2-7 私をころして、あなたのキスで
ドラマの撮影終了後。
俺は御伽乃さん専用の送迎車へと一緒に乗りこんだ。
――キミと一緒に行きたかった場所があるんだ。
そう御伽乃さんに言われた場所に、俺は今から連行されるらしい。
黒塗りの見たことない種類の高級車(シートも体験したことないくらいにふわふわだった)の後部座席で、御伽乃さんと横並びになって他愛のない会話をしていたら、まもなくその場所に到着した。
色の濃いメガネをかけた運転手さんがドアを開けてくれる。
外に出ると、一気にむわっとした夏の夜の空気が俺の肌をつつみこんだ。その風は草木の香りも含まれている。耳には夜虫による波音のような鳴き声が聞こえてきた。
あたりを見渡す。いるのは比較的低い山の、中腹あたりだろうか。
「ううんと――あ、こっちこっち」
御伽乃さんが俺の手を引っ張って先導してくれる。
薄暗い山道の階段をいくつかのぼっていると、やがて開けた場所に出た。
「……おお」
思わず俺の口から感嘆の声が漏れるくらいには綺麗な夜景だった。
輝く夜の街が広がるように見渡せて、それらの光に負けないくらい空には大量の星がまたたいている。周囲は展望エリアのようになっているらしく、いくつかベンチが置かれていたが、俺たち以外にはだれもいなかった。
「これは、すごいな。良い景色だ」
「でしょ?」御伽乃さんはすこし得意げにしたあと、前方にあったベンチに一緒に座るよう促してきた。「キミも来て? 一緒に座ろうよ」
「……ああ」
ペンキの剥げかけた木製の椅子に二人並んで座った。
さっきよりも虫の声が大きく近くで鳴っているように感じる。そんな夏の夜の音の中に紛れて、なにやら子供たちの騒ぎ声がかすかに聞こえた。見下ろすように視線を落とすと、駐車場のような場所でなにやら花火をしているらしい。その景色に俺はなぜか既視感を感じた。
「よかった。まだここが残ってて」
「ん? どういうことだ」
「言ったでしょ? ボク、ちっちゃいころにこのへんに住んでたことがあるって。その時にね、辛いこととかがあると、よくここに来て星を眺めてたんだ」
「なるほどな。御伽乃さんにとって思い出の場所ってことか」
「……ねえ」
「ん?」
御伽乃さんが目を細めて言った。
「ずっと気になってたんだけど……いつまでボクのこと苗字で呼んでるのさ? キミはボクのカレシさんなんだよ?」
「あ、いや。……なんとなく〝さん付け〟の方が釣り合いが取れていいと思ってな」
御伽乃さんはため息を吐いて、「べつにリリアでいいよ? キミにだったら、特別に呼び捨ても許してあげる」
「そうか。わかった――リリア、だな」
御伽乃さん――リリアは満足そうにうなずいた。
そうやって呼び捨てで彼女を呼ぶにはどうしたって抵抗がある。
なにせ俺と彼女では立場が違いすぎるのだ。
かたや日本でその存在を知らない人はいない最高峰女優。
かたや冴えないいち思春期男子高校生。
しかし、一度こうして彼女の名前を呼んで、同じ地平に降り立ってみると――
なんだかリリアのことが、今まで以上に近くに感じられたのだった。
「うん? どうかした? 宇高くん」
「いや、……なんでもない」
リリアは不思議そうに目を瞬かせる。
「あ」とつづいて彼女は気づいたように口を開けた。「えへへ、キミにだけ言っておいて――ボクのほうだってまだ、キミのこと下の名前で呼んだことなかったや」
「ああ、そういえばそうか。別に俺はそのままでもいいけどな」
しかし御伽乃さんは。
「――ユート」
俺の名前を、どこか神秘的な響きすら滲ませながら呼んできた。
雰囲気に飲み込まれてなにも言えずにいると、リリアはふっと微笑を浮かべてから歌うように語りはじめた。
「〝私をころして、あなたのキスで。そのあたたかい唇で〟――」
「ん? 急に、どうした」
「シェイクスピアのジュリエットのセリフ。毒薬を飲み干した愛するロミオのあとを追おうとして、唇に残った毒を求めてキスをするの――恋愛ってすごいよね。あなたのためなら死んでもいいやって思えるくらい、相手のことを好きになったりするんだもん」
リリアはベンチの上で腰をすべらせ、俺との距離を縮めてきた。
ややあってから、彼女は自分の左手を、俺の右手に絡ませてくる。
「リ、リリア……?」
物申す暇もなく。
リリアは追撃のように、こてん、と頭を俺の肩にのせてきた。
彼女の髪の毛が首元にかかってくすぐったい。ほのかに香る林檎のような甘い香りは香水だろうか。いずれにせよ俺の身体はじっとりと緊張で火照り汗ばんでいく。
「御伽乃リリアはね? お芝居の中でだったら、ちゃんと恋愛して、人のことを好きになって……手だってつないだことあるよ? だけど――台詞では喜んでても、ボク自身の本当の心の底ではなんとも思ってなかったの。平常心。きっとそれが、ボクがオーディションを落ちつづけてる理由。ボクの恋する少女の演技がニセモノな理由」
リリアはそこで一息吸ってから、言った。
「だけど――ふしぎ。ボク、いまキミとこうして隣で手をつないで――ちょっと、どきどきしてるかも。現実的に」
――〝好き〟と〝愛してる〟じゃ、心臓の音がぜんぜん違うのよ?
いつかの相談会で、絵空さんがそう言っていたことを思い出す。
リリアが今、現実的にどきどきと心臓を鳴らしているのであれば――それは一体、どちらの種類の音なのだろうか?
同時に。
彼女の隣で、どうしようもなく高鳴る俺の心臓の音色も――
「ねえ、ユート。どう?」
リリアは俺の肩から頭を起こして。
俺の瞳をじいっと見つめながら。
言った。
「ユートは一緒に死んじゃってもいいやって思うくらい、ボクのことを愛してる――?」
目下の駐車場から小さな花火が打ち上がって。
乾いた音とともに夜の空に消えた。
「………………」
俺は何も、答えられなかった。




