1-12 私がせんぱい以外の人と付き合うわけないじゃないですか
「ここ最近――霞音姫様の〝可愛さ〟が限界突破してるんだ」
学校の昼休み。
教室で我が友人・スナガミがそんなことを言った。
「なんつーか、今までのクールで時に刺々しい雰囲気が、すこしだけ丸くなったような……おかげでストップ高かと思われていた人気がさらに急上昇してやがる。なー、悠兎。なんでか分かるか?」
「ん……見当もつかないな」
机に頬杖をついたまま適当に流していると、スナガミはぐいっと顔を近づけてきた。
「教えてやるよ。ありゃ十中八九――〝男〟だ」
思わずぴくりと身体が跳ねた。
スナガミは口に手を添えてつづける。
「つーわけで、なにか霞音姫のそういう情報は知らねーか? 幼馴染よ」
色恋沙汰の情報に四六時中目を光らせているスナガミは、にやにやと笑みを浮かべている。
「ん……シラナイナ」
男もなにも、その張本人が俺だ――とは当然言わなかった。
「本当か?」
スナガミが怪しげな視線を向けてくる。
「ホントウダ」
俺は視線を空に泳がせながら答える。
「あやしーな……。しかしあの鉄壁を誇る霞音姫に現状一番近いポジションにいるのも悠兎だ。どんなに小さなことでもいい。霞音姫の新情報があればすぐに教えてくれ」
「ああ、任せておけ」
俺は『本当は霞音と(擬似的に)付き合っている』という特大級の情報を隠蔽しながら答えた。
「頼りにしてるぜ……お、噂をすれば」
スナガミが窓から上半身を乗り出した。
みると移動教室からの帰りらしく、霞音が渡り廊下を歩いていた。まわりには霞音を見るための人だかりのようなものすらできている。スナガミの言っていた〝人気急上昇〟というのは確かに正しいのかもしれない。
「近くにみえるのに遠い――まさに夢みてーな存在だな、霞音姫は」とスナガミが言った。「どうにかできねーもんか……あ」
あ、とスナガミは思いついたようにぱちんと手を打った。
ロクなことじゃなさそうだった。
「いいこと思いついた。今度、霞音姫に告ってみるか」
「……は?」
やっぱりロクなことじゃなかった。
「そうすりゃ霞音姫と付き合えて、よりお近づきになれるだろーが。写真だって撮り放題だ。良い案だと思わねーか?」
まったく思わなかった。
しかもなんで告白が成功すること前提なんだよ、自己評価エベレスト並みか!
「……それはやめておけ」
「あ?」とスナガミが怪訝な声で言った。「なんで悠兎に止められなきゃいけねーんだよ。誰に告白するかなんて、オレの自由だろ?」
確かにごもっともだ。人が誰に告白をしようが、それを第三者にどうこう口出しされる言われはない。
だが今回の場合は、俺は他ならぬ当事者だ。
「だめなものはだめだ」
俺はすこし強めに言ってみたが……スナガミに効いたかは分からない。スナガミは『霞音姫様と付き合えるなんて、それこそ夢みたいだよなー』『善は急げだ、やるっきゃないぜ』などぶつぶつつぶやいていた。
スナガミが? 霞音に告白?
――おいおい。まさかこいつ、本気じゃないだろうな。
♡ ♡ ♡
「なあ、霞音」
放課後、学校からの帰り道。
俺は霞音とふたりで歩いていた。
今日は家庭教師の日だったので、一緒に絵空さんが待つ蝴蝶家まで帰ることにした。
その道中で、俺は気になっていたことをきいた。
「……最近、学校で誰かに呼び出されたりしなかったか?」
「どうしたのですか、急に」と霞音が不思議そうに答えた。「特に呼び出されたりはしませんでしたが」
「本当か? 他にはなにもなかったか? 例えば――靴箱に手紙が入っていたり。誰かからメッセージが届いたり」
「むう……さっきから、何を言いたいのです?」
霞音が不審そうに眉をひそめた。
「だ、だから、その――告白、とか。されなかったかと思って」
「こくはく」
霞音はその言葉の意味を自分の脳に染み込ませるように繰り返した。
「べつに……されなかったですが」
「ん、そうか」
俺はほっと胸をなでおろした。
――なんだよ、スナガミのやつ。結局口だけじゃないか。
安堵の息を吐いていると、その様子を見ていた霞音がなんだか嬉しそうに言った。
「おやおや。もしかすると、せんぱい――心配になっちゃったのですか?」
「……え?」
俺はぴたりと歩く足を止めた。
たしかに。言われてみれば。
俺はスナガミが霞音に告白するかもしれないときいて。
そして、万一にもそれが成功したことを思い浮かべて。
なんだか胸の奥がもやもやとした、いやな気持ちになって……。
――なんなんだ、一体。この感情は。
「まさか、嫉妬か……?」
そうひとりごちて首を振る。
俺が嫉妬? 確かに今俺は霞音とお付き合いをしているが……それはあくまで〝仮〟の関係だ。
仮のカノジョに対する友人の行動で俺が嫉妬するなんて、妙に納得がいかなかった。
「ふふん、そうですか」
しかし霞音はいつものマウント顔を浮かべて、強気な声色で言った。
「せんぱいは私がだれかに告白をされていないか、心配になってしまいましたか」
今までは〝霞音のことが大好きなカレシ〟の演技をしてきたが……そうではない〝俺の本心の行動〟で恋愛マウントを取られるのは、これがハジメテの出来事だった。
なんだか無性に恥ずかしくなって、頭に手をやり髪をぐしゃぐしゃと撫でつける。
「せんぱい――素直じゃないですね」
「っ!」
今回ばかりは。
そんな霞音の言葉に、現実として言い返すことはできなかった。
「……行くぞ」
「そう言われましても。最初に足を止めたのはせんぱいのほうですよ?」
「う、うるさい」
俺は口元を腕で隠しながら歩きはじめる。
後ろで霞音が『ふふふ』と笑ったのが分かった。
「せんぱい。安心してください。たとえ告白をされたとしても――私がせんぱい以外の人と付き合うわけないじゃないですか」
「……ん?」
俺は歩きを止めて、霞音を振り返る。
「なにか、言ったか?」
「いいえ。なんでもありません」
と霞音は言って、すこし早足で俺のことを追い越した。
「急ぎましょう。姉さんは午前中で大学の講義はおしまいと言っていましたから。今頃きっと、お家で首をながあくして私たちのことを待っています」
「ん――そうだな」
俺も霞音のあとを追いかけるように足をはやめたが。
その自分の顔は、いつもよりも紅く火照っているように感じた。