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こちら子ども電話相談室  作者: 新宮義騎
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一 おまわりさんこっちです ④

 ところが事態は、予想以上に難しい問題に発展していたらしい。それが発覚したのは折しもその日の午後、僕が例の町内会長から寄せられた問い合わせへ回答する文書の決裁を取りにいった際のことだ。五階のフロアにある種の黄色い声が響きわたる。

「このタイミングでその話はやめて!」

 辺り一帯が異様な空気に包まれ、何事かと目を向けてみるとスキンヘッドの大男が頭を抱えていた。叫んだのはどうやら学校経理課の佐久間課長補佐のようだ。いかつい風貌に似合わず温厚な代わりひどい心配性で、声もテンションも高くかなりのおっちょこちょいだと言われている。席を外している課長に代わり留守居役をあずかっている佐久間補佐が慌てて手元のモニターをいじり必要以上に音量を上げてくれたおかげで、何が起きたか把握できた。ほかの管理職も時節柄、モニター中継に釘付けになっている。市議会だ。

「先週から立てつづけにお地蔵さまが亀甲縛りにされている件についての対応は、市長、先ほど仰った内容だけで全部なのですね?」

 特徴のあるダミ声の主は、永井議員である。主婦から市会議員に当選したこともあって、教育関係にはうるさいととかく評判の人物だ。小柄で痩せているくせにやたらと押しが強く、眼鏡をかけたきつい風貌とも相まって多くの人間から煩がられている。カウンター近くに陣取っていた体育課の田原が手招きしてくれたのに甘え、ノートパソコンを覗いてみるとそこには市議会の中継動画が映しだされていた。

「私たち〈火床市家庭の会〉は、これを大変に危惧しております。というのも、いかに軽度とはいえこうした犯罪が繰りかえされるのは、異常な性癖をもつ変質者が近辺に住んでいるか、少なくとも頻繁に当地に出没している証左に他なりません。ましてやお地蔵さまというのは女性です。女性を卑猥な性遊戯を彷彿とさせる形でこれ見よがしに縛りあげるなどあってはならないこと」

 ここで市議会一のインテリと名高い、若手の吾妻議員が待ったをかける。年齢は僕たちより少し上くらいであるにも関わらず、毅然とした態度を貫く姿勢は頼もしい。

「失礼ですが、お地蔵さま自体は女性ではありません。母性を象徴しているためにああした穏やかな風貌に象られているだけです。ですから子どもたちの加護を願い、見ようによっては幼児も連想されるような、赤い前掛けを付けられているわけです」

 誤りを指摘されれば普通はトーンダウンするところだが、このときばかりは相手がまずかった。教育を第一とする母性か信念のいずれかが、拒絶反応とも呼ぶべきさらなる反発を引きおこしたようだ。やたら色の明るいソバージュ頭を振りみだして拳を握りしめる。

「それは本当ですか! ということは加虐癖だけでなく、ペドフィリア傾向もきわめて強い危険な人物です! 間違いなく将来的に性犯罪が起こるに違いありません。いや、もしかするとすでに犯罪に手を染めている恐れすらあります。これでもう私たちの意思は固まりました。このまま犯人が捕まらないならば、私たち〈火床市家庭の会〉はこの機会に巴小学校を移転すべきと主張いたします……」

 佐久間補佐のみならず、教育部の他の管理職もみな永井議員の発言に驚いてざわついている。ただ、学校経理課以外のほとんどのヒラ職員は何が問題か分からない様子で、何人かは事情を訊きに上司や関係課へ足を運んでいた。正直、教育部の事務室から隔離された人間には皆目見当もつかない。だがすぐ傍で教育総務課の堀がうちの課の北川に講釈しているのに聞き耳を立てると、なるほど担当課にとってはただごとでないのも頷けた。

「どこの市でも同じだと思うけど、基本的には市立の学校を改築するとき移転はしない。一時的にグラウンドの問題とかはあっても、同じ敷地内で事を済ませる。今度の巴小学校もその予定だったんだけど、面倒な選択肢がひとつ出てきた。ほんの少し離れた場所にある、底地だけ市の所有してる県の体育施設が統廃合でなくなることが決まってたんだ。しかも今の巴小は、駅から離れた郊外へのアクセスがよくて地価が高い。対して県の体育施設があるところは色んな理由で地価はやや低い。だから前の市長はこれに合わせて巴小は体育施設跡に移転して、いま巴小がある場所に工場を誘致しようとしてた。

 ところが今度の小原市長は公約に小学校移転反対を掲げて当選した。いくら風営法で定められた距離を保ってるって言っても、歓楽街の近くに小学校を移転させるのは望ましくないし、今は少子化で敷地面積はそれほど要らない。だから改築に伴って小学校そのものはコンパクトにして、公民館を隣接させる方がいいとかいう理由でね。ただ本音は違うらしいんだ。新旧の市長で誘致したかった企業がそれぞれ別にあって──お互い必要とする条件が微妙に違ってて──小学校を移転するしないは、要するに方便というわけさ。もちろん市長が代わってそれが決まればいいよ。ただ問題なのは、議員の間でも意見が割れてるってことだ」

 類似の業務に就いた経験のない僕に理解できるのは概要のみだが、真相はともかく、もし当初の予定が変わるとなれば野々村先輩の言う予算や設計の見直しを迫られることは容易に想像できる。学校経理課の業務は確実に増えるわけだ。何より本会議の質疑応答は事前に擦りあわせを行っているにも関わらず、それを一方的に破るのはいわゆる紳士協定違反に当たるのではないか。たとえ議会とは意見をぶつけ合う場だという原則論があるとしても、あまりにコンセンサスを欠いている。行政側としては断じて容認できない。

「頼むから黙っててくれよ! これ以上忙しくなったらうちの看板娘の野々村ちゃんの美貌が損なわれるじゃないかよ~」

 焦りのあまり、佐久間補佐の口からはいち係員を贔屓するような発言まで飛びたした。他の管理職たちはといえば、互いに顔を見あわせつつ苦笑する。自分たちには関係がないといった調子だ。

「永井議員を含めてあの会派は女性、生活、教育第一ですからな」

「良くも悪くも損得勘定で動かない。今さらですが議員としては珍しいタイプですよね」

「ああいう議員はよその市にもいるよ」

「でも予定にない発言だったんでしょう? 困りましたね。あの様子じゃ折れませんよ」

「今回は一般質問ですから、何事もなく終わると思ったんですが……」

「でも、事前の通告が求められるのはあくまで要旨ですから。それにあの発言に対して永井議員が市長に回答を求めてるわけじゃありませんし」

「ものすごくグレーですけど、違反とは言いきれませんね」

 しかしその管理職たちも、次には顔色を変える。公約を守らんと市長が手を挙げ、悪いことに議事を取りしきる石黒議長が発言を認めたのだ。ちなみに市長は小原憲代という、今日び珍しくもない女性市長である。素行の良からぬ夫と早々に離婚し、女手ひとつで子どもを育てながら県会議員に、そして二年前にこの火床市の市長にまで昇りつめた。永井議員とは女性という共通点をもちながら、ややふくよかな体型や私生活など対照的な部分も多いぶん余計に対決姿勢が目立つ。

「ただいまご意見をいただきましたが、私は巴小学校を移転はさせず、現在の県体育施設の跡地を別途目的に利用する考えに変わりはございません。しかし永井議員が指摘されているとおり、地域住民が事件の発生に不安になられていることももちろん承知しております。そこですでに警察へ被害届を提出し、捜査を依頼する予定ではありますが、改めて当市からさらなる協力を求めるとともに、庁内でも対策に向けて会議等を設置し、具体的に対応してまいりたいと考えております」

 当たり前だが、市長には一期四年の期限つきで絶大な権限が与えられている。公の場における発言は重大な意味をもち、実際にはゼロといってよいほど稀な例とはいえ、命令を拒否した職員を罷免、すなわち解雇することすら法的には可能なのである。これは市以外の町村や都道府県も同じであり、いちど採用試験を通りさえすれば選挙結果に左右されず四十年以上も継続勤務することが可能な一般の職員からすれば、まことに厄介なトップの決定方式と言わざるを得ない。場合によっては当選した市長の発言ひとつで業務量が膨れあがる可能性があり、時として奴隷的苦役さえ甘受しなければならないからだ。公務員が全体の奉仕者として定められ、市長が直接選挙で選ばれた市民の代表という理屈からすれば正論なのだが、感情面でものを言えば少なくとも僕個人としては受け入れがたい。

 小原市長に、ここまではそうした面は見られなかった。周囲からの評判はおおむね良好だと聞いている。しかしこの発言は関係各課へ強い指示を下す意思表示に他ならず、選挙公約を果たすための決定事項となったと解釈すべきだろう。それを熟知している管理職たちは適当に話を切りあげ、そのくせ手元のモニターを凝視しはじめる。皆、関わりたくないのだ。おそらく事件の窓口となっている地域安心課では明日にでも急拵えの仕事がはじまるだろうが、だからといって下手なマネは出来ない。少しでも関心のある素振りなどしようものならあっという間に出番が回ってくる。それはヒラの係員でさえ同様であり、おかしな反応を見せれば色々と口実をつけて仕事を押しつけられる恐れがあるのだ。僕も相談室へ戻るべく、そろそろと足音を殺しながらその場をあとにした。


「では、皆さんお揃いでしょうか」

 確認とも呟きとも取れる声とともに、椅子に腰かけた僕の背後で扉が閉められる。ドアノブから手を離したのは、地域安心課の係員だ。時は市議会が終わり庁内が御用納めを迎えつつある頃、具体的には市内のラブホテルが特需を終えた直後の月曜午前。場所は壁のヒビ割れも見すぼらしい会議室。〈巴町不審事件安全対策検討会〉と書かれたホワイトボードが廊下から室内に運びこまれ、僕と隣に座る真壁、さらにその脇に並ぶ横澤室長、肝月賢介課長の席にA4用紙一枚だけの会議資料が配られる。そう、市議会でひと波乱があったあの日から、相談室、ひいては生涯学習課の職員全員が事件に関わるまいと表向き無視の態度を貫いた努力も虚しく、事態は望ましからぬ方向へと動いていた。

 もっとも巻きこまれたのは他の幾つかの部署も一緒である。ロの字に並んだ机を挟んで廊下側のはす向かいに市民協働課の課長、文化課の課長と係員がおり、逆の窓側には市役所外の出席者として火床警察署生活安全課の署員と市立巴小学校の教諭が一人ずつ、くわえてあの巴町の町内会長の顔もあった。

 そして会議室の前方で立ちまわるのは地域安心課の課長、補佐、係長と係員の四人。彼らこそが市役所内で中心的に事件対策に当たるよう市長から指名された、この会議の主催者であった。とはいえ油断は禁物である。たとえ主管課に据えられたとしても、会議だけ開いて業務そのものを他課へ丸投げする選択肢がある。顧みれば、通報をはじめて受けたのは他ならぬ僕、すなわち所属で言えば子ども電話相談室なのだ。無関係で逃げ切らせてくれるだろうという考えは甘い。誰に何を言われるまでもなく自ずと気は引きしまる。

「そういう顔はしない方がいい」

 もっとも多少気負いすぎたようで、真壁から忠告を受ける。あの日、市長の発言を地下の相談室に持ちかえるなり、改めて無関心を装おうと確認したにも関わらず顔をつい強ばらせてしまったらしい。対照的に真壁本人は見事なまでの無表情だ──単にいつも通りにしているだけとも言えるが。ともかく足を引っ張るようなマネをしてはならぬと思い、これはあくまでよその課が開催する会議なのだ、生涯学習課や相談室はオブザーバーに過ぎないと僕自身に言いきかせているうちに地域安心課の係員が立ったまま口を開く。

「それでは、会議をはじめます」

「えー、皆さま年の瀬も迫るお忙しいところ、真にありがとうございます。形式的な話は抜きにして、さっそく本題に入りたいと思いますが……」

 それから地域安心課長の挨拶がはじまったのだが、この課長、雰囲気がどこかちぐはぐで、中肉中背の容姿にも関わらず市の防犯安全を所管する課の人間に相応しからぬ頼りなさを醸しだしている。司会に入っても声はまるで半分ほど魂が抜けているように小さい。

「この事件について、まずは庁内の関係各課の意見といいますか、考えうる対策案をお伺いしたいと思います。それでは市民協働課さんから」

 逆に市民協働課長はスポーツマン然としたがっちり型の体格で声が太く、高い身長とも相まって堂々とした印象を受ける。かなりのしたたか者であるともっぱらの噂だ。

「私どもは、すでに町内会長さんと連名で件の被害届を火床警察署さんへお出ししました。地域安心課さんにもお名前をお借りしておりますから、ご存じのこととは思います。それからすでに本日の会議開催が決定した段階で、防犯カメラの設置を地域安心課さんに提案しようと協議いたしました。ご賛同いただければうちの課はこの辺で」

 発言の要旨だけを抜きとれば、模範的な答えではある。しかし言葉のはしばしに、はじめに被害届を出したのは自分たちである、さらに次の手も打った、すでに対策は取っているからあとは地域安心課がやりなさい、との意思表示が込められているように聞こえる。

「えー、それでは他の課はいかがでしょうか」

 官公庁では会議を開くとしても、事実上の意思決定はその主催者によってあらかじめなされているケースが多い。意見交換の内容よりも、会議によって意思決定を行ったという事実の方が重要視される。あるいは会議を主催する課が幾つか案を示し、出席者で決を取る。もちろん例外もあるが、その場合でも会議の流れを台本にでもしてあらかじめ作っておくのが基本だ。しかし地域安心課は職員全員が苦手としているのか、多忙により手が回らないのか、いずれにせよそうした準備を一切していないらしい。そのせいでしばし沈黙が流れる。誰も本題に触れたがらず、互いの出方を窺う中でやや間を置いて市民協働課長が声をあげた。

「では、庁内で言えば教育部の方々はどうですかな? 関係課も多いし、事件の現場は小学校も近い。たとえば生涯学習課さんは何かありませんか?」

 単に司会の補助をしようというのではない。大柄な風貌に相応しい押しの強さに任せ、会議の主導権を掠めとろうとしている。本来なら地域安心課がいの一番に自課の意見を述べるべきところ、煮え切らない態度に耐えかねたらしくうちの課に話を振ってきた。

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