2-4 期間限定というのはどうかしら
「よくないことよっ」
絵空さんがずい、とテーブルに上半身を乗り出しながら言った。
場所はいつもの〝相談場所〟のファミレスだ。
怒涛の転校騒ぎを巻き起こしている御伽乃リリアから【お付き合いの練習】を頼まれた。なんでも、自身の夢だった舞台に出演するため演技力を高めたいとのことで、今まで経験がない〝現実での恋愛〟に協力することになったのだが……。
霞音との疑似恋愛中の俺はなんだか罪悪感を感じ、絵空さんに相談してみたのだった。
「よくないに決まってるじゃない」と絵空さんは繰り返す。
「で、ですよね……」
「どうして事前に相談してくれなかったの?」
「急な出来事だったので、そこまで頭が回らなくて」
絵空さんは『もー』と頬を膨らませながら、小さな声で、『……いけないわ。このままだと、ユウくんが霞音ちゃん以外のべつの女と……』などとぶつぶつつぶやいていた。
「あの、絵空さん?」
「え? あ、……なんでもないわっ。とにかく。そんなこと不純に決まっているでしょう? リリアちゃんには悪いけど、お断りしてあげてくれる?」
「そう、ですよね……はい。やっぱり断ることにします」
♡ ♡ ♡
「えー!? そんなの困るよー!」
場所は変わって、旧校舎の桜の木の陰。
絵空さんに言われたとおり、御伽乃リリアとの疑似恋愛を解消しようと彼女に申し入れたところ、そんなふうに納得できないような声をあげられた。
「急にどうして? ちゃんとした理由がないと納得できないよ」
と御伽乃さんも『ぶー』と頬を膨らませる。
「つってもな……御伽乃さんなら、俺じゃなくたって、他のだれにだって頼めるんじゃないか? それこそ、よりどりみどりな気がするが」
「……そんなことないもん」
「え?」
「あれからもね、学校のいろんな人たちと話したけど――やっぱりキミのにおいに勝てる人はいなかったから」
「……え? あっ、おい!」
俺が止めようとするのをすり抜けて、御伽乃さんはまた俺の首元の匂いをかいできた。
「うん。やっぱり。……ボクもね? 最初は自分のことを好いてくれてるファンの子だったらだれでもいいかなって思ってたけど……訂正する。ボク、この学校で恋愛の練習するならキミとがいい」
「っ……!」
「今更、他の人になんてお願いできないよ。ボクの夢を叶えるには、キミとの恋愛が必要――そんな気がするんだ。それにさ、」
御伽乃さんはそこで俺に人差し指をつきつけて、映画のワンシーンみたいに言った。
「告白に一度はOKしたんだから、そこには立派な責任が生じると思わない?」
♡ ♡ ♡
「絵空さん。あの……すみません。やっぱり一度許可した以上は責任が……」
「責任もなにも、だめったらだめよ!」
ずずずい、と絵空さんが机に乗り出してきた。『もーーーーー』と前回よりも長めに不満そうな声を漏らしたあと、ぷっくり頬を膨らませる。
「俺も最初は断ろうと思ったんです。だけど……御伽乃さんが夢を語っている時の表情が、とても真剣で。真剣だけじゃなくて……なんだか等身大で。画面の中で見ている女優としての完璧な姿とは違って、俺たちと同じ、ひとりの人間としての想いが感じられたんです。だから、つい」
「……女優だからこそ、そういう演技をしているかもしれないでしょう?」
「あ。たしかに」
なるほど、と俺は思った。
「ふう――でも、分かったわ」
絵空さんはそこで短い息をひとつ吐いて、空気を和らげた。
「え?」
「ユウくんが優しいのは昔から知ってるもの。リリアちゃんも、きっと真剣なのよね」
そうじゃなかったら学校に転校までしてこないもの、と絵空さんは視線を手元のカップに落としたあと、ふたたび俺に言った。
「ううん、そうね。――期間限定というのはどう?」
「御伽乃さんとの疑似恋愛に、ですか?」
こくり。絵空さんはうなずく。
「そうですね。期間が決まっていた方が、俺としてもやりやすいかもしれません。1ヶ月、とかですかね」
「1ヶ月は長すぎるわ――1週間ね」
絵空さんは人差し指を天井に向けて言った。
「1週間限定の恋の練習。それが過ぎたら、さっぱりとおしまい」
「一週間、ですね」
絵空さんはうなずいて、「それともうひとつ約束。御伽乃さんとの疑似恋愛は、霞音ちゃんには絶対に知られないようにすること。ユウくんにとっては夢でも、霞音ちゃんにとっては現実なんだから。わかった?」
「もちろん――そのつもりです」
俺もうなずいた。
絵空さんはしばらく俺の瞳を見つめたあと、おもむろに『そろそろ行きましょうか』と席を立つ。
「あ、今日こそ俺が払います」
と言った俺のことを制して、
「ううん。いいの。そのかわり約束はきちんと守るのよ?」
絵空さんはきりりとした表情で言ったあと、テーブル上の伝票ではなくキッチンペーパーを持っていき、レジでは『カードで』と言って歯医者の診察券を出していた。
ふむ。やっぱりドジっ子属性は相変わらずのようだ。
♡ ♡ ♡
「期間限定?」
ふたたび桜の木の陰。
御伽乃さんがすこし考えるようにしてから言った。
「ふうん――わかった。いいよ。期間って、70年とか?」
おいおい。最後まで添い遂げる気か。
「ちがう、もっと短い期間だ」
「一ヶ月?」
「一週間」
「えー。短くない?」
御伽乃さんは不満そうな声を出した。
「そ、それくらいじゃないと、俺の心臓がもちそうにないんだ」
これはある意味事実でもあった。練習とはいえ、まさしく銀幕上の女神を体現するかのような現実離れした美貌をもつ御伽乃さんと〝恋の練習〟をするなんて、いち思春期男子でなくたって緊張してしまうだろう。
御伽乃さんは『うー。70年が7日になったー』と唇をつんと尖らせていたが、
「わかった。一週間で折れてあげる」と最後には納得してくれた。
「ああ、助かった。よろしく頼む」
「……でも不思議。ボクのことを大好きなキミの方からそんなお願いをしてくるなんて」
御伽乃さんはすこし怪訝な顔つきで『うーん』と考えこむ。
「あ! ねえ、キミ、もしかして――だれかにボクたちのこと話した?」
ぎくりとしたが。
俺は極めて平静をつとめて答えた。
「だだだだだれにも話してないぞぞぞぞ」
しかし思い切り動揺が出てしまった。
「ふうううん――。でも、わかった。信じてあげよう。今は聞き分けの良いカノジョを演じてあげる」
御伽乃さんはすこし勝ち誇った微笑みを浮かべたあと、見抜いたように言った。
「あ……でも、これ以上のひとに話すのは絶対に禁止。ボクだっていちおう世間じゃすこしは有名なんだよ? だれかと形だけでも〝つきあってる〟なんて知れたら、いろいろと事件になっちゃいそうだし。ボクたちの関係は、だれにも秘密ね?」
「……ああ、わかった」
まったく。
守らなきゃいけない秘密が多すぎて、そろそろ容量不足になりそうだ。
「7日間限定の恋愛、か――それじゃ、急がないとだ」
「え? あ、おい、なにするんだ……!」
御伽乃さんは急に俺の手をとると、そのまま走り出した。
「時間は限られてるんだし、すこしでも一緒にいたいもん。ボクたち、恋人どうしなんだし。これからね? ドラマの撮影があるんだ。キミも一緒に現場まで来てよ」
ドラマの現場……?
なんだか急な展開になっているような気がしたが、今はそんなことよりも――
「お、おい!」
「うん? どうしたの?」
「手! 繋いだままじゃ、まずいだろ。学校の他のやつらに見つかっちまう」
「あ。ご、ごめん、そうだったね」
御伽乃さんは焦ったように手をぱっと離したあと、頬に掌をあてて言った。
「えへへ。ボクとしたことが――現実と夢の恋愛の区別がついてなかったや」
今はセミの声が騒々しさを増す初夏の暮れ。
季節は絶対に外れているのに。
御伽乃さんが微笑む頭上で、桜の花びらがゆっくりと舞い散ったような気がした。