第一話 代わる
登場人物:
名取仁子 26歳
東京工業大学大学院土木工学修士課程修了。国土交通省に技術官として入省し三年目。特殊災害対策庁(国土交通省と防衛省が共同運営)異変調査、災害処理班通称雑班に所属し、専門の土木や関連する地学知識を生かして、異変兆候の現地調査や特殊災害発生時には被害状況確認や復興支援に当たっている。出動時に偶然M90星人からスーパーヒロインとしての高度な変身戦闘能力を与えられ、本人の意志に関係なく巨大生物や異星人と闘う立場になった。元は一流の体操選手だったが挫折を経験し、それがもとで引っ込み思案、極度な自虐状態にあったが、ヒロインとして頑張るうちに身の内にある正義感と地球上の全ての生き物に対する慈愛に目覚める。身長170cmと長身でロングヘアに眼鏡だったが、変身能力を得てベリーショート、コンタクトに転向。
ジェニファー・コントレラス 30歳
異変調査、災害処理班所属、MITで生物学、宇宙物理学のデュアル博士号を取得した天才科学者。ヒスパニック系米国人で国土交通省に高額サラリーで招聘されたが、フィールドワーク至上主義者で自ら望んで雑班に所属。現場では仁子の秘密にいち早く気付き心強い相棒だが、プライベートはラテンの血が騒ぐ超フレンドリー、派手派手おしゃれ大好きな恋多き乙女で、仁子をしばしば振り回す。
丘智美 29歳
防衛大研究科修士防衛省制服組(陸自)SDTUの紅一点かつサブリーダー。戦闘力(合気道、空手、ブラジリアン柔術、射撃)と知性(数理科学修士)を兼ね備え、沈着冷静、勇猛果敢をシチュエーションに応じ使い分けることができるピカイチなクールビューティ。才色武三拍子揃った仁子のあこがれ。ある巨大生物出現事案に現場で接し、仁子の秘密に薄々感づいている。
上原光一 27歳
防衛大卒防衛省制服組(陸自)でSDTUの主力メンバー 。あらゆる格闘技を極めた猛者にして典型的体育会系マインド保持者。身長(169㎝)&インテリコンプレックスがあり、雑班の仁子を何かことあるごとにイジるが、やがて彼女たっての願いで格闘術の師匠となる。どんな危機にも飄々と対処し、SDTUのムードメーカー。
名無しのスーパーヒロイン
名取仁子がM90星人に能力を移植され、異常事態発生時に鳴る(祇園囃子)スマホ変身アプリの通話ボタンを押すと変身する、シルバーボディにグリーンの幾何学模様ストライプ、真紅のヘアを額の黄金のティアラで束ね、オレンジ色の慈愛に満ちた光を湛える瞳のスーパーヒロイン。左二の腕の黄金のブレスレットに右手を添えて念ずることにより、様々な特殊能力(瞬間移動、対戦相手の原寸化、光玉攻撃等々)を実現する。人間大から身長60mまで巨大化が可能。但し、地球上の活動時間は制限があり、人間大で15分、巨大化時は5分で、身体のストライプの色がグリーン→イエロー→レッドと変わりヒロインにピンチを知らせる。一方、人類からの極度の依存は避けたいとのM90星人意向によりヒロインの活動には厳しい制限があり、その存在が人類の目に触れた瞬間に変身能力を喪失する。但し、太陽光の届かない夜間はステルスシールドにより、人間の網膜には映らないというお目こぼしが与えられている。
・特殊災害対策庁について
昭和の怪獣、宇宙人が次々出現した頃設立された科学特捜隊が前身。その後脅威の発生頻度が激減したため、規模を縮小し稀に発生する異変の事前察知、対処を行っている。職員約100名が従事し、全国各地に設置されたセンサー類から送られるデータを解析し、異変への早期対応を目指している。現場派遣を主業務とするのは、仁子の雑班(班長以下5名)と、脅威の強制排除をミッションとする邀撃班(Special Disaster Treatment Unit、隊長以下10名)で、常に連携しながら行動している。しかしながら出身母体(防衛省/国土交通省)の関係で、武器を携帯し揃いのユニフォームを着こなすSDTUと、防災作業服で出動する雑班の庁内外での待遇格差が大きく、両班の共同対処能力や親密度はビミョー。
チクタクチクタクチクタク……壁に掛かった古風な時計が音を立てて秒針を動かす。普段気にならない音も明け方のこの時間は狭い部屋中に響き渡る。規則正しいが聞くものを急き立てるような時を刻む音が充満する室内のベッドで、仰向けで眉間に皺寄せて目を閉じたショートカットの女性がしきりに頭を左右に振っている。首筋には汗が滴る。どうやら悪夢にうなされているようだ。寝言が零れる。
「待て!」
東京都心の真っ昼間、そこだけ黒い闇に包まれた姿の知れない異星人がビル街を見え隠れしながら逃走する。なぜか路上に人影はない。全速力で追いかけるシルバーボディのヒロインのストライプはグリーンではなく、既に危険を示すレッド。
<あと少しで追いつく。今度こそ決着をつけなければ>
異星人のシルエットに手が届きそうだが、身体のレッドストライプがスプラッシュを始めた。変身のタイムリミット間近だ。
<今しかない!>
黒い闇に躍りかかったが、両腕に手ごたえはない。路上駐車の車のボンネット上で異星人の影が高笑いを上げていた。エネルギーも気力も失ったヒロインはヘナヘナと座り込んでしまう。なんとそこへ見慣れたオレンジ色のコンバットスーツに身を包んだ武装した男たちがなだれ込んで来るではないか。
「なんだあいつは!」
<ダメだみんなに姿を見られてしまった>
次の瞬間、変身は強制解除され、人間体へと戻ってしまった。
「な、名取?お前いったいどうしてここに?するとさっきのシルバーボディは……」
<残念ながら君の変身姿が彼ら人類の目に触れてしまったようだ。掟どおり君に与えたM90星の能力はこれにて回収。さらばじゃ>
「待ってください!!」
そう叫んで名取仁子はガバリとベッドから身を起こす。全身に嫌な汗、激しい頭痛と全身の倦怠感。
「夢か……」
頭を抱えよろよろと覚束ない足取りでシャワールームへ向かう。洗面台の鏡に映る自らの顔が真っ青なことを確認し、もう一度ガクリと項垂れる。悪夢の記憶を振り払おうと温度を上げたシャワーを浴びても、心の平衡は回復できない。次々と顔面を通り過ぎる熱いお湯に向かって仁子の唇が微かに動いた。
「ダメだ。アメリカにいて日本の危機に対処するなんてやっぱり無理なんだ……」
「名取君おめでとう。君には来月から国交省MIT技術留学生として一年間渡米してもらうことになった」
一ヶ月前の班内朝礼で上司の加藤班長(特殊災害対策庁異変調査、災害処理班)にそう告げられ、戸惑いの表情の仁子。
「なんか全然嬉しそうじゃないなあ。技術留学は出世の早道、修了後即本省復帰も夢じゃないんだよ」
「いやその、突然のことで。ありがとうございます。これも班長始め皆さんのご指導のおかげ、もちろん嬉しいです!」
作り笑いで立ち上がりガッツポーズ。
<遂に来ちゃった。異動。それもアメリカ……>
周りに秘されたもう一つの彼女の役割の方は、新たに存在が確認され、都心を跳梁跋扈し始めたヒト型異星人への対応で忙しくなりそうな予感大。仁子の難しい立場を概ね把握する隣席のジェニファー(・コントレラス博士)も、同僚たちとともに拍手はしているが、キリっと描いた眉尻を更に一段上げて心配そうだ。
<でも遠く離れてもこのアプリが危機を知らせてくれるし、瞬間移動能力があるんだから、変身する時に時差だけ気を付ければやれなくないかな……>
冴えない頭を振りつつ留学生に充てがわれた学生寮からキャンパスへと向かう朝の通学路でけたたましく鳴り響く祇園囃子。行き交う人々が聞き慣れないメロディの音源はどこか?とチラチラとこちらに視線を送ってくる。
<まただ!>
夏もそろそろ終わりを迎える緑溢れるアメリカの学園都市のこと、街路樹の向こう側に一歩踏み入れば人目を避けられるよく繁った木立ちがある。舌打ちをしながらそんな死角に駆け込んだ仁子がアプリの通話ボタンを押す。一瞬彼女を包み込んだ金色の光が解けて現れたシルバーボディのヒロインは、左二の腕に止まる黄金の蝶に右手をやり、すぐさま夜の東京都心へ瞬間移動。
<そこへ>
深夜の東京都心に姿を現したヒロインは一瞬激しい全身疲労感に襲われてよろめく。時差超え数千キロの遠距離異動は仁子の身体を確実に蝕んでいるようだ。
<早く決着を付けなきゃ>
白黒斜めストライプのスパッツの上に黒のショートパンツをはき、赤いベストを纏っているかの首から下は人間にも見えるが、問題はそこから上。太くて白い猪首がそのまま頭部として石の墓標にように聳え立っているではないか。頭部/胴体/脚部の比率が同じつまり三頭身の異星人が、スーパーヒロインの登場に蟹の鋏状の腕で抱え込んでいた若い女性を一旦突き放し、二本の鋏を上げて嘲笑うような仕草で路地に逃げ込む。
<待て!>
異星人を追う途中早くも身体のストライプがイエローに変わる。やはり長距離移動にエネルギーを相当量使っているようだ。異星人が逃げながら側溝に光線のようなものを発すると、焦るヒロインの目の前に立ちふさがったのは身長二メートル超の巨大なゴキブリだった。
「キャア~!」
寡黙を常とするヒロインが、珍しくリアルに悲鳴を上げ立ち止まる。
<よりにもよってゴキブリ。ただでさえ虫だめなのに、無理ムリこれは触れないよ!どこかに新聞紙かスリッパないかな?>
茶色の全身を油状の分泌物でテラテラとてからせた巨大ゴキブリが、シャカシャカと音を立てつつゆっくりとこちらに向かってくる。ジリジリと後退るヒロイン。
<このままでは。また異星人を取り逃がしてしまう。やるしかない!>
ガシン!全身鳥肌状態になりながらゴキブリと組み合うヒロイン。相手は余った中ほどの二本の脚でヒロインの脇腹を撫でまわすように締め上げる。
「アンッ!」
くすぐられるような違和感に再び声が出る。そしてここで身体のストライプがレッドにチェンジ。
<早くこいつを元に戻さなきゃ>
組み合ったまま腹に渾身の右膝蹴りを入れるとゴキブリが仰向けに倒れ込み脚が宙を掻いて起き上がれない。
<よし今だ!>
ゴキブリに飛び込もうとしたその時、ヒロインのレッドストライプがスプラッシュを始めた。
<え、もうなの?こうなるとアームレットの力でこいつを元に戻し(エネルギー消費大)たら、私はアメリカに戻れなくなる。パスポートなし(例えあったとしても)に東京で変身解除なんかしたら……でもこいつもここに放っていけない>
その間もスプラッシュ速度が増す。
<ごめん。許して>
ヒロインがアームレットに右手を触れてハンドボール大の青い光の玉を作り出すと、すぐさまゴキブリに投げつけた。六本の脚をバタつかせるだけで抵抗できないゴキブリはたちまち燐の青い炎に包まれキーキーと断末魔の悲鳴を上げる。視線を落としヒロインはもう一度アームレットに触れ姿を消した。そこへ急を聞いた丘智美率いるSDTU(特殊災害対策庁邀撃班Special Disaster Treatment Unit)隊員たちが到着。最早動くことなく燃え尽きつつある巨大ゴキブリを視認して丘が静かに呟く。
「仁子……これでいいのか?お前の身に何が起こっているんだ?」
燃え上がるゴキブリの姿を思い起こし、仁子は身体に沁みついた分泌物と良心の呵責を洗い流せないかとかれこれ20分もシャワーを浴びているが、身体と心の滑りはいっこうに消えず、諦めてコックを閉じてシャワールームのタイル壁に両拳を打ち付ける
<とうとう地球の生き物を私は殺してしまった。自分の都合であの時の誓い”この地球に生を受けたものすべてが平和にそして安心して暮らせる共存世界を作ること。地球外からこの星を観察している知的生命体にも羨ましがられるような”を破ってしまった……>
なぜか侵略を企てる異星人はここアメリカではなく、日本を攻め立てる。それは二十世紀のウルトラマン時代と同じ。なぜ日本なのか?
<お願いだからこっちに来てよ。もうそっちじゃ面倒見切れないよ!>
シャワールームの壁に背中を付け、ズルズルと座り込む仁子の頬を零れ落ちる滴は徒に浴び続けていたシャワーの残滓であり、悩める心の残滓でもあるのだろう。
<でもこれは私の引き受けた役割。この身が続く限り、最善を尽くし頑張るしかないんだ。お父さんお母さんごめんなさい>
こちら日本の特殊災害対策庁の給湯室でインスタントコーヒーを不味そうに啜りながら向かい合う智美とジェニファー。
「やっぱりあのゴキブリはつくりものじゃなかったんだな?」
ロングの黒髪を黒ゴムで無造作にポニーテールに結わえお馴染みのオレンジ色の隊員服姿の智美が、腕組みした右手に持ったカップを口に近付けながら問いかける。
「そう。燃え滓のDNA検査の結果は庁内食堂のゴキちゃんそのものだったわ」
「ということはやつを燃やしたのは異星人ってことか?」
今日は珍しく細身の黒のパンツでグラマラスな美脚を包み、ラメ入りフリル襟付き純白のブラウスにグレーのベスト、ウェーブのかかったセミロングのブラウンヘアにフワリと片手をやったジェニファーが、顰め面のまま半分ほどコーヒーの残ったマグカップをシンクに置く。
「ゴキちゃんを巨大化させたのは誰かに追われきっと逃亡を図るため。それを自分で処分する必然性はほぼゼロ。現場にいて察しているクセに」
「しかし、まさか”マサ”、いや彼女がそんなことをするはずが……」
智美が右手を色白の頬に充て、やはりコーヒーの残ったカップをコツンとシンクに置いた。
「心配してたとおりね。今の彼女の前に立ちはだかる最大の敵は、14時間の大きな時差ってことか。出張ネタ作って母校の研究センターに行ってくるわ」
ジェニファーが片眉を上げる。
「頼む。こっちサイドの私たちにできることは何でもするから、いいアイデアを話し合ってきてくれ」
「あ~!今”何でも”って言ったな」
「あっ、あ~、何でもだ」
人差し指を振ってニヤリと意味あり気な微笑みを浮かべるジェニファーに、怪訝な表情で応える智美。
「ンフッ、その言葉ありがたくお預かりするわ」
振り返りざま嗅ぎなれたシャネルの香を残しジェニファーが去って行く。
「え?あ、ああ……」
「や~、母校のキャンパスの空気はやっぱり気持ちいいわね」
ベージュ地に所々キルティング模様が施された膝上ミニワンピース姿のジェニファーがMITキャンパス内の野外カフェで仁子に向き合う。ホワイト二本線入り黒のジャージに飾り気のない純白のTシャツを着て出迎えた仁子は頬がこけ目には隈、明らかに憔悴している。お久しぶりの挨拶を交わした後、ジェニファーが訊ねる。
「仁子、今とってもきついよね?あのゴキブリはあなたが虫嫌いだからって結果じゃないよね?」
いきなり核心を突かれ、仁子が深い溜め息一つ。
「ジェニファー、日本は古来なんで侵略者のターゲットになるのかな?」
「その理由はわからないけど、あなたのその顔色ではここから一万キロの距離と14時間の時差を乗り越えて、彼らに対処するのは無理なようね」
「でも、私のスマホで祇園囃子はしきりに鳴り続けてる。ほっとけないわ」
疲労困憊といった表情の仁子は、ちょっとした一押しで肉の落ちた長身の身体が心といっしょにポキリと折れてしまいそうだ。ジェニファーが本題に移る。
「無理なく対応できる日本にいる誰かにあなたの役割を移せないの?」
突拍子もないジェニファーの提案に一瞬目を見開いた仁子だったが、すぐに俯いて目を逸らす。
「この役割は唯一私がもらったもので……」
<なんじゃそれならそうと早く言ってくれれば。移せるぞよ>
<え?おじいちゃん?>
「どうしたの仁子?」
「ジェニファー、今この件で彼が降りてきてるのでちょっと待って」
「彼?」
今度はジェニファーが目を丸くする番だ。
<但し、誰にでもというものではない。あなたは自分を過小評価しているが、知力、体力、運動能力、慈愛、正義感、そして強い意志。多くの資質が一定以上に備わっている人類、それも最初にM90星の能力を授けたのがあなただったため女性でないと、今あなたが保持している能力は移せない、いや受け取れないのじゃよ>
<それはどうしたら解るの?>
あらぬ上空をすがるように凝視する仁子を、ジェニファーが心配そうに見守る。
<お互いの意思確認をした上で、変身アプリが起動した際にスマホをアドレス交換の要領であなたが託したい相手とかざし合えば、自ずと結果は出るじゃろう。因みに言っておくが、目の前の彼女は知力は抜群、表向きとは違う人間愛に溢れた人じゃが、残念ながら体力や運動能力面で失格じゃ>
突然視線を自分に向けた仁子に今日初めて心から楽しそうな微笑みを浮かべられ、事態が把握できず取り急ぎ両手を腰に背筋を伸ばし作り笑いで返すジェニファー。
<だよね……だとしたら候補者は一人しかいない。防衛大卒のエリート、闘志滾る格闘術、市民のためなら勇敢で折れない精神力を持つ女性。でも受け入れてくれるだろうか?>
いつぞやのスチームバスでの会話が蘇る。”私もね、そんなスーパーヒーローならなってみたい”。
「智美なら大丈夫でしょ」
「ジェニファー、今の話聞えていたの?」
「私の洞察力を舐めてもらっては困るわ。でどうすればいいの?」
<二人が会ってスマホをかざしてみることじゃ。あとはアプリが適否を判断してくれよう>
M90星人のサジェスチョンを仁子から聞き、ジェニファーは満足そうに一つ二つと頷いて見せる。
「どうやら日米間にレールは敷けたようね。あとはそれに乗っかるあなたたち二人次第」
真っ青な秋間近の空を見上げると、遥か上空をジェット機が二本の飛行機雲を美しく描きながら通り過ぎていった。
パシン!シュッ、シュッ……大小二つのシルエットが重なり合い鋭く手脚を交錯させている。小さい影が相手の懐に飛び込んでパンチを繰り出そうと間合いを詰めるのを、回り込みながら距離を取って大きい影の長い脚が美しい弧を描いて振り上がり牽制する。ジェニファーの取り計らい(庁内ゴリ押し)で、引継ぎ漏れ重要業務打ち合わせの名目で一時帰国した仁子は、打ち合わせ?もそこそこに庁内ジムで智美とのスパーリングの真っ最中。
「もうこの娘たちったら……」
会議室で仁子と打ち合わせのはずのジェニファーがあきれ顔で戦況を見つめる。仁子たっての希望で始めてみたものの、互角だったのは最初だけ。異星人との不利な闘いの疲労が蓄積している仁子は、いつも通り切れのいい智美の肉迫攻撃の前に防戦一方となり、得意のサブミッション技を繰り出すまでもなく見かねた智美がフィンガーグローブを下ろすと、大きな身体がヘナヘナと床に頽れる。駆け寄り仁子を抱き起す智美。その様子を腕組みしたジェニファーが遠くから見つめ、左右に首を振る。
「こんなになるまでがんばってたんだな。日本のことは私たちで何とかするから、これ以上無理はするな」
「智美さん、私……」
智美にお願いするつもりで帰国したのに、これまで自分が経験した過酷な戦闘シーンが脳裡に浮んで、こんな危険な役割を引き継いでとは言えないと口籠る仁子。
「仁子、智美はあなたのために出来ることは何でもすると私に約束したわ。そうよね?」
いつの間にか二人の近くに佇むジェニファー。
「ああ、ジェニファーから少し聞いてる。それが私で可能かどうかわからんが、私は来年まで仁子のその役割預かるよ。仁子が帰国したらすぐさま返すけどな」
「ありがとう智美さん。智美さんなら私なんかより……」
「いいや仁子、私には愛が足らないから、きっと役不足だよ」
智美が仁子の前髪を掻き上げて、彼女の黒目がちな大きな瞳を覗き込む。
「で!私はどうすればいい?」
「私がこっちにいる間、できるだけ私といっしょにいてください」
仁子の顔が上がって二人の視線が絡み合う。
「はいはい、何がラブが足らないよ!見ちゃいられないわ、こんな百合ソープオペラ。私は邪魔者ってことね」
そうぼやきながらも満足そうに頷くと、抱擁し合う二人を残しジェニファーはふわりと身体を翻してジムを出て行った。
その夜いつものガーデンレストランでメニューを広げる仁子と智美。出張登庁の仁子は薄いイエローのブラウスにグレーのパンツスーツ、コンバットスーツからロッカーで着替えた智美はデニム、Tシャツ、ブルゾンと黒ずくめ。何ともアンバランスかつ地味な二人にゴージャスファッションで花を添えてくれるはずのジェニファーは今日はここにはいない。一応声を掛けたが、”あなたたちのラブラブを見せつけられながらじゃ、きっとパスタも美味しくないわ”と拗ねたポーズを取りつつ、”その瞬間”に目撃者はいてはいけないと気を遣ってくれたようだ。
「何にしますか智美さん」
元気を取り戻しメニューを丹念にめくる仁子の正面に腰掛ける智美は、頭の後ろで両手を組み落ち着かない様子で星も疎らな都会の夜空を見上げている。
「何でもいい。任せた」
「もう、せっかくの久しぶりの二人の晩ご飯なんですから楽しみましょうよ。私はこのワタリガニのリングイネにしよっかな?はい、智美さんも選んでえらんで!」
智美が差し出されたメニューを受け取ろうとした瞬間、ズーッズーッ!ブルゾンの内ポケットに入れた専用通信機が震えSDTU指令室から急報が入る。
「はい」
「こちら高木、都内C地区に異星人反応を感知!」
「SDTU出動する。私もすぐに……」
仁子が右手を智美にかざして制止するような仕草。
「上原君そこにいる?」
「はいさ!」
「当直メンバーを連れて現場へ向かって。私は一旦指令室に戻る」
「鉄砲玉の丘さんが珍しいっすね。了解、C地区ならこっからすぐ。俺たちに任せてください」
通信機を切って仁子に顔を向ける。
「これでいいの?」
問いかける智美の語尾にいつものキレがない。頷いた仁子がウェイターに声を掛ける。
「ごめんなさい。急用ができちゃいました。また来ますね」
帆布製のトートバックからスマホを取り出して智美にかざす。
「いきなりビンゴですね。さあこれです。人目のない公園の奥に移動しましょう」
つかつかと公園の遊歩道に向かう仁子の背を呆然と見送り、しなやかさと強さを併せ持つ歴戦の勇者智美の手が小刻みに震えている。
<私に担えるのか?本当に……>
そんな智美の緊張感が伝わったのか、仁子が振り返りニッコリと微笑んだ。
「大丈夫ですよ。きっと!」
智美の腰がようやく椅子から上がり、カタカタギクシャクとした足取りで仁子の後を追いかけて行ったのだった。
異常反応のあったC地区は官庁街から徒歩圏内ながら入り組んだ路地にペンシルビルがお互いを密着させて立ち並び、それらに入居するのは飲食、風俗、事務所何でもありの混沌とした一帯。車で急行した上原以下三名のSDTU隊員が銃を構えて辺りを見回す。
「どこいきやがった」
「近隣センサーと同期します」
高木がタブレットを取り出しデスクトップのアイコンに指を触れると、たちまちけたたましいビープ音が鳴り響く。
「このビルです!」
古びた五階建てビルの屋上に不気味に光る物体が揺らめいているのが見える。
「暗視望遠スコープで確認だ」
「何だあれは……、上原さん屋上に異星人一体発見!いつもの奴です」
スコープを覗き込んだまま、木下が叫ぶ。墓石頭に赤いチョッキの三頭身、ここのところ市民を恐怖のどん底に叩きこんでいる異星人が得意げに両腕の鋏を掲げている。
「野郎!木下ついてこい。高木はここで奴の動きを知らせてくれ」
階段を一気に駆け上がって屋上のドアを蹴破り、ショットガンを構える二人の先に身体から耳障りなキ~ンという連続音を発し、さっきと同じ勝ち誇ったようなポーズの異星人が立っている。木下が射撃姿勢に入ろうとするのを左手で制し、銃を下ろした上原がドアから屋上に出る。
「やつが攻撃してきたら、俺を援護しつつあそこの空調室外機の陰に入れ」
ショットガンを持つ手を一旦だらりと下げて、上原がふらりと一歩二歩異星人に近付く。
「あんた宇宙旅行者のわりに最近調子に乗り過ぎじゃねえのか?この地球で悪さは禁物だ。そういうインバウンドは願い下げでね。とっととお家へ帰りやがれ!」
異星人が右腕をこちらに向けると鋏の間がポッと光る。飛びすさる上原。屋上出口の壁が砕け散る。相手が次弾を発する前に木下がショットガンを発砲すると、異星人はふわりと飛び上がり回避し、再び鋏が光る。上原は転回飛びで室外機裏に飛び込み、木下も近くのパイプの後ろに伏せ応戦態勢をとる。
「上原さん!すみません……」
ドア口から高木の裏返った声が。そこにはもう一体の異星人が高木を抱え込み、鋭い鋏の先端を喉元に充てていた。
「コイツノイノチヲタスケタケレバ、ブキヲコチラニナゲロ」
その音声は墓石状の異星人の顔の下部からではなく、頭頂部辺りから上空へ拡散されているように上原たちの耳に届く。
「けっ!解るなら最初からしゃべれよ。このボカロ野郎!」
「どうします上原さん?これじゃ俺たちみんな……」
「ツ・ミってやつか……しかしドラマでよく見るこのシーン、人質取られて手上げるって俺たちにメリット何もないよな。ドラマならでもきっと……」
カシャン、ガシャ~ン!室外機裏の暗がりからショットガンが二丁放り出されてきた。
公園の遊歩道から逸れて木立ちの間で向かい合う身長差のある二つのシルエット。大きい影が左の二の腕に右手を置いて、小さい影に何やら説明しているようだ。仁子が変身した姿も闘っている様子も当然目にしたことのない智美は、イメージが湧かないようで同じように左二の腕に置いていた右手を放して頭を掻きむしり始めた。
<君らの星では”案ずるより産むが易し”と言うんじゃろ。先ずはやってみることじゃ>
「智美さん、今の聞こえましたよね?」
「何、今の?」
耳ではなく脳内に直接伝わる声に、両手を頭にやり戸惑いの表情を仁子に向ける智美。
「それおじいちゃんです」
「おじいちゃん?」
<その呼び方は止めよと言ってるじゃろうが。私はM90星人、最初はあんなにビビッていたくせに調子に乗りよって。これもよいタイミングじゃな、ファッファッファ>
「もうあい変わらず適当なんだから。この憎まれ口が聞こえてるってことは、智美さんが私を引き継いでくれることに異存なしってことです。さあ!」
「そう?なのか……」
その瞬間仁子のスーツのポケットから祇園囃子が鳴り響く。スマホを取り出した仁子の合図で自分のスマホを近付けると同じお囃子を奏で始め、いよいよ慌てる智美。ディスプレイを覗くと位置情報に続いて、異星人の前で手を上げて途方に暮れる上原たちが映し出される。自分のスマホを見ていた仁子が顔を上げる。
「上原さんたちがピンチです。さあ、智美さん!通話ボタンを押してください」
血管が浮き出てきそうに引きつった表情の智美が祈るような視線で仁子に問いかける。
「身長がだいぶ違うし、その~む・ね・の大きさも……大丈夫かな?」
「M90星人から与えられたボディはピッタリフィット。サイズ違いは起こりませんよ。最初はちょっと恥ずかしいですけど」
「髪型も違うけど。そうだ髪結ばなきゃ!」
「髪型が変化するのは自分で実証済みです。ロングヘアでもティアラがしっかり押さえてくれて運動に支障ありません。っていうか誰も見てませんし、見られてはいけないのです。あっ、でも今闘ってる異星人には今までとは別人ってバレるかも?」
「いいのかそれで?」
スマホを持つ手が震えている。
「智美さんったら、超クールかと思ってたのに意外と心配性なんですね」
「うるさい!やってやる!」
勢いで通話ボタンを押した智美の身体が光に包まれ、やがて仁子の視界から消えた。
「智美さん、アームレット、”そこへ!”です」
そう囁くと、目の前に感じていた気配も消えた。ふっとため息一つ。
<おじいちゃん、彼女を助けてあげて>
<大丈夫じゃよ。わしが認めたあの娘なら>
智美がどうにでもなれとスマホの通話ボタンを押すと一瞬眩い光に包まれ、視界が開けた先に立つ仁子の言うとおりに左腕に現れたアームレットに右手を添え心で叫ぶ。
<そこへ!>
再び湧き起こった光が解けると、眼下に二体の異星人と手を上げた上原たちが正三角形の位置取りで立っていた。どうやら現場ビル屋上ドア棟の屋根に瞬間移動したようだ。自分に一番近い三角形の頂点、智美のすぐ足元で扉から出た異星人がこちらに背を向け高木を羽交い絞めにしている。無我夢中で飛び降りざまに敵のニュルっと伸びた後頭部に蹴りを入れ、縛めの緩んだ隙に高木の手を引く。
「大丈夫か?」
「え??」
思わず出た自分の声で、今の己の姿に気付き両手で口を押えるヒロイン。そう智美は今シルバーボディにグリーンの幾何学模様ストライプ、真紅のロングヘアを額の黄金のティアラで束ね、オレンジ色の慈愛に満ちた光を湛える瞳をしたスーパーヒロインなのだ。しかしその勇姿は夜間ステルスシールドにより地球人類の三人には見えていない。とにかく高木を上原たちの方へ押しやり、ハードヒットを受け足元で蹲る一体から距離を置き、左前方のもう一体にファイティングポーズを取る。
「お・かさん……」
よろめきながら上原たちに抱き止められた高木がつぶやく。
「はあ~、何だって?美人に抱かれてる夢でも見てやがれ!木下、高木はダメっぽい。こいつ連れて物陰へ!」
「はい!」
木下は高木の脇の下に肩を入れ、引き摺るように退避。その様子をチラリ振り返ってから上原は次の行動に移った。
ヒロインの姿が見えている赤ベストの異星人が腕の鋏から光線を発射。彼女は右に飛びすさり、敵の横っ腹に飛び込み押し倒しあっという間にマウントポジションに。無我夢中で顔面と思われる場所にパンチを繰り出す。
<こいつの首はいったいどこなんだろう?>
得意のサブミッション技に移ろうとするが、異星人の急所が解らず瞬時攻撃の手が緩んだ智美の首に突如痛みが走り身体が引き上げられる。もう一体の異星人の腕がヒロインを軽々と持ち上げてその首を絞め上げる。浮いた両脚をバタつかせて両手を相手の鋏にかけ辛うじて気道を確保したものの、ボディを彩るストライプがイエローに変化しヒロインにピンチを知らせる。
<身体の色が変わった。何だこれ?あっ、仁子から聞いたあれか>
さっきまで尻に敷いていた相手が悠然と立ち上がり、身体をについた塵を落とすポーズ。
<ダメだ、このままでは……>
とその時、高らかと発砲音が鳴り響き首の拘束がガクリと緩んだ。振り向いたヒロインの視線の先に、ショットガンを構えた上原。
<ありがとう。上原くん>
この機を逃さずよろめく背後の敵の胴体を右脚で踏み台に、前方のもう一体のひょろ長い側頭部にヒロインの渾身の左脚がサイドからクリーンヒット。前進しながら次弾を装填し終えて狙いをつける上原、その隣には思い出したように左の二の腕に右手をやるヒロイン。数的優位を失った二体の異星人は瞬間移動で消滅したのだった。
「畜生!逃げられたか」
歯噛みする上原のすぐ横に何とか初陣を終えた今までより小柄なヒロインが佇んでいるのは彼の目には映っていない。左手を握りしめ悔しそうなヒロインもアームレットに添えた右手の指示を変更し、見た目通り消え去ったのだった。
公園の木立ちで心配そうにしていた仁子は目の前に気配を感じ左腕に右手をやって声を出さずにゆっくり口元を動かす。
<か・い・じょ>
すると変身を解除した智美が出現する。
「お疲れ様です。智美さん!」
優しい仁子の声に安堵の溜め息とともに跪く智美。
「逃げられた……」
「私も最初は逃げられましたよ。問題ないです!」
苦しそうに上下させる肩を仁子に抱かれ立ち上がる智美。
「変身解除前、ストライプは何色でした?」
「き・い・ろ……」
喘ぎつつ発せられる智美の答えに腕時計を覗き込む仁子。
「それなら正常です。時差に苦しんでた時の私なら赤を通り越して既に強制解除でした。髪も、大丈夫だったでしょ?」
「あっ、ああ、このままで気にならなかった。でも……」
仁子の安堵の顔を見上げ、やっと整った呼吸で溜め息もう一つ。
「仁子はいつもこんなきつい思いしてたんだな。身体はもちろんだけど、判断も。さっき私はアームレットに触れた時”こいつぶっ殺す!”って念じようとしてた」
智美が不貞腐れたように首を右に振って視線を外す。
「う~ん、ちょっとそれは」
人差し指を鼻の頭にやった仁子が首を左右に振る。
「そう、だよな……さっきは未知の力を得て慌ててしまい隙を作ってしまったが、次は戦闘だけならもっと巧くやれると思う。だがやっぱり私に足りないのはそこなんだな」
「強制排除じゃない何か違う手立てがきっとありますよ。智美さんなら大丈夫!」
「そう、なのかな?」
戸惑いの表情の智美の瞳を覗き込んで頷き返す仁子。そう、今日から一人だけの秘密じゃない。がんばれニューヒロイン智美。君には名前がつくかもしれない。
「がんばりましょう。サトミラマン!」
「何だそれ?お前、テキトー過ぎるだろう!」
「バレたか!カッコイイ呼び名をアメリカでじっくり考えてみるとしましょう」
ようやく浮かんだ微笑みとともにバシッと仁子の背中を叩く智美。
「そうです。迷ったときは私のこの大きな背中を思い出してください」
仁子の長い腕が智美の背を包み込み、クスクスと二人の後ろ姿が上下する。彼女たちが歩み出した先には美しい三日月が優しく道を照らしていた。