1-11 声が聞きたいと言いましたよね?
『もしもし――せんぱい、きこえますか』
スマホの向こうで霞音が声を出した。
俺が部屋で寝落ちしている間に霞音からの着信が何度か残っていたため、折り返した形だ。
「ああ、聞こえてるよ。どうしたんだ急に」
『それはこちらのセリフです』
霞音は心配と不満が半々に混じったような声で言う。
『お電話に出ていただけず……どうかされたのですか?』
「ああ、すまん。寝ていた」と俺は正直に言った。
『こんな時間にですか? せんぱいは幼稚園児さんだったのですか』
「……希望に添えず恐縮だが、俺は高校生活を絶賛満喫中だ。もし中身が幼稚園児だったらずいぶんと飛び級をしたことになるな」
俺は皮肉に言ってからつづける。
「すこしうたたねをしていたんだ。電話に気づけなくて悪かった」
『…………』
「ん? どうした」
『いえ。……なんだか、せんぱいがあまり嬉しそうではないので。――帰ってからも声が聞きたいと言ったのは、せんぱいのほうですのに』
「え?」
『ですから、せんぱいが私の声を聞きたいと言われたのですよね?』
そんなものは。
やはりどこまでも初耳だった。
「あ、ああ。そうだったな……」
しかし俺は慣れてきた演技で答える。
「帰ってからもお前の声を聞けて、俺は幸せ者だ」
電話の向こうで霞音が『ふふん』と鼻を鳴らした。
『そうですよ。私からお電話を差し上げることなんて、滅多にありません。感謝してくださいね』
「ああ。――ん?」
そこでふと気づいた。充電をしようとスマホを耳から離し画面を見ると――そこには〝霞音の姿〟が映しだされていた。どうやら【ビデオ通話】になっていて、霞音はそのことに気づいていないらしい。
『せんぱい?』
スマホは彼女の足元あたりに置かれているのだろうか。
ちょうど下から見上げるような形で霞音の姿が見えた。フリルがついたピンクと白のパジャマ姿で、胸の前にクッションを抱え体操座りをしている。
――こいつ、意外と可愛い部屋着なんだな。
思わずじっとその姿に見入ってしまう。
ふだんのクールな雰囲気とのギャップで、なかなか新鮮だ。
「…………」
『せんぱい? どうかされたのですか?』
「あ――いや。なんでもないぞ」
ごほん、と俺は咳をついて誤魔化した。
せっかくの機会だ。
霞音にはビデオ通話になっていることは言わず、様子を見守ることにしてやろう。
『そうですか……ふふ。ですが分かりますよ。どうせ〝私のこと〟を考えてぼうっとされていたのでしょう?』
「な――」
一瞬否定しをしかけたが。
俺はそこでひとつ思いついて、あえてはっきりと断言してやった。
「――ああ。そうだ」
『え?』
「お前のことを考えて、ぼうっとしていたんだ」
『っ……!』
画面を覗き込んで霞音の反応を見守る。
彼女は顔を真っ赤に染めて、その頬を照れくさそうに緩ませていた。
「油断するとつい――〝大好きなお前〟のことを考えてしまってな」
俺はすかさず追撃する。
見ると霞音は顔をクッションにぎゅうと押し付けて、ぱたぱたと足を動かし悶えていた。
――ううむ。俺に『見られていない』という意識から、いつもより油断しているのだろうか。
なんだか見てるこちらが恥ずかしくなるくらいに初々しい反応だった。
『そう、ですか……。せんぱいであれば、私のことを考えることを許してあげましょう』
などと。
やはり口ではどこまでも〝上から目線〟だったが――
霞音の頬はすっかり緩み、頭上ではぴこぴこと髪の毛が楽しげに揺れていた。
――やれやれ。ずいぶんと満足いただけたみたいで良かったぜ。
俺は『ふう』と暖かい息を吐いてそんな霞音の様子を見つめる。
クッションを抱えたまま左右に揺れていた霞音だったが――
ふと視線が画面の方を向くと、ぴたりと動きが止まった。
つづいて目を二三度ぱちくりとさせて、画面を不審げに覗き込むようにしてくる。
――まずい、気づかれたか……?
俺はとっさに自分側のカメラをオフにして様子をうかがう。
ゆっくりと霞音の顔が近づいてくる。やがて眉を寄せた彼女の表情がアップになったところで。
『~~~~~っ!?』
思い切り声に鳴らない悲鳴があがった。
どうやらビデオ通話になっていたこと――つまり、それまでの自分の様子が俺の方に筒抜けだったことに気づいたらしい。
『う、あ、……っ!』
霞音は顔をさらに真紅に染めて。唇をふるふると震わせて。
ぷつり。通話を唐突に終わらせた。
「あ……切れちまった。ふむ、すこしやりすぎたか? とはいえ今から掛け直して事情を説明するのもな……」
どうしたものか、と頭をかいているとスマホが短く震えた。
霞音からのメッセージだ。
――【どうして言ってくれなかたのですか】
ふむ。
途中が『くれなかた』と不自然な日本語になっているあたり、動揺が見て取れるな。
――【どどして】【せんぱぱいは】【あうあうああ】
そのあとも誤字満載のとりとめない文字列が送られてきた。
画面の向こうで唇を噛み締め、ふるふると震えながら文字を打っている霞音の様子が目に浮かぶ。
「……ったく、しかたないな。またひと肌ぬいでやることにするか」
霞音のことを憐れんだ俺はフリックで文字を入力していく。
最後に送信ボタンをタップ。
――【ん? 何の話だ?】
俺は気づかないふりをしてやることにした。
しばらくしてからまたスマホが震える。霞音からの返信だ。
――【なんでも、ありません】
――【気にしないでください】
――【なにも見られていないのですよね?】
思い切りパジャマ姿で悶えてる様子を見ていたがな、とは当然言わなかった。
――【あ……もうこんな時間です】
――【せんぱいは幼稚園児さんなのですから】
――【今日ははやく寝てください】
「ううむ、そんなふうに寝かしつけられてもな……寝るには早い時間だし、さっきうたた寝もしたところだ」
今からだと、とてもじゃないが目が冴えて眠れなさそうだったが……。
――【わかった。そうすることにする】
と俺は素直に返してやった。
つづけてフリックして送信。
――【おやすみ】
――【お前と電話できて、よかったよ】
既読はすぐについた。
しかし返信はそれからずいぶんと経ってから、【おやすみなさい】と一言だけあって、この日の会話は終わった。
♡ ♡ ♡
これは完全に余談ではあるが。
その夜、俺の脳裏には画面越しに見た霞音のパジャマ姿が妙にこびりついて離れず、ついには〝夢〟にまで見てしまった。
それがどんな夢だったのかは――
俺の沽券にも関わることなので、だれにも言わず秘密にしておくことにした。




