2-2 夢を叶えるために協力してくれる――?
「ね。ボクと付き合ってくれない?」
旧校舎の裏手、すっかり緑葉がついた桜の木の下で。
俺は世界一の偶像――御伽乃リリアからそう言われた。
「え? だれが、だれと付き合うって?」
「キミが――ボクと」
「っ……俺たち、会ったばかりだろ? そんなこと急に言われても、」
御伽乃リリアはその先の言葉を遮るように、俺の顔の前に人差し指をかざした。
「わかるよ。いきなり【憧れの人】にこんなこと言われたら、びっくりしちゃうよね」
つづいて長髪を耳にかきあげる。
胸の2つの大きな膨らみがたゆんと揺れた。
「あの金髪の男の子――サカガミくん、だっけ? 学校一の情報通だって言うからさ。あの子に聞いたんだ。キミ、ボクのことが大好きなんでしょ?」
名前は正しくはスナガミだが、あえて訂正してやらなかった。ささやかな報復だ。
いずれにせよ、あの恋話拡声器のせいで、今の俺は御伽乃リリアの大ファン――どころか彼女のことを〝大好き〟ということになっているらしい。
「ひとまず状況を整理させてくれ――御伽乃さん」とどうにか喉から声を絞りだす。「そもそも、どうして〝俺〟なんだ……?」
「うーん」と御伽乃さんは顎先に指をあてて言った。「ボクのファンだったら、告白を断らないかなって思って。これでも一応、急に『付き合って』なんて、無茶なお願いなのは分かってるんだ。どうせ恋愛をするならWIN-WINの関係のほうがいいでしょ?」
俺たちが恋愛をするのはすでに確定しているかのような口ぶりで彼女は言う。
「それに――ふんふん」
「なっ!?」
急に御伽乃さんは俺との距離を詰めると、至近距離で鼻を鳴らしてきた。
「うん、やっぱり。キミ、悪いにおいしないし」
「ん、なっ……!」俺はたまらず上半身を引いた。「なにをやってるんだよ……!」
「ボク、昔から鼻はよく利くんだ。だからね、ボクにとってはすごく大事なことなんだよ?」
まったく。
初対面の時に鼻をひくつかせていたのは、本当に匂いを嗅いでいたのか……。
「それで――どうかな?」と御伽乃さんが首を傾げる。
「あ、ええと、……」
返事を渋っていると、御伽乃さんはまた語りはじめた。
「あのね、本当はね――恋愛の練習がしたくって」
「……練習?」
こくり。御伽乃さんは小動物のようにうなずいた。
「『世界最後の初恋』っていう舞台は知ってる?」
世情に疎い俺でも聞いたことがあった。
『セカコイ』として話題の、有名な演出家が手掛けるミュージカル作品だ。
定期的にキャストを変えてロングラン公演を行っており、毎回チケットは即完売。
プレミア化したチケットの高額な転売問題でもたびたびニュースになっている。
「その『セカコイ』のオーディションにね――ボク、落ちつづけてるんだ」
御伽乃さんは澄んだ瞳を一瞬翳らせ、悔しさを滲ますように言った。
「……え?」
話題性に事欠かない(そして演技の実力も充分であるはずの)御伽乃リリアが落とされるなんて、信じられなかったが……。
「演出家の聖川さんに言われたの。『お前の恋する演技はニセモノだ』って……。あは、おかしいと思わない? そもそも、演技なんだからニセモノに決まってるのに。それを本物に見せるために、ボクは今まで血の滲むような努力をしてきたのに……それじゃ、足りなかった」
御伽乃さんは視線を地面に落として、身体の前で自分の手をきゅうと握った。
「でもね? 言われて気がついたんだ。ボク、小さい頃からいろいろな経験はしてきたつもりだけど――恋愛に関しては、お芝居の中でしか知らなくて。現実の恋はまだ、したことなかったから」
ふむ。
小さい頃から魅力的な人に囲まれてきたであろう御伽乃さんですら、俺と同じで恋愛経験には疎いんだな。
「ふつうの高校に通おうって思ったのもね、本当はそれが理由。みんなにホンモノの演技を届けるためには、物語の中だけじゃなくて〝自分自身の現実で経験すること〟が必要だってあらためて思ったから。だからね――」
そこで御伽乃さんは一息ついて、髪の毛を耳にかきあげた。
「すぐにホンモノの恋をするのは難しいかもしれないけど、それまでの間――その練習として。ボクと付き合ってくれないかな?」
「……っ」
何度言われても。
それはドラマの中の1シーンのセリフにしか聞こえなかった。
「あは、話しすぎちゃった。それで、どう――?」
急に御伽乃さんが、もじもじと身体を揺らしはじめた。
「ボ、ボクだって、恥ずかしいんだから」
「……え?」
「練習とはいえ〝告白〟なんだから――ボクのこと、振るなら振るで、はっきり答えてほしいな」
御伽乃さんは上目遣いで不安そうに言う。
これまでの堂々とした立ち振る舞いとのギャップで、俺は思わず戸惑ってしまう。
「ふ、振るって、そんな、……」
頭の中には霞音のことがよぎっている。
あいにく霞音との恋愛も、治療という名目の疑似だ。
ここで御伽乃さんとの〝練習の恋愛〟に付き合ったとしても、現実としては問題にはならないかもしれない。
とはいえ。
なんだか胸がもやもやすることは事実なわけで。
申し訳ないとも思いつつ、俺は御伽乃さんの申し出を断ろうとしたが……。
「ね、おねがい。ボク、絶対に次のオーディションには合格したいの。『セカコイ』はね、ボクが芸能界を本気で目指すキッカケになった憧れの作品で……その舞台に立つのが、ボクの夢なんだ。だから、ボクの夢を叶えるために、協力してくれないかな――?」
そうまっすぐに俺のことを見つめてくる瞳は、どこまでも真剣めいたもので。
(夢のため、か……ううむ。そこまで真剣に言われちゃな――)
「ふう……わかった」
「ほんと?」と御伽乃さんが眼をきらめかせた。
「あくまで演技のための練習ってことなら……協力する」
「わ、よかったあ」
御伽乃さんは心の底から安堵したように息を吐いて、雰囲気を緩ませた。
「あー緊張した。告白の返事を待つ人の気持ちって、こんな感じなんだね」
さっそく新しい経験になるよー、と彼女は頬をほころばせる。
「あ……でも、そっか」
つづいて御伽乃さんは何かに気づいたように手を叩いた。
「冷静に考えたら、断られるわけがないもんね。だって、キミはボクの大ファンなんだし」
「……ん?」
「練習とはいえ、推しから告白されるなんて――滅多にあることじゃないよ?」
などと。
どこかで聞いたようなマウントを取られたが……。
やっぱり俺はこの場合も、現実のところでは彼女のファンでもなんでもないわけで。
「ね――うれしい?」
という得意げな御伽乃さんの質問には。
「っ……。ああ、うれしいよ」
と。
ずいぶん慣れてきた演技をもって答えるしかないのだった。
まったく。これじゃ演技の上達につながるのは俺の方じゃないか。
「あは、よかった」
御伽乃さんは俺の言葉を聞いて満足そうに微笑んで、言った。
「あのね? ボク、現実の恋愛ってハジメテだから。何をすればいいのかまだ分からないんだ。せっかくだから、いろんなことを経験したいな。だから、いっぱいボクをドキドキさせてくれる? ――ボクのオタクくん♡」
とにかくも。
こうして俺のまわりに、夢か現か分からない疑似恋愛が増えた。