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2-9 きっとぜんぶ、うまくいく

 放課後。

 俺は霞音(かすね)と一緒に帰路(きろ)についていた。


「ふむ。今日はいい天気だな」

「……」

「蝉の声も騒がしくなった。本格的な夏の入り口だな」

「…………」

 

 霞音はなにも答えない。

 頬をすこし膨らませ、鞄の持ち手を身体の前で握り、視線を地面に落としている。


「ん……霞音? なにか怒ってるか?」

「べつに。なんでもありません」


 霞音は明らかになんでもあるふうに言った。

 俺は自分のここ数日の行動を振り返ってみる。


「あ……週末、遊びに行けなくなったことか?」

()()()()は関係ありません」

 

 まったく。その口ぶりだと『怒ってる』のは認めたことになるぞ?

 

 俺は他に思い当たることがないか思考を巡らす。

 霞音からのデートのお誘い(という名の無言の圧力)を断った以外には、思い当たる(ふし)はなかったが……そうなると。

 

 ――怒らせているのは〝夢の中の俺の行動〟という可能性は充分にある。

 

 そういや霞音は以前にもこんなふうに不機嫌になったことがあったな。

 あのときは確か……。

 

「御伽乃さんのこと、か」

「……!」

 

 霞音の足が止まった。

 目が一瞬広がったあと、ジト目へと変わる。


「やはり自覚があるのではないですか」


 ぷくう、と片方の頬に空気を入れて霞音はつづける。


「せんぱいは最近、リリアさんのことばかりです。……随分と仲良くされているのですね。学校でもよくご一緒にいるのをお見かけします」

「ん……?」

  

 事実とはいささか異なることが含まれていた。

 あいにく学校では疑似恋愛を始めて以来、リリアとは距離を取っている。なので霞音の言う『学校でよく一緒にいる』というのはおそらく――〝霞音の夢の中〟でのことだろう。

 

 しかし、それを指摘することはできない。


「ん……席が隣だからな。慣れない学校のことを幾つか教えているだけだ」

「本当に、それだけですか?」

「あ、ああ」

「せんぱい――なにか私に隠していることはあります?」

 

 図星だった。

 しかし絵空さんからは、リリアとの疑似恋愛は霞音に『絶対に知られないように』と釘を刺されている。


「いや、トクニハ」と俺はカタコトで答えた。

「ふうん……そういえば、今度またリリアさん主演のドラマが始まるらしいですね」

「あ、アレは見ないほうがいいぞ?」

「どうしてです? まだ始まってもいませんのに」

「ま、前評判がな、悪いんだ」

 

 俺がエキストラとして出演しているからだとは言えなかった


「……そうですか」

 

 霞音はすこし気に入らないようにしながらも、ふたたび歩きはじめる。

 

 やれやれ。それにしても今日の霞音はやけにリリアのことを気にしてくるな。

 さっきは『学校でよく一緒にいるところを見かける』と言われたが――


 霞音の夢の中に、俺以外の存在が出てくるのはそういえば初めてな気がした。


「ところで」霞音がふと言った。「学校からはずいぶんと離れたと思うのですが」

「ん? そうだな」

「あたりには人気(ひとけ)もないようです」

 

 つづいていつもみたいに、ちらちらと俺のことを見てくる。


「と思ったのですが……やはり、なんでもありません」

 

 しかし霞音はそこで唇をきゅっと結んで。

 なにかを諦めるように視線を背けた。


「今のせんぱいは――他の方に気を取られているようですから」

 

 そうやって明らかに嫉妬をしている様子に。

 俺は『ふう』と息をひとつ空に飛ばしてから言ってやる。

 

「あー……霞音。そろそろ、手を繋いでもいいか?」

 

 霞音がぴこんと髪の毛を立たせた。

 

「ずっと左手が寂しかったんだ。ここまで来たら、大丈夫だろ」

「……せんぱいがそこまで言うのであれば、仕方ありませんね」

 

 霞音は一瞬ほころんだ頬を、こほんと咳をして誤魔化して、すっと右手を差し出してきた。

 

「ど……どうぞ」

「ん……」

 

 彼女の手を取る。そっと指先を絡める。柔らく暖かな感触がある。

 たまらず心臓の音がどきどきと鳴りはじめる。


「――せんぱいは、私のことが、好きなのですよね?」

 

 俺はうなずいた。うなずくしかなかった。

 

「そうですよね……そうに決まっています」


 霞音は自分に言い聞かせるようにしながらも、頬を赤く染めている。


「行きましょう、せんぱい」

「……ああ」

 

 お互いに手を握ったまま、いつものペースで歩きはじめる。

 

 いつかは終わる夢だとしても。

 今この手の先で感じる霞音のぬくもりは、どうしようもなくホンモノだ。


 ――()()()()()()()()


 今、霞音と疑似恋愛をしているのは、あくまで彼女の病気の治療のためだ。

 だったら。それが終わったあとは?

 蝴蝶霞音の病気が治って、彼女が()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 俺は一体、霞音との関係性をどう終わらせるつもりなんだ?


「…………っ」

 

 そのことを考え始めると、なんだか出口のないトンネルに迷い込んだような心地になった。

 慌てて首をふる。考えすぎなんだよ、とスナガミは言っていた。もっと気軽に恋愛すればいいと思うぜ?


「気軽に、か。絵空さんに頼まれて引き受けた時には気づかなかったが――俺と霞音の疑似恋愛は、思ったよりも重すぎやしないか……?」

 

 深い息をついてから空を見ると、遠いところに一国の城のような巨大な雲が浮かんでいた。その雲はどこか不気味に灰色がかっている。天気予報では言っていなかったが、にわか雨でも降るのかもしれない。

 

「いや、これすらも考えすぎか――大丈夫。きっとぜんぶ、うまくいく」

 

 俺は自分に言い聞かせるようにひとりごちてから、ふたたび霞音の手をきゅうと握りしめた。


「せんぱい」

「ん?」

「ボランティアが終わるまで、一週間と言っていましたよね」

「……あ、ああ。そうだ。7日が経てば、俺は疑似恋愛(ボランティア)から開放される」


 霞音は目を細めて微笑んだ。

 

 

「そうですか――では、それが終わってまたたくさん遊べることを楽しみにしていますねっ」

 

 

     ♡ ♡ ♡


 

 

「……ねえ。停めてくれる?」

 

 同時刻。近隣の道路に黒塗りの高級車が停止した。

 スモークガラスの窓が静かな機械音とともに下がる。


「……っ」

 

 その目が一瞬大きく広がる。

 

 視線の先に、彼女は――御伽乃(おとぎの)リリアは。

 

 見つけてしまった。

 

 自分の疑似恋愛の相手であるはずの宇高悠兎(カレシ)が。

 

 同じ学校の制服を着た少女とふたりで。

 

 手をつないで。()()()()()()()()()


 歩いているところを。



 

「ふうううううううううん――」



 

 遠くの空で、ごろごろと雷鳴が不吉に鳴った。




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