1話 黒は出会いの色
【Kから始まる英単語】
KEY(重要な)·KILLER(殺人鬼)·KING(王)
KEEN(泣き叫ぶ、鋭い)·KIND(本質、優しい)
「はぁ…はあ…!」
今にも飲み込まれそうな黒い空が大きく唸り、大粒の涙を流す土砂降りの中で走る影が1つ。
雨と交じるように涙を流すその少女の姿は、まるで何者かに追われているようだった。
「何処に行った?」
「分かりません…雨でよく見えず…」
「探せ! あのガキ、クソ刑事に何かを吹き込まれてやがった! 早く見付けねぇと厄介な事になるのは目に見えるぜ」
「は、はい!」
いかにも一般人とは思えない派手なスーツを着たガラの悪い男達は、それぞれ四方八方走り出す。どうやら、この男達は少女を探しているようで焦る表情が隠しきれていない。そんな男達にも気付かれないような小さな路地に少女はいた。
「しにたく…ない…!」
寒さで悴む身体に鞭打ち、路地を抜けると目の前に自分より大きな黒色が現れた。
「きゃあ!」
「うわっ」
その黒色とぶつかり、尻もちを着き見上げる。すると、やっと黒色が人だと理解する。黒色は差していた傘を少女にも入るように傾け、一瞬驚愕するがすぐに優しい微笑みで迎えた。
「突然、飛び出してきたんで驚きました。どうしたんです? 傘も差さずに息を切らして?」
「あ…あの…」
肩で息をし、言葉を紡ぐ余裕も無い少女に黒色…少女とぶつかった全身黒い服を着た若い女性は首を傾げる。女性の頭にハテナが浮かぶ中、少女の小さな手は真っ直ぐ彼女の服を凄まじい力で掴んだ。
「よ、こちょう…」
「ん?」
「まだあ…横丁…って、知ってる…?」
〈負打安横丁〉
その名に女性の目の色は明らかに変わる。
先程までの優しい微笑みの奥に鋭い警戒が映った。しかし、少女はそれに気付く余裕は無い。少女はその横丁にたどり着かなくてはならない使命感に押し潰されかけていたからだ。
「……どうしてです?」
「そこにいる…〈K〉って人に…会わなきゃいけないから…!」
少女の言葉に女性は再度驚く。
何を隠そう少女の探す〈K〉とは、この女性であったからだ。何故、自分の名前が10歳くらいの泥だらけな少女から放たれたのか、疑問しか浮かばない彼女は言及しようとするが少女の口から出たのは別の答え。
「あたし…死にたくない。死にたくないの…!」
呟く少女の言葉にはしっかりとした意思があり、心から死にたくない思いが〈K〉に伝わる。
生きようとする意思がそこにはあった。誰かに頼り、誰かに助けを求め、誰かの力を利用してでも生きたいと願う所存が瞳に込められている。
「…立ってください」
「え?」
少女が顔を上げると、女性の口は相変わらず弧を描くが、メガネの奥は笑っていない。
女らしい丸みを帯びるも大人である事が分かる大きな手は、少女の冷たい手を握る。強く握られてはいないが、まるで手錠で繋がれたような…逃がさないという意志に固められた手を少女は感じた。
「案内しましょう。その横丁へ」
大きな黒い傘は少女を影に入れる。
日本女性の平均身長よりも若干高そうな黒い女性に引かれるまま進めば、少女の見たことも無い路地を歩んだ。
薄暗いがファンタジーのようなネオンが光り、まるで異世界のような蒸気を抜けると…
「わぁ…!」
月の光に浮かび上がったのは探し求めていた〈負打安横丁〉の看板。
「ようこそ〈負打安横丁〉へ」
傘を閉じた女性が腕を広げる。
彼女は、まるでこの横丁の王のような雰囲気で自分の庭を紹介するように横丁の大きな看板を見上げた。
少女の目的地である横丁は、想像していたものとは全く違う姿を見せる。てっきり、暗く幽霊の出そうな廃れた横丁をイメージしていたが、この横丁はまるで原宿のような明るさやカラフルさがあり、不気味さと幻想を混ぜ合わせクレイジーで割ったような不思議な横丁が真っ直ぐ遠くまで続いている。
「そして、私がこの横丁の最奥で古書店を開いています…〈K〉です」
少女は探していた人物が目の前にいる事実に驚きを隠せず目を見開いた。だが、すぐさま要件を告げようと口を開いた瞬間。
「ゆ、許してくれぇっ! 俺は何もしてねぇ!」
見知らぬ男の悲鳴じみた大声によってかき消された。
少女とKの視線が声の主を追って横丁を見やれば懺悔するように手を組んだ髭面の中年男性が、神父の装いをした若い外国人に叫んでいる事が分かる。
「お、俺は! サツなんて連れて来てねぇ!た、確かに追われていたが…逃げ切った!だから殺さないだろ…なぁ!?」
「あぁ…神よ。この罪人に加護の光を…」
男はひたすら懇願するが、その声の背景には遠くで鳴り響くパトカーのサイレン。警察を横丁に連れてきていないというのは事実だろうが、確実に近くまでは来ていた。
助けを乞う男性の声に耳を傾けず、穏やかな表情で青年神父は腕に持った大鉈を振り上げる。
そして…
「罪悪人の皮を被った豚に…安楽の死を…」
振り下ろした。
真っ赤な血がまるでスイカ割りをした果汁のように飛び散り、その首は椿のようにボトリと落ちる。
「あ…ぁ…!?」
少女の瞳がゴロリと転がってきた…ついさっきまで生きていた中年男性の瞳孔の開いた瞳とぶつかる。
初めての死。初めての血飛沫。初めて目の前で起きた殺人。見たくもない肉の断面が見えてしまった少女が混乱しないわけがなかった。
「はぁっ…はぁっ…!」
過呼吸を起こし波のような吐き気に襲われた少女は、多くの人々の視線を集める中、その場で胃の内容物を全て路上にぶちまける。
「ゲェっ…オェェっ…!!」
数秒か数分か…少女は自分の嘔吐が続いた時間をハッキリと理解できぬまま、気を失った。幸いにも汚れた路上に落ちる前にKによって受け止められる。
「はぁ…〈J〉、何も横丁の入口で殺す必要は無いでしょう」
「K! あぁ…僕の女神様にして心より愛する女性よ。貴女の怒りを受ける僕をお許しください。僕は罪人を処刑しただけなのです」
小さな体を抱き上げるKに、神へ祈りを捧げるように手を組む〈J〉と呼ばれた青年神父は破顔し、Kにチークキスを施した。
すると、やっとKに抱かれる少女の存在に気付き、呆けた顔で疑問を口にする。
「おや、その幼い女性はどなたですか?」
「どうやら私の客人のようです」
「なんと…可愛らしい客人ですね、K」
人を殺したとは思えない、神父らしい微笑みを浮かべたJは少女の頬を優しく撫でた。その手つきには、大鉈を振り下ろした凶悪さは一切ない。彼の着るカソックが返り血で汚れていなければ、異国の街の人々と寄り添い生きる優しき神父そのものと言えるだろう。
「さてと…〈P〉は居ますか?」
「へ、へい!」
Kが声を掛けると、人だかりの中を抜けて現れたのは、小柄の胡散臭い中年男性だった。
〈P〉と呼ばれた男性はオドオドと、KとJを恐れるように視線を泳がす。小柄な身長も相まって、その姿はまるでライオンに媚を売るハイエナのようだ。
「路上の掃除と、この子に街の案内をしつつ私の古書店まで連れてきて下さい」
「はぁ?」
「明日の開店準備をしたいんですよ。この子に着替えを見繕って、面倒を見たいのですが生憎そんな暇は無くてですね」
申し訳ない顔をするが、少女をPに押し付けている事に違いは無い。
勿論、Pだって仕事をしている。
こんな見ず知らずの少女を押し付けられ、嘔吐物の掃除までさせられようとしているのだ。不満があるに決まっている。
「どうして俺が…」
「あぁ…神よ。我らが女神であるKに苦言を呈す豚に神の代行人として処刑を」
「ウソ! 嘘です! やります、喜んで掃除も案内もさせて頂きますです! はい!」
Jの持つ大鉈がガリガリと地面に傷を入れると、Pは慌てて両手と首を横に振り彼女の命令を承諾した。
「じゃあ任せましたよ、P」
「K! 僕も貴女と共に行きます」
少女を受け渡され、横丁の最奥へと進んでいく2つの黒を眺めて姿が見えなくなると、Pは大きく溜息を吐き出した。
「最恐と最凶にパシられるとか、今日も運が無いぜ…ちくしょう」
ふと抱く黒く薄汚れた少女の顔を見れば、肩を落とし眉を顰めた。
「…つーか誰なんだ? このガキ」