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こちら子ども電話相談室  作者: 新宮義騎
8/42

二 どうしてこうなった ②

 相談室に戻った僕が事の次第を知らせると、真壁は最後まで話が終わらないうちに苛立たしげに拳で膝を軽く叩く。何せ昨年末の会議の後、地域安心課長の能力に疑問を唱えたのは他ならぬ真壁なのだ。悔しい思いは僕よりも強いに違いない。

「くそっ。もしかすると、あのとき階段で話してたのはこれだったのかも知れない」

 頭の鈍い僕も、真壁がそう口にするのと同時にその可能性を頭に思いうかべていた。しかし仮にあそこで会話の内容に気づいたとして、いったい何ができたというのか。廊下なり階段なり同じところに立ちどまろうものなら、よほどの間抜けでない限り盗み聞きされているかも知れないと警戒してくるだろう。そうなれば場所を変えられて終わりだ。あの二人が親しい間柄にあった時点で、為す術など残されていなかったように思える。板垣議員を恨むにしても、そもそもが地方都市の市議会議員とはいえ政治家であることに変わりはない。政治家のやり口が卑怯で汚いのは当たり前である。さらに言えばときに往生際が悪い。そこを指摘したところで批判や糾弾には当たらない。

「多分そうだろうね。でも、僕たちが何を言ってももう遅いよ。教育総務課長にまではたらきかけたとなると、きっと教育部長と教育長にも話がいくんじゃないかな」

 教育部のトップは大山教育長だが、事務方を仕切るのは教育部長になる。ここ火床市では昨年、つまり今年度のはじめに当たる四月にそのポストの交替があった。新しく就任したのは立川一彌部長。みな大きく声には出さないものの、相当に陰険であるとの評がどこからともなく聞こえている。

「立川部長か。俺はあまりいい噂を聞かないな」

「真壁も知ってたんだ。うまく立ちまわってくれればいいんだけど」

「板垣議員に抵抗はしてくれないだろう」

「やっぱりそう思う?」

「強い相手には弱く、弱い相手には強いとか、自分の都合中心だとか誰か言っていたな。少なくとも俺は期待しない」

「じゃあ、頼みの綱は教育長かな」

 片や、大山教育長は大変な人格者である。職員がどんなミスをしても怒らず、優しく教え諭してくれるなど悪い評判はほとんど聞かない。歓送迎会の折には僕たちのような鼻つまみ者にも偏見を持たず接してくれ、こんな掃き溜めのような子ども電話相談室にも昨年の九か月間だけで四、五回は足を運んでくれた。何より就任してから二期目も大半を過ぎた六年目を迎えていることもあり──それだけに退任間近であるのが惜しまれるのだが──おおかたの仕事を理解している。一から十までレクチャーする必要がなく、部下の事務負担が軽減されている点でもありがたい教育長なのだ。しかしその名前を出してみても、真壁は変わらず元の能面づらでぼそぼそと唸るばかり。

「板垣議員は今ごろ村越課長と話しこんでいるだろう。そこに誰が居合わせているかが問題だ。その意思があるものと仮定して、要求を退けられるのは教育長くらいか。議員あいてでは部長でも嫌とは言いにくいはずだ。後で教育長に報告するとしても、いちどイエスと言ったものを覆すのは難しい。ただ教育長室はすぐ近くだから、一緒なら従わざるを……」

 さらにそこでいちど言葉を切り、舌を打つ。

「まずい。新年ともなれば挨拶回りだ。予定では各課長を連れて方々を歩きまわるのは明日からだったような気もするが、教育長室にいるとは限らない」

「誰かお偉方と話してたりするかも知れない、か。たとえば市長なんかと」

 僕の下世話な想像は抜きにして、市長のもとへ足を運ぶなどして教育長室を空けるのは避けてもらいたいと切に願った。子ども電話相談室の平穏を守るために。

「ここへ戻るときに確認しなかったか?」

「ゴメン、室長に早く戻るように言われて」

「まあ、様子見のためだけに教育長室にも行きにくいしな。どこまで話を繋ぐかはその場の判断もあるだろうから、あとは村越課長の対応しだいか」

 ちなみに村越課長の人柄は聞きづたえで窺うところによると悪評は皆無で、うちの肝月課長とも比較的仲がいい様子である。ここまでの経緯も報告を受けているだろうから、教育部におかしな形で仕事が持ちこまれるのはよしとしないはずで、特にこのような反則技には断固とした対応を切に願う。ただし、それも村越課長に指揮権がある場合に限られる。僕は嫌な予感がして、ためしに訊いてみた。

「もし教育長と立川部長、村越課長、板垣議員の四人全員が居あわせたらどうだろう」

「村越課長は肝月課長の意を汲んでくれるだろうから、あとは立川部長と教育長がどういう答えを出すかが問題になる。板垣議員はこっちをどうにか動かすつもりだから、誰か一人でも同調すれば二対二だ。数の上では互角でも板垣議員のことだ、有利に事を進めるために別の機会を設けるくらいの手は打ってくる恐れがある。仮に教育長が要求を退けても、立川部長が同意すれば事務方の専権事項で対応しかねない。ということは、三人そろって要求を退けてくれなくては厳しい。もちろん教育長が同意すれば終わりだ。音に聞こえた立川部長の評判では、議員と上司の両方に逆らうとは考えにくい」

 誰かひとりでも板垣議員に賛成すれば、僕たちにお鉢が回ってくるというのか。理不尽な要求には一丸となってノーを突きつけてほしいとは思うが、お世辞にも確率は高いとは言えない。特に立川部長が不安要素だ。考えれば考えるだけ気が重くなる。

「もうこのあたりで話は止めよう」

「ああ。俺たちがこの部屋で何をどう考えたって無駄だ」

 僕たちに出来ることがないのは、昨年の会議直後に真壁があの場面に遭遇したときと同じだ。むしろいっそう無力な状態といっていい。口を噤むより他にないだろうとぼんやり宙を眺めていると、すぐに電話が鳴りだし真壁がそれを取る。

「もしもし、こちら子ども電話……、はい、ええ、いま窺いました。それで……そうですか。今から、はい。詳しいことは後で……伝えておきます」

 口ぶりから察するに、市民からの問い合わせではない。しかも受けこたえをする間にも真壁の表情は険しさを増していく。受話器を置くなり深い溜め息をついた。

「誰からだった?」

「室長からだ。俺たちが今していた話だよ。新年早々に教育部で臨時の課長会議が開かれる。ちょっとした集まりという名目だが、実質的には課長会議と何も変わりないそうだ」

 流れは確実に悪い方へ向かっている。課長間の協議が必要と判断されただけでも不吉だというのに、すぐさま会議が開かれるというのはただごとではない。懸案事項があったとしても、定期的に開催される課長会議で議題に上げるのが通例だからだ。かなりの緊急事態と考えるべきだろう。

「こうなったからにはもう、うちの課長に頑張ってもらうか今日の会議が議員の要求を突っぱねるために開かれたのを祈るしかない。もう仕事に戻ろう。この話は今度こそやめだ」

 真壁は珍しく多弁に、自分自身に言いきかせるようにして手元のマウスを握る。だが不幸にも相談室は暇だった。問題の一通を除いて返答の必要がない郵便物は、すでに輪ゴムでひとまとめにされたうえで棚の片隅にしまわれている。正月早々に何らかの問い合わせをよこす市民も他に皆無と仕事が何もないせいで、嫌でも会議がどうなったか考えてしまう。その後は横澤室長から連絡もなく、こちらから進展を訊ねても調整中としか答えが返ってこず、単にあの場で教育長、立川部長、村越教育総務課長の三者が居合わせたという情報がもたらされたのみ。それ以上は誰かに訊くにも訊けず、ただただ不安を抱く時間だけが過ぎていった。


「そこのドア閉めて」

 人気の失せた五階の会議室で室長から声をかけられたのは金曜の定時を過ぎた直後、つまりは板垣議員が教育部に押しいってから二日後のことだった。椅子に座る室長は見たことがないほど真剣な面持ちで、声も浮かない。先ほど庁内電話で呼びだしを受けたときからそうだった。その際、詳しい用件も知らされず、そもそも明日は生涯学習課が主管となる成人式が控えているのに打ち合わせという時点で、これはもう例の事件がらみであると即座に直感できた。室内に漂う緊迫した空気でおのずと身体が硬くなる。机の上に積みかさねられたバインダーも何やら意味ありげだ。僕と真壁が揃って向かいに腰を下ろすなり、室長が大きく息を吐きだしつつ口を開いた。

「今日こうして話をするのは他でもない、この間あった板垣議員の要望だ。つまりはあのお地蔵さまの件ということになるが」

 そこでいちど言葉を切る。もうそれだけで嫌でもこちらも息が詰まった。

「結論から先に言うと、子ども電話相談室も動くことになった」

 やはりそうか。あれから音沙汰がない以上、事態は好転していまいと覚悟はしていた。とはいえ直に宣告されたショックは大きい。だいいち僕たちにどう動けというのかと、疑問に思うそばから室長の答えが返ってくる。

「具体的にはお地蔵さまにイタズラした犯人を捕まえるために、土日を含めて深夜に現場の巡回をしてもらう」

 業務が増えるところまでは想像できても、まさか土日がなくなるとは思いもよらない。特にここ数か月は休日出勤の続く部署の境遇など他人事よろしく、高見の見物を決めこんでいただけにまるで死角から殴られたような衝撃を受けた。これでは大部分をアニメ視聴とブログ更新に費やす予定のパーソナルライフが台無しではないか。僕はこの無茶な話をどうにかして止めようと声をあげる。

「そうなると残業とか、土日は時間外ですか? 予算は残っているんですか?」

 年度末となると人件費が底をつき、結果としてサービス残業せざるを得ないときがある。管理職としても望ましくない状況のはずで、そこを指摘してみるもとうに対応策がとられているようだった。

「いいや、残業の形は取らない。深夜巡回を予定している日の当日は昼間の勤務はなしにする。当番の職員はフレックスタイム制での対応だ。土日の場合は休暇を平日に振り替える。今さら新たに時間外をつける予算はないからね。したがって真壁と広瀬がふたり揃って定時に庁舎に勤務する頻度は減る」

 拘束時間は変わらないから、趣味の時間は確保できるわけだ。しかし懸念材料はまだある。職員ふたりが配置されていても部屋を空けることが稀にあり、その際に来た電話の問い合わせは五階の青少年係で受ける体制になっている。相談室の待機人数が減れば、当然ながら元から暇でない青少年係の負担は増える。

「そうなると、相談室に職員ひとりの日が多くなりますが」

「五階に回ってくる電話は、課内全員で対応する。これから皆にも頼むつもりだ」

 もはやこの問題に関しては、課内の協力が大前提となっている。何を言ったところで覆る状態ではない。となれば気になるのは具体的な期間だ。いわゆる仕事の出口くらいは把握しておきたい。

「その仕事は、いつまでですか?」

「もし単純に問い合わせに応じるなら犯人が捕まるまでということになるが、実際は三月の本会議が始まるまでだ。事情は分かっているね? 今、巴小の改築をどこで行うか議会で揉めている。以前は第一会派の〈憲政会〉をはじめとして現在地で改築すべきとの意見が多数だったが、昨年十二月の本会議で〈家庭の会〉が従来の主張を翻して優劣が逆転した。つまりそれまでに〈家庭の会〉──あの場で翻意を明言した永井議員に、現在地で巴小を改築しても安全だと納得してもらう必要がある。もちろん巡回するだけでイタズラ自体が止む可能性もあるけど、それだけじゃ議員が果たして何と言うかは分からない。だから犯人を捕まえるのが第一目的だと考えてほしい」

「ちなみに、スケジュールは決まっているんですか?」

「時間がなかったから、今月までは他の課との調整も兼ねて俺がもう決めた。週明けにでも決裁を回す予定だ。ちょうど話に出たからいま見せるよ」

 室長がまず示した一枚目のバインダーには、巡回の日程に関する決裁が挟まれていた。決裁権者は教育長となっている。それによれば一月の巡回は真壁が十二日(木)、十八日(水)、十九日(木)、二十二日(日)、二十九日(日)、三十日(月)、僕が十四日(土)、二十日(金)、二十四日(火)、二十七日(金)、二十八日(土)、三十一日(火)に出ることとされ、さらには巡回する日にちと一緒に生涯学習課、教育総務課、学校教育課、学校経理課、文化課、体育課と本庁舎にある教育部内の課名が記されていた。

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