3-12 ベッドの上でふたりきり
「あ、せんぱい――おひさしぶりです」
蝴蝶霞音はどこか消え入りそうな声で言った。
「ようやく、お会いできましたね」
場所はひと気のすくない旧校舎の保健室。
そこで俺と霞音は『密会』をしていた。
「どういうことですか、せんぱい。一週間が経てばボランティアも終わり、私との時間も増えるのではなかったのですか?」
そう詰めてくる声には、憤りだけではなく不安も混じっている。
「実際に7日間が終わり、せんぱいとの時間は増えるどころか……もっと、少なくなっています」
まさしく。
俺と霞音が会える時間は、圧倒的に少なくなっていた。
というよりも。
俺の『自由な時間』自体が少なくなった、と言い換えても良い。
リリアが例の『恋バナ全世界配信』をしたことで、注目を浴びたのは当のリリア本人だけではない。
その恋愛の矢印の対象となった俺――宇高悠兎の名も界隈に轟き、全世界の監視対象となった。
それだけにとどまらず。
世間では『全人類が羨む存在・御伽乃リリアからの好意を無下にしている男』として話題になっているらしい。
ともあれ。
放っておいても事態が解決するわけもなく
むしろ。
状況は日々激化している。
つまり。
俺はもう。
――『まともな日常生活』を営むことはできなくなってしまっていた。
どこにいくにも衆人の目にさらされ。
目にさらされるどころか、あとをつきまとわれ。写真も撮られ。
「これじゃ完全に、世間で話題の『芸能人』じゃないか……」
そんな現実離れした役割は、いち一般思春期男子高生にはあまりに荷が重すぎる。
しかし。
一方で騒ぎを巻き起こした張本人であるリリアの方といえば飄々としている。
メディアにも今までと変わらず露出しているし(あろうことか、出る番組などでは『振り向いてもらえるように、色々アプローチしてるよー♡』などと恋バナ進捗情報を堂々と流す始末だ。もともとが世間から監視されているに近い生活をしていたリリアにとっては手慣れたものなのだろうか。専用の送迎車など個人的な移動手段、そして方方に様々な〝金のチカラやコネクション〟をもつリリアとは、なんやかんやで密かにふたりで会うことはできていた。(たとえば、以前の超高級フレンチレストランのような、プライバシーも守られたセキュリティも高い個室の店などだ)
けれど。
これが俺と霞音では、そうとはいかない。
専用の送迎車なんてものはもちろん所持していないし(登校や移動は基本徒歩と電車だ)、個室の高級店にいくような財力も、そういったものを手配できるだけの繋がりも当然ない。
ほとぼりが冷めるまでは、今までのように霞音とは登校するどころか、会うことすらまともにできなくなった。
つまりは。
結果的に恋敵である霞音と俺の時間が少なくなったのだから、もしかするとこれもリリアの作戦ということになるのかもしれない。
「……おひさしぶり、ですね」
というわけで。
苦心の末にどうにか人目を避けてふたりで待ち合わせた旧校舎の保健室で、霞音は繰り返す。
「ああ……ひさしぶりだな」
俺もたどたどしく返した。
久しぶりというのもあって、ひどく緊張してしまう。
「あ……窓」
「ん?」
「閉めたほうが、いいかもしれませんね」
「そ、そうだな」
状況的にいつだれに見られるかもわからない。
俺は窓に近寄って(その足取りも自然と忍び足になってしまう)、カーテンをしめた。しゃりん、というレールの金具の音が無機質に鳴る。
昼間だというのに、カーテンをしめるだけで随分と室内は暗くなった。(旧校舎自体が、新校舎の建物の陰になっている影響もあるかもしれない)
「ん……電気、つけるか」
「あ、はい……」
入り口の近くにいた霞音が、手探りのような形でスイッチを探し出し、押す。押す。押す。
カチ。カチ。カチ。
……何も起きない。
首をかたむける。
「……?」
「どうした」
「つかないです。壊れているのかもしれません」
「壊れてる? そいつは困るな。このままじゃ部屋は薄暗いままだぞ」
もう一度カーテンを開くか思案してみたが、やはり今の監視される状況下では得策ではないだろう。
天秤にかけていると、霞音がおずおずと言った。
「わ、私は……このままでも、だいじょうぶです」
「ん……そ、そうか」
周囲を見渡す。確かに薄暗いとはいえ、どこに何があるかがわからないというわけではない。目も随分と慣れてきた。
俺が気にしていたのは、むしろ、『思春期男女がふたりきりでいるのに適切な部屋の明るさではない』――という視点だったのだが。
ふむ。
まあ霞音が言うのであれば大丈夫であろう。
「ま、なんだ。このままでも落ち着かない。とりあえず、どこかに座るか」
「は、はい……そうですね」
やはりお互いに妙な緊張をしているのか。
いつものような軽快な言葉のやり取りは出てこない。
気まずさをごまかすように、俺は部屋の中をぐるりと見やる。
座れるところといえば――
「ん……ここでいいか?」
俺は中央に配置されていたベッドを目線で示しながら言った。言って、すこし後悔した。
ここは保健室。ベッドがあるのは当然なのだが……なんだか、健全でないようなニュアンスにもとれるかもしれない。
(たとえば、悪友・スナガミが誰か同級生の女生徒を薄暗い個室で『ベッドに誘った』としたら、その字面だけで逮捕レベルだ)
「は、はい。ここで、かまいません」
しかし霞音はどこまで自覚的なのかはわからないが、俺の提案を断ることなく受け入れた。
彼女はちょこちょこと小さい歩幅でベッドまで向かうと、すとん。その上に腰かける。
俺もそのあとにつづいて、霞音の隣に座る。ちょうどバスケットボールひとつ分くらいの距離が、ふたりの間にはあいている。
「…………」
「…………」
ふたたび、沈黙。
窓の外からは蝉の声に混じって、昼休みの生徒たちのざわめきが聞こえる。
じりじりと太陽が世界を照らす空気も伝わってくるくらい、随分と夏だった。
「……あついな」と俺は言った。
「そ、そうですね」と霞音も返した。
「クーラー、つけるか……あ、旧校舎はついてないのか」
「はい。――しかたありませんね」
日陰の木造建築で通気性が良いせいか、鉄筋コンクリートづくりの新校舎よりは涼しさはあった。とはいえ、夏真っ盛りだ。じっとしていると、身体が火照ってきて、背中などにはうっすらと汗が滲んでくるのがわかる。ううむ、汗臭さなどは大丈夫だろうか。こうして霞音と薄暗い保健室で横並びでベッドに腰かけていると、ふだんは気にならないことがどうしたって気になってくる。
バスケットボール大の距離が、やけに近く感じる。
「おひさしぶり、ですね」
「……おい、さっきも聞いたぞ」
これで3回めだ。やはり今日の霞音はどこかおかしい。
(いや。おかしいのは俺も同じか)
旧校舎の薄暗い保健室――そのベッドにふたりきり。
仮初とはいえ、横並びに座るふたりは、久しぶりに会うカレシとカノジョ。
(これで、すこしも『ドキドキするな』というのが最初から無理な話だ)
たとえ、その相手が幼馴染の霞音だとはいえ。
いや。この場合、どうしたって。
――霞音だからこそ、か。
「…………」
ちらりと横目で彼女を見る。
「……う、あ……」
やはり様子がおかしい。
なにか懸命に、自らの中から言葉を発しようとしているようだ。
「……あの、ですね、……ええ、と……うう……」
つむごうとする言葉は出てくることはなく、何度も身体の奥へと落ち込んでいく。
そのたびに霞音の白い喉が上下する。口からは吐息が漏れる。薄暗くても、表情に赤みがさしていることが見てとれる。
そんなどこか妖艶にもとれる様子の霞音が、たったバスケットボールひとつ分の距離にいて。
俺の方だって、やはりおかしくなりそうだ。
――いや。もうすでに、おかしくなっているのかもしれない。
ごくり。俺も喉を鳴らして、霞音に声をかけてみる。
「……か、霞音……?」
しかし、その絞り出すように発した声は、霞音には届いていないようだ。
彼女は引き続き顔を真赤にしながら、身体をふるふると震わし、『ええ、と……その……う、あ……っ』などと時折声にならない声を漏らしながら、目をぐるぐると回している。
「おい、霞音!? 大丈――」
言葉のつづきは出なかった。
それもそのはずだ。
霞音が。その瞬間。その刹那。
きゅう、と。
俺の手を。ベッドの上で。
――握ってきたのだから。




