2-3 嫉妬なんてするわけないじゃないですか
「あ……せんぱい」
「よう」
俺が手をあげると、霞音は鞄を前に持ったままとてとてと近寄ってきた。
放課後。俺たちは一緒に帰宅するため、学校からすこし離れた場所で待ち合わせをしていた。
「おひさしぶりです。お元気にしていましたか?」
久しぶりもなにもな……。
霞音が『ほとぼりが冷めるまで、しばらくは一緒に帰るのは控えておきましょう』と言ってから、まだ数日も経っていなかった。
「ほとぼりはいいのかよ?」と俺はきく。
「はい、だいじょうぶです。人の噂は49時間といいますし」
「……それ、単位ちがくないか」
しかし霞音は俺の質問には答えることなく、『距離を置く時間は予定より短くはありましたが、せんぱいが〝もう我慢できない〟と夜な夜な泣きじゃくっていましたからね。とくべつです』といつものマウント顔を浮かべてきた。
「あ、ああ……。そういえば、ソウダッタナ」
俺もいつものふりで返す。
「あ――〝そういえば〟といえばです」
霞音が目をまたたかせて言った。
「せんぱい。あの御伽乃リリアさんと同じクラスなんですよね」
「ん? ……あ、ああ」一瞬どきりとして身体を跳ねさせる。「よく知っていたな」
「当然です。あれだけの騒ぎになっているのですから」
霞音はすこしむっとしてから、俺の方をちらちらと気にする素振りをしてくる。
「それで……リリアさんとは、いかがなのでしょう?」
ふむ。
どうやら霞音は、同じクラスになった御伽乃さんと俺の〝関係性〟が気になるらしい。
「……席が、隣になった」
「と、となり……!」と霞音がこくりと喉を鳴らした。「と、隣の席で……あんなことや、こんなことを……?」
どんな妄想だよ、と思いながらも俺は返す。
「あんなこともこんなこともない。隣になって、ただそれだけだ」
「本当、ですか……?」
じい、と霞音が目を細めてきた。
「ああ、ほかには、……とくに、なにもない、……さ」
本当は(練習として)付き合うことになったんだがな、などという夢みたいな現実は。
御伽乃さんと〝何もなかったかどうか〟を不安そうに尋ねてくる霞音には、とてもじゃないが打ち明けることはできなかった。
「むう。なんだか歯切れが悪いですね」と霞音が頬を膨らませる。
「そ、そんなことはない」と俺は歯切れ悪く答えた。
「なにかやましいことでもあるのでしょうか」
「あ。いや……」
俺はたじろぎながら、どうにか言ってやる。
「……前に、霞音の前で御伽乃さんの〝ポスター〟を見て、機嫌を損ねさせたことがあったからな。あまり俺の口から彼女の名前を出さないほうが良いと思ったんだ」
俺はデートの時にあった〝街中水着ポスター事件〟のことを引き合いに出して誤魔化してみた。
ま、あれも実際はたまたまポスターの前で考え事をしていただけで、霞音の言うように〝鼻の下を伸ばして〟なんかいなかったんだがな。
「な……!」
しかし霞音は納得いかないように唇を結んだ。
「それは私が、せんぱいに……嫉妬をした、と言いたいのでしょうか……?」
「ん? あ、いや、」
「そんなことあるわけないじゃないですか。せんぱいが私に嫉妬をされるのはいつものことですが……私から、せんぱいに嫉妬だなんて……」
霞音はぷるぷると首を振りつつも、その頬には図星をつかれたような赤みがさしていた。
「うう……」
彼女は自分のバックで顔を隠して。
高ぶった気持ちを落ち着かせるように深呼吸をしてから、俺に向き直った。
「べつに。せんぱいと御伽乃さんに〝クラスメイト以上のこと〟がないのでしたら良いのです」
「あ、ああ」
俺は疑似恋愛を隠しながらうなずいた。
霞音はそこで一息ついて、
「――ですが。リリアさんのこの前の映画での演技はとても素晴らしかったです。きっと、私には想像もつかない〝素敵な恋愛〟をたくさん経験されているのでしょうね」
「あー……結構あいつは打算的だと思うぞ?」
「むう。どうしてせんぱいに分かるのです?」
「なんとなく、だ」
霞音はため息をついてから言った。
「はあ。なんだか心配して損をしました」
おいおい。〝心配をした〟ってことは、本当は俺と御伽乃さんの関係に〝嫉妬をしていた〟ということに繋がるが大丈夫か……?
しかし態度では強がっている霞音は、そのことに気づかないままつづける。
「せんぱいがリリアさんとナニカがあるだなんて、そんなことはありえません。たまたま同じクラスで、たまたま席が隣になったからといって、勘違いをしないでくださいね?」
「ああ、わかってるよ」
「むう……せんぱいとお付き合いをしてあげられるのは、私くらいのものです。他にこのような心の広い人間はいませんよ? せんぱいはこれまで以上に感謝してくださいね――」
などと。
そのあとも霞音は頬を膨らませながらマウントを連ねてきたので。
「…………」
俺はふと思い立って、彼女の片方の手を――
握ってやった。
「っ! な、なにをされるのですか……!」
霞音が驚いたように身体を跳ねさせた。
「ん? 久々に一緒に帰るんだ。ほとぼりはもう冷めたんだろ?」
「で、ですが……とつぜん、このような……」
「あー……やっぱり離した方がよかったか?」と俺はいつかみたいに皮肉をこめて言った。
「え?」と霞音はやっぱり寂しそうな顔を浮かべたあと、「は、離しませんっ」
きゅう、と俺の手を強く握りしめてくるのだった。
「せ、せんぱいは、今は〝私のカレシさん〟なのですから。む、むしろ、もっとリードをしてもらわないと、困ります」
と霞音は強がるように言ったが。
その声はどこか弱々しくも聞こえた。
「おう、そうだな。善処するよ。霞音のカレシとして」
やがてどちらからともなく歩きだす。その歩幅は今や自然と揃っている。
隣に並ぶ霞音は頬を高揚させ、口元を抑え切れないように緩ませている。
手のひらから伝わる彼女のぬくもりは、俺の心臓の音に知らない種類の色を加える。
それと同時に。
今の俺の胸の中には――僅かなもやがかかっていることに気づく。
――ふむ。御伽乃さんの夢のためと疑似恋愛を引き受けたはいいものの。
(やっぱり〝ふたりと同時〟というのはよくないことな気がするな)
俺は胸中でそんなことを考えて、霞音に聞こえないようぽつりとひとりごちた。
「やれやれ。絵空さんに相談してみるか」




