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こちら子ども電話相談室  作者: 新宮義騎
1/42

一 おまわりさんこっちです ①

「もしもし、こちら子ども電話相談室です」

 ボロ市庁舎のタコ部屋に、可愛いげのない男の声が響く。電話の応対は悪ふざけではなく、かつて放送された同名のラジオ番組が復活したわけでもなく、ましてやそのために部屋を貸与したためでもない。

 ここは関東地方某県の火床(ほど)市、その教育部生涯学習課内に設置された子ども電話相談室。前市長が娘の夏休みの宿題を手伝わせるため、事実上の私用で設置した課内室である。当然ながら当初から批判はあり、市長交代時に廃止が検討されたが、当時配属されていた職員の後ろ盾だった議員の主張により存続となったいわくつきの部署だ。したがって積極的に関与しようとする者はなく、宛がわれた部屋というのも教育部の大部分が事務室を構える五階から遠く離れた地下一階に所在するのみならず、書庫を改装して拵えられ常時ホコリの浮くコンクリート打ちっぱなしという大変に不清潔かつ粗末な次第となっている。

 そしてその憐れな部署に追いやられた職員が二人いた。うち一人が入庁して六年目の僕、広瀬(ひろせ)隼人(はやと)。去年、直属の係長がタバコのポイ捨てをしたのを注意して以降パワハラを受け、二週間ほどの年休取得を経てめでたく異動となった。もう一人が僕が受話器を置くと同時に扉を開けて入ってきた、どちらかといえば背が高く、痩せ型で色白、顔も造作ははっきりしているのに妙に存在感のない男。

「悪いな。電話を受けてもらって」

 名前を真壁(まかべ)和泉(いずみ)という年齢は二十九と一つ上の同期で、聞くところによると前所属で先輩職員から不当に低劣な扱いを受け、それを含めた彼らの悪行を異動希望時の自己申告書にて切々と訴えたところ、内容は本人の不利にならないと文書に記載されているにも関わらず、何の因果かここへ異動させられたという経歴の持ち主だ。言うなればどちらも正義の行いが仇となり、早々に出世の道が断たれ窓際族最有力のレッテルを張られた鼻つまみ者となったわけである。僕たちの前任者は二人とも箸にも棒にも引っかからない、それでいて議員とお友達という点だけが強みの定年退職間際のヒラ係員だったと聞く。その後釜に据えられたとなればどのような扱いかは想像できよう。もっとも、不満ばかりが募る職場ではない。

「大したことないよ」

「代わりに俺がその手紙をやっとく」

「なら頼むね」

 まず一つに、市民はおろか同じ部屋に他の職員がいないおかげで気を遣わずに済むのが助かる。真壁は無愛想、無表情で取っつきにくく、上司以外に対して言葉づかいがぶっきらぼうなうえ、躁鬱病の気が多分にあるせいで集中力を欠いて言動が覚束なくなるときがあるとはいえ所詮は同期だ。慣れればまったく気にならない。それどころかそこそこ調子のよい日は、緩い癖っ毛を手櫛で掻きわけるなどやる気のない仕草を見せつつも、僕の机の散らかりようを目にしてちょうどよい具合に仕事を引きうけてくれる。

 また、妨害らしい妨害はほとんど受けずに与えられた業務をこなすだけというのがこの上なく楽でもある。しかも業務内容は市民からEメールや手紙、電話で寄せられる問い合わせに一応はまっとうな答えを返すだけ。たとえばちょうど今しがた終わった、年配の女性からの電話は次のような質問である。

「私が生まれた袈裟村は、今でいえば市内のどこからどこまでに当たるのかしら?」

 今や日本国中、市町村合併が進み昔の地名はなくなりつつある。人間、お歳を召すと、幼少期の記憶や出来事に興味を向けやすいらしい。こうした疑問は幾つか寄せられているため、手の届く距離に市史を置き、該当箇所に付箋を貼っておいてある。回答はその部分を読みあげるだけで足りる。

 文書による問い合わせが来ても対応に困る例は稀だ。僕の目の前にある決して厚いとは言えないファイルにそれらが綴られているが、一つひとつがいずれも薄い起案文書は決裁がいかに少ない添付資料で事足りるかを物語っている。たとえば最後尾の一通は、こちらもある程度のお歳の男性による達者な字で(したた)められたお手紙だ。

「うちの町内にある八幡宮は、どうしてあの神様を祀っているのでしょうか?」

 これなどはかなり昔に文化課がまとめた資料を書庫から取りだし、必要な部分を丸写しして決裁を取るだけで十分な答えとなる。地方ではある程度の暇が出来ると、郷土史や寺社仏閣関係に目がいきがちなようでこの類の質問も多い。むしろ寄せられる疑問は、ほぼこの二種類に大別されるといっても過言ではない。

 そう、ここは子ども電話相談室であるにも関わらず、当初の設置目的とは裏腹にお年寄りからの問い合わせが大半を占めていた。少子高齢化の進んだ現在ではやむなしと言える。現在はインターネットで検索すればだいたいの調べものはカタがついてしまい、わざわざ手間をかけて市役所の教育部に相談する児童生徒などいないのが実情だった。むしろ一口に子どもといっても未就学時の純粋な──ときに親が対応を丸投げした疑問の方が返答に困る場合が多い。たとえば同じファイルの先頭に綴られている手紙がそれだ。

「赤ちゃんはどうやって出来るの?」

 こうした純真無垢な知的探究心の扱いには、当初たいへんに苦慮した覚えがある。ただ、これも最終的に僕たちは哺乳類全般の話と前置きしたうえで、生物学と獣医学の専門用語を駆使して思いきり詳細に答えてやることにしていた。

 これらの単純な作業を繰りかえす日々は実に平穏と言える。質問の主が子どもであろうとお年寄りであろうと、内容はどれも利害関係とは縁遠く血眼になって取りくむ必要がないからだ。結果的に業務の中身は生涯学習課というより文化課の雑用に近く、もともと責任が軽く所在も曖昧なうえ、教育部内の手伝いにはよく狩りだされるとはいえ残業も昨今の公務員にしては珍しく少ないのが何よりありがたい。だからこそここは療養休暇からいわゆる社会復帰までの繋ぎとなる更正施設たりえており、よその課では信じられないほど恵まれた好環境にある。仮にパワハラがなくとも業務量がやたらと多く、平日になかなか余力を残せなかった前配属先と比べれば雲泥の差だ。したがって昼前にも関わらず、すでに僕の頭は数少ない趣味のひとつであるアニメ鑑賞のことで一杯になっていた。

 そんな風に定時を待ちわびていると、またも電話のベルが鳴りひびく。ちなみにこの電話は今日一般的なプッシュ式ではなく、穴に指をかけて回すダイヤル式の、リリリリと耳につく金属音が呼びだしで鳴るレトロな黒電話である。もはや好事家の間でときに奪いあいとなるこの稀少品は、ここ市庁舎地下の一室では倉庫の奥から引っぱりだされ廃品を再利用するも同然の形で使用されていた。

「何だ、またか。今日は多いな……」

 真壁は資料を探しに部屋の奥へ行ってしまっている。僕が取るしかないようだ。

「もしもし、こちら子ども電話相談室です」

 だがそう名乗るや否や、受話器からはじめ真意を掴みかねる言葉が飛びこんでくる。

「ああ、市役所さんけえ、大変だ。お地蔵さんが赤い縄で縛られてるんだ」

 単語の一つひとつは耳に入ってくるものの、今ひとつ状況が理解できない。声や喋り方から察するに、電話主は年配の方らしい。やや動転しているせいか、何をどう言えばよいか迷っているようにも聞こえる。なぜこの相談室に電話してきたのか不透明な以上、ここは僕の方から意を汲んでより具体的な情報を引きだしておくべきだろう。

「それは何か行事とか、おまじないみたいな感じですか」

「さあ、どうだか。ただ俺は前に見たことねえから、こうして訊いてるんだけども」

 もしそうであればこの相談室の所管かどうかは多分に怪しい。とはいえ、別の部署に回すべきか否かも判断がつきかねる。さらに詳細を訊ねてみねばなるまい。

「どんな風に縛られてるんですか。胴の部分をひと回りですか、ふた回りですか」

「そうじゃねえんだ。なんつったか、前に何かで見た、そうだ、亀甲縛りだ」

「本当ですか?」

 僕は耳を疑った。俄には信じられず、思わず声が裏返ってしまう。電話主は何かを見間違えたか、勘違いしているのではないか。相談室に配属されて八か月あまり経っていることもあって、市内の文化財や歴史等はおおよそ頭に入っている。しかしそんな誰の目にもつく風俗習慣は記憶にない。真壁も何事かと市史を片手に書棚から身を乗りだしている。

「嘘だと思うんなら、来て見てもらえば分かる」

「今はどちらにいらっしゃいますか?」

「巴町の、小学校からけっこう近い交差点だ。分かるかなあ、一角に幼稚園があるんだ」

 いくら僕でも、市内の地理くらいはだいたい把握している。

「今から参ります。お手数ですが、そちらでお待ちいただけませんか」

「ああ、でも早く来てくれ。もう十二月だから、寒くて……」

「急いで行きますから、待っていてください」

 この時点では、果たして相談室の所管かどうかは相変わらず不明なままだ。だがこうした場合、下手にたらい回しにすると市民からいらぬ不興を買う場合がある。おそらく代表電話の番号にかけ、交換手にお地蔵さまがどうこうと告げた時点で即座にここへ繋がれたに違いない。電話主の名前と携帯の番号を控えた後、急いで電話を切った。すでに異常を察知した真壁が、椅子に座りながらこちらの様子を窺っている。

「どうした?」

「お地蔵さまが、亀甲縛りにされてるそうだ」

「何だって?」

 真壁は何かの聞き間違いかと思ったらしい。僕自身も何を言っているのか信じられないが、今しがた市民から寄せられた通報そのものを口にしたつもりだ。どんな怪訝な顔をされたところで、ありのままを答えるしかない。

「だから、お地蔵さまが亀甲縛りにされてるらしい」

「イタズラ電話じゃないのか?」

「どうも違うみたいだ。僕は急いで現場まで行ってくる。悪いけど真壁は電話番を」

「分かった。帰ったら詳細を聞かせてくれ」

 僕はすぐに席を立ち、部屋を出て階段を駆けあがりエレベーターに飛びのる。こんなおかしな問い合わせは初めてだった。正確に言えば、過去にも奇妙な質問や要望はごく少数ながら寄せられてはいた。たとえば市内に墓が所在する著名人の名前は現世を忍ぶ仮の名前だから、表記を変えてくださいなどといった自称霊媒師からの要望である。他にも愚にもつかない、相手からしてまともに取りあう必要のない質問も幾つかあった。しかし今しがたの電話の主は、声から察するに切羽詰まっており真剣だった。だいいち名前や連絡先まで名乗っている以上、イタズラの類ではなさそうである。五階に着き、雑物の置かれた明らかに消防法違反の状態にある廊下を通りぬけると、カウンターから離れた奥の席に座る子ども電話相談室長へいの一番に声をかけた。

「室長、よろしいでしょうか」

 子ども電話相談室を統括するのは横澤圭室長である。相談室の唯一の係である相談係長と、日ごろは課長の補佐も兼務していた。まだ四十前にも関わらず、すでに副参事級の管理職に就いており、配属部署の性質はともかく背の高い爽やかな風貌も含め絵に描いたような庁内のエリートである。

「何かな?」

 おまけに性格も温厚、物腰も柔らかい。かといって何に対しても怒らないわけではなく、問題があれば男女かまわずしっかりと注意をする公明正大な奉職意識の持ち主でもある。その公正さは根性の歪んだ女子職員から、室長が独身であるというただそれだけの理由でゲイ疑惑を囁かれるほどだ。ともかく室長を信頼している僕は、目の前に立つときなど背筋を伸ばすようにしてみずから態度で敬意を表すよう努めていた。

「市民から問い合わせがありましたので外出します」

「電話じゃ解決しないの? どんな問い合わせ?」

 それだけにこの当然の質問は非常に困る。たしかに相談室に過去よせられた質問の中で、外回りの必要に迫られた例はひとつもない。外出となれば、まずは経緯を報告するのが筋だろう。しかし問題があった。庁舎内はすべてが課ごとにブースで区切られているわけではない。特に教育部内はフロア一帯が共用となっており、生涯学習課の隣には学校経理課がある。のみならず、同課には教育部における全男性職員の憧れの的と表現しても過言ではない美貌の持ち主である野々村先輩がいた。

「実は……」

 それとなく声を鎮めて答えるも、室長は聞こえないらしい。折悪しく、庁舎の出入口付近ではここ数日間にわたって床面の改修工事が行われている。このときもドリルの音がボロ市庁舎を小刻みに揺るがしていた。

「何だって?」

「ですから……」

「ゴメン、はっきり頼む。窓が近いから、工事の音が大きくて聞こえないんだ」

 室長は本当にいい人なのだ。こうして僕が口ごもっていても急かすような真似はせず、わざわざ仕事の手を止めてくれる。厄介者である僕たちの直属の上司が、これでろくでなしだったらもう救いがない。善意には誠意で応える良識くらいは持ちあわせている。僕は乱れた前髪を整え、ずれたメガネの角度を直し、思いきって声のボリュームをあげた。

「市民から、お地蔵さまが亀甲縛りに遭っていると連絡がありまして」

 案の定、野々村先輩にばっちりと聞こえてしまったらしく、いちど目を大きく見開いた後でいかにもおかしげに口元を押さえる。室長をはじめその場にいた教育部の職員もみな同様の反応を示し、中には腹を押さえて机の上で転げまわる者までいた。

「分かった。行ってきてくれ」

 フロア中が一斉に笑いに包まれ、それがひととおり笑いが鎮まると、室長はご丁寧にも車の鍵とカメラを引き出しから出して渡してくれた。

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― 新着の感想 ―
[一言] 決裁の場面も、中の雰囲気の描写も、現実的ですね。ちゃんと悪いところも、でも悪い人ばかりでもなくて、だから読みました。最近、公務員の裏かたで、除霊系のがありますが、自分が臨任で嫌なこともあった…
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