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眠る鯨の腹の中

眠る鯨の腹の中

作者: 相上いろは

 旧東京綯交(ないまぜ)特別地域ろ区三丁目二番十四号。

 築百七十年弱のマンション『鯨の腹』はそこにあった。


 綯交特別地域の境界線手前にある東境界前駅で下車し、簡単な関を越え、特別地域内を走る電車に乗り換え、つい先程、電車で最寄駅の宵越し駅に着いた。


 改札を抜けた先では、甲高い声の動く死体と京言葉の獣人が口論をしているのを見掛けた。

 さすが綯交特別地域。通称、綯域(とういき)。地域名の通り、多種族が綯い交ぜだ。


 フリーターに優しい家賃の安さ、綯域という未知の世界への好奇心、傷害事件に巻き込まれて居心地悪くなった街からの逃避と、諸々の理由を胸に、僕はこの新天地に降り立った。

 綯域の内外は文化が大きく異なる為、外で不動産屋と契約が出来たのは幸運だった。日本の街中の不動産屋でアメリカのマンションの一室を契約したと云えば、近い話になるのかもしれない。まぁ、海外旅行すらしたことないので、探したこともないのだけど。

 何にしても、実に幸先の良い話だった。


 ……と、ついさっきまでは思っていた。


 しかし。しかし、だ。

 晴れた日、正午、駅から歩いて四十分、見晴らしの良い更地の向かい側、目的地の前に着いた時に、僕は言葉を失った。


「此処、なんだ、よな?」


 僕が契約した『鯨の腹』は、敷金礼金なし、広さもそこそこあり風呂トイレ付きで、家賃はなんと一ヶ月で一万円ろいう、明らかに何らかの事故を感じる値段の物件だった。


 そこは、かつてはそこそこの高級マンションであったが、百五十年超も前の大神災(だいしんさい)『女神の一撃』の際に少々破損して、放棄され、そこを別の管理者が賃貸物件として再利用しているのだと聞いた。

 だが、ここまで破損しているとは聞いていなかった。これを少々という言葉では、僕は括り切れない。


 僕の眼前にあるそれは、ほぼ崩れている塀の内側には、恐らくは居住用の建物があり、その周囲には、崩壊前は駐車場や駐輪場であったのだろう場所には、うっすらと瓦礫が詰まれている。

 肝心の建物は、七階建てと聞いていたが、最上階付近は見て判るほどに傾いていて、内部が真っ当な状態であるとは思えない。何階まで普通の部屋の状態を保てているのか。

 どう軽く見積もっても、半壊と全壊の中間くらいの様子だった。


 老朽化したとかそういう次元ではなく、正直此処を誰かが管理していて、インフラが整備されていているとは、とても思えない。何かが此処で暮らしているのなら、それは棲み着いたと云った方が妥当な状況なのではないだろうか。ともすれば、此処はやはり廃墟なんじゃないだろうか。


 綯域外にある不動産で契約した際に提示された写真では、値段に見合わないかなり綺麗なマンションだったのだが……外観の写真は随分昔のものだとは聞いていたし、綯域の建物については内見が出来ない等と云われていたが、それにしても、まさかこの有様とは。


 今、僕は、詐欺を疑っている。


 おのれ、腰は低かったのにやたら威圧感のあった美人な不動産屋め!

 しかし詐欺られた値段的には、あの笑顔とスタイルの良さに免じられなくもなくもないかもしれない。

 ……いや、いや。


 僕は辺りを見回した。

 隣接するマンションも古びているとは云え、これほどではない。幾らかマシだ。まぁ、老朽化自体はしている様子だが。いや、道中に竪穴式住居みたいのもあったから、多少の老朽化なら、この辺りでは全然まともな方なのかも知れない。

 駅前には確かに新築のマンションとかあったけど、あれは高い。あれは普通に高い。予算が足りない。


 そんなことを考え、マンションの敷地に入ることを躊躇していると、マンションのエントランスからではなく、外庭の方から音が、ジャリジャリという瓦礫を踏み越えてくる足音が聞こえた。


「ん? なんだァ、お前」


 振り向くよりも先に声が掛かり、遅れて振り向くと、なによりもまず、随分と太く立派な尻尾に視線が吸い寄せられた。


 その人物は、普通の人間同様に服を着ているものの、その姿は、そう、二足歩行しているトカゲだった。

 頑丈そうな鱗や、頭部と顎にある棘。なるほど、間違いなく異種族だ。だが、会話を始めとして、意思疎通には何の問題もなさそうだ。


「あァ、あァ? なんだァ、随分と大層な殺気じゃねェか……いや、お前じゃねェのか? ねェな。そんな感じじゃァねェな」

「さ、殺気!? 僕から!?」


 早々変わった難癖を付けられたかと思ったが、サラッと自己解決された様子。

 間違っても殺気なんて放っていない。放ち方を知らない。


「あァ、悪いな。勘違いだ。つゥか、あれか、お前が、あれか。今日、入居者が来るってミトが云ってたなァ。お前がヨタローって奴か?」


 顎を触りながらトカゲが云う。

 人間とはかけ離れた顔ではあるが、それでも表情豊かに、親しげに話し掛けてくる。


 取り敢えず、今すぐ取って食われるという心配はなさそうだ。そして、本当に此処に住人は居る様子だ。


 マジかぁ……住めるんだ此処。


 とは云え、トカゲさんの容姿が人間から掛け離れているので、差別意識になるのかもしれないけど、居住環境には不安が残る。


「え、あぁ……はい、あの、はい。今日からお世話になる予定の、神神楽(かみかぐら)珱太郎(ようたろう)です」


 本当に此処に住むのかと思うと、少し怯んでしまい、やや言葉に詰まった。


 神神楽珱太郎。書類に書く度に、衍字と誤字を疑われる名前。

 仰々しい苗字だが、普通のリーマンの両親から生まれ、僕自身は23歳でフリーターをしている。名前の桜に似たよく見ると見慣れない漢字については、親が木偏と玉偏を間違えて申請したというレアな事故案件なのでスルーして欲しい。


 僕が応えると、彼はカラカラと笑った。


「そうか、そうか。お前も物好きだな、こんな場所に。俺ァ、管理人を除けばだが、此処で一番古い住人のミケだ。よろしくな」

「あ、はぁ、え。ミッ……! よ、よろしく」


 猫のような名前に一瞬言葉が詰まったが、初対面で失礼なこと云うのは避けられた。


「名前、ヨタローって呼べば良いんだよな? ミトが、略すなら後ろの方で呼ぶべきだと云っていたが」


 ミトさん……誰だろう。


「え? あぁ、苗字か名前かってことなら、それで大丈夫」

「うし、うし。じゃあ、仲良くしてくれや。細かいこのマンションのルールについては、管理人のミトか、タケが教えてくれるだろう。俺ァ、ちょっと買い物に往ってくるからよ。よろしくなァ」


 ミトさんとは、管理人の名前だったか。しかし、タケさん。また名前が増えたよ。


 ミケさんは僕の肩をパンと叩くと、ひらひらと手を振って去って往ってしまった。


 ふむ。同じマンションで過ごすとなると、やはり仲良く出来そうな人が良い。そして、何かあった時の為に、丈夫そうな人が良い。そう云う点では、ミケさんはなかなか良さそうだ。やや乱暴そうな雰囲気こそあるけれど、頼れそうな感じもある。あまり知り合いに居なかったタイプだ。

 ……まぁ、人間じゃない知り合いって、そもそも初だけど。


 買い物に往くミケさんの後ろ姿を見送ってから、よしと、マンションへ向き直る。

 建物としては、見た感じには、及第点を結構下回る気がするけれど、水や電気は普通に通っているという話だ。もしどれも通じてなかったら、いや、どれか通じていなかったら、その時には改めて、不動産屋に文句を云いに往くことにしよう。


 僕は覚悟を決め、『鯨の腹』の敷地に足を踏み入れた。

 次の瞬間、目の前に、箒を握った少女が現れた。


「のわ!?」


 驚いて、僕は思わず数歩下がった。

 さっきまで、敷地内を何度か見渡していたけれど、こんな子供が居たことには気付かなかった。


 目の前に現れた少女は、キラキラとした目で、溢れんばかりの笑顔で、俺のことをジッと見上げてくる。

 彼女は先程のミケさんと比べるまでもなく、普通の人間に見えた。年齢はどうだろう、小学校の低学年くらいだろうか。


「あなたが珱太郎さんです? そうですよね? 人間ですね? 私と同じ世界の方なんですよね? 東京から来ました? ですよね? そうなんですよね? 私と同じですよね!? わぁ、久し振りです! 同郷の、と呼ぶと少し佐賀(・・)があるかもしれませんが、同郷の方は本当に、久し振りです!」


 驚きの早口。しかし、何故佐賀。佐賀はないが。

 文脈的に考えると、まさか、齟齬か? 母音を取り違えるってレアだな。


 しかし、それはそれとして、この喜ばれよう。悪い気はしない。

 そして同時に、此処には人間の住人は他に居なさそうだということが判った。


「あ、はい。あの、神神楽珱太郎です、人間です。あの、此処で、お世話になります」


 その少女はテンション高く、箒を抱えながらピョンピョンと飛び跳ねた。

 彼女も此処の住人なんだろうか。


「わーい、わーい! えっと、はじめました!」

「何を!?」

「あれ? んん。あぁ。初めまして!」

「あっ、あぁ、はい、初めまして!」


 なに始めた報告なのかと。

 冷やし中華なのかと。


「改めまして。初めまして、ようこそお越し下さいました、珱太郎さん。私、此処の管理人の、澤中(さわなか)美都(みと)です。どうぞ、よろしくです」

「あぁ、あなたが管……え、管理人!? あなたが!?」

「美都です」

「美都さんが!?」

「です」


 ムフーと、美都さんは満足そうに胸を張る。


 どう見ても少女だけれど、彼女が『鯨の腹』の管理人だという。人間に見えて実は異種族で長命とか? いや、同じ人間だと云っていた。じゃあ実は相当若作りだとか。


 ……冗談、という可能性。


「えっと……美都さんって、何歳なんですか?」

「えー? えっと……百……」

「百!?」


 突拍子もない数字が出てきた。


「ごめんなさい、細かい数字は判らない」

「あ、あ、いえ、はい、大丈夫です」


 何も大丈夫ではなかった。

 百、て。


「……あの。百歳より、歳、上なので?」

「はい! あ、私、大神災前の生まれなので!」

「へぇ……大神災、前の……」


 だとすると百五十年以上前になるわけだが。

 これは、信用して良いのか悪いのか。というか、普通に信用できない。鵜呑めない。


 僕は、美都さんの言葉が呑み込めず、恐らく相当微妙な顔をしていたと思う。


「あー、嘘だと思ってますね! そういう顔してますね!」

「しておりませんが」

「しておりましたが」

「おりませんが」

「おりましたが!」


 問責される。

 ぷくぅと、とても百歳とは思えない僕の疑念と同じほどに、美都さんの頬が膨らんでいる。というか、そこがぷっくり膨れれば膨れるほど、とても幼く見えるわけだけれど。


 どうしたものかと思っていると、背後から肩をポンと叩かれた。


「美都様のお言葉をお疑いかと思いますが、いえ、そのお気持ちも判るのですが、美都様の云っていることは真実で御座いまして」

「うお!?」


 驚きのあまり美都さんの横まで跳んでから、慌てて振り返る。


 そこには、灰色の髪をした、着物の女性が立っていた。

 和装にしてはやや似つかわしくないプロポーションであったが、そこはまぁ、悪くない。うん、決して悪くはない。


 歳はよく判らないが、僕よりは歳上と云うような、そんな、儚げな雰囲気とは裏腹に、威厳がある。


「あぁ、おかえりなさい、武丸!」

「た、武丸!?」


 あまりに男らしい名前に、失礼ながら驚いてしまう。ミケさんの時はがんばって堪えたのに。

 果たして、愛称か、女装なのか、これは悩ましい。


 と同時に、ミケさんの云っていた、ミトとタケのタケの方なのだなということを今、察した。


 恐らく僕の顔に、名前と性別に対して驚いていることが判りやすく表れていたらしく、こほんと咳払いをして、武丸さんは僕の目をジッと見つめ返してきた。


「突然背後から、失礼致しました。私は武丸と申しまして、いえ、そういう名ですが、女性で御座いまして、美都様に仕えている次第で御座いまして」


 そう云って、深々と頭を下げてくる。

 慌てて僕も、名を名乗り、頭を下げた。


 お互いに頭を上げると、武丸さんは自分の胸に手を添え、自分の紹介を続けた。


「神神楽さん。私は美都様の補佐でして、副管理人をさせて頂いておりまして」

「これはご丁寧に」

「武丸はとても頼れるので、色々面倒を見て貰ってます。あっ、でも、見た目が幼くても! 私の方が! 武丸より歳上なんですからね!」

「なる、ほど」

「もー!」


 重ねて不機嫌にさせてしまった。

 恐らく、えー、ほんとー? みたいな気持ちが素直に顔に出てしまっていたのだろう。


「珱太郎さん、頭が()過ぎです! 人間だからですかね! ゴリゴリですよ!」

「そんな物理的な硬さ!?」

「大丈夫ですよ、美都様。美都様の見た目が大変お可愛らしいので、仕方のないことで御座いまして」

「むー? 私がですか。私が可愛いなら仕方ないですね」


 武丸さんにそう云われ、美都さんはちょっと満足そうな感じになった。


 満足しているなら、良いかな? とも思いつつ、でもやはり、こう断言されていると、此処が綯域ということもあるし、確認を取りたくなってきてしまう。年齢について。

 これが子供の可愛い嘘だとすれば、あまり暴くべきでもないのかも知れないけれど。


「えっと、美都さん? 美都さんは、えっと、実際のところ、人間ってそんなに長生きしないと思っているんだけど、しかもそんな若い姿のままで」


 問い掛け様として、見事に、ふわふわになった。

 しかし、そんな僕の言葉に、パァっと美都さんの笑顔が輝いた。

 どうやら追及されたかったらしい。


「聞いて下さいますか、私の身の()話! あんまりみんな興味持ってくれなくて!」

「身の丈話!?」


 それは、低そうだ。伴って、短そうだ。じゃなくて。


「美都様。身の上、で御座いまして」

「聞いて下さいますか、私の身のた、上、話!」


 だいぶ力業で仕切り直した。


 しかし、先ほどの言動が真実だとして、となれば百五十余年の昔話になるということだろうか。

 なるほど、それは、長そうだな。


「しかし美都様。まずは、神神楽さんを部屋に案内されて、一段落してから、改めてお話をされては如何かと」

「んー? そうですね。腰を()えてからにしましょう」

「据えて、で御座いまして」

「腰を据えてからにしましょう。武丸、ありがとうございます」

「いえ、出過ぎた真似で、申し訳御座いません」


 穏やかなやりとりを、温かい気持ちで見守る。

 しかし、二人の関係性が判らない。美都さんが百五十歳というなら、武丸さんはどうなるのか。呼び捨てと様付けから考えると、主人と従者、なのだろうか。見た目には、乳母とかシッターという感じだけど、口にしたら、機嫌を損ねるのだろうな、やっぱり。


 うん、さっぱり判らないから、後で訊くことにしよう。


 とりあえず、僕は部屋に案内されることになった。





 部屋は202号室。西向きの部屋だが、日の当たり方とか色々なことが綯域外とは全然違うらしいし、風水だってそれに伴って滅茶苦茶だろうから、全然気にしない。しても仕方ない。


「こちらで御座いまして」


 武丸さんが先導して、エントランス、ではなく、中庭の方へ向かう。


「あれ、何故こっちに?」


 僕が問い掛けると、美都さんがピッと挙手をして応える。


「それはですね、エントランス、怖いんです」


 なるほど、なる、ほど?


 だいぶ納得できない答えだった。


 すると、今度は武丸さんが控え目に挙手をして、補足をおこなう。


「それは、単に美都様が暗所を怖がる、という意味ではなく。いえ、それも少しは含んではいるのですが」


 武丸さんが正直すぎる。


「此処のロビーは、不可解なもの、生き物であったり、事象であったり、それらを呼び寄せてしまいがちでして、うっかり通られますと、此処ではない何処かへと、迷い込んでしまうことが御座いまして……詳しい説明は難しいのですが、要するに、危険だと思って頂けると助かりまして」

「なる、ほど?」


 何が起こるのか、どうなるのか、そういうところが全然理解できなかったけれど、マンションの入口にあたるエントランスが危険ということで、マンション内部への不安が積もる。

 しかし、差し当たり危険なのはロビーだけと云うことは判ったので、武丸さんに続いて、エントランスを回避し外庭を経由して建物の内部、中庭に入る。





 ロの字型のマンションの中庭は、思ったよりもずっと広く、サッカーでもできそうな広さの吹き抜けだった。

 なるほど、さすが、元高級マンション。広さが凄い。これは部屋の広さも期待できる。よく調べずに契約したからな。楽しみだ。


「おお。広い……緑豊かだ」

「荷物を置いたら、散策でもされてはどうでしょうか。危ない場所は、あまり、御座いませんので」

「あまり」


 多少、あるんですね? ロビー以外にもですかね? そういうところだけは、事前にしっかりと聞いておきたいな。


 中庭から上を見上げて、なるほど、階数が合わなかった理由が判った。四階部分がほとんど潰れてしまっている。

 うん、超怖い。いつ崩れるかヒヤヒヤしてしまう。


 中庭には内階段が二つ。片方はひしゃげていて二階までしか上れそうにないが、もう片方も、見た感じ三階部分まで。四階より上には、どうやって。封鎖しているのだろうか。それとも、見えない位置に、エントランスの方とかに階段があるんだろうか。

 あんまり使いたくないけど。


 僕の住むことになる二階、202号室には内階段のどれを使っても問題ないとのことだったので、部屋に一番近い内階段へ向かう。

 と、丁度通りかかった部屋の、109号室の戸が開いた。


 思わずそっちの方を見ると、こっちを向いていた顔は、骨だった。骸骨だった。人骨標本、という感じの。


 びっくりして、思わず固まってしまう。


 今が昼で、美都さんと武丸さんが一緒で、本当に良かった。夕刻、もしくは夜に、一人で出会っていたら、恐らく悲鳴を上げていた。

 悲鳴こそあげなかったまでも、今でさえ、かなりびびって言葉が出ないでいる。


 とはいえ、よくよく見てみれば、ラフなシャツとズボン、それに靴まで履いていて、なにか一般的なイメージの、モンスター、アンデッドとしての骨とは若干イメージが異なる。

 そもそも一般的かというのは、さておくとして。


 僕が目を見開いて相手を見ていると、骨の方も若干驚いたらしく、戸を出たところで少し固まっていた。

 しかし、それから、あぁ、という風に顎骨を動かすと、骨の手をカシャリと鳴らしながら打った。


「これは失礼。新しい入居者の方ですね」


 うっわぁ、良い声!?

 え、そもそも喉もないのにどういう仕組みで声出してるの!? 渋くて良いお声ですね!


 すると、静かな足取りで骨の方はこちらに歩み寄って来て、彼は僕に握手を求めてきた。

 美都さんと武丸さんは、その骨の方に気付いたので立ち止まっている。けれど特に何も云おうとしない。自己紹介は当事者で、僕と骨の方同士ですべきだろうと、見守っている感じだろうか。


「私は、109号室に住んでおります、骨々こっこと申します。記憶を無くしておりまして、仮の名ではありますので、どうぞお好きなようにお呼び下さい。近くのレストランで、料理人をやっております」


 情報が多いなぁ。


「こ、これはご丁寧に……202号室に新しく住ませて頂きます、神神楽珱太郎です。仕事は……これから探します」

「神神楽さん、ですね。よろしく」

「はい、よろしく、骨々さん」


 落ち着きがあり、物腰が穏やかな紳士だった。

 しかし、骨々さん。こっこさんで、コックさん、なのか。記憶、ないのか。


 ちょっと複雑な気持ちになっていると、骨々さんは武丸さんの方へ向いた。


「これから買い物に往きますけど、何か買ってくるものありますか?」

「いえ、大丈夫です。重い物は、ミケさんにお願いさせて頂きまして」

「そうですか。では、少し出掛けてきます」


 そう云うと、今度は僕の方へ向き直る。


「ところで、神神楽珱太郎さん。うむ、良い名前ですね、口にして音が心地良い。あぁ、失礼。そうではなく、好きな物や食べられない物はありますか?」

「へっ!? あぁ、嫌いなものは、あまり……綯域の食材、まだよく判ってなくて。でも、色々食べてみたいです。甘いのとか、デザートが好きです」

「うむ、甘党なのですね、酒を飲まないと云う意味ではなく、そのものずばりの意味で。なるほど。ありがとうございます」

「あ、はい。えっと、こちらこそ……?」


 骨なので表情は判らないけれど、そのまま軽く会釈をして、骨々さんは、僕らと同じ様にエントランスを使わず、外へ出て往った。

 美都さんや武丸さんもだけど、ミケさんといい、骨々さんといい、住人の方は良い人そうで良かった。



 骨々さんと別れてから、内階段を上がり、202号室に着いた。

 鍵を開けてもらい、中へと入ると、部屋は思ったよりもずっと綺麗だった。


 建物の外観や庭を見ていなければ、それこそ綯域外の、そこそこお高いマンションに思えただろう。


「前の住人が置いていった家具などもありますので、そちらは好きに使って下さい」


 云われて確認をすると、なるほど、寝具や食器など、前にこの部屋に居た人が置いていったらしいものなどが結構ある。古びているものもあるが、美都さんと武丸さんが掃除と整備をしてくれたとのことで、普通に使えそうだった。


「わぁ、ベッドも。助かります!」

「それは良かったです。綺麗にした甲斐がありました」


 ムフーと、美都さんはとても満足そうに笑った。


 元々一人暮らしで私物は少なかったけれど、綯域の境界を跨ぐ引っ越しを業者に依頼することは難しく、それに伴って依頼できたとしても手数料がヤバいと聞いていたので、引越しに際してほとんどの荷物を処分してしまった。今では僕の私物は、背負っているリュックの分だけだ。

 一応寝袋も持ってきたのだけど、寝具があるなら、これは非常用か、旅行用として、押し入れの肥やしになるだろう。


 蛇口を回せば水は問題なく出た。トイレも安心の水洗式だった。

 不安だった電気については、蛍光灯が普通に点いているし、コンセントも普通に使えるとのこと。

 三階以下の階は、追加工事はあったものの、部屋の水道管や電線をほぼ再利用できたらしい。潰れてしまっている四階より上の階についても、水道菅や電線については大神災時に壊れてしまっており、新しく整備したのだとか。


 果たして、その管や線に流れる水と電気は、どう供給しているのか。だいぶ気になる。そこは習わなかった。今度、調べよう。


「あの。水道の水、飲んでも大丈夫なんですか?」

「大丈夫です。たまに危ない日がありますが、それはまた、教えますから、大丈夫です」

「はぁ」


 なんだろう、たまに危ない日って……まぁ、良く、はないけど、一旦、良しとしよう。


 ガスは通っていなかったが、崩れかけているマンションにガスが充満し爆発となると洒落にならないから、それはそれで、こちらも良しと思うことにする。


 台所には、簡素な電気調理器などが備えられていた。ガスがない関係で、火を使う場合は、携帯用のコンロを使うか、中庭に竈があるから、薪を使って火を(おこ)しても良いとのこと。

 竈なんて、生まれてこの方、見たことないな。後で見に往こう。使うか使わないかは、さておいて。


 部屋を確認し、荷物を置くと、人心地ついた。

 四階が崩れてるとか、落ち着かない要素もまぁまぁあるけれども。


 すると、管理人特権とでも云うべきか、お友達感覚と云うべきか、美都さんは早速、僕の部屋の居間に腰を下ろした。


 なるほど。いいけど、いいけどね。ただ、管理人と入居者って云う枠組みを取っ払うと、自分の部屋に女性が、それも二人も居ると思うと、なんだか、緊張するじゃないか。


「で、は、私の身の上……身の丈話を、しようかと思いますが、どうでしょうか!」

「美都様、惜しいのですが」

「あっ、身の上話をしようかと思いますが!」


 察したらしく、手早い修正だった。


「構いませんが……あ、でも、先に質問をしても?」

「えぇ、どうぞ」


 云いたくてウズウズしている様子は見て取れるのだけれど、忘れる前に、事前に確認をしておきたい事がある。


「此処って、建物自体が結構壊れてますけど、大神災で壊れたんですか? それとも、その後に、誰かが壊した、とか?」


 その返答内容次第で、僕の身の安全性がだいぶ変わってくる。

 建物を壊すようなのがうろついてるとは、周囲のマンションを見る限り思わないけれど、果たしてどうなのか。


 綯域に引っ越す旨を数少ない友人に伝えたところ、大層心配されたものだ。

 曰く、知人が殺されただの。曰く、知人が行方不明だの。

 ……心配されたのか脅かされたのか、判断に苦しむところではあったけれど。


 しかし、綯域が種属の坩堝とはいえ、人喰いの妖怪や、人体実験を好む魔法使いや、突如戦闘を始める超能力者が、そこかしこに溢れている危険地帯、というわけではない、はずだ。精々、怪力とか毒とか、そういう類いなんだと思っている。それはそれで、それなりに脅威ではあるのだけれど。


 美都さんは、僕の質問を聞き、ふむふむと咀嚼する。


トンテキ(・・・・)に云えば、此処の破損は大神災のものです。()年劣化も、勿論ありますけど」


 勢い良く滑り出した云い間違いが気になって、話に集中しづらい。

 しかし、永年劣化に関しては、あながち間違いとも云いにくいか。


 チラリとみると、武丸さんも指摘したいのを我慢しているのか、プルプルと震えていた。

 ……ならば、僕も云うまい。


 この後、大神災時のざっくりとした被害を教えて貰った。

 庭と駐車場と七階部分が全損で、余波を受けたのか四階部分も崩潰。

 その後、庭や部屋を整え、現状まで回復させるのに数十年掛かったという。


 美都さんの口から軽く語られたそれは、僕の想像よりも、破壊的なものであった。


 僕が生まれる百年以上前の大災害だ。綯域外でも、授業で簡単に習ったりはするものの……それはあくまで、外部からの情報であり、まかり間違っても、綯域に往ってみるような、校外学習は絶対に組まれることはない。それは、安全性を誰も保証できないということが理由である。


 災害とは云いつつも、被害などは少なく、ただ、世界が混ざっただけだと思っていた。そんなわけはないのに、そう思い込んでいた。


 大神災時の死者数は、公表されていない。たぶん今でも、集計できていないのだろう。


「……そ、その破壊で、このマンションで、生き残ったのは?」


 つい、そう聞いてしまった。

 慌てて口を塞ぐ。が、もう遅い。


 美都さんの表情が、僅かに曇った。


「このマンションの生き残りは、私と武丸だけです。みんな、大神災の時に。此処が、特にこの辺りで一番被害が大きかったそうで……みんな、居なくなってしまいました。もしかしたら、どこかに飛ばされていたのかもしれませんが、もうとっくに、死ぬだけの時間は過ぎていますね」


 美都さんと武丸さん、だけ。

 親は、と、溢れそうになった疑問を、慌てて呑み込む。


「ご、ごめんなさい!」

「いえ、大丈夫です。今更、泣きはしません。もう、泣けません」


 その表情は、けれど、今にも泣きそうに見えて、僕は掛ける言葉が見つからなかった。


 すると、美都さんはパンと手を打った。

 しんみりした空気を打ち消す様に、払う様に。そして、笑顔を浮かべる。


 強い人だな、と、思った。


「まぁ、短いのですが、そうです、そういうのを話そうと思うのです、これから。えっと、身の……上話!」

「「おお」」


 思わず拍手。


 では、と口にしてから、やや勿体ぶりながら、美都さんはいろいろな事を話し始めた。


 美都さんの語った内容を、大神災以前の幼少期の出来事を全部端折った上でまとめると、こんな感じだった。


 七階に住んでいた美都さんは、或る日、大神災の日、武丸さんを含む家族全員で家に居た。

 その日の昼過ぎ。巨大な稲妻の様な何か、女神の一撃が起こる。吹き飛ばされて意識を失い、気付いた時には、美都さんと武丸さんだけが、崩壊した中庭に倒れていた。

 それから美都さんと武丸さんは、マンションの色んな部屋を見て回ったが、誰も居なかった。

 その後、美都さんと武丸さんは、みんなは避難したのかもしれないと、このマンションで待ち続け、待つ為に、マンションの整備をし始めた。

 そして、大神災からおよそ二十年後。待つ事をやめた後、待つ事を諦めた後、此処を『鯨の腹』という名に変えて、人に貸し始めたのだという。


「女神の一撃以来、私は歳を取らなくなり、死ななくなりました。そしてそれと同時に、このマンションの塀の向こう側には、往けなくなってしまいました」


 遠い目で、美都さんが窓の方を見る。

 ちょっと理解が追いつかず、少し沈黙して、言葉を咀嚼し、嚥下する。


「え? 塀の向こうに往けないって……え!? ま、まさか、マンションから出れないってこと!? 一歩も!?」

「そう、一歩も。一歩も! 一歩もなんですの! 私、可哀想! ですよね!?」

「可哀想!」

「ありがとうございます!」


 可哀想だと、強く思う。

 まさかこんなに熱く同情を求められるとは思わなかったけれど。


「可愛いと可哀想は、幾らでも云って頂きたい言葉ですよね?」

「うーん」


 なんとなく判らなくはないけれど、同意はしかねる。


「話を聞く限りだと……美都さんたちは、幽霊、という訳では、ないので?」


 若干センシティブな内容だとは思ったけど、恐る恐る、訊ねてみる。

 すると、美都さんはムムムと唸り、眉間にシワを寄せて難しい顔をした。


「よく判らないんです、そこらへん。触れますし、足ありますし、飛んだりはできませんし。自分でも何がどうなっているのか」


 美都さんがそう云うと、武丸さんは、口惜しそうな表情になった。


「美都様と私だけが、何故生き残ったのか。美都様が何故死ねなくなってしまい、何故このマンションの敷地を越えられなくなってしまったのか。恐らくは大神災、恐らくは女神の一撃に原因があるのだと思いますが……何も、判らないままで御座いまして」


 まるで説明のつかない現象だった故に、女神の一撃と呼ばれ、神の仕業とされた大神災。

 5W1HのWHEN(いつ)以外は一切が不明で、現在確認されているだけでも、十二の異世界が強引に接続され、多世界が折り重なる綯域を生み出した、超世界規模の事件。


「私は、それを解明して、いえ、解明できないまでも、少なくとも美都様が此処を離れられる様に。そしてその日まで、私は美都様のお供する所存で御座いまして」


 その言葉の、離れるの指す意味は、マンションの敷地を出ることを指しているのか、それとも……

 ……まぁ、多分、両方なのだろうな。


「美都さんも武丸さんも、不老不死で、このマンションからは出られないんですね」


 と、僕が云うと、何故か二人にキョトンとされた。その様子に、思わず僕も面食らう。

 おかしい。云われたことを、そのまま総括しただけのつもりなのに。


「武丸は普通に出られますよ?」

「はい。お買い物は私の仕事で御座いまして。不老不死も、離れられないのも……美都様だけで御座いまして」


 少し気まずそうに武丸さんは口にした。しかし、横の美都さんは、特に気にした様子はない。

 しかし、そうか。不老不死なのは、美都さんだけなのか。確かに、そういえばこのマンションに踏み込んだ時、武丸さんは僕の背後、敷地の外から入って来ていた。


 しかしそうなると、腑に落ちないことが出てくる。


「……えっと。えっと? じゃあ、武丸さんは……何で生きてるんですか?」


 訊ねると、武丸さんは、あぁ、と納得した様子を見せる。


「そうですね、私のことを補足するのを忘れておりました。いえ、美都様に比べれば、大した話ではなく、些事なので御座いまして」


 武丸さんがそう云うと、途端、美都さんが驚いた様子で目を見開いた。


「え!? ううん、そんなことないですよ! 武丸の方がすごいよ!? 私なんて、死ねないだけだし!」

「いえ、いえ。私なんて、ただ、生きてるだけですから」


 謎の謙遜合戦が始まった。

 死ねないだけだの、ただ生きてるだけだの、それが百五十年超の年月を指しているのなら、随分なパワーワードだな。


 こほん、と、武丸さんは咳払いを一つ。


「私は、所謂、妖怪変化で御座いまして」


 妖怪、変化。


「……え?」


 思わず訊き返してしまった。


 確かに、骨やら、トカゲやら、今に至るまでに多種族見てきたわけで、それは今更なことかもしれないけれど。

 ……妖怪、と? しかも、大神災から美都さんと一緒と云うから、つまり、僕と同じ世界の生き物で?


「私は、美都様に飼われていた犬で御座いまして……大神災後のこの世界で、美都様を独りにするわけにはと、そう思い、頑張って生き続けたところ、この様な人に化ける力と、長い寿命を授かることが出来た次第に御座いまして」


 それを聞いて、ポカンと、僕は口を開いてしまった。

 唖然。その言葉が、今の僕を、一番的確に表現していると思う。


 すると、熱のこもった瞳で、美都さんが僕に顔を寄せてきた。


「ね? すごいでしょ! 忠犬でしょ! 武丸、すっごくすごいでしょ!」


 その言葉に、僕はハッとした。


「それは、すごくすごい! すっごくすごいですね、美都さん!」

「ですよね! 武丸すごいですよね!」


 興奮もあって、語彙力が悲しい会話になってしまった。


「い、いえ、私などは、あ、あの、美都様、神神楽さん、私については、その辺で」


 話を打ち切ろうと、顔を赤くした武丸さんが細い声で云う。


「それはそれとして。私のことを可哀想だと云ってくれて、武丸のすごさをわかってくれる珱太郎さんは、良い人ですね!」

「ありがとうございます!」


 正直その基準はどうかと思うけれど。


 話は変わった。が、それはそれとして、武丸さんには申し訳ないけれど、武丸さんの話をもう少ししたい気分。


「美都さん。武丸さんは、そうか、妖怪なんですか。それも、忠義の為に……これは、絵本とかに残せそうですね! 名作になるのでは!?」

「神神楽さん!? いえ、私の話はもう」

「絵本! 良いですね! 武丸を祟る良い本が出来ますね! ベストセラーになりますかね!?」

(たた)えるだと思いますが、さておいて、いけるかもですね!」

「お金沢山もらえるかな!」

「あれ、思ったより俗っぽいこと考えてる!?」

「も、もうやめて、ください」


 照れた顔で、恥ずかしそうに、消え入りそうな声で、武丸さんは盛り上がる僕らを止めた。

 可哀想な感じになってしまったので、僕らはそこで、どうにか話を止めた。


 しかし、武丸さん。妖怪だったのか。なるほど。なるほどな。犬の名前だったのか。

 ……そうだとして、なんで雌の犬に、武丸って名前つけたんだろ。


 どうでもいいのだけど、腑に落ちなかった。まぁ、いいや。

 まぁいいので、今度こそ話を変える。


「美都さんは、不老不死で、このマンションの敷地の外に出れないって以外には、特に変化はない感じなんですか?」


 それを問うと、美都さんの瞳が、キランと光った。


「お客さん、お目が早いですね!」

「美都様、目が高い、で御座いまして」

「お目が高いですね!」


 訂正された所で、ニュアンスは伝わるけど、使い方は間違ってる気がする。


「珱太郎さん。ちょっと、こっちジッと見ててくださいね」

「はぁ?」


 そう云われて、僕はジッと美都さんを見た。

 美都さんは、さながら忍者の様に、両手を組む。


 何か起こるのだろうか。何が起こせるのだろうか。

 そうドキドキしながら見守っていると、肩をトントンと叩かれた。


「ん?」


 何だろうと振り返る。すると、そこには美都さんが居た。


「んん!?」


 先ほど美都さんが居た位置を見ると、やはりそこにも美都さんがいる。


「え、なんで!?」


 二人の美都さんを交互に見ていると、座っている美都さんの横に、もう一人新たに美都さんが現れる。


「なにこれ、なにこれ!? 忍術!?」


 僕が興奮していると、フフフと楽しそうに笑って、座っていた美都さんが立ち上がり、ポーズを取る。するとその左右に二人ずつ、計五人の美都さんが、戦隊ヒーローさながらのポーズ決めた。


 次の瞬間、大勢の美都さんは消えて、一人になる。


「これが私の、よく判らないけど突然身についた、忍法……魔法? えっと……武丸。名前なんだったっけ?」

「申し訳御座いません、多過ぎて、忘れてしまいまして……忍法は、なんとか分身、だったかと」


 なるほど、気分で名付けて使ってるのだな。


「むぅ、まぁいいや。不老不死と一緒に、こういうことも出来るようになってたのです。私はこの敷地の中なら、何処にでも瞬間移動できますし、何人にだって何十人にだってなれます。それになんと云っても、この敷地で起こっていることは、なんだってお()通しなのです!」

「美都様、お見」

「お見通しなのです!


 食い気味で修正した。

 云い間違いには決して挫けない、強靭なメンタルをお持ちの様で。


 しかし、なるほど、そんなすごい力が。本当にすごいな! 激しく興奮するし、どんな力なのか、すごく気になる!

 ……とはいえ、これではマンション内に、迂闊にエロ本持ち込むことはできないな。


 プライバシーの容赦ない侵害を感じてしまった。


 しかし、見た目と言動で判断してしまうけれど、美都さんが本当に百五十オーバーだとすれば、僕の祖母の祖母よりも歳上なんだよな……態度に、悩むなぁ。


 そう思って美都さんを見てみれば、腰に手を当てて、高らかにドヤっていた。





 この後は、僕が話をする番だった。

 今の綯域外についてや、僕個人の過去のことや、綯域に来た理由などを簡単に話してみた。すると、同じ世界から来た人に会うことが稀だとのことで、美都さんと武丸さんは、とても興味深そうに話を聞いてくれた。


 そんな話も一通り終わると、最後に、『鯨の腹』の中での簡単なルールを、武丸さんが説明してくれた。


 幾つか説明してくれたそのルールの中で、特に気になったのは、住人同士の大怪我以上を負うような乱闘の禁止と、住人同士での詐欺行為の禁止と、無断で人の部屋に侵入することの禁止、という三点だった。

 前二つは、かつてそういう事例があったのかと思うと、やや肝が冷える。

 最後のは……これ主に、美都さん向けの禁止事項なのでは?


 話が終わると、美都さんと武丸さんは帰って往った。

 帰り際、夕飯は僕の歓迎会ということで、中庭でみんなで食べるつもりだと教えてもらった。


 少し小腹が空いたけれど、間食はやめておこう。



 広げる荷物も少ないので、適当にリュックを置くと、マンションの散策に出てみることにした。


 玄関を出て階段を降りる。中庭は、思ったよりも整備されているものの、野趣に富んでいた。富み過ぎていた。うわ、苔まで生えてら。

 だが、元は崩落し掛けた、というか実際、四階部分は大きく潰れているので、崩落したマンションなのだ。


 あの四階が崩れてから、百五十年近くが経過している事を考えると、僕の部屋について、まだまだ大丈夫と思うべきか、もうそろそろ限界と思うべきか。

 うん。ポジティブな方にしておこう。


 聞いたところ、近隣のマンションが無事に見えるのは、大神災後に、この周囲全体で大規模の建て直し等があったからだという。


 その際に、此処も何度か工事をしようとしたらしいが、その度に重機に不具合が出たりするとのことで、結局、ほとんど手入れができなかったのだという。

 人手にも重機の類いにも事欠く中で、インフラを整え、それなりの見た目に整えたとなれば、それは、すごい努力とすごい根気が必要な作業だったのだろうな。


「よお、ヨタロー」


 ぼうっと歩いていると、ミケさんが声を掛けてきた。


「あ、ミケさん」

「ヨタロー。あァ、そうだ。お前、煙草は()むか?」

「の? あぁ、いえ、吸わないです」

「そっかァ。どうすっかな、これ」


 そう云って、ミケさんは手にした煙草の箱を見る。


「どうしたんです、それ」

「いやな、店で沢山買ったらオマケされたんだが、俺、喫まねェンだよなァ。まぁ、ハクの野郎か、沼が喫むか」


 知らない名前がポンポン出る。此処の住人だろうか。それとも、この辺の知り合いだろうか。


「なァ、ヨタローの荷物は、さっき背負ってたやつで全部か?」

「え? はい。あんまりなくて」

「そうか。まァ、そうか」


 ミケさんは頭を掻いた。


「なんか大きい物を買う時は、俺を呼びな。なんでも持ってやるよ」

「わー、頼もしい!」

「あァ。一軒家だろうが片手で持ち上げてやるよ」


 それは幾ら何でも無理がなかろうか。そして、そんなもの買わないし、買ったとして、持ち上げないで欲しい。

 僕が相当変な顔をしていたのか、ミケさんはカラカラと笑った。


 それから、少し沈黙を挟む。


「あァ、なんだァ……云いたくなけりゃ云わなくても良いんだがよ。ヨタローは、なんで綯域に来たんだ?」

「来た理由ですか? そうですねぇ」


 目を閉じて、少しだけ、思い返す。あまり楽しいことではないけれど、人に云えない様なことでもない。そもそも、それはさっき、美都さんたちにも語ったことだ。


「好奇心半分。あとは、逃避、半分ですかね……いえ、正確には、逃避七割くらいです」

「そうかい。そうだなァ。そうか。俺も、そんくらいだったな、多分よ」


 口にして、また、楽しげに笑う。


 ミケさんも、何かから逃げて、此処に来た。それが何か意外で、でも、綯域はそう云うものだと聞いては居たので、そうかぁ、と、なんとなく納得した。


「あ。そうだ。お前は弱そうだから、この敷地の外をうろつこうってェんなら、俺とか、此処の住人の誰かを連れて歩いた方が良い。わざわざ逃げてきたんだ。すぐに死ぬのもつまらんだろ」

「……あ、やっぱり、治安、あんま良くないですかね?」

「お前の世界は知らねェけど、良くは無いんじゃねェかな。災害もあるしな。何にしても、気は付けておけな」

「あ、はい。ありがとうございます」


 それだけ云うと、ヒラヒラと手を振って、ミケさんは歩いて往った。


「……煙草、似合いそうなのに、吸わないんだなぁ」


 それも、ちょっと意外。


 そんなこんなで、簡単な散策を終えても、まだ数時間ほどありそうだったので、ちょっと敷地の外を散策してみることにした。

 そんなわけで、102号室の美都さんの部屋を訪ね、簡単な地図を貰った。


 よし、これで、迷わない。


 綯域外で契約した携帯は、こっちではあいにくの圏外。それを知っていたので、既に携帯は解約済。迷うともう、人に訊ねまくって帰り道を調べるしかない。

 もしそうなっても、地図があればだいぶ難易度は下がる。


 ミケさんの忠告もあるから、ミケさんを探してみようと思ったけれど、よく考えたら部屋番号を知らなかった。


 さて、どうしようか。そんなに遠出はしないつもりだし、社交辞令だったかもしれないし、今日は一人で往ってみることにしようかな。

 うん、毎日出かける度に、誰かについてきてもらうわけにもいかないだろうし。


 そう、僕はこれから、此処に住む。此処で仕事を見付ける。だから、歩き慣れないといけない。道を知らないといけない。一人で出掛けられなければいけない。

 というわけで、用心はしつつ、散歩に出発。





 『鯨の腹』の周囲を散策し始めて、改めて見ると、様々な建物があった。

 藁、煉瓦、土、コンクリート、木、砂、なんだかよく判らない物と、建物の素材に統一感がない。

 驚いたのは、八階建てのマンションで完全木造とかがあったことだ。あれはきっと、別の世界の建造物だと思う。技術や素材が違うのか、見た目も、触ってみても、木造という感じが全然しなかった。

 あぁ、でも、あれだ、寄木細工に似てた。


 色々な種族の家が、滅茶苦茶に建ち並ぶ。

 印象としては、やはり、どうしようもなく、スラムを彷彿としてしまう。自警団とかが組織されて、治安はだいぶ安定しているとは聞くけれど。


 綯域は多世界で構築される世界の為、どこか一つの世界が出しゃばると世界間戦争に発展しかねない都合上、武力組織が綯域外から介入することは難しく、治安の維持には綯域内で自治組織を整備することが必要だった。

 ただし現在、自治組織の乱立や、自治に反発した組織が幾つも生まれ、縄張り争いや対抗意識による諍いが起こっている場所もある。


 と、学校で習った知識のままにぼんやり考えていたら、マジで抗争しかけている現場に遭遇してしまった。


 まいった、ちょっとの散歩のつもりが、つい、一直線に歩き過ぎた。気付けば、四~五十分は歩いていた。


 散歩しすぎて、3丁目から4丁目に入ってすぐの辺り。

 二つの組が、乱闘に至る前段階、牽制をし合ってる状態だった。僕の位置から二十メートルも離れていないような距離だ。


「へぇ、本当に、衝突するんだな。もはや自治組織というか、こうなってくると、もはや戦国時代なのでは」


 それぞれ、四人ずつ。小規模な組織なのか、末端なのか、判別はつかない。


 構成員は、獣人、とでも呼べば良いのか。そういう人が、両組に二人ずつ。種族は違いそうだけど、全員腕力に自信があるようで、腕を見せつけている。他の四人は、ぱっと見では普通の人に見える。

 話し声は聞こえないけれど、しかし、態度を見る限りでは、どうにもガラが悪そうだ。


 世はまさに、国盗り時代……って、綯域盗ってどうするんだって。

 馬鹿なこと考えてないで、巻き込まれないうちにさっさと避難しよう。


 そう思っていたら、まさかの、僕の方に何かが飛んできた。


「ひっ!?」


 それが何かを確認するより早く、僕は顔を腕で庇い、目を塞いでしまった。

 しかし、それは僕に当たることなかった。目を閉じてすぐに、僕の左右の壁から、何かが当たった音がした。


 危ない……当たらなかったんだな? 何が飛んできたんだ?


 恐る恐る目を開けて、飛んできた物を確認する。すると、両断されたと思わしき煉瓦が、僕の左右に落ちていた。

 なるほど、当たっていたら、怪我では済まなかったな。


 それから二つの組織の方を見ると、こっちを向いている人は居ない。どうやら、誰かが投げて、誰かが弾き飛ばして、こうなったらしい。純粋な巻き添えで、単純な流れ弾だった様子。


 よし、危ないから、取り敢えず、さっさと逃げだそう。


 そう思った時、遂に、二つの組は争いを始めてしまった。

 うげ、と思いつつ、どんな戦いなのか若干気になり、慌てて物陰に隠れて、様子を窺う。


 全員武器の様なものは持っていなかったが、先程の煉瓦同様、周囲に落ちてる物拾って武器にしている。

 周囲を見ると僕以外に見学をしている人は居ないようだ。


 拾った物を投擲している為、住宅にそれらが当たったりしている。これは、迷惑な連中だ。

 勝手に自治組織なのかと思っていたけれど、もしかして、ただの不良の集まりだったのかもしれない。というか、そうとしか思えない。


「何見てんだテメェ!」


 と、その内の一人に、気付かれ、個性的な人物から、個性のないことを云われた。


 あ、やべぇ、と思って翻して駆け出したが、まさかの、八人全員に追い駆けられる。


 なんでだよ、仲良く喧嘩してろよ!


 心の中でそう愚痴りながら全力で逃げる。が、距離はグングンと縮まっていく。

 僕が追われる理由としては、あれらはただの不良だと仮定して、自治組織にチクられると思ったから、という線が有力だろうか。


 まぁ、なんにしても、このままだと大変な事件を起こしてしまう。


 本当、さっさと逃げれば良かった! ミケさんについてきて貰えば良かった!


 後悔は、先に立ってくれなかった。


 たまに飛んでくる何かは、狙いが下手なのか、今のところ当たらない。が、近くに当たっているので、超怖いので止めて頂きたい。


「テメェ!」


 声がすぐ後ろから聞こえた。もう駄目なのか。


「ぐぇっ」


 諦め掛けた時、突然、背後から悲鳴が聞こえた。

 何があったのかと、思わず振り返ると、真っ白い服、真っ白い靴、真っ白い肌の、真っ白い髪の男性が、すたりと着地をした。そして、追ってきていた獣人が、一呼吸遅れて、地面に背中から着地した。

 好奇心に惹かれて、つい、その場で僕は足を止めた。


「んん。君が珱太郎くんだね? 好きな色は何色かな?」

「へっ!? 色!?」


 その人は僕に振り返り、そんな突拍子もないことを訊いてきた。

 糸目で、微笑み、というにはニヤニヤが近い笑みを浮かべ、なんとも、怪しい人物だった。


 そこに、他の七人が追ってくる。

 しかし、変な人物に一人が簡単に倒されたからだろう、距離を置き、警戒をしている様子だった。


「んん。やぁ、やぁ。子供の喧嘩に、いらぬ茶々を入れてしまったかな。すまない、弱すぎる上に、邪魔だったんだ。全然反省はしていないけれど、口では謝っておこう。ごめんね?」


 その人物の、あからさまな挑発に、七人は、それはまぁ、普通に激昂した。


 僕がビビっていると、その不審な白い男の横に、和服の女性が並ぶ。

 というか、武丸さんだった。


「た、武丸さん!?」

「ご無事で何よりです、神神楽さん。ですが、まだあまりこの辺りのことをご存じないのでしょうから、遠出をなさる際には、一声お掛け下さい。いえ、私が散歩をしたいというわけでは、いえ、そういう側面も、確かに少しは御座いまして」


 そこまで素直に口にしてから、咳払いを一つ。


「あぁ、ご紹介がまだでした。こちらは」

「前! 武丸さん、前、っていうか、あっち! 来てる!」


 のんびりと話し始めた武丸さんに対して、慌てて僕は指を差す。襲って来た七人に対して、武丸さんは半身を向ける様な体勢を取っていた。

 と、次の瞬間、白い男は手刀で二人の喉と胸を突き、武丸さんは着物だというのに器用な上段の蹴りで頭部を蹴飛ばすと、見る間に三人をノシてしまった。


「……うわ」


 思わず、ちょっと引く。


「こちらは、『鯨の腹』の住人で」

「初めまして、珱太郎くん。私はハクリ。それで、君の好きな形は?」


 二人とも、凄い涼しげな感じでこちらを向いている。残る四人に対しては、完全に背を向けた状態だ。


 この人、『鯨の腹』の住人だったのか。というか、なんでこのハクリさん、色とか訊いてくるんだろう。


「お気を付けください、神神楽さん。ハクリさんは細かい情報を集めて詐欺を働く癖が御座いまして、質問には不用意に答えませんよう」

「失礼だなぁ、武丸さん。癖じゃないし、詐欺は住人相手には働かないよ。これはあくまでも、ただの情報収集」


 ルールにあったの詐欺の禁止ってこの人由来か!


 と、そこに、隙を見付けたと、四人が一気に攻めてきた。

 が、武丸さんの蹴りと、ハクリさんの手刀で、瞬殺であった。


 二人は少しの呼吸も崩さず、伸びている八人には見向きもせず、シレッとした顔をしていた。

 彼らを通報するとか、そういうこともしない様子だった。


「念の為、神神楽さんの匂いを追ってきて正解で御座いまして。さぁ、そろそろ戻りましょう」


 匂い、か。さすが犬。

 人型だけど、そういうことできるんですね。


「さぁ、帰りの道で珱太郎くんのこと色々と聞かせて欲しいな。どんなことでも構わないよ」

「神神楽さんも『鯨の腹』の住人なんですから、ハクリさん。神神楽さんに良くないことをなされましたら、それ相応に、痛い目を見て頂く所存で御座いまして」

「んん。嫌だなぁ、これはただの好奇心ですって。でもそれはそれとして、ところで、珱太郎くん。君は此処に来たばかりだよね。仕事は決まっているかい? もしまだなら、楽して稼げる仕事を斡旋しても」

「ハクリさん? もしも、新しく綯域にいらしたばかりの神神楽さんを唆して、悪事の片棒を担がせようとされているのでしたら」

「おや、怖い。この話はまたにしようか」


 二人は、恐らくは普段通りに、会話を続けていた。

 僕が襲われたことも、二人があっという間に倒したことも、たぶん、普段通りのことなのだろう。


 やはり綯域で生きていくには、ある程度の戦闘力が必要なのだろうかと、しみじみ感じてしまった。






 歩いて、夕刻、『鯨の腹』に戻る。


 武丸さんとハクリさんと一緒に、外庭を通って中庭に入る。


 すると、中庭では、ミケさんがテーブルを並べ、骨々さんが皿を置いているところだった。


「あぁ、二人とも。それに、神神楽さん。丁度良かった。お帰りなさい」


 夕刻のマンションに、エプロン姿の骸骨。うん、なんか、怖くなくなってきたな、流石に。

 と、テーブルを置いたミケさんが、こっちに向かい歩いて来る。


「ヨタロー、お前ェ、一人で散歩に往ったんだってなァ」


 あ、やべ。


 怒られるかな、と思ったら、ミケさんは頭にポンと手を置いて来た。


「度胸があるのは良いが、早死にはすんなよ」

「は、はい!」


 僕の返事を聞くと、よしよしと口にしながら、新しいテーブルを運ぶ作業に戻っていく。


 ……怒られなくて良かった。


 ミケさんと骨々さんが場を作り終えた頃に、美都さんが他の部屋の住人に声を掛けて、しばらくして、僕の歓迎会は開かれた。


 見たことない料理が、すごく、沢山ある。


「料理名や材料名、調理名が知りたかったら訊いてください。興味があれば、作り方も教えますよ」


 渋い良い声で骨々さんがそう云ってくれた。

 骸骨と云う見た目以外の脅威は、彼にはなさそうに思えた。


 お言葉に甘えて、料理名とかは全部聞いた。


 『鯨の腹』には、僕や管理人の美都さんと武丸さんを含めて、十一人の住人が居るとのことで、この歓迎会には、その内から八人が参加していた。

 欠席の三人については、一人は引き籠り、一人は仕事で張り込み中、一人は綯域を旅行中とのことだった。


 美都さん、武丸さん、ミケさん、骨々さん、ハクリさん以外の二人とは、この場が初の顔合わせだったので、最初に軽い自己紹介と挨拶をした。それから美都さんの簡単な挨拶があり、立食形式での食事が始まる。


 軽い挨拶をしながら、料理を次々と取っていく。

 骨々さんの料理は、実に、美味しかった。


 その感想を云おうと振り向いた時、骨々さんは、食事を食べて、飲み物を飲んでいた。

 それを見て、ふと、気付く。


 あ、普通に食えるんだ……どう云う仕組みなんだろう。


 口に入ったものは、骨の隙間から落ちることなく、普通に嚥下されている様子。普通に喋っていることもあるし、見えない食道や器官が、実は存在しているのだろうか。

 実は骨だけ見えてる透明人間だったりするのだろうか。だとしたら、口に含んだものはなぜ見えないのか。


 謎は深まり、興味は膨らむばかりだ。

 今度、訊いてみよう。


 そんな感じで色々食べている時に、美都さんと取るものが被った。

 そこで、それは美都さんに先を譲り、ついでに、思い付いた疑問を投げる。


「そう云えば、美都さんってお腹空くんですか?」

「んー? あぁ、不老不死だからですか? いえ、あまり。不老不死の影響なのか、痛みとか空腹とか、そういうのに鈍くなってるみたいなのです。ほぼ感じません」

「そうなんですか」


 と云う割には、随分と、ガッツリ食うな。

 そんな考えが顔に出ていたのか、美都さんは僕の顔を見てからハッとした。


「私はですね、空腹も満腹もあまり感じませんので、食べる事自体が、それほど必要ではないのかも知れません」


 やや顔を伏せ、しんみりとした雰囲気を漂わせる。

 変なこと訊いてしまっただろうか、訊かなければ良かっただろうか。と、僕が後悔したのも束の間。


「ですが、味は判ります。なので! 食べますよ、私は! 歓迎される側の珱太郎の取り分を奪うことになっても!」

「えっ!? ちょ、あぁ、何をそんな! 待ってそれ本当に僕まだ食ってない奴!」


 見た目も中身も幼い……いや、大変若々しい美都さんに、やや弄ばれながらも、大変満足な、大変有難い、歓迎会だった。


 そうして、僕が『鯨の腹』に越してきた最初の日は、中庭で酔い潰れて雑魚寝と、賑やかに過ぎ、賑やかなままで終わったのだった。

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