でもなければ納得できなかった。
「一体なにがあったんだ?」
ぐい、と詰め寄る俺の迫力に気圧されたのか。
霞音は『う……』とすこし尻込みしながらもおずおずと答えてくれた。
「……せんぱいが、いけないのです」
「ん?」
「最近のせんぱいは、私に冷たいです。話しかけても、なんだかつれない態度で」
ふむ。
まいったな。内容に覚えがない。おそらく霞音の『夢の中の俺』なのだろう。
「その一方で、せんぱいは。……せんぱいは、」
霞音は言いにくそうに唇を震わせたあと。
つづきをつむいだ。
「リリアさんとは……随分と仲良くされていて」
「……ん?」
急に出てきたリリアの名前に、俺は眉をしかめる。
「せんぱいがリリアさんとお話されているときは、随分と楽しそうで。私とお話をしてくださるときでも……口を開けば、リリアさんのことばかりで」
これももちろん、夢の中でのことなのだろうが。
夢と現実の区別がつかない霞音にとっては、どこまでも『現実の出来事』と認識されてしまうのだ。
だからこそ、本当に。心の底から。寂しそうにして。
霞音はつづけた。
「放課後もリリアさんとご一緒に出かけられることが多くて。〝お仕事のお手伝い〟などとおっしゃっていましたが……ふたりきりの時間は。か、カノジョの! 私よりも……随分とたくさんあるように思います」
「そ、そんなことは!」
否定しようとしたが……できなかった。
――それはぜんぶ、霞音の夢の中のことで現実じゃないんだ。
霞音にそう告げることができたらどれだけ楽か。
――もし病気のことを自覚しちゃうと、夢と現実の区別がますます曖昧になって、症状が悪化しちゃうみたいなの。
霞音の姉・絵空さんがそう言っていたことを思い出す。
今は霞音につらい思いをさせてしまうかもしれないが、病気のことを考えると真実を告げることはできないように思えた。
「くだ……さい……」
「うん?」
霞音は悲痛な声で。
今回の件の核心に触れた。
「お願い、です――リリアさんのことを。これ以上。好きにならないで、ください――」




