3-8 べつにせんぱいとお別れをしたって
「「…………」」
「ん?」
歌い終わえたあとにふたりのことを見やると、口をぽかんと開けて呆然としていた。
「……わるかったな。下手で」
そりゃお前らと比べれば雲泥の差だろうよ。
しかしカラオケというものは本来、自分の好きな曲を自分に好きに歌うだけで十分ではないだろうか? などと考えていると。
「あ、ううん」リリアが首を振って言った。「すごく、上手だったから」
「ん?」
「びっくりしちゃった。霞音ちゃんも上手だったけど、男の人でこんなにきれいに歌えるなんて。あは。すごい! ふたりともプロになれるよ」
「はは……お世辞をどうも」
「お世辞なんかじゃないよー!」とリリアは言葉に力をこめる。
ソファの端に座っていた霞音と目があった。
俺のことをじっと見つめている。やがて視線をそむけて、頬をほのかに高揚させて言った。
「……とても、おじょうずでした」
「ん。そうか」
「はい」
「……さんきゅ」
ふだんはあまり霞音から褒められることがないからか。
(こう面と向かって素直に賛美されると、なんだかむずがゆい気持ちにもなるな……)
頭をかいていると、リリアがデンモクをもって俺の横にずいと座ってきた。
ふわりとまた、リリアの甘い香りが漂ってくる。
「ねね。もしかしてユート、洋楽好きなの?」
「あ、ああ。一時期ハマって聴いていたんだ」
「ほんと? じゃあじゃあ、こっちの曲とかも分かる?」
「分かるもなにも。俺の好きな曲だ」
「えー、うれしー! じゃあ一緒に歌おうよー♡」
勢いのままにその曲が入れられた。
リリアに手を取られて立ち上がり、そのまま互いに目配せをしながら歌いはじめる。
ふむ。なんとも。
世界一の歌姫と一緒に歌うなど、なんだか信じられない心地だな。
そもそも曲の趣味が合うやつも俺にとっては貴重だ。自分の好きな曲を好きなように歌う――次から次に巻き起こる夢見たいな現実に、俺だっていささか困惑している。そのストレスを今くらいは発散させてもいいのではないだろうか。
俺はマイクを握る手に力をこめた。
♡ ♡ ♡
「ふう。思いのほか熱が入ってしまったな」
ひととおりリリアとの洋楽デュエットを終えたあと。
俺はドリンクバーを取りに廊下へときていた。
なんだかひと仕事終えたような充足感がある。
「家族の前じゃ、こんなふうに全力では歌えないからな」
親の前で歌うのはどこか気恥ずかしく、選曲も含めてどうしても遠慮が出てしまう。
そんなことを考えながら部屋に戻ろうとすると。
ドアの前で霞音に待ち伏せされていた。
「ん……どうした? 霞音」
立ち止まると手にしていたコップの中で飲み物が揺れた。
コーラの炭酸がしゅわしゅわと音を立てて弾ける。
霞音はぷくうと頬を膨らませて、どこかご機嫌がよろしくないようだった。
「……せんぱい。なんだか、私といる時よりも楽しそうですね」
「な。別に。そんなことは」
たしかに今のカラオケはストレス発散にはなったが。
それはあくまで〝好きな曲を歌うこと〟によるものだ。
おそらく霞音が想像するように、『御伽乃リリアと一緒にデュエットできたこと』が楽しかったわけではない。
しかし、そんな内容をうまく説明することは咄嗟に難しかった。
もごもごと曖昧に否定していると、霞音はきゅっと眉間に力を入れて言った。
「彼氏が彼女を置いてけぼりで、他の女性と楽しむなど……」
「だから、それは誤解だ……!」
「どうでしょうか、信じられません……」
霞音は腕組をしたまま唇をとがらせ、視線を斜めに泳がせながらつづける。
「わ、私は別に良いのですよ? べつに、……せんぱいと……お、お別れを、したって……」
「お別れって、そんな極端な……ん?」
そこでふと違和感に気づいた。
霞音のいつもの強がりの中に〝今までは存在しなかった感情〟が含まれている。
それはおそらく、一抹の『不安』のようなものだ。
「せんぱいは、それでも……良いのですか……っ?」
腕組みを解いて。胸の前で指先をからませて。
まさしく不安げに、俺のほうをちらちらと見てくる。
「あ……いや。それは、こまる」
と俺は霞音のカレシとして答える。
なかば儀礼的に。そこでなぜか、胸がちくりと痛んだ。
「ほんとう、ですか?」
見抜いたように霞音が確かめてくる。瞳はやはり不安げに揺れている。
「…………っ」
何かを言いかけて。また口を閉じる。喉をこくりと鳴らす。言葉を飲み込む。
けれど。最後は抑えきることができなかったみたいで。
「……リリアさんは、」
霞音は胸の中にあったであろう不安を、吐露した。
「リリアさんは、せんぱいのことを〝お好き〟だと口にはされていましたが……リリアさんは、女優さんです」
「うん?」
「リリアさんがその気になれば、鈍感なせんぱいを騙すことくらい、おちゃのこさいさいです。リリアさんは、本当はきっと、せんぱいのことなんて、これっぽっちも――」
「霞音、なにが言いたいんだ?」
「で、ですから!」霞音は語気を強めた。「だ、だまされないでくださいっ」
「だましてなんかないよ?」
「……っ!?」
霞音の必死さにあてられて気づかなかったが。
そのリリア本人が、いつの間にか部屋の外に出てきていた。
「だましてなんかないよ?」と彼女は繰り返す。
「リリアさん。……う……その……し、証拠はあるんですか」
霞音は一瞬たじろぎながらも、負けじとリリアに強い視線を向けた。
「あは。おもしろいね。ボクがユートのことを好きな証拠、かー。ううん……たしかに証拠を見せるのは難しいかも。だって、これってどこまでいってもボクの〝気持ち〟の問題だし? 人の気持ちなんて、本人じゃないと分からないもんね」
「でしたら、やはり騙して――」
「でも」
リリアは一呼吸おいてから。
霞音のことを不気味なくらい澄んだ瞳で見抜く。
「証拠はなくても、本気なところはみせられるよ?」
「……? どういう――」
リリアはそれ以上の霞音の追求を許さない、劇的な微笑みを浮かべて。
言った。
「ボクはユートのことが好き――それが本気っていうこと、キミに見せてあげるね♡」




