1-1 仕方なくお付き合いをしてあげましょう
「まったく――せんぱいはだめだめですね」
蝴蝶霞音は【絶対零度の美姫】として学内で神格化されるクールで口数少ない美少女だが、ふたりきりになると俺をよく罵ってくる。
「こんな問題も解けないのですか? 一学年下の私にだってわかりますよ」
別に今に始まったことじゃない。彼女の俺に対するつんとした態度は昔からだ。
高校二年生の俺――宇高悠兎はコイツの幼馴染であり、同じ家庭教師に勉強を教えてもらっている関係性だった。
「せんぱいは今まで授業で何を学ばれてきたのでしょう」
学内外に非公式のファンクラブをいくつも抱える蝴蝶霞音と〝幼馴染〟というだけでなく、家庭教師の際には同じ屋根の下で毒舌を浴びせられるなんて、まわりからすればご褒美でしかないらしいが――
「はあ。せんぱいの将来が心配です」
そんなふうにジト目を向けられても、俺の場合は『やれやれ。また始まったか』と内心でため息をつくしかないのだった。
「せんぱい――私のお話、聞いていますか」
「ああ、聞いてるさ」
「ふうん……本当でしょうか」
ちなみに俺たちは今も〝霞音の家〟で机を挟んで向かい合っている。
彼女の家にまでわざわざ来ているのは、もちろん理由があって――
俺たちふたりは霞音の【お姉さん】に家庭教師をしてもらっているのだった。
「ふたりとも、課題は順調かしら」
噂をすれば、リビングにつながるドアが開いた。
「あ、姉さん。私は指定の分は終わりました」
「俺は……すみません、もう少しかかりそうで」
やってきたのは蝴蝶絵空さん。霞音の姉で、今は大学に通っている。
「あら、ユウくんはまだなのね」
俺のことを『ユウくん』と呼ぶ絵空さんは、周囲へ(俺に向かっては特に)冷ややかな態度を撒き散らす霞音とは正反対の性格で、一挙手一投足ごとにその跡がキラキラと光輝き周囲を明るく照らす優雅な女神のような人だ。
「焦らなくていいのよ。ゆっくりで大丈夫だから」
というわけで。
俺は定期的に霞音の家で、霞音と一緒に、その姉である絵空さんから勉強を教わっている。
(ちなみに成績優秀な霞音は1年先の学習範囲を先取りしていて、家庭教師の内容は高2の俺に合わせている。くそう、なんだか負けた気分だぜ)
「はあ。年下の私の方が早く解けるなんて、みじめな気持ちにはなりませんか?」
「……お前の話を〝ちゃんと聞いていた〟からこそ遅くなったんだ」
「な。私のせいとでも言いたいのですか」
「聞き分けが早くて助かるぜ」
「むう……せんぱいが姉さんから学んだことを活かせていないだけです」
などと。
霞音といつもの舌戦を繰り広げていたら――
「うふふ。今日もふたりは仲が良いわね」
と絵空さんが目を細めて笑った。
「「どこがですか!」」
俺と霞音の声が合わさった。
「「……あ」」
互いに目を見合わせ、眉間にしわを寄せる。
「ふふ。そうね、ひとまず霞音ちゃんから先に問題の解説を始めましょうか」と絵空さんが提案した。
「いえ……それでは姉さんの二度手間になりますし。せんぱいを待つことにします」
「そう? 霞音ちゃんが言うなら――あ、だったらその間に、おやつの準備をしてくるわね」
と言って絵空さんはキッチンの方へと向かった。
「ふう。私が寛容でよかったですね。せんぱいが終わるまで待ってあげるのですよ?」
こんなふうに。
霞音は俺に対してなにかと『強者の立場』からマウントを取ってくることが多い。
しかし絵空さんの家庭教師のおかげで(そして何より年下の霞音に負けたくないという思いから)学校の成績も上がっているのは事実なので、プラマイにしたらプラスだ。
「……せんぱい、今なにか失礼なことを考えませんでしたか」
「ぎく。気のせいだろ」
「あ。いま『ぎく』と言いましたね、私は聞き逃しませんでしたよ?」
「聞こえるように言ったんだ。術中にハマってくれてうれしいぜ」
ぷくう、と霞音は頬を膨らませ、またジト目を向けてきた。
「とにかく。はやく問題を解き進めてください。このままでは日が暮れてしまいます」
俺はふたたびノートにシャーペンを走らせる。
横目で霞音の様子をうかがうと、彼女とぱちりと目があった。
「……なんですか」
「いや、なんでもないさ」
というわけで。
学校一のクール美少女・蝴蝶霞音は、ふたりきりになると俺のことを罵ってくる。
「はあ――やっぱり、せんぱいはだめだめです」
――そんな霞音が、事故にあった。
♡ ♡ ♡
「霞音っ!」
俺は息を切らして、霞音が入院しているという病室へと駆け込んだ。
彼女はベッドの上でいくつもの管に繋がれ、頭には包帯を巻いていた。
「……? せん、ぱい?」
目を覚まして俺を見つける。
「~~~っ……! ど、どうしてせんぱいがここにいるんですかっ」
しかし彼女はひどく驚いたような声を出し、俺を睨みつけてきた。
「なにって……絵空さんから聞いて、お見舞いに」
「いりません、帰ってください!」
つづけて霞音は唇を震わせながら、近くのテーブルにあったティッシュ箱やらなにやらを俺に投げつけてきた。
「お、おい……っ!」
「こちらを見ないでくださいっ」
ひととおり物を投げ終わると、霞音は布団を頭まで被ったまま出てこなくなってしまった。
「……ったく。心配して来てみれば」と口では言いつつも、俺はすこしだけ安堵する。「まあ、それだけの元気があるなら良かったさ」
「はやく出ていってください――せんぱいがいたら、治るものも治らなくなってしまいます」
「ああそうかよ。そりゃ悪かったな」
ため息をついてから病室を出ると、廊下に絵空さんが立っていた。
「あ、ユウくん……このあと、すこし時間いいかしら」
「? はい、大丈夫ですけど。思ったより霞音のお見舞いが早く終わったので」
俺の皮肉に、絵空さんはやんわりと唇の端をあげてから言った。
「霞音ちゃんのことで、相談があるの」
♡ ♡ ♡
「〝夢〟と〝現実〟の区別がつかなくなる、ですか……?」
絵空さんは困ったように指先を顎にあててうなずく。
「精密検査をしたらね、怪我自体はすぐ日常に戻れる軽いものだったのだけれど――頭をぶつけたせいで、一時的に後遺症みたいなものが残ってしまったの」
――夢見姫症候群。
と絵空さんは言った。まだ治療法が見つかっていない希少な病気で、なんでも『睡眠中に見た〝夢〟の中の出来事が、あたかも〝現実〟であるかのように脳が錯覚してしまう病』とのことだった。
「お願いっていうのはね? 治るまでの間、その症状を霞音ちゃんに悟られないようにしてほしくて」
「え? 病気のことを本人に黙っている、ということですか?」
絵空さんはうなずいた。
「なんでもね? この病気にかかった人が症状を自覚すると、精神状態が不安定になって、そのまま夢と現実の境目がどんどん曖昧になっていって……余計に病態が悪化する可能性があるみたいなの」
絵空さんは胸の前で手を組み合わせてつづける。
「お願い、霞音ちゃんのために協力してくれないかしら……?」
「あ、いや……。そういうことならもちろん、協力はするんですが。――夢って〝色々なもの〟を見るじゃないですか。不条理な、それこそ非現実的なことも起きたり。黙っていても、いつかは違和感を感じてバレるんじゃないですかね?」
しかし。
俺の心配をよそに。
「ううん――ユウくんさえ協力してくれたら大丈夫」
絵空さんははっきりと断言したのだった。
「だって、あの子のみる夢――ユウくんのことばかりなんだもの」
「……はい?」
♡ ♡ ♡
経過は良好で、霞音は予定より早くに退院した。
その次の登校日の朝。通学路。
「あ……せんぱい」
霞音の家の前を通ると、外で彼女が待っていた。
その表情はいつもより自信に満ち溢れているようにも見える。
「……よう。元気そうでよかった」
「遅いです」
「ん、どうしたんだ?」
「それはこちらのセリフです。忘れたのですか?」
「忘れたって……?」
霞音は大きく息を吐きながら言う。
「やっぱりせんぱいはだめだめですね。今日の朝に〝お返事〟をすると約束したではありませんか」
「返事? ……あ」
そこで俺は思い当たった。
今の霞音は、後遺症で夢と現実の区別がつかない。
彼女が言っているのはきっと『自分の夢の中』での出来事だろう。
「はい、お返事です」
俺の預かり知らないところで、一体どんなことを彼女と約束したのか。
なんだか嫌な予感しかしなかったが。
「昨日、せんぱいは――」
しかし霞音は。
ひとつの躊躇もなく言い切った。
「この私にカノジョになってほしいと。告白して泣きついてきたのではないですか」
「……は?」
俺は「は?」と言った。
「きっと昨夜は結果が気になり眠れなかったのですよね? ですからお返事をしてあげます」
そんなふうに。
口を開けば俺を罵ってばかりだった絶対零度の年下幼馴染は。
「せんぱいが今までの無礼を謝罪して、あれだけなりふり構わず懇願をしてきたのですから」
勝ち誇ったように得意げにしながら。
しかしどこまでも〝喜びを抑えきれない〟様子で。
「あくまでも仕方なく――せんぱいとお付き合いしてあげることにいたしましょう」
頭上の毛をぴこぴこと揺らし。
むふう、と俺にマウント顔を向けてきたのだった。
「とくべつのとくべつですからね? ――せんぱい」
素直じゃないマウント取りたがりなクーデレ後輩との『勘違い&疑似恋愛』が始まります!
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