5話 銀は依頼の色
【Mから始まる英単語】
Mad(気が狂った)· Magical(神秘的な)
Malice(悪意)· Manifest(明白な)· Mate(仲間)
Massacre(大虐殺)· Mettle(気質)
両親を殺した悪人を殺して欲しい。
その優希の言葉に彼女はほんの少しだけ目を見開く。Kは重々しく唇を動かすと、そこから流れ出たのは深い溜息だった。
「私を殺し屋か何かと勘違いしてませんか?」
「…ちがうの?」
「全然違いますよ」
重々しい雰囲気は何処へやら。Kは苦笑いを漏らすと、2杯目の紅茶に口を付ける。そんな彼女の様子に困惑する優希はただただ視線を泳がせた。
「殺し屋と殺人鬼は全くの別物です。その違いが分かります?」
Kの質問に優希は素直に首を振る。
そんな彼女にクスリと1つ笑みを落とすK。
「殺し屋というのは、殺す事で生計を立てている人間を言います。簡単に言えば金の為に、生きる為に必要な事だから殺す。それが殺し屋です」
「殺人鬼だってお金の為に殺すこともあるんじゃないの…?」
「そんな陳腐な理由で殺しては、せいぜい殺人犯止まりですよ」
鼻で一笑いすると、彼女は再び紅茶を注ぎ、喉へと流し込んだ。その1つの動作、表情に優希は彼女の殺人へのプライドを感じる。何かしら、明確な線引きをこの人はしているのだと理解した。だからこそ、その続きが聞きたい。優希の体は自然と前傾姿勢を取っていた。
「欲望の為に無意味な努力で人を殺す。それが殺人鬼です」
「無意味な…努力?」
「そう、無意味な努力です」
銀色のティースプーンをクルリと回す。そこから垂れた黄金色の紅茶は、ゆるゆるとティースプーンを伝いソーサーの上へ滴り落ちた。
「殺人鬼の動機というのは【達成感が欲しい】、【罪を裁きたい】、【美味しいお肉を食べたい】、【目立ちたい】、【子供が好き】など別に殺人をしなくても欲望を消化できる理由しかありません」
【達成感が欲しい】のなら、パズルでも仕事でも何かしらやり遂げれば達成感獲得に繋がる。
【罪を裁きたい】のなら、裁判官にでも成れば良い。
【美味しいお肉が食べたい】のなら、牛肉でも豚肉でも高いものを調べ食べれば可能だ。
【目立ちたい】のなら、殺人でなくてもやれる事は巨万とある。
【子供が好き】なら、殺す事などせずに保育士にでも成れば良い。
以上の事から、この横丁に住む殺人鬼の動機は殺人以外で補える理由であり、欲望を簡単に消化する事が出来る。
「それでも殺人を犯す理由は何か」
ティースプーンを鼻の頭に向けれた優希は喉を鳴らす。
「実の所、特に理由はありません。人を殺したいから殺した。つまり意味もありません」
「え」
Kの言葉に拍子抜けする優希は、悠々と紅茶に口付ける彼女に間抜けな表情を見せていた。
「ふふっ、そんな顔をしてどうしたのです?」
「あ、の…えっと…てっきり、殺人の理由は才能があるからとか…そんな理由かと、思って…」
「拍子抜けしました?」
「……はい」
素直でよろしいとKは笑う。
だが、その笑いは含みある笑いへと変化する。
「殺人の才能なんてこの世にある訳ないじゃないですか。そんなもの存在しませんよ。さっきも言ったように、あるのは欲望と無意味な努力だけです」
蠱惑的な笑みを貼り付け、足を組み替える素振りに優希は同性だというのにドキリとした。
「消化したい欲望の為に、殺人という面倒な手段を選び、その殺人を行うに当たっていかに警察にバレないか、上手く殺せるかという無意味な努力をするのが殺人鬼です」
「えっと…殺人鬼の殺人には意味が無いってこと?それが殺し屋とか殺人犯と、殺人鬼の違い?」
「That's Right! 簡単に言えばそういう事です。無意味な努力をするからこそ、無駄なポリシーを持ち合わせている…まぁ、私もその無駄なポリシーを持っている殺人鬼の1人ですがね」
満足げに3杯目となる紅茶を傾ければ、Kは話を大元に話を戻す。そもそもの話は優希の依頼の話であって、殺人鬼と殺し屋の違いはその補足でしかない。だから、彼女は話を本筋へと戻した。
「私は殺人鬼です。殺し屋ではないので君の依頼を受ける事はしません。出来ません」
「そ、そんな……刑事さんはKを頼れって…!」
絶望に打ちひしがれる彼女の言葉に思い当たる節があるのか、Kはまさかと口を開く。
「刑事さん…それはまさか背の高い、髪を真ん中で分けた茶色いコートの男性ですか?」
「えっ、あっ…どうして…!?」
「はぁ、やはり…」
額に手を当て、やれやれと首を振る。
知り合いだった。それもかなり旧知の仲なのか、彼女の口からは「何故、私に」やら「直接連絡をしてくれば良いのに」と漏れていた。
「山中刑事も何を考えているのか分かりませんね…」
「山中刑事…」
「えぇ、君に私を紹介したのはきっと彼でしょう。私の事を知っていて頼ろうとする警察は彼ぐらいなものですから」
再度溜息を吐いたKは、しばらく目を伏せ考え込む。次に豊かな睫毛が動いた時には、真っ直ぐ優希の目を見ていた。
口角の端は上がり、丸眼鏡の奥にある優希を写す大きな瞳には、決心の色が混在している。丸眼鏡の銀縁が光り、薄暗いリビングで彼女の存在を浮き彫りにしていた。
「…依頼としては受けません。ただ、君の願いを叶えるかどうかは別です」
「それって…!」
「殺人鬼にも情くらいあります。山中刑事からの紹介というのが大きいですが」
つまるところ、ただの気まぐれでしか無い。
それでも彼女が優希の話を聞こうとしてくれているのは事実。優希もこのチャンスを逃すまいと慌てて頭を下げた。
「お、お願いします…!」
「はい、お願いされます。あ」
「え?」
Kは思い出したように眉を上げれば、困ったような笑みで頬を搔いた。
「君の名前…教えて貰っても良いですかね?」