五位相当、罷り通る!
記号表には載っていない元素、鬽素。これを注入することにより獣は魔獣、人間は魔人、そして力をつけると妖術を使う鬼人となり、人を糧にして生きるようになる。
1927年。若くして命を落とした女、神辺叡見意ことエイミーは鬼人に生まれ変わった。自分を鬼人にしてくれた鬼人の頭領の役に立つという使命を抱き、奮闘する。そこで階級上位の鬼人は殿上人と呼ばれることを知り、周囲から訝しまれながらも殿上人を目指しだす……
一方鬽素を注入された生物の処分を行う新生新撰組では、鬼人に家族を殺された少女のマトを筆頭に討伐を活発にしていた……
完全を目指せ。
生きた証を残せ。
……本当に大事な人のお役に立ちなさい。
浮遊感のある暗闇に包まれていたけど、その言葉に送り出され意識が閃いた。目を開けると、影色の木の枝が天を覆っていた。地に伏していた手の指を動かすと、鋭く伸びた爪が枯れ葉を刺す。今の自分の姿は見ていない。しかし、なんとなく鬼人になったのだとわかった。
鬼人は常識では許されない存在、睡眠を必要としない、老いも病気もせず怪我はすぐに治り、その上妖術を使う尋常ではない生物だ。人間を圧倒する能力を持ちながら、飢えると枯骸となり、鬼人として生きた歳以上に日光を浴びる、個体ごとに違う部位にある生命線を断たれると死ぬ。完璧になりきれない哀れな存在だ。
鬼人となったならば会いに行かければ。尊いあの方に……
今すぐ向かってもいいのだけど、今の身は心許ない。適当に人間を喰ってからにしよう。冷えた地面から体を起こすと荒い手つきで体の枯れ葉を払い、鬼人らしい営みに胸を高鳴らせ、赤い夕日を背にかけ出した。
道なき道を駆け下りると、木々の隙間に麓の人里が見えてきた。冷めた夕空の下、女が一人歩いていた。周囲に人の姿はなく、一番近い家々も田を挟んで建っている。今しかないが、人を食べるなど尋常ではない。流石にためらう……と思いきや、心臓が後押しするように脈打つ。次には大きく踏み込んで飛びかかっていた。首に食いつき、高い叫び声が震響する。私は無意識の内に女の頭に手を回し、力強く横に押すと、首を口にしながら茂みへ引き摺り込んだ。女は口を動かすばかりで喉を震わせることができなくなっていた。
一人食べ終えても満腹になったとは思わなかった。元が少食だったため期待していなかったが、なかなか優秀ではないか。気を良くした私は骨を残してその場を去る。ふと、どこかに向かわなければいけない気がしてきた。曲がり角や細い路地など選択肢があると気の向く方を行く。突き動かされる様にして進み、開けた場所に出た。
都に比べて密度の低い街灯の下で魔人と人間が戦っていた。人間は特別強いとは言えないものの戦い慣れしているらしく、魔人たちは苦戦させられている。一人食べただけの鬼人だが、同胞の邪魔は放っておけない。相手は少し強い方が記念すべき初陣に相応しいだろう。こうしている間にも人間が魔人に刀を振り下ろさんとする。背後から不意を突くように入ると、振り上げた後ろ手が人間の刀にぶつかる。食いこんだ刃が指の間を痛めつけるが、魔人が斬られるのは阻止できた。
突然入ってきた私に魔人も人間も目を向けたが、一人が魔人を他の者に任せ私に対し構える。殺意を持った人間に挟まれたが、後ろの人間による刀の足払いを回って避け、向かい合うと前屈みに飛びかかって地に倒した。鋭い爪で頸動脈を素早く横に裂くと、振り向き様に刀を左腕で防いだ。腕をなぞった後の刀に困り、一先ず飛びのく。人間は流れるように刀の向きを直すと間も無く突きを繰り出してきた。考えなしに退くと尻餅をつき、頭上に刀が迫る。左腕の切り傷も治っていた私は、刀の横っ面を叩いた。手の付け根近くに食い込もうと知ったことか。鬼人ならばそのままバネのように起き上がることも出来る。人間は横に振れながらも見事着地し、向き直ると正眼の構えで睨む。お互い様子を伺っていたが、力で勝る鬼人なのだから時間がもったいない。こちらから行ってさっさと片付けてしまおうと、伸ばした爪先を頭へ飛び込ませる。これで額を押し潰すかと思われた。
しかし爪先に応えはなく、頭に根を広げるような鋭い痛みが走った。とっさに腰を引いて砂利を擦りながら退く。顔を上げると血の付いた刀の切っ先が私に向けられていた。馬鹿な、頭に振り下ろすなら構えを直す必要がある。そんな様子など見えなかったし、そんな間もなかったはずだ。私の足を避けた上、鬼人の目を置き去りにする速さで構えを直すことができるのか……!?冷たい汗と熱い痛みに挟まれながら硬直する。そんな痛みも鬼人の回復力にかかればすぐさま消え、更なる力で人間を叩きのめすことにした。自分の中の感覚に従い浮かせた両腕を振り下ろせば、風が味方するように飛んだ。逆立ちながら両手を差し向ける私を人間は横にした刀で受け止めようとする。真っ逆さまだというのに頭の中はぶれず、人間の頭に手をつくと爪を立てながら翻った。鋭い爪は骨に引っ掛かり強引に腰を反らせる。足を回し蹴ると人間は吹き飛んだ。電柱に打ち付けられ横たわった人間に飛び寄って、とどめに喉を噛んだ。
起き上がらないのを確認してから最後の人間を見やると、彼は雄叫びを上げて魔人を振り切り、鬼人さながらに力強く飛び上がる。人間もやればできるじゃないかと感心する余裕もなく、慌てて腕を振って飛び立つ。刀から距離を取り、顔が同じ高さに並び、後は人間が地に落ちるだけだと思った。しかし人間が空に刀を振り下ろすと、危機の風が迫ってくるのを感じた。腰を低くすると、後ろの電線が断たれた。信じ難い話だろうけど、斬撃が飛ばされたのだ。しかし鬼人がいるのだからそんなことがあっても不思議ではない。
民家の屋根へ身を寄せ息を潜める。下では人間が息を整えつつ私を探している。好機を捉え、光を宿してしまう目を閉じつつ屋根を滑り降りると、姿を捉えるため再び目を開く。見合ったときにはもう遅い。一直線に届いた手で頭を掴むと、引き寄せて膝を喰らわせる。動かなくなった人間の喉をかじり、これにて終いだ。
残りは魔人にやろうと思い後ろを振り返ると、魔人たちはすでに食べ始めていた。二つの肉を取り合い、余った一人の魔人は私から獲れないかと見つめていた。自分の分を背負いながら歩み寄り、二つの肉を指して目安を考える。中心で割った後、横に三等分して一二片の肉を作った。これで皆どの部位も食べられるし、残りの三片は有無を言わさず分配した。魔人たちは肉を黙々と食べ、私は人のいなさそうな場所を探し歩くことにする。すると魂を抜かれるように寒い心地に襲われ、思わず目を閉じた。
足が地についた感触がして、恐る恐る片目だけを開ける。暗闇で橙がかった光が薄く広がるだけで、両目でやっと光源である灯籠が見えた。
「そこへ直れ」
威厳のある声に引かれ、まさかと思い目を見開く。高貴な影があり、御簾の向こうからやんごとない気配がした。腰を下ろし、頭を低く伏せた。
姿は見えずともあの方としか思えなかった。
「先ほどの戦いぶりが気になってな。覚えのない鬼人だが、隊長格ではないにしろ強い隊士相手に良い立ち回りだった」
「お褒めいただきありがとうございます!」
褒め言葉に声が震える。しかしそれから無音の時間が続き、何かまずいことでもしたかと不安に駆られる。何かが振り下ろされ、不安は肯定された。
「返事をしろ。少し褒めた程度で浮かれるな」
「返事でありますか……!?感謝に打ち震えながら精一杯返したはずですが……」
肉塊になった私はまず、上半身を話せる程度に再生し、困惑しながら答える。
「それはその前のことで、私はさっき貴様にチキを出したぞ」
「申し訳ありません。チキとは一体何のことでありますか?」
これは非常識な質問だったようで、影だけでわかるほどに信じられないといった様子で肩を落とされた。
「チキが分からないのか?貴様の脳に直接言葉を送ったのだ」
「言葉などは全く……」
そうは言っても干渉を受けた覚えなどない。
「私は確かに出した。お前の脳に問題があるのだ」
影は顎を上げて断言し、指した扇を強く振った。
「……鬽素が足りていない可能性がある、か。」
心なしか左に控えていた鬼人へ向き、考え込む。
「よし、褒美ついでに鬽素をやろう。近う寄れ」
「ありがとうございます……!」
少し力が抜けながら、恐る恐る身を伸ばす。手首を出せと言われ、袖を引き上げて青白い手首を露わにする。御簾の隙間から青白く細い指が伸び出て、生前より浮き出た気のする血管を刺した。血が喜んでいるのか跳ねるように流れる。痺れと区別がつかず、手は痙攣し始めた。手を振り落としたいくらいだったが、頂いているのだから途中で止めることなどできない。逆の手で下から押し支えていると、あの方が指を引き抜いた。私の肉が引き留めるようにきゅぽっと音を立てて、穴からは血が膨らんだ。袖を下ろして手で圧迫し、崩れ落ちる流れで地に伏せて礼を言う。
「聞こえるか……」
それから間を置いて声が聞こえる。
「はい、聞こえます……」
「そうか、わざわざ口に出して返事する必要はない。やつらに聞かれては都合が悪い話もあるからな。これからは不用意に口を使うな」
鬼人は声を出す必要すら薄れているらしい。
また魂を引き抜かれる感覚があったが、不思議と苦しくはなかった。
次は質素な木の壁だった。照明器具は見当たらないが先ほどより明るく、周囲を見渡せる。
「よっ、あの方に呼び出されるなんてすごいじゃねぇか」
何かと思い振り向くと、後ろの柱にもたれかかる男が感心した様子で話しかけてきた。おそらく私と同じ鬼人の彼は古めかしい髷を結っていた。
「いやぁそれほどでも。鬼人になったばかりで勝手もわからず粗相をしてしまい……」
「鬼人になったばかり!?それでやらかしたのに殺されていない!?どれだけ期待されてるんだ……」
確かに圧倒的な力を持つあの方に生かされているのは幸運だ。
「お前なら殿上人になれるかもしれないな」
「殿上人?」
「あの方に会うことを許された鬼人だ。最低でも階級が五位はないとなれない」
彼は難しげに、どこか誇らしげに腕を組んで頷く。
鬽素を頂いてから鬼人の常識が掴めてきた。今の私は正八位上とすぐに思い浮かぶ。役に立てるなら何でもいいのだけど、階級を指標に励もう。





