3-3 まるで夢の中にいるみたいなんだもん
リリアとの練習恋愛も6日目の夜となった。
リリアが『ユートのこと、ボクにくれない?』などと、霞音に対して非現実的な宣戦布告をしたあと。
俺は近くの公園に迎えに来ていた送迎車に乗って、リリアの仕事現場へと駆けつけた。
そして仕事がひと段落したところを見計らって。
俺はリリアの控室である楽屋でぺこんと頭を下げた。
「リリア……すまん、霞音とのこと、黙ってて」
霞音とのこと。
それはつまり霞音との疑似恋愛だ。
そのことを(病気の治療という、秘密にしなければいけない事情があったにせよ)黙って、なおかつリリアとの恋愛の練習を受け入れてしまった。
リリアが事態をかき回したことは抜きにしても、素直に謝らなければならないと俺は思った。
黙っていたことを責めるどんな怒号が飛んできても、俺は受け入れるつもりだったが……。
「ううん、だいじょうぶ」
リリアの声は、随分と明るく柔らかなものだった。
「むしろすっきりしたくらいだよー。ボクのファンって聞いてたのに、色々とたどたどしかった理由がわかったからね」
たどたどしかったのは多分、本当はお前のファンでもなんでもないからだ――なんてことは言えなかった。
「すまん。詳しくは話せないが、これには理由があって――」
「うん。わかってるよ?」
「……え?」
「あの子と付き合ってることを言えない事情があったんだよね?」
やけにリリアは物分りがいい。不気味なくらいだ。
彼女は控室の天井灯ですらステージライトに変えてしまうほどに美しい素振りで髪を耳にかきあげてから。
この世のすべてを虜にしてしまいそうなほど澄んだ瞳で俺のことを見つめてきた。
「あは。わかるよ、それくらい」
「……わかる?」
「うん。だって霞音ちゃん――なんだか夢現なんだもん」
「っ!」
その言葉に。
思わず固まってしまった。
ゆめうつつ。
その響きを自分の脳内でもう一度繰り返してみる。
まさしく――今の俺と霞音の関係性を表すのにぴったりの表現だ。
「ゆめ、うつつだって……?」
なるべく動揺が伝わらないように俺は言った。
(まずい。リリアのやつ、まさか霞音の病気のことまで調べ上げたのか……?)
しかし。
リリアはなんてことのないように。
言った。
「あの子につきまとわれて大変だね」
「……へ?」
想定外のことを言われ、困惑の声が口をつく。
つきまとわれて?
「うんうん。気にしなくてだいじょうぶ。ちゃんと話は合わせるから。ボク、これでも女優なんだよ?」
「なにいってるんだ……?」
「妄想なんだよね?」
妄想という言葉にも、俺はぴくりと反応してしまう。
「ぜんぶ。霞音ちゃんの」
「……あ」
ようやくリリアの言わんとすることが腑に落ちた。
彼女はつづける。
「霞音ちゃんがユートと付き合ってるっていうのは、ぜんぶ霞音ちゃんの中だけの妄想」
ほとんど正解に近いような指摘に、俺はどきりとする。
どきりとして、ぞくりとした。
「大変だね。ユートも」
「……違うって、言ったら?」
「あは。だから言ってるでしょ? 事情があるなら無理に答えなくていいよ」
「どうして、そう思った」
「うーん、そうだね。実際のところはどんな理由があるかわからないけど――」
リリアはあごに指をあてながら。
言った。
「あの子の瞳――まるで夢の中にいるみたいなんだもん」
俺は。
なにも。
言えなかった。
「夢の中。非現実。妄想。――ボク、そういうの分かるって言ったでしょう?」
――人が演技してるかどうかくらい分かるよ。これでも女優なんだよ?
そんなふうに言ったリリアのことを思い出す。
実際はこの場合、霞音の妄想は後遺症によるものなのだが――それでも芯は食い違っていない。
「だいじょうぶ。心配しないで?」
リリアはまるでドラマの中のセリフみたいに繰り返す。
「ボクがちゃんと、ユートのこと、霞音ちゃんの妄想から解放して。夢の世界から連れ出してあげる――どこまでも現実的な恋で」
お前との恋だって。
明日には終わる夢じゃなかったか、と俺は思ったけれど。
――こうしてまた俺たちの夢と現実の境界線は、ますます曖昧になっていくのだった。




