2-6 あんなヤツなんかより、ずっとかっこいいよ
撮影現場の控室。
休憩がてら次のエキストラの出番まで待機していると、ノックもなしにがちゃりと部屋の入り口の扉が開いた。
「ん? ええと……」
ドアから顔を出した男に見覚えはある。さっき御伽乃さんの隣でしつこく話しかけていた爽やか系のイケメン俳優だ。
「やあ。僕が誰だかは分かるよね?」
「はい……早乙女さん、ですよね」
そのイケメン俳優――早乙女さんは口元に得意げな笑顔を浮かべた。当然知ってるよね、というふうに。
「なあ。あんたさ、一体何者なの? 一般人だよね?」
早乙女さんは爽やかな笑顔は保ちつつも、言葉強めにきいてきた。
「さっきもリリアちゃんと仲良さげだったし。エキストラのくせに、こんな立派な楽屋までもらっちゃって。リリアちゃんとはどういう関係?」
カレシです。
……とはもちろん言えなかったので、俺は御伽乃さんと事前に決めていた設定で答えることにした。
「従兄弟です」
「いとこ? リリアちゃんの?」
俺はうなずいた。
「……はは! なーんだ! だったら早くそう言ってくれればいいじゃん」
早乙女さんは安堵の息をはいたあと、急に馴れ馴れしく俺の肩を組んできた。
「身内だったら話しが早いや。僕、どうすればいいと思う?」
「どうすれば、とは……?」
「リリアちゃんのことに決まってるじゃんか! あの子、めちゃくちゃガードが固くてさ。業界のいろんなやつらがアプローチしてるのに、デートどころか連絡先すら教えてくれないんだぜ? この僕ですら断られるなんて、こんなの初めてで困ってるのさ。ふだんは女なんてあっちから寄ってくるのに」
「…………」
俺はその距離感や口ぶりがなんだか気にくわず、肩に回された腕をそっと外した。
しかし早乙女さんは特にそのことは気にせず、変わらずのテンションで話しかけてくる。
「あ、そうだ! お互いに〝協力体制〟をとろうじゃあないか。あんたは僕とリリアちゃんの仲を取り持つ。その代わりに、あんたにも僕の知り合いの女の子を適当に紹介してあげるよ。モデルとかアイドルとかさ。だからさ、とりま連絡先交換しようよ」
早乙女さんはそこでスマホを取り出して、画面の操作を始めた。
「あんたもラッキーだね。リリアちゃんの身内とはいえ、俺が一般人の男なんかと連絡先を交換することなんて滅多にないんだから」
「……お断りします」
「え?」
早乙女さんの動きがぴたりと止まった。
俺はつづける。
「あなたには協力もなにもしません。自分の連絡先も教えるつもりはないです」
「……あ。もしかして、あんた芸能人とかは苦手なタイプ? 素人の方がよければ、そっちも可愛い子紹介できるけど」
「必要ありません」俺は語気を強めて言ってやる。「あなたと――リリアをくっつけるのは嫌だと言っているんです」
「……だから、この僕の誘いを、断るってこと?」
俺は断固としてうなずいた。
「チッ。これだから一般人は」
そこで早乙女さんは爽やかな笑顔を崩して、明確に顔を歪ませて俺の胸ぐらをつかんできた。
「あんたさ、何様のつもり? この僕が頼んでるんだよ? リリアちゃんの親戚か知らないけどさ、明らかに調子乗ってない?」
「…………」
俺はなにも答えない。早乙女さんの黒く濁った瞳を、まっすぐに見返してやる。
「……っ」
早乙女さんが眉を動かしてたじろぐ。煮え切らないように唇を震わせたあと。
彼は右手を空にあげた。その拳が俺めがけて、振り下ろされようとした瞬間――
こんこん。ノックの音があって、がちゃり。
扉が開いた。
「あれ? なにしてるの?」
御伽乃さんだった。
「……なっ!」
早乙女さんが慌てて俺から離れた。
「リリアちゃんっ! ……あ、いや。これは、その……なんというか」
表情を取り繕ったように笑顔に戻して言い訳をはじめる。しかしうまく言葉が出てこないようで、しどろもどろになっていた。
俺はその様子を見かねて代わりに言ってやる。
「なんでもないさ。早乙女さんの演技の練習に付き合ってただけだ」
そのセリフを聞いて、早乙女さんは目を大きく見開き悔しそうな表情を浮かべた。
「そうですよね? 早乙女さん」
「……ああ。そう、だ」
喉の奥から絞り出すように彼は言った。
「ふうん。ならいいけど」と御伽乃さんが言った。
早乙女さんはそこで空気を変えるかのように大きく咳をした。
「リ、リリアちゃんも人が悪いな。教えてくれればよかったのに。この子、従兄弟なんでしょ?」
「いとこ?」
御伽乃さんは一瞬目を細めて、なんてことないように言った。
「ううん。このひとは――ボクのカレシだよ?」
つづいて彼女は俺の右半身に自分の腕を絡ませてくる。
「……は? はあああああああああ!?」
早乙女さんが張り付いたような笑顔を吹き飛ばして叫んだ。
「お、おい。いいのか? カレシとか、そんなことを言って」俺は心配になって小声できいた。
「うん。だって事実だし」
「な、な、な……!」
早乙女さんは驚愕の表情を浮かべたまま、身体を震わせている。
「だから――金輪際やめてくれます? ボクにつきまとうの」
御伽乃さんが歯切れよく言った。
「う、……信じられない、トップスターのこの僕が駄目で、あんな冴えない男が……」
早乙女さんはぶつぶつと呟きながら、よろめくように部屋から去っていった。
「ふう。びっくりした。部屋に入ったらあの人がキミに掴みかかってるんだもん」
「ん……だからあれは、演技の練習で――」
「あは」御伽乃さんは軽やかに笑って、「演技かどうかくらい見抜けるよ。ボクはこれでも女優なんだからさ」
「……」
何も言い返せないでいると、御伽乃さんがつづけた。
「けどキミ、ぜんぜん動じてなかった。意外と勇気あるんだね」
御伽乃さんは目を細めてから、髪を耳にかきあげた。
「ありがと。あの人、もとから苦手だったんだ。デートのお誘いとかすっごくしつこかったの。あと――においもきらいだし」
御伽乃さんは鼻をつまむ真似をして言った。
「……そうか」
御伽乃さんがそう言うのなら、今後のふたりの関係性を案じて、無理に早乙女さんをかばう必要もなかったかもしれないが……。
ふと横を向くと、控室の鏡に俺の顔が映った。
――信じられない。トップスターのこの僕が駄目で、あんな冴えない男が――
そう早乙女さんが言ったことを思い出して『まあ、それも一利あるよな』なんてことも。
現実として、冴えない一般人でしかない俺は思うのだった。
「やっぱりよりどりみどりじゃないか」と俺はつぶやく。
「え?」
「業界のいろんな人が、御伽乃さんのことをデートに誘ってるって言ってたぞ? それにさっきの早乙女さんも今をときめくトップスターだ。顔だって、俺なんかよりずっとかっこいいしな」
「なに言ってるのさ。――キミのほうがかっこいいよ?」
「え? ……あ、おいっ」
御伽乃さんはそこで俺の額に手を伸ばして前髪を上げてきた。
じいっと俺の顔を見回してから、数度うなずいて言う。
「うん。やっぱりボクはキミのほうが好きだな。あんなヤツなんかより、ずっとかっこいいよ――現実的に」
「……っ」
そんなことを至近距離で言われた俺の顔は、不可避的に火照って熱くなっていく。
彼女は口元を悪戯っぽく緩めて、じいと瞳を見つめたまま言った。
「ね、うれしい? 推しに『かっこいい』って言われて」
「ん……そう、だな。……モノスゴク」
俺は御伽乃さんのファン心理を想像して答えた。
彼女はそれを聞いて満足そうに笑んだあと、壁にかかっていた時計を見て言った。
「あ、もうすぐ次の撮影だ。ね、今日お仕事が終わってからも、もう少し一緒にいられる? ――キミと行きたい場所があるんだ」