どう使うかを考えない力なんて意味ないんですけどっ!?
「普通に考えれば詰んでるなら、盤面をひっくり返すしかないんだよな」
ただ、それは諸刃の剣だ。
「ひっくり返した結果、日本が滅びましたとか人類が異種族に滅ぼされましたなんてオチは真っ平だしな」
何せ千年後、『イェーガー²』の世界では、<志念>で改造された元使役生物が知能を持って人間に戦いを挑んだりしている、
どんな力だって、使い方を誤れば自分達の身を滅ぼすものだ。
それは、核エネルギーに例えるなら、原爆として使うという人道を踏み外す過ちと、未完成の技術で造られた原子炉を運営して事故という間違いを犯す二つの意味の誤りだ。
多くの生命が懸かっている追い詰められた状況で、‘ 過ちて改めざるを過ちという ’なんて、勝ち組の余裕などない。
まあ、権力を得ることしか考えない無能な勝ち組になると、過ちを改めるどころか、責任すら感じず、自分の過ちと認めたりはしないけどな。
そんな腐った勝ち組ならば、負け組に失敗の尻拭いをさせて、事故が起きた原子炉の後片付けに命を賭けさせるように、自分達は人を使う特別な存在だとふんぞり返ったりしていられる。
負け組でも、財産や仲間や安全を差し出して、一握りの犧贄で済んだと、必要な損切りだ仕方ないと、何にでもリスクは必要だと、自分を誤魔化し、そんな勝ち組に媚を売って生き延びられる。
だが、勝ち組にも負け組みにも属さない超負け組の俺達は、一つ間違えれば終わりだ。
勝ち組は持てる力を増やすつもりで、勝ち組に生きる事への不安を煽られた負け組は、少しでも勝ち組に近づこうと、暴力を振るう力のない者を踏みにじりながら争そい合おうとする。
それは。戦国の世でも、資本主義で争い合う前々世の国際社会でも変らない。
だというのに、未来の人の趨勢なんて考え、人としての道義なんて理想まで護っていかなければならないのが、<和の民>盟守の一族なんだから、詰んで当然だよな。
「そうだよな、先ず一族をどう動かすかってのも問題なんだよ」
正確には盟守の一族の大人達をだ。
アテルイの家族のような非主流派の戦いこそ生きる道を地で行く好戦派の少数部族を動かすのは簡単だ。
目の前に、一見チート能力に見える<志念>をぶら下げれば、人参につられる馬のように走り出すだろう。
ただ、<志念>を武器として使うには、大きな欠点がある。
それは攻撃として強い<波気>を身に浴びた人間は、その攻撃を耐えて生き延びれば<志念>に目覚めるという点だ。
<志念>は存在エネルギー<波気>を知覚して、体外に出す事から始まるので、修行して体内の<波気>を感じ取れなくとも他の人間が操る強い<波気>の流れを受ければ、それに反応して<波気>は体外に噴き出るのだ。
止めを刺せばいいので一対一の殺し合いなら武器として問題のない欠点だが、集団戦闘になると話が変わる。
圧倒的多数の相手をしなければいけない状況の俺達では、止めを刺すなんて暇はなく、戦いを繰り返せば、いつか敵に<志念>を与えてしまう事になる。
そうなった時点で俺達は終わりだ。
正しい修行方法をしらなくても、<志念>に目覚めた人間は、味方の兵の小指一本を<志念>で破壊するだけでいい。
攻撃で死ぬ事はなく、後は<志念>を制御できるかどうかの問題で、十人<志念>を浴びた人間がいれば七人は生き残るだろう。
前世で何やかやあって、そこらが設定通りなのは解っていた。
そして、強い力を得られるとなれば、死の危険を顧みない人間が多くいるのが、人殺しを正統な成り上がりの手段とした戦国の世だ。
確率として百人の人間がいれば、数人は能力者が生れる計算になる。
死を恐れる事を恥とする戦国武士集団なら、その割合はもっと増えるだろう。
何も考えず<志念>を使えば、多勢に無勢をひっくり返すメリットは失われるということだ。
ここは前世よりももっと他人の生命を軽く扱う人間が多くのさばっている世界だ。
「悪党供は‘ 人の命が軽い世界 ’とか、自分中心に考えるからな……」
この世界とはそういうものだから仕方ないとか、自分勝手な理屈で皆を騙して負け組に危険を押し付け、<志念使い>を量産しようとするだろう。
まあ、敵に<志念>を渡すリスクを減らす方法はあるが、好戦派に解りやすくはない手段なので、対策が必要だ。
けれど、そっちは上手く味方を増やせば、なんとかなる。
問題は、やはり女系一族である<和義の治証>の盟守の一族。
エニシさんの一族の説得だろう。
男と違って感情を戦いに向け難いうえに、一族の行動方針を決める長老衆の婆さん達は煮ても焼いても食えない性格だ。
祖祀の日巫女として<大いなる火環>を祭るために、穢れを排して清く正しく美しく育てられたエニシさんとは大違いだぜ。
アテルイの暴走を長い間に渡って食い止めていたのだから、一族内で婆さんたちを出し抜くのは無理だろう。
エニシさんや皆を裏切り一族内でクーデターを起こすなんて事をするくらいなら、ここから出て別の豪族を乗っ取って一族を守るほうがマシだ。
「でも、それで信頼できる仲間が得られるか?」
戦国時代の半農半武の血統主義と身分制度で凝り固まった豪族達の中で、そんな仲間ができるわけがない。
かなり戦嫌いだが<和の民>の精神文明度は高い。
知識を奪われて半奴隷化された全農の土地を持たない百姓達に伝わる<和の心>を理性と法で守る一族だからだ。
<和義の治証>を頑なに護り、そのために滅びようとする一族。
俺は、それに誇りを持ち、だからこそ一族を力で変えてでも守ると無謀にも立ち上がったアテルイと対立した。
そしてアテルイを否定しながらも、行動で一族の未来を切り開こうとした在り様に嫉妬した。
そんな『恩讐のアテルイ』の子供じみた悪役としてのアメツチは、もういない。
だが、盟守の一族を敬愛し続けた俺の情念は、変らず俺の中に在り続けている。
「皆を見捨てて一人でアテルイのように生きるなんてのはムリだ」
俺の人生は、ここにある。
『恩讐のアテルイ』で主人公は一人生き残り後悔しながら、忍として武家社会に復讐を続ける中で戦い、愛した人達や味方の武士達の死に助けられる事で生き残って、戦国の世の終わりを見届け独り死ぬ。
そんな人生は、絶対に、ご免だった。