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こちら子ども電話相談室  作者: 新宮義騎
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一 おまわりさんこっちです ③

 その夜、風呂からあがった僕は髪を乾かしながら昼間のごたごたを思いだしていた。一日に幾つも色んな課を飛びまわったのはいつ以来だったか。以前の所属部署ではあれくらい珍しくなかったはずだが、人間、暇になると多少の忙しさにも耐えられなくなるようだ。

 とはいえ、相談室にいる以上は何が起ころうと気楽でいられる。持ちこまれた話が多少の騒ぎになったところで、よその課に繋げばそれで終わり。家に帰れば、明日の仕事を心配する必要はなくなる。いくら公務員とはいえ、こんなにも恵まれた職場は火床市役所はもちろん、どんな長閑な村役場にさえおそらくないだろう。

 一人暮らしで手慣れた家事はとうに済ませてある。ドライヤーを置き、歯を磨いた後でコタツに入り、時計が深夜零時を回る頃にパソコンのスイッチを入れた。USBで接続したブルーレイのハードディスクには、平日だけでは見切れないほどの量のアニメを撮りだめしてある。仕事やその他の雑事から解放された僕は、こうして日常の喧噪を離れ至福の時を過ごす。他の何も替えがたい神聖にして侵さべからざる時間だ。モニターの向こうで動きまわるのは、絵柄に多少の違いはあれどいずれも瑞々しい美少女たち。選りぬきのイラストレーターにデザインされた彼女たちがときに画面中を駆けめぐっては目を楽しませ、心地よい声で僕の耳を癒してくれる。

 三本ばかり視聴するに、改めて感心させられるのは作品の出来のよさだ。今期は豊作といえる。日常系にSF、ファンタジーとジャンルごとのバランスが取れているのもよい。そんな風に満足できた日は、キーボードを叩く指の動きも自ずと軽くなる。僕は市役所の誰にも知られないように、アニメ批評を主としたブログを運営していた。そこで特に気に入った作品は画像を貼り、ストーリーの流れだとか、声優の演技だとか、作画の崩壊だとか、水着回や温泉回の善し悪しだとか、バストの揺れ具合がどうこうとかを無責任に論評するのである。公務員だけにブログ収入が得られないせいで運営は個人的趣味の範囲に留まっているものの、少しは閲覧してくれる人はいるらしくコメント欄には幾つか書きこみがあった。ちなみに、僕はここではファルコンと名乗っている。安直ながら〝隼人〟の本名のうち隼の一文字を取り、英語に換えたハンドルネームだ。隼人なる名前の持ち主は日本にごまんといるだろうから、ここから正体がばれる心配はない。

「管理人ファルコンさん毎度サンクス」

「ペロペロ」

「うっはwwwエッロwwwww」

 だいたいが匿名であるのをいいことに己のリビドーを発散する類の呟きだが、何であれ誰かがブログを見てコメントを残してくれるのは嬉しかった。またすでに放送された作品のレビューばかりでなく、各種メディアから情報を収集して来期のアニメも紹介している。特に来期からはじまる『朝起きたら俺がいきなりモテはじめたのはおかしい』は、ライトノベルにありがちなやたら長くまどろっこしいタイトルではあるものの、監督をはじめとするスタッフや声優陣からして期待できそうな作品だった。是非プッシュしておこう、と思ったところで耳障りなこと極まりないエンジンの爆音と叫び声が聞こえてくる。

「ヒャハアー!」

「オラオラオラ」

「キャーッ、アッ、キャアー!」

 ほとんど人語と解しかねる、動物の雄叫びに近い嬌声の主は紛れもない暴走族だ。日本ではとっくの昔にほとんど廃れ、サブカルチャーの世界ではレッドデータ入りしているはずの暴走族がこの地方ではまだ生きのこっている。僕は窓を開け、奴らが聞こえない程度にボリュームを絞って叫んだ。

「バーカ!」

 それからまた素早く窓を閉め、鍵をかけてカーテンを閉める。僕をこのような行動に駆りたてるのは、単に楽しみを邪魔されたからではない。あの手の輩が同時に流すのが、ヤンキー臭く汗臭い容姿の男で構成されたダンスボーカルグループの楽曲と馬鹿の一つ覚えのように相場が決まっているからである。楽曲の価値を全否定はしないまでも、外出すると嫌でも耳に入るので飽きあきするのだ。多少は古くても、もう少し骨のある選曲はできないものかといつも思う。

 そしてそれ以上に腹立たしいのは、個人的には暴走族など可能なら絶滅させてやりたいと考えているのに、少なくともこの火床市一帯では存在が比較的容認されている点だ。さすがに社会的地位を獲得するまでには至らないとはいえ、同年代の人間は同級生の一部がああなるのを仕方ないと考えており、一定以上の年齢層はあれを二十歳前後を迎えればそれなりの割合で経験する通過儀礼のようなものだと受けとめている。市職員の中にさえ、過去に暴走族であったことを妙に誇示する者がいる。まったくもって理解できない。

 いや、理解できないのが暴走族だけならまだましだった。市職員が熱を入れるのも決まって草野球に草サッカー、テニスなどの健全なアウトドアや乗用車の購入といった消費行動ばかり。アニメの話をしようとする者は他に誰もいない。同期にさえ趣味の合う者はおらず、僕にはそれらの何が楽しいのかがさっぱり分からないのである。

「そこの車とバイク止まりなさい、車とバイク止まりなさい……」

 遠のいていくエンジン音とわめき声の後ろから、追跡する交通機動隊の停止命令が聞こえ、やがて辺りに再び静けさが訪れた。気を取りなおしてカレンダーにも目をやる。今は土曜の深夜であり、世間一般では月曜が始まるまで休みは丸二日間だけだが、僕は以前によその課の手伝いで休日出勤した代休も含め月曜から水曜に三連休を取得していた。つまりは都合五連休で、思う存分に部屋で引きこもり趣味に没頭できる。もっとも相談室で休暇を取るのはお互いさまで、真壁も同じように連休を作って心身を休めていた。他ならあり得ない出勤状況でも業務が成立するほどゆるい環境なのだ。ゆえに連休明けに仕事が溜まっていたなどという事態は決して起こらない。僕は再びコタツに入り、パソコンのキーを叩いた。


「おう、俺の貯金、勝手に取りやがったのはテメエだな?」

 穏やかな連休を過ごし、久しぶりに庁舎に足を踏みいれた僕を出迎えたのは男の怒鳴り声だった。五階で出勤簿を押して相談室に戻る途中、騒ぎのする方を覗いてみると納税課で市民が暴れまわっている。まるで休みボケの人間を目覚めさせんばかりの賑やかさだ。

「はい。私ですが」

 うちの市で納税課に配属される職員は、格闘技経験者が多い。このとき応対したのはアマレス出身の経歴に相応しく筋骨隆々とした体躯のうえ、髭剃りのあとも青々と濃い同期の龍田だ。対して騒いでいるのは五十過ぎと思しき痩せこけた男である。難癖をつけられる謂われはまったくなく、なおかつ真っ向から喧嘩をしても勝てないくせに威勢だけやたらいいのは市職員が絶対に手を出してこないと分かっているからだ。まさに卑怯というほかはない。

「さっさと元に戻せ!」

「出来ません」

「出来ねえとは何だ! ありゃあ新しいクルマ買うのに貯めてたんだぞ!」

「しかし市県民税と固定資産税が滞納になっております。そちらをご納付いただければ差し押さえを解除します」

「そんな金ねえって言ってんだよ! テメエ、税金で食ってんだろ! 少しは市民に配慮しやがれ!」

 僕はそこで騒動の場をあとにした。こうした手合いは決まって二言目には人件費が税金から出ていることを上から目線で指摘する。何と当たり前の事実を口にするのか。行政機関の運営を機械に任せられない以上、人件費が発生するのは必然の成りゆきだ。職員は霞を食べて生きる仙人でもなければ、必要な労働力が四次元だか五次元だかの構造をしたポケットから無限に出てくるわけでもない。行政はごねれば何でも言うことを聞いてくれる二十二世紀のネコ型ロボットではないのである。まさかフィクションと現実の区別がつかない年齢ではあるまい。この類のクレームを目にするたびにいつも首を傾げてしまう。

 ともかく僕とは無関係な問題で揉めているいつもの市役所だ、と何を考えるまでもなく相談室の扉を開けると、待っていたのは後から出勤した真壁の意外な一言だった。

「広瀬くん」

「悪いね、連休あんなに取らせてもらせちゃって……」

「いいんだ、それよりも報告がある。またお地蔵さまがイタズラされたぞ」

 先ほど朝の挨拶に生涯学習課まで出向いたときは、課長や室長はすでに会議で不在だった。本来ならそのときに聞かされていただろう。始業時間前でまだ空席が多かったにせよ、思いかえせば教育部の何人かがちらちらとこちらを見ていた気がする。

「本当? いつの話?」

「一昨日」

「場所は?」

「君のときと一緒だ。巴町の例の交差点。小学校の近く」

「イタズラっていうのは、やっぱり縛られてたの?」

「見てみれば分かる」

 僕が立ったままカバンを傍らへ置く間に、真壁がノートパソコンを起動させてこちらに向ける。モニターに映しだされた写真から判断するに、お地蔵さまが受けたイタズラは縛られ方からロープの色や材質まで先週のそれと寸分たりとも違わない。お地蔵さまの件はてっきり解決したと安心しきっていたものだから、正直いって驚いた。

「見つかったのは朝?」

「朝だそうだ。今度は町内会長さんも朝一番に、市民協働課まで電話してきたらしい」

「こっちの対応は?」

「警察と連絡を取って、お地蔵さまが入っている上屋に防犯カメラを設置するようだ」

「それだけ?」

「君の方がよく知っているだろう? 俺も確認に連れていかれたが、警察との窓口はすっかり地域安心課になっている。そのときも警察官が写真を撮ったあと、ロープを回収して帰っていったよ。それ以外にこちらでできることはないね」

 外に引っぱりだされた真壁を気の毒に思うも、すでに対応がよその課に移っていることの方を僥倖と捉えるべきだろう。あれはどう考えても相談室以外の管轄だからだ。もっとも市職員全員がこの事態を無視できるわけではない。真壁も状況は理解しているようで、ぼそりと呟きながら今度はインターネットのニュース記事を開いてみせる。

「地域安心課も大変だな」

 そこには各社とも地方カテゴリに分類し、いずれも同じ内容ではありながら、しっかりと写真つきで件のイタズラが行われた旨の記事を掲載していた。

「こうまで記事に出た以上は議会でも何らかの形で言及される可能性が大だ」

「まあね。僕もそう思うよ」

 先週、野々村先輩がぼやいていた市議会の本会議は今日から開かれる。誰かしらの耳に入った時点で、お地蔵さまの件に触れる議員は現れるだろう。マスコミで報道がなされたとなれば尚更である。それがたとえ今モニターに映しだされている記事のように文面から深刻さが窺えず、半ば面白おかしくからかうような珍事件扱いでもだ。

「でも、質問も答弁も決まってるだろ?」

 議員が事前通告する質問は、一定の期限をもって受付が締め切られる。その期限を質問通告締切といい、以降は通例的に内容を変更しない。本会議が始まるまでに、行政サイドと議員で質問内容と答弁の擦りあわせを行うからだ。そして本会議当日は、実際、ほとんどその通りに質疑応答がなされる。市に限らず、県や国も議会などというのはどこもこうして台本の書かれたある種の学芸会であり、悪い言い方をすればブックのあるプロレスとも表現できる。ひどい場合はただの朗読会になる。よって心配はないはずだが、真壁は違うらしい。顔全体の表情は乏しいながらも、わずかに眉間に皺を寄せている。

「建前上はそうだが、関連する質問で議員が騒ぎださないとも限らない」

「だって窓口は地域安心課だって……」

「うちの課に出番が回ってくる可能性はある。子どもたちの安全が云々とか言われて、外回りをさせられるかも知れない。ちょっと近くに小学校があるわけだから」

 相談室の属する生涯学習課には、児童生徒の安全関係を所管する青少年係がある。通常業務だけでもまあまあ忙しい。よって手伝いという形で、僕たちにもお鉢が回ってくることは十分に考えられた。

「何とかうちの課に出番が回ってこないようにできないかな?」

 議会がらみで面倒な問題に巻きこまれるのは嫌だった。議員から標的にされると一気に忙しくなる。内容によっては事故とも呼べるような目にも遭う。国であれ県であれ、むろん市町村でさえ議員は職員の負担など省みない。自らの要求を通すには、メチャクチャな無理難題さえ押しつけてくる。職員は自分たちの思いどおりに動く道具としか見ていない。そんな例をこれまで何度も目の当たりにしてきた。僕は相当に嫌そうな顔をしていたのか、真壁は形だけではありながら珍しく謝罪を口にした。

「不安を煽ったのなら悪かったが、真剣に考えたところでどうしようもない。あくまでここは子ども電話相談室。基本は子どもたちからの、それ以外でも些細な疑問の問い合わせに答える教育部のいち課内室だ。万が一、騒ぎだしたとしても俺たちに回答は求められない。議会で発言するのはふつう課長までだ。まあ、これが委員会だったら話は別だが」

 市議会には本会議のほかに、個別の案件について詳細な審議を行う委員会がある。こちらは本会議とは対照的に台本なしのガチンコ勝負が繰りひろげられる。

「よその自治体だけど、この記事なんかにはこんど府知事の追求に百条委員会を設置するとある。こうなったらそれこそ大変だろう」

 本当だ。真壁が開いてみせたノートパソコンのモニターには、その旨が比較的おおきく映しだされている。ちなみに委員会には複数の種類があり、文字どおり常時設置される常設委員会と、そのときどき必要に応じて設置される特別委員会がある。百条委員会はそのうち後者のひとつで、特に激しいやりとりがなされる場合が多い。主に議員や行政の不祥事を追求するのだから当たり前だ。

「ただ、今回はその恐れはない。それにうちの課が動くことになっても、青少年係が中心になるはず。もし相談室に何らかの出番があるとしても、あくまで手伝いさ。重ねて言うが、俺たちは黙っているしかないんだぜ」

 言われてみれば、僕たちに何ができるわけでもない。仮に議会事務局へ掛けあえば公表されるより早く質問内容を把握できるかも知れないが、下手に動いて議員から目をつけられては本末転倒だ。それよりは静かにしておいて、存在を忘れさせたままでいた方がはるかに得策だった。何しろ子ども電話相談室は、半ば存在しないも同然の扱いなのである。積極的に言及する議員などいようはずがない。むしろ僕の方が先にこれは地域安心課の仕事だと考えていたはずだ。今日はやけに気の回る真壁の発言に過敏に反応し、単に一人芝居をしていただけだと思いなおしてようやくパイプ椅子に腰を下ろし、真壁に向かって首を縦に振ってみた。

「そうだね。たしか沈黙は金とかいう格言があった。今回はそれに従っておこう」

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