何もできないのに先の心配とかしてたんですけどっ!?
「俺にできる事──か」
「アメツチに、できる事って何だ?」
「そりゃあ……って、イサハヤ? アヤカもか」
いつの間にか追い出されていた二人が幕家に戻ってきていた。
輝常立と彩美。
一歳下の義弟と二歳下の義妹は、『恩讐のアテルイ』では登場する事もないが、俺には大事な身内だ。
まあ、それを云うなら盟守の一族で『恩讐のアテルイ』に登場するのは、俺とアテルイとエニシさんに、アテルイの従弟達くらいだが──。
「アメツチ、痛い?」
「いや、痛くないよ」
『恩讐のアテルイ』で描かれた破滅の未来を想い浮かべそうになるのを、アヤカの心配そうな声が止めてくれた。
「────もう、大丈夫だ」
終わりは、いつか必ず訪れる。
でも、それは今じゃないし、宿命じみた運命などどこにもない。
「だから外で遊んでおいで。婆に見つかったたら叱られるから」
「でもアメツチ、独りで寝てるのつまらなくないか?」
「いや、色々と考えてたから、つまらなくないよ」
「そっか、ないかー」
ほろりと笑ってイサハヤが言うと。
「ないかー」
アヤカも、ふわりと笑って慶ぶ。
それは、ここが俺の居場所で、ささやかな幸せを抱ける大切な人達が在る場所だという事に気づかせてくれる笑顔だった。
「ああ。でも婆に叱られるのは、つまらないし、拳骨は痛くて嫌だな」
俺を気づかってやって来た幼い二人を邪険に追い出すのも気が引け、一計を案じる。
「……俺もやだ」
「……痛いのやー」
オモダルの叱る時の怖い顔と拳骨の痛さを思い出したのか、イサハヤは小さな体を少し震わせ、アヤカはかわいい顔をしかめる。
あの婆さんは躾けに厳しく、大人でも杖で殴るので、清く正しく美しくを地で行くエニシさん以外は、子供も大人を苦手としている。
それでも、皆のためにならない事だから叱るのだと一族の者は判っているので尊敬されているから、こういう時にひきあいにだすのには最高の相手だ。
まあ、ナマハゲとかブラックサンタみたいなもんだな。
「うん。俺はもう平気だから、やっぱり見つからないうちに去ったほうがいい」
辺りを見回すふりをして言うと。
「アメツチ、平気か?」
「平気?」
もう一度、俺の顔を見て、俺が笑ってうなづくと、二人は嬉しそうに笑い返して幕家から出て行った。
それにしても、いくら敵意もなく、よく知った気配の身内だからって声をかけられるまで気づかないなんて、マズイな。
和んだ気分を引き締め、未来を切り開くための方策に考えを巡らす。
気配を隠してたり、敵意のある相手や、知らない気配なら、気づけただろうか?
前世までの記憶と情念を取り戻した時に、<志念>の燃料である<波気>を知覚できるようにはなった。
けれど、身体に宿る<波気>を活性化して、外に出せていない。
だから、外部に薄く広げた<波気>を放出して周囲を感知する探捜波どころか、装波、断波、錬波の基本さえできていない。
だというのに、<志念>が使えるようになった後の事をうじうじと心配してたのか、俺は。
自分というものが定まっていない状態ってのは厄介だな。
でも、まあ俺が独りじゃないと気づけただけマシだ。
前世はしばらく勘違いした英雄志願をやってたからな。
とりあえず、<志念>の修行をして、特殊能力を発現できる現波にたどりつくのが先決だ。
<志念>を覚え、それを元にどうするかを長老衆とエニシさんに相談して……。
「 将来はエニシさんを嫁に……」
ハッ! いかん、妄想がっ!?
なんか、精神的に安定してきたせいか、元の俺の悪い癖まで出てきてる?
くっ! またキモイとか言われてしまう。
いや、今世では言われてないけどっ!
それに前世は、ちょっと混乱してただけで、ちょっと自分が特別だからスゴイ存在と勘違いした…………やめよう、心が痛い。
それに、盟守の一族は女系だから、嫁に貰うじゃなく、婿になるだな。
「でも、婿になるなら……エニシさんの婿がいいな」
「アメツチは、わたしの御婿さんになってくれるの?」
……この状況では、聞こえてきてはいけない女性の耳に心地いい鈴の音のような声がする。
金属ではなく堅い樹で造られたころころとした鈴の音を思わせる聞きなれたやわらかな声。
「……か、義母さん?」
「昔はそう言ってくれてたけど、近頃はそっけないから寂しかったけど、嬉しいわ」
にこにこと嬉しそうにエニシさんが、身内びいきでなく前々世の美人女優達すら足下にも及ばない美貌を、輝かんばかりの笑みで満たし、寝床の横に立っていた。
エニシさんは、『恩讐のアテルイ』の永遠のマドンナで善き人の象徴として描かれる理想の女性だ。
だから、女優ごときが……って、違う!
イヤ、違わないけど……って何でここに!?
いや、心配してたから、様子を見に来てくれたんだろうけどっ!?
「でも、大丈夫そうで安心したわ。」
自分の内心を図らずも吐露した俺の混乱に気づいていないのか、エニシさんは手を差し伸べて俺の髪を撫ぜる。
慈愛を感じさせるしぐさで、男を意識する女の態度ではないが、それだけで俺の鼓動は早くなる。
だが、我ながら青いことだと心の奥で微笑ましく自分を見つめる前世までの|》俺《'につられて、俺も冷静さを取り戻していった。
「あ、ああ、もう平気だよ」
「でも、薬司祭が明日まで寝てるように命令をいうのだから、護るのよ」
「判ってる。命令事を護るのは、大切な命を護る事だよね」
それは、命令というのは生命を護るための約束事を伝える事で、それ以外の場所で他人を従えるために使ってはならないという<和義の治証>の一つ。
盟守の一族が、子供の頃から教わる<和の心>。
生命を頂き、他の生命によって生かされている事に感謝と敬意を忘れない生き方。
生命を敬い、大切にして、護るために生きる<生命礼讃>の人の在り方だ。
「自分も生命の中の一つと忘れないで。わたしが日巫女の役目を一与の巫女に受け継いでもらったら、アメツチの御嫁にしてくれるのでしょう? 」
子供相手だからこその気軽さなのか、アメツチの憧れを受け止める言葉を口にして微笑むエニシは、綺麗で美しかった。