1-16 これって間接キスでしょうか……?
「むう……」
霞音がテーブルに座って頬を膨らませている。
場所は映画館の近くの喫茶店だ。
映画をみるため入場口で事前に俺が購入していたチケットを取り出したのだが……どうやら時間を間違えて、次の回のチケットを買ってしまっていた。
というわけで。
次の上演までの間、こうして時間を潰すことになった。
「まったく。このままではまた減点ですよ?」
霞音はまた空に人差し指を立てて言った。
「わるかったな。謝るよ」
霞音は目を細めて俺のことを見たあと、ぽつりと言った。
「まあ……せんぱいとこうしてお話する時間が増えたことはうれしいですが」
「ん? なにか言ったか?」
「いえ。なんでもありません――あ」
霞音が一瞬のうちに目をきらめかせた。
なんてことはない。俺がお詫びとして注文したプリン(加えてまわりに生クリームやフルーツが盛り合わせてある)が霞音の前に運ばれてきたのだった。
「遠慮なくいただいてもいいのでしょうか……?」
「それを聞いてる時点で遠慮してることになるが――好きに食べてくれ。チケットのお詫びだ」
霞音はぴこんと頭上の毛を跳ねさせ『いただきます』をしたあと、幸せそうに食べ始めた。
「……! やっぱり、おいしいですっ」
「そうか。それはよかった」
俺は片肘をテーブルについたまま、霞音の〝しあわせタイム〟の様子を見つめる。
ひととおり食べ進めたあと、彼女は思いついたように言った。
「せんぱいも、食べたいですか?」
「ん……あ、いや、」
否定しようとしていると、霞音は手にしていたスプーンでプリンをすくって、ちらちらと俺の方を見てきた。
「あー……」俺は霞音の思惑を悟って言ってやる。「そうだな、頼む。俺にもくれないか」
霞音は満足げに二、三度うなずいたあと、口角をゆるめた。
「はい。もともとせんぱいの奢りですしね」
そのあと霞音は銀の細長いスプーンの先にプリンをのせて。
――〝あーん〟と。
俺に向かって差し出してきた。
おそるおそる口を近づけて、ぱくり。それを口に入れる。
「ん……うまいな」
「そうですか、良かったです」
「あー、せっかくだ。俺もしてやるよ」
俺はふと思いついてスプーンを手に取り、言ってやる。
「え? わ、私は大丈夫です」
「遠慮するな。ほら、あーん、だ」
「う、あ……」
霞音は目を泳がせ困惑したようにしながらも、ぱくり。
俺が差し出したスプーンの先を口に含んだ。
「おいしい、です……あ」
あ、と気づいたのは俺も同時だった。
お互いの視線は、銀のスプーンの先端に注がれている。
そこにはクリームの白色以外にも、なんだか透明な液体が付着していて――どこか怪しげに輝いていた。
(おいおいおいおい。なんとなく流れでやっちまったが――これはいわゆる〝間接キス〟というものなのでは……?)
意識すると余計に恥ずかしくなってきた。冷や汗のようなものが出て、心臓が変に高鳴ってくる。
霞音のことをみると、当然ながら彼女も顔をプリンの横に添えてあった苺よりも真紅に染めていた。
「「…………」」
そのあと映画が始まるまで、俺たちは必要最低限以外はほとんど言葉をかわさなかったが。
耳にはお互いの心臓の鼓動が聞こえてくるようで、なんだかうるさかった。
♡ ♡ ♡
「な、なかなかどきどきする映画だったな」
「そ、そうですね……」
俺たちは映画館から出てきて、どこかよそよそしく言葉を交わした。
見た映画は今流行りの恋愛映画だ。
主演は例の〝1000万年に一度〟の超高校生カリスマ女優――御伽乃リリア。
しかしその内容がいささか問題で。
今まで喧嘩ばかりしていたふたりが、親同士が取り決めた〝許嫁〟だったことが発覚し渋々付き合うことになったが、お互いに恋愛経験がなく――試行錯誤をしながら素直じゃない【カレシカノジョの関係】を発展させていくという、なんとも――
「今の俺たちの境遇を狙いすましたかのような内容だったんだよな……」
ちらりと霞音を見ると、鞄の紐をぎゅっと握りしめながら視線を床に落としていた。
さっきの〝間接キッス〟事件のこともあり、やはりどこか気まずいものがあるらしい。
正直、映画自体は面白かったし。
カレシを演じている立場の俺からすれば勉強になったことも多かった。(しかしなかには恋愛初心者の俺にはレベルの高い行為も当然あって、学んだことすべてを現実に実行できる気は、今の俺には正直しなかった)
「「…………」」
ひとまず無言のまま歩きはじめる。
霞音と顔を合わせるのが俺もなんだか気まずくて、周囲に視線を向けていると、街頭広告にさっきまで巨大なスクリーン上で見ていた顔があるのに気がついた。御伽乃リリアだ。
(本当に最近、よく出てるよな)
もはや空前のブームと言ってもいいだろう。
街にはこうして彼女の肖像で溢れていたし。テレビやネット、SNSの中でも見ない日はない。
――しかし。
俺には世間がそこまで彼女に熱狂的になる理由が、いまいち分からなかった。
当然、見た目だけでなく演技も抜群だとは思うが――所詮は遠く離れた世界の存在だ。
どれだけ焦がれたって、俺の日常には無関係で、見方を変えれば夢の中の偶像にすぎない。と俺は思う。
「現実ではよく見るのに、どこまでも非現実な存在、か――」
そんなことをぼうっと考えていたら、霞音から声をかけられた。
「……せんぱい?」
「ん? ……あ、すまん。どうした?」
「なんだか、ぼうっとされていたので――あ」
霞音がそこで気づいた。
俺がそれまで視線を向けていた先には、御伽乃リリアが広告塔をつとめる巨大なポスターがあった。しかも絶妙に水着姿だ。
「……せんぱい。仮にもデート中ですのに、他の人の……え、えっちな姿に鼻の下を伸ばすだなんて……」
「あ、いや、違う。これはたまたまで、……つうか、鼻の下は伸びてないぞ!」
「知りません。反省してください。そのようなことでは、デートでは減点どころか不合格です」
霞音は頬を膨らまし、足早に人混みに向かって歩き去っていった。
「あ、おい――行っちまった」
霞音に謝ることは〝夢の中の俺〟に任せても良かったかもしれないが……。
「ったく。そういうわけにもいかなさそうだな」
俺は短く息を吐いてから、彼女の後ろを急いで追いかけた。




