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こちら子ども電話相談室  作者: 新宮義騎
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一 おまわりさんこっちです ⑤

 ただ、肝月課長は落ちついている。かねてから真壁が危惧していたように、何らかの形で巻きこまれる可能性は察知していたように見うけられた。

「実は私どももこの会議の前に、小学校さんへ生活指導の先生を中心とした付近の巡回をお願いにあがろうかとしていたところです。教育長からもうご連絡はしておりまして、内々に校長先生の了解は得ております。それから市内を巡回している補導員には──本来は青少年の非行防止を目的に非常勤特別職として委嘱しているのですが、そうは言っても防犯の目的も含めて活動しておりますので──特に事件が解決するまでは青少年係の職員と一緒に付近を重点的に歩いてもらおうかと考えております」

 肝月課長とは事務室が別であるうえ業務上の接点が少ないせいもあって、どのような人柄か今ひとつ掴めていなかった。そのため今の今までは痩せた体格と白髪頭の風貌からどこか弱々しい印象があった。しかし実際に会議での発言を耳にしてみるとどうだ。やや如才ない物言いながらも要点は示し、市民協働課長と同様に先手を打っている。これに我らが頼れる上司の横澤室長も後に続く。

「課内室の子ども電話相談室については、私からご報告いたします。本件はご存じのように、町内会長さんが市役所にご連絡くださったおかげで私どもの関知するところとなりました。ありがとうございます。ですが事件の性質上、いずれかの部署へ繋ぐ段になって庁内でも連絡系統が混乱し、結果としていずれの課が所管か判断つきかねる状況で相談室が最初に現場へ足を運ぶ形となりました。その際、ここにいる広瀬が撮影した写真を、資料として関係各課の皆さまに提供させていただいたことはすでにご承知おきかと思います。

 また会長さんが現在の職に就かれるに至った経緯から、件のお地蔵さまになされたイタズラと類似の風習が実際にあったかどうか問い合わせをお受けしまして、ちょうど回答させていただいたところであります。市史等の資料を調査した結果、そうした風習はありませんでした。もちろんこのお問い合わせと事件解決は直接むすびつかないかも知れませんが、本件が紛れもなく何者かのイタズラであることが確定したわけであります。なお皆さまもご理解いただいているとは思いますが、相談室の本来の目的は〝子どもたちから寄せられた質問への回答〟です。もちろん私どもは生涯学習課ですから、年齢を問わず市内の様々なご質問にお答えしております。しかし本件についてはそこから先となると、やはり本来の事務分掌から大幅に逸脱する業務となってしまうのではないでしょうか」

 完璧だった。指名を受けた課長が回答したあと間髪入れずの発言で会議の流れを握りつつ、すでに本来管轄外の問題に対応している事実を示すとともに業務の拡大を防いでいる。写真をはじめとする現地情報の提供を、さりげなく僕の手柄にもしてくれた。おかげで残りの仕事を堂々とよそに放りなげることができる。

 だがこの流れを受け、地域安心課職員が揃って本性を現した。連中は、会議に出席した一同の反応をしきりに窺いはじめる。仕事を振るタネはわずかも逃さないといった姿勢で、主管課の課長も主催者の立場を思い出したのか、率先して文化課に話を向けた。理由をつけて一つでも多くの課を巻き添えにしようとする魂胆が見えみえだった。

「では、残った文化課さんは。専門の千々松さんは、あのお地蔵さまをどう思いますか」

 直々に意見を求められたのは、係員の千々松だ。庁内で大多数を占める事務職員ではなく、遺跡調査の専門職員として採用されている。何でも特に墓石と石仏に詳しく、もし文化課以外に配属されるとしたらと訊かれ躊躇なく墓地管理センターと答えた逸話をもつ、僕たちとは別ベクトルで変わり者と名高い人物だと聞いている。

「あの地蔵菩薩は現在の火床市史には記載がありませんが、合併前の巴村史に由来が記されています。『子宝に恵まれなかった母親が、ようやく女の子を授かったものの、程なくその女の子を亡くしてしまった。それを聞いた寺の住職がそこに地蔵菩薩を建立させた』と。台座の高さ一五センチ、像高八〇センチ、私の所見では風化の度合いから村史にある通り江戸時代の前期、おそらくは寛永年間の制作で、像様穏やか、造りからしてそれなりに名の通った仏師の作と思われます」

「千々松」

 そこまで言ったところで文化課長が釘を刺した。発言内容から危機を察知したようだ。千々松も空気の読めない職員ではないらしく、さらりと付け加える。

「ですがなにぶん上屋がありますので背面や側面を含め像の全容がじゅうぶん確認できず、銘も彫られていないこともあって、指定に至っておりません」

 地域安心課長は、この答えに不満なようだった。相変わらず細い声に曇りがかかる。

「では、これを文化財に指定する予定はありますか?」

 不満なのは文化課長も同様らしい。背は低いながら肥満体型なせいもあって、市民協働課長に負けず劣らずの威圧感があった。苛立たしげに千々松より先に口を開く。

「ありませんね」

「他の市でも例はないんですか?」

「ないわけではありません。ただ千々松の意見にもあったように、あれは伝来に不明確な部分のある、どんなに遡っても江戸時代前期の作です。江戸時代前期に造られた石造仏の類は、あまり存在を知られていないだけで実はさほど珍しくありません。うちの博物館にもかなり昔に個人から寄贈されたほぼ同時代の──もっとも扱いに困って倉庫に眠りっぱなしなんですが──比較的ちかい大きさの地蔵菩薩がありますし、街や田舎の隅にある庚申塚なども多くが江戸時代の建立です。しかしよその市でも県でも、それのみをもって指定文化財にしたという例は知りません」

「でも、文化財に指定してなくても文化課さんで関わりがあるんじゃないですか? 民俗芸能関係の行事なんかも指定の有無に関わらず行事を開いてるじゃありませんか」

「いい加減にしていただきたい!」

 地域安心課長のしつこい絡みに、文化課長が怒鳴り声をあげる。かねてから結構な癇癪もちとの噂は耳にしており、実際、耳にしてみると相当の迫力があった。しかし仮に短気でなくとも怒るのは当然だ。仕事を押しつけるためだけに、該当する物件を文化財に指定させようというのは浅知恵にも程がある。魂胆もあまりに露骨だった。

「いいですか、文化財の指定は公の機関が価値を認め、後世へ保護保存、継承する目的で行うものだ。民俗芸能関連の行事もその一環で、防犯が目的ではない。文化事業の本質を誤らないでいただきたい! そもそも文化財への指定には市の審議会への諮問など段階を踏まなければならない。相応の時間がかかる。百歩譲って文化課が噛むとしてもその後になる。いや、それ以前にあの地蔵菩薩は誰の所有になるのか? 答えられますか? 出来ない? ならここまでです。うちでの話は以上です! どうしても教育に押しつけたいのなら、生涯学習課さんの方がまた理解できる!」

 文化課長は怒りのあまり、わずかに理性を失って余計な一言まで口にした。かくして醜い争いがここから始まる。正確に言えば、市長が会議を設置すると言いだしたときから各課の争いは始まってはいた。だがこうまであからさまになると、様相は醜怪の一言に尽きる。間髪を入れずここぞとばかりに市民協働課が追いうちをかけ、肝月課長も即座に反発すると、瞬く間にその場に居あわせた課長同士の激しい口論となる。同席している町内会長は蚊帳の外、つまり市民そっちのけでの完全な仕事の押しつけあいだった。

「そう言えばそうだ、先ほど生涯学習課さんからも防犯の言葉が出た」

「断っておきますが、防犯は我々の本分ではありません。補導員の巡回目的は、あくまで青少年の非行防止が第一です。それを言うなら、市民協働課さんも無縁じゃないでしょう」

「私どもが抱えてる団体だって話は同じだ。それにこっちだけに話を振るのはフェアじゃない。高齢福祉課さんは高齢者クラブなんかも持ってる。もっとも防犯カメラにしろ、地区の防犯協会を動かす話にしろ地域安心課さんから真っ先に出るべきところですがね」

「防犯カメラについては、今から言おうとしていたところです。防犯協会が動くのも大前提で、皆さまにご協力をいただきたいんです。高齢福祉課さんも必要なら次回から呼びましょう。まさに全庁あげての動きにしなければなりません。ですから文化課さんは、これは市長の意思としてですね、是非とも前向きに検討いただきたい。時期が後にずれたとしても、まずは文化財の指定を……」

「しつこい! だいたい高齢福祉課を呼びわすれておきながら、うちばかりに話を持ってくるとはどういうことだ!」

 自然の摂理ではあるが、生物は基本的に苦痛を嫌う。人間ならストレスを受ける労働はなるべくしたがらない。周知の事実であるように、自身の労働実績が収入に直結するわけではない公務員となればその傾向はいっそう強まる。仕事をしたがるのは出世を望む少数の人間、しかも大方は自らの手を下さず部下に実務を命じる部長連中である。特にこの件については、背景が背景だけに関わったところで旨味は少ない。したがって喧々諤々の争いはかなり長くつづいた。だが、あるところで市民協働課長が声を鎮める。

「もういい加減、不毛な話はやめにして、火床警察署さんの話をお聞きしませんか」

 すると課長たちは一斉に鎮まった。地域安全課に会議をまとめる力がないのは分かっているのだから、もっと早いうちにこうすれば良かったのではないか。僕も他の出席者も揃って注視するが、肝心の火床警察署員の顔は浮かない。

「ええ。今のお話はお聞きしました。私も現場には行きましたが、防犯カメラの設置はよい考えかと思います。ただそうしますと場所が問題ですかね。交差点の一角で対面距離もありますし、周りはどこも私有地になりますから。それとうちが設置すると画像の取り扱いなんかがややこしくなるので、火床市さんが直接なされた方が便利かと思います」

「それで、火床警察署さん独自の対策は」

 地域安心課長が続きを促すも、返答は渋い。

「最寄りの静町交番には、パトロールのルートに入れるよう指示しておきましょう」

「その他には、何かありませんか?」

「それ以上は難しいかと。静町交番にしても、巴町の現場へ行くまである程度の時間がかかります。もちろん何事もなければ巡回するようにしたいと思いますが、当然、他に何か起きればどうしてもそちらに手を回さざるを得ません」

「そのう、もう少し人員を割いていただけると助かるんですが……」

「人を回したくても、本署は今でさえかつかつの状態なんです。これは内密にしていただきたいのですが、いま市内でご高齢の方を標的にした組織犯罪が頻発しておりまして、そちらの対策に取りかかっているところでして。もっとも地域安心課さんは、こうした事情はもうご存じかも知れませんね。いえ、犯罪は犯罪ですよ、お地蔵さんへのイタズラを放置していいなどと申しあげるつもりはありません。しかし捜査しなければならない事件が他にもありますから、どうしても順位をつける必要がありまして、するとこれを最優先にはできないんです。そもそも本件は一応、器物損壊で届け出ていただいておりますけれども、実際にはお地蔵さんは破損しているわけではありませんしね。ですから上にも相談はしますけれども、本署の者をこれだけのために動かすというのは困難だと思われます」

 それはそうだろう。手元の資料に記されている器物損壊の罪状はいかにも軽い。


刑法 第二六一条 (前略)他人の物を損壊し、又は傷害した者は、三年以下の懲役又は三〇万円以下の罰金若しくは科料に処する。


 これより詐欺をはじめとする組織犯罪の方が罪の重いことくらいは分かる。物騒な話、何の変哲もないこの地域でも殺人などの重犯罪は起きるのだ。人命や財産に甚大な被害が及んだ事件を優先させるのは当然である。対してお地蔵さまの件は住民の心こそ傷つけられたとはいえ、人命や財産には何の損害も与えておらず、将来的にもその危険が生じる可能性は低い。優先度はスリよりも低いだろう。市議会の噂も耳に入っているだろうが、警察署としては検挙率を上げなければならない。この事件に大わらわしているのは、市長と議会が対立しているさなかへ思わぬ形で火に油を注がれたせいなのだ。したがってなるべく関わりあいになりたくないので、その手のごたごたは市で解決してくださいというのが本音ではないだろうか。僕が逆の立場だったらもっとはっきり言っているかも知れない。ここにいる警察署員の方は、よくその心情を押しころしていると思う。

「その代わり、アドバイスはいくらでもさせていただきます」

 警察署員は一応のフォローを入れたものの、他の出席者は何となく警察側の事情を汲んでそれ以上の要求はしなかった。

「では、このようなところでいかがですか」

 おのおのから一応の対策案が出されたのを見、地域安全課長が会議の締めに入ろうとしたところで、町内会長がぼそりと呟いた。

「最後に、ひとつ」

「はい」

「あのお地蔵さんは俺が小っちゃいときから大事にされてた。今あった話は本当にありがたいし、それぞれいろいろ事情があるんだろうけど、もう少し何かしてほしい。うちの町内会は、副会長も班長も病人ばっかりなんだ。町内会で出来ることはどうしても限られる。歳のせいで動けないなんて、言い訳でしかないのは分かってるけども。もし警察さんや市役所さんのおかげで犯人が捕まったり、せめてイタズラだけでも止まってくれたら本当にありがたいんだ」

 この間は冗談めかしていたためさして気に留めなかったが、巴町の町内会はかなり深刻な状態なのだ。その町内会をまとめる会長さんを前に醜態を晒してしまったことを僕は内心で申し訳なく思う一方、地域安心課長はさして詫びも入れず淡々と会議を終わらせる。

「いま町内会長さんからもご要望がありました通り、これから事件解決まで全庁内を挙げて当該案件に取り組んでまいりたいと思います。次回会議開催日は追ってお知らせしますので、それまで各課は本日の対策案を実施していただきますようお願いします。では会議を終わります」

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