1-2 私たちの関係は〝ひみつ〟でお願いしますね
「せんぱいがそこまで頼むのでしたら――〝仕方なく〟お付き合いをしてあげましょう」
同じ高校の後輩で幼馴染の蝴蝶霞音は、マウント顔でそう言った。
「……っ!」
俺は思わず絶句する。
おいおい、ちょっと待ってくれ。
俺が今までの態度を謝罪して、泣きながら霞音に『付き合ってほしい』と懇願しただって?
まるで心当たりがなさすぎる。しかし。
――夢見姫症候群。
そう呼ばれる事故の後遺症で、霞音は自身の「夢の中での出来事」を「現実」であるかのように錯覚してしまうらしい。
それを本人が自覚すると、夢と現の境目が曖昧になり症状が悪化する可能性もあるらしく。
彼女の姉である絵空さんにお願いされ、俺は霞音に病気のことを悟られないよう協力することになったのだが……。
「こんなことになるなんて聞いてないですよ、絵空さん……!」
「せんぱい? なにもないところに向かって呟かれて、どうかされたのですか?」
「え? あ、いや……なんでもないさ」
霞音はすこし不思議そうに首を傾げたあと、なにかに気づいて『ふふん』と口角をあげた。
「わかりますよ、せんぱい。あまりの嬉しさで頭が混乱しているのですよね」
「……へ?」
「誤魔化さなくてもいいです。まったく。ふだんはあれほど私と口論をしていたせんぱいが、本当は私のことが大好きだったなんて――せんぱいも素直ではありませんね」
それはこっちのセリフだ、と俺は強く思ったが。
どうやら俺は霞音の病気が治るまでの間、彼女の【夢の中の妄想の俺】――つまりは【霞音のことが大好きで仕方ない俺】を受け入れ演じるしかなさそうで。
思考はぐるぐると巡り落ち着くことはなかったが。
俺は覚悟を決めて――言った。
「あ、ああ……今まで黙ってて悪かった。だ、大好きなお前と付き合えて……シアワセ、だ」
言い慣れずカタコト混じりではあったが。
俺の言葉を聞くと、霞音は満足そうにうなずいた。
「はい、そんなことは分かっています。先日のせんぱいの〝告白〟の様子からも明らかです」
霞音の夢の中で行われたであろうその告白の全貌を、当然俺は知らない。
「なあ……俺は一体、どういう感じでお前に告白したんだったか」
霞音はすこし不審げに眉をひそめたあと答えた。
「何を言っているのですか。五体投地で額を何度も地面に打ちつけ、涙や鼻水や様々な液体で顔をぐちゃぐちゃにさせながら、私にお願いをしてきたのでしょう?」
おいおい。
思った以上にあられもない姿で告白をしているじゃないか、夢の中の俺。
「どうですか? 思い出しましたか」
「……あ、ああ。そういえば、そんな感じだったな。すっかりワスレテイタヨ」
顔を引きつらせ答えていると、聞き慣れたチャイムの音が近くの空で響いた。
「あ、もうすぐ学校に到着しますね」
霞音はすこし足をはやめ、俺と距離を置いてから振り返る。
「ひとつだけ約束です。私たちのお付き合いのことは、学校では〝ひみつ〟にしておきましょう」
「え?」
「まわりに余計な詮索をされても面倒です。……なにか文句でも?」
「や……べつに」
しかし霞音は俺の態度が気に召さなかったらしく『はああ』と長めの息を吐いてから、指を空に立てて言った。
「せんぱいが文句を言える立場にあると思っているのですか? べつに良いのですよ? 私はせんぱいにあれだけ頼まれて〝仕方なーーーく〟お付き合いをしただけですし。今ここで恋愛関係を解消したって、別に。――ですが、せんぱいはそれで納得をするのでしょうか?」
「あ、いや……それは、すごく困るな」
俺は夢の中の【霞音のことが大好きすぎる俺】の気持ちを想像しながら答えた。
「そうですよね。そうに決まっています。せっかく私とお付き合いができたというのに、すぐに関係が破談となってしまえば、せんぱいは暗々たる悲しみに暮れてしまうことでしょう」
霞音はいつものマウント顔で、頭上の毛を満足げに揺らしながらつづける。
「分かればいいのです。それでは私たちの関係は〝ひみつ〟ということでお願いしますね」
言い終えて口元をあげると、彼女はひとりで校門の方角へと去っていった。
残された俺はため息を吐いて、その後ろ姿を見送る。
「……ったく」
まるでこの恋愛関係は自分に圧倒的な主導権があるかのようにマウントを取ってくるが……。
――すべてはお前の夢の中の妄想だぞ?
なんてことを俺は思ったが。
当然それを現実にはしなかった。
♡ ♡ ♡
兎にも角にも。
こうして俺は『霞音のことが大好きすぎるカレシ』として。
病気のことを本人に気づかれることなく。
――夢と現実の区別がつかなくなった彼女と。
――ふだんはつんと澄ました態度の彼女と。
――しかし夢の中では〝俺のことばかり〟を考えていたという彼女と。
どこまでもパワーバランスが歪んだ【疑似恋愛】をしなければならないらしい。
「ああ、まったく。どこまでも夢みたいな現実だ」