1-4 一緒に帰るって言いましたよね?
「あ、せんぱい……おそいです」
放課後。学校からの帰り道。
途中にある公園の入り口に、蝴蝶霞音が立っていた。
「ん? どうしたんだ、こんなところで」
霞音は眉根を寄せたあと、『ふううう』と呆れたように息を吐いた。
「やっぱりせんぱいはだめだめですね。私と『一緒に帰りたい』と涙ながらに頼んできたのはせんぱいではないですか」
「ん? ……あ、ああ。そういえば、そうだったな」
当然、俺の記憶にはない。
となればきっとまた〝霞音の夢の中〟の出来事だろうが……そのことがバレないように、俺は話をあわせることにした。
「なんだかまるで今はじめて知ったかのような口ぶりですね、せんぱい」
鋭いところを突かれて体が跳ねた。
霞音は怪訝に眉をひそめたが……やがて納得したように言った。
「まったく。私と付き合うことができて夢見心地なのは分かりますが、もっとしっかりしてください」
夢心地なのはそっちの方だろ、と俺は心の中で突っ込んだ。
しかし俺は霞音の前では、彼女が見る夢のとおりに『霞音のことが大好きすぎるカレシ』を演じなくてはならない。
「……す、スマン。あまり浮かれすぎないように、気をつける」
「分かればいいのです」
霞音は満足したようで『ふふん』と鼻をならした。
つづいてまわりをきょろきょろ見渡す。
だれかに見られていないことが確認できると、俺の横に並んで歩きはじめた。
「それではせんぱいのご希望に添って、一緒に帰ることにいたしましょう」
♡ ♡ ♡
「せんぱいも幸せものですね。私の隣を歩いて帰宅することができるのですから」
「あ、ああ……まるで天にものぼる心地だぜ」
そんな掛け合いをしながら俺たちは帰路を歩く。
こうして霞音とふたりで学校から帰るのはいつぶりだろうか。
すくなくとも高校に入ってからは記憶にない。
「――あ」
ふと。
霞音が何かに気づいたようにつぶやき足をとめた。
なんてことはない。俺の家の前に着いたのだ。
「もう、到着してしまいました」
それも当然だ。
霞音が待っていた公園は、俺の家のすぐ近くだったのだから。
(おそらく他の生徒たちに見つからないよう、なるべく学校から遠い場所を選んだののだろう)
「ずいぶんとあっという間だったな。それじゃ、また……ん?」
別れの挨拶をして家の中へと入っていこうとすると。
なにやら霞音が物言いたげな素振りでこちらを見ていた。
「あ、あの……ええと、その、」
目を空に泳がせ、制服の胸の前で指を絡ませている。
彼女はやがて『こくり』と喉を鳴らしてから、意を決したように言った。
「せんぱい……今日はもうこれで、さよなら、でしょうか……?」
「へ?」
俺は目をまたたかせた。
顎に手をやって、霞音の言葉の真意を読み取ろうとする。
「……あ」
これまでの恋愛知識(そのどれもが〝物語〟の中のもので、現実性には欠けるのだが)をフル稼働させていたら思い当たった。おそらく。
――霞音は、もっと〝俺と一緒にいたい〟と思っている。
確かに彼女にとって(俺にとってもだが)、今日は交際1日目。
はじめて一緒に帰るはずが、それがわずか数分で終わってしまえばいささか心寂しく感じるかもしれない。
(……ったく。それなら素直に『もっと一緒にいたい』とでも言ってくれればいいのにな)
しかし霞音は俺に対して【恋愛強者マウント】を取っている手前、プライドが邪魔して自分からは言い出せないのであろう。
気づかなかったことにして、今日はここで〝お別れ〟しても良かったのだが――
「せんぱい。いかが、でしょうか……?」
そんなふうに目の前の霞音は、いつもの強気な様子を引っ込め上目遣いでもじもじと俺の様子をうかがっていて。
(う……そんな表情をされたら、家に帰りにくいだろうが……)
まったく。
どこまでも素直じゃないやつだ。
俺はやれやれとため息を吐いたあと、〝霞音のことが大好きなカレシ〟として一肌脱ぐことにした。
「あー……そうだな。ここでさよならするのも、俺としてはとてもさみしい。せっかくだし、どこか寄り道でもしていかないか?」
霞音の頭上の髪の毛がぴこんと跳ねた。
「ほ、ほんとう、ですか……! あ、いえ、」
彼女はそこで『こほん』と仕切り直すように咳をして言った。
「せんぱいが『どうしても』と言うのなら――寄り道をするのも、やぶさかではありません」
「ああ、どうしてもだ。もっと、」
「もっと?」
「もっと――霞音と一緒にいたいからな」
自分で言っておいて後悔した。なにが『もっと一緒にいたい』だ。
とんだ浮ついたセリフじゃあないか。
「……っ」
耳にまで熱が上がっていくのが自分でも分かる。
世間一般の〝恋愛中の男〟を想像しながら言ってみたのだが……世の中のカレシたちはこんなにも小っ恥ずかしい気持ちになるセリフをカノジョに言っているのか?
「――そう、ですか。まったく。仕方ありませんね」
しかし。
ひと肌どころか十肌レベルで脱いだ甲斐あってか。
「せんぱいがそこまで言うのでしたら、もうすこし寄り道をすることにいたしましょう」
どうやら目の前のお姫様にはたいそうご満悦いただけたようで。
霞音は『むふう』と満足げに息を吐いて、頭上の髪を揺らしていた。
「あ……せんぱい。顔が真っ赤になっています」
「ん? ……そうかもしれないな」
もちろん自覚はあった。あんなセリフを現実にしたあとじゃ、まともに霞音の目も見られない。俺は羞恥心に耐えきれず、思わず口元を腕で覆った。
「ふふ。私ともっと一緒にいられるのが、そんなに嬉しいのですか?」
などと。
やっぱりどこまでも上から目線で指摘をされたが。
――そういう霞音の頬だって、林檎みたいに赤く染まっていた。
「まったく――せんぱいはとってもわかりやすいですね」