第二十二話・赤々と燃える森
――森が燃えている。
レオ・ドールマンの村があった森が激しい炎に包まれている。
俺は森の外れに立っている。
レオと村の男達も呆然としている。
あるものは森を見続け、ある者は眼前の出来事から眼を逸らして座り込んでいる。
森の炎が勢いを増し、いよいよ手が付けられなくなってきた頃、俺の中の憎しみの炎が徐々に勢いを失って行った。
炎によって燃え上がった俺の中に渦巻いた憎悪は更なる炎によって燃え尽きていった。
それと時を同じくして光は見えなくなっていった。
誰かから奪うことも、何かを奪うことも出来なくなっていった。
俺が放った青い炎は木々を燃やし、赤く色を変えても止まらない。
俺は逃げ惑う生き残った二人の村の男達を何とか見つけ出し、瞬間移動で森の外に飛び出した。
再び激しく燃え出した村の中心に立ち尽くしていたレオも見つけ出して森の外に連れ出した。
一度も使ったことのない他者との瞬間移動は事も無げに使うことが出来た。
彼らは森の外に出てから一言も発しない。
今起こっていることが現実のものなのか、今まで起こっていた事が何だったのか。
混乱を通り越して忘我の状態に陥っているのだろう。
彼らの知る人々は喪われてしまった。
彼らの住む家々は燃え尽きていった。
そこに本家ドールマンの村から出発したグレゴリー兵長達一行がようやく辿り着いた。
一同はここに至るまで、遠くからも見えていただろう光景に言葉も無い。
森を燃やす巨大な炎の傍に沈黙だけが在った。
暫くの後、グレゴリー兵長が村の男達に向かって問いかけてきた。
「この火事は何だ。どうなっている?
アラタ・クロキさん?何であんたがここにいる?
熊族はどうなった?」
矢継ぎ早の質問に答えられる者はいない。
その全ては俺が答えを持っている。
「……全部、燃えちまったよ」
俺の口から出てきたのはただそれだけだった。
それが全てだった。
目の前に広がる赤い景色がその全ての答だった。
俺が全てを燃やしたのだ。
「事情がよくわからんがレオ村長、説明してもらおう」
「俺にもよくわからん。熊族の連中が村人を皆殺しにして森に火を放った」
兵長があの嫌らしい口調ではなく随分と兵隊らしい言葉遣いで話し掛けている。
こいつのアレは何のポーズなのだろうか。
まさか親しみやすさを表しているわけでもあるまい。
気持ち悪いだけだ。
「で?そいつらは何処にいる」
「……何処も何も、奴らはアラタが倒して森の中だ」
レオは赤々と燃える森に視線を投げる。
全て燃えてしまったのだ。
被害者も加害者も証拠も何もかも。
実況見分も証拠収集も不可能になった。
あるのはここにいる村人の言葉だけだ。
「それにしても、なんで彼がここいるのだ。
我々が村を出た時には彼は貴方の母上の家にいたはずだぞ。
現に私が彼と直接話しをしたのだからな。
馬もなくどうやってここまでやって来られるのだ、我々より早く!」
「知らんのか?こいつは魔法使いだからな。
どこにだって現れるし、熊族を倒すことくらい訳ない」
レオの言葉を受けて、兵長が片眉を上げる。
俺に視線を向ける。
驚いた表情のようにも見えるし、予想していたようにも見える。
ローバーには通常と違う能力を備えている者が多い事は彼も聞いているはずだ。
むしろ俺の能力について初耳であることを無言で聞き咎めているのかもしれない。
こんな場で瑣末な話だ。
「そんな話は聞いたことがない。
ペーター村長もドールマンさんもそのようなことは一切言っていなかった。
とにかく、こうなっては森に入ることもできん。
貴方達を本家の村に連れ帰る。一緒に来てもらおう」
轟々と燃え盛る森を前にして兵長は俺達に言った。
この炎はもう自然鎮火に任せるしかないだろう。
幸いこの辺りは森が独立しているため、この森が燃えてしまえばそれ以上の延焼はしないだろう。
数キロ四方に渡る広大な森がどこまで燃えるかはまさに神のみぞ知るといったところだ。
すでに俺の使える超能力で消火できるような規模ではなくなっていた。
俺達はほとんど連行されるように、それぞれが兵隊達の馬に乗せられそのまま本家ドールマンの村の兵舎に連れて行かれた。
道中で俺は力尽き、本家の村に着いたことには全く気づかなかった。
――翌日。
「そろそろ起きたらどうだ、アラタ・クロキ殿?」
グレゴリー兵長が扉に嵌る格子窓越しに俺に声を掛けてきた。
ここはどうやら牢屋の中らしい。
昨日はあのまま馬に揺られて本家ドールマンの村に連行されてきたようだ。
レオの家の物と比べて格段に硬いベッドの上に寝かされていた。
木製のベッドに粗末な毛布がかかっているだけだ。
この毛布もきっと何年も洗っていないような代物だ。
せめて日光に当てて干さないとこの部屋の囚人はダニ達の餌食だ。
俺もその被害者の一人だ。
じきに身体が痒くなることだろう。
そんなどうでもいいことを連々と思いつく。
頭がまだ完全に覚醒していない。
昨日大変なことがあったのに。
そう、想像を絶するようなことを俺がしたのだ――。
一気に現実に引き戻されて覚醒した。
僅かばかりの朝食を与えられると部屋を移動して尋問が始まった。
村長の家から村に移動して森が燃えるまでの説明を何度も繰り返した。
レオを含む残された村人も同様の尋問を受けているようだった。
「クロキさんの言ってることがどうしても理解できないんですがね。
その、普通の魔法使いってのはそんな簡単に物を動かしたり、火をつけたり消したり出来ないんじゃないですかね?
あたしの知らない法則があるんですかい?」
「だから、何度も説明しているように、俺の魔法は他の人が使わないような特殊なものだって、レネに聞いたらわかるって言ってるだろ」
「そりゃあ、元宮廷魔導師のレネ―・ドールマンさんにお墨付きを貰えたらいいんですが、あなたと身内のような関係じゃあないですか。
その人の説明では上が納得しないかもしれんのですよ、残念ながら」
兵長の口調は最初に会った時と同じものに戻っていた。
なんでこいつは状況に応じて話し方を変えるのだろうか。
胡散臭いだけだと思うのだが。
それにしても、この世界でも身内の証言は無効という考え方が一般的なのか。
それとも単純に俺が信用の置けないローバーだからなのか。
「俺がローバーだってことも考慮すれば、出来るだけ早く領主様に報告した方がいいんじゃないか?」
「そりゃあ、言われんでもわかってますよ。
既に報告はしています。
ただ、あたしも単なる使いっ走りじゃないんでね。
今回の出来事が筋の通るものにならないと、あたしの立場ってもんがないんですよ」
レオの村人が四〇人以上、兵長の管轄外とはいえ熊族の男が三〇人以上も死んだ上に村のあった森が燃えたのだ。
いや、ひょっとするとまだ燃えているかもしれない。
森林火災はそう簡単に鎮火しないものだ。
時期によっては一ヶ月でも燃え続ける。
きっちりとした説明がなければ駐屯兵の兵長程度では、本物の首が飛ぶことだってありうるだろう。
誰かが責任をとらなければならない状況だ。
村人の証言次第では俺がその生贄にされる公算が大きい。
「そんなのは俺の知ったことじゃないだろ。
そういうことは責任者が考えてくれればいいんじゃないのか。
あんたがここの村の管理責任者なんだろ?」
「いやいやいや、あたしは管理なんてものはしませんよ。
自衛と防犯を任されている身に過ぎませんね。
そうは言ってもあなたが森を燃やしたことは紛れもない事実ですからね。
すぐにどうこうできるもんじゃないんですよ」
兵長の取り調べは一向に進展しなかった。
同じ事を何度も繰り返して前と違うことがあるようだったらそれを聞き直した。
俺の説明の矛盾を突きたいようだった。
そんなのは一日二日でどうにかなるようのなものでもないだろう。
何か焦っているような、裏があるような尋問が続けられ、俺の神経は擦り減らされた。
そんな事が何日が続き、俺は眠れない夜を重ねていた。
レオの村人は葬式をどうするのだろう、村の無くなったレオは村長の地位を失うのだろうかなどと考えていた。
本当はもっと重大な問題を抱えていたが、それに向き合うには俺に余裕がなさすぎた。
固く粗末なベッドで寝返りを繰り返した。
夜半を過ぎたようだが、この部屋には窓がなくて時間の経過がわからない。
外部への唯一の接続部である扉の向こうには廊下があって、他の牢屋が並んでいる。
その先に尋問室があり、さらに進むと兵舎へと続く。
こんな片田舎の牢屋でも簡単に脱獄できないような構造になっている。
この牢屋が全て埋まるような事態が起こった事過去にはあるのだろうか。
その牢屋の扉の向こうで何やらボソボソとした音が聞こえた。
格子窓の辺りで何やら小さな音がする。
時間は分からないが食事や尋問の時間ではない。
夜番の兵隊以外は就寝中のはずだ。
「……?」
近づいてみると扉の向こう側からボソボソと声が聞こえた。
「アラタ、聴こえるかい?
聞こえたら返事をしとくれ」
何もない所からレネの声が聴こえる。
何度か同じ事を繰り返しているようだった。
俺がようやくそれに気づいて格子窓から少しだけ指を出す。
これでレネに分かってもらえるだろう。
「声を立てるんじゃないよ。
アンタは何も応えずにただ聞いとくれ」
格子窓は片手を広げた程度の開口部しかないが、そこから見ても真っ暗な廊下が映るばかりだ。
不可視魔法でも使っているのか。
彼女は回復魔法や補助魔法のような所謂、白魔法の系統が得意な魔導師だ。
マントやコートに光学迷彩的な周囲と同化する魔法を掛けて、こんな所まで忍び込んできてくれたのだ。
そんな手間を掛けてまで俺に伝えたいこととは一体何だろう。
兵長に言伝たところで握り潰されて、俺の許に届くことはないと判断したのだ。
だから直接伝えに来たのだ。
「アンタ、このままだと全部の責任を負わされちまうよ、これから言うことをよく聞きな」
(全部?)
今回の出来事はある意味俺が全部やってしまったと言えるかも知れない。
こんな何もない部屋に押し込められて尋問を受ける毎日を繰り返すと、必然的にそのことばかり考えるようになる。
俺が行かなかった方が良かったんじゃないか。
俺のせいで全てを喪ってしまったのではないか。
俺がやったことは熊族を倒して森に火を付けたことだが、そこまでする必要はなかったのだ。
あんな大惨事になったのは間違いなく俺が原因だ。
森には村だけじゃなく、多くの生き物もいたことだろう。
火事が広がれば、それだけ多くの損害が出たことだろう。
「アンタと一緒に生き残った二人がいたろう。あの子らがアンタがニコを殺したって話をしてるんだ」
レオやそれ以外の村人はすでに釈放になったのだろうか。
牢屋の中で他の部屋にいる人と話す機会はない。
皆がどうなったのか知る方法はないのだ。
それにニコという名前にも聞き覚えはなかった。
きっとあの時、落とし穴の傍にいた村の男達三人組の中で、助けれられなかった村人の名前だろう。
ああ、あれも間違いなく俺がやったのだ。
俺の両手はもう拭い去ることが出来ない程の血に塗れている。
「それと今日になってハンスが帰って来たんだよ。
何でも熊族に殺されそうになって隠れていたとか。
それでハンスが村に火をつけているアンタを見たって言ってるんだよ、信じられるかい?」
「なッ!」
夜番の兵隊の耳に届いてしまうのではないかと言うほど、レネの声音が高くなる。
それに合わせて俺も声を上げて反応してしまう。
兵隊が不審がって俺の牢屋に来るのではないかと不安になった。
慌てて口を噤んだが、遠隔視を使うまでもなくこちらに来る気配はどうやらない。
俺の位置から兵隊の姿は見えないが、ひょっとして居眠りでもしているのか。
「いいから、黙って聞きな。
グレゴリー兵長は今回の村への襲撃があんたの手引で行われた思ってる。
だからアンタがあいつらよりも早く村に着く必要があったと。
ローバー出現の報告が半年も遅くなった事だって、その準備をしてたってことにしたいらしい。
報告が遅くなったのはアタシが黙ってたからなんだがね」
あの兵長なら考えそうなことだ。
一番怪しい奴に責任を押し付けてしまえば後腐れがない。
そうしてしまうのが一番簡単だ。
盗賊は残ってないし、仮に誰か逃げ出していても捕まえる気がないのだ。
今いる生き残りの中で一番怪しい行動をしていたのは俺だ。
しかも、俺にはおかしな能力があり、事件の起こったタイミングが良すぎる。
俺が兵長の立場でも俺を疑ったと思う。
「アンタが一番怪しいからね。
多分、兵長はあんたがローバーだってことも報告しないで片を付ける気でいるよ」
そうか、俺がローバーだということはこの村以外には知られていないのか。
突然現れた怪しい流れ者が、盗賊と共謀して村人を皆殺しにして火を着けたことにするのか。
そいつはとんでもない大悪党だ。
しかもそいつは強力な魔法を使って森を盛大に燃やし尽くした。
強力で凶悪な魔法使いを田舎に駐屯する一兵長が捕まえたということだ。
大捕り物に違いない。
「ここで警察権を持っているのは兵隊だけだ。
しかも兵長はアンタに同情する気もないし、犯人が捕まらないんじゃ兵隊のメンツが立たない」
俺の知識の中では、軍隊という組織は常に面子を優先する傾向にある。
事実よりも面子を立てる事が大事な連中だ。
こんな田舎で分村とはいえ村が無くなってしまうような事件などそうは起こるまい。
普通ならば軍隊はその犯人を躍起になって捕らえようとするはずだ。
今回はそれが既に手の内にある。
その首謀者たる魔法使いは際限なく、凶悪で無慈悲な悪人に仕立てあげられてしまいかねない。
「……だから、アンタはこの村から逃げるんだ」
レネが普段使わないだろう不可視魔法を使ってまで俺の所に伝えに来たのはこの事だった。
俺がこのまま何日も代わり映えのしない尋問に付き合っているうちに凶悪な犯罪者にされ、処刑されることを憂慮してくれたのだ。
こんな出自も定かではない男が正当防衛を叫んでも、まともに取り合ってくれる者など何処にもいない。
この国にだってきっと裁判はあるのだろうが、およそ田舎の事件は権力者の胸三寸だ。
「アタシの家でシルビアが待ってる。
ここから脱獄られるかい」
熊族の事は別にしても、レオの村に火を掛けたのは間違いなく俺だ。
そのことに対する自責の念は拭い様もない。
しかし、今はこのまま大罪人として処刑されることに、唯々諾々と従うわけにはいかなかった。
俺はレオの村を襲撃したことも、村人を殺戮したこともないのだから。
だから、レネもここに来てくれたのだ。
俺は脱獄を決意した。
レネには格子窓から手で合図して話を理解したことを伝えた。
俺はベッドマット代わりの藁を使って偽装工作をすると牢屋を抜け出すことにした。
こんな牢屋が魔法使い対策をしているとはとても思えない。
もし対策があるならレネが簡単に入り込めるはずがないのだから。
俺は牢屋からレネの家に瞬間移動を試みる。
レネの家の玄関をイメージする。
《瞬間移動》
移動に移る一瞬、普段感じられないような僅かな違和感を覚えたが、特に妨害工作を受けるでもなくレネの家の玄関に辿り着くことが出来た。
やはり、田舎には魔法使い対策などしていないのだ。
俺が脱獄を考えると思っていなかったのかもしれない。
この世界の魔法使いは学者肌が多いだけに、犯罪を起こすような人物はいないのだろう。
そんな彼らを牢屋に閉じ込める機会は自ずと少なくなる。
だからそんな対策は必要ないのだ。
居間にはシルビアが待ち構えていた。
灯を落とした玄関で肉食獣特有の眼を爛々と輝かせて仁王立ちをしている。
いつからこうしていたのだろう。
「当然、あたしも連れてくんだよニャ?」
有無を言わせない凄みを感じる。
ずっと待っていたことで気が立っているのだろうか。
いつもなら寝ているような時間だ。
俺はそんな地雷原のようなシルビアの感情を出来るだけ逆立てないように答える。
「……そんなこと、できるわけないだろう」
「じゃあ、アラタはどこに行こうとしてるんだニャ?」
俺がどこに行くにしたって二人で行くわけには行かない。
俺はこの世界がどうなっているのか全く知らないし、シルビアもこの村とレオの村の周りしか知らないのだろうから。
世間に不慣れな若者が二人になったところで、行旅死亡人のボディバッグが二つになるだけのことだ。
いずれ人知れず野良犬の餌にでもなることだろう。
「どこか遠くの街にでも行くさ、俺は一人ならなんとでもなる」
そんな強がりを嘯いてみる。
俺にはサバイバルの知識も金を稼ぐ力もないのだ。
この世界が前の世界で言うところのどの程度の文明レベルなのかわからないが、俺が生きていくのに不自由するのは間違いない。
だが、実際は一人ならなんとでもしようがある。
俺の超能力は見知らぬ誰かから色々なモノを手に入れる事に不自由しない。
その気になれば、食べ物も金も簡単に盗み取れるだろう。
しかし、そんな生き方に仮にも村長の娘を巻き込むわけには行かない。
厄介者の俺が消えればひとまず事態は終息するはずだ。
シルビアは俺の眼を見据えて微動だにしない。
薄暗い家の中で黄金の瞳が俺を射抜く。
蛇に睨まれた蛙のような気分になってくる。
「やっぱアタシのこと嫌いニャんでしょ?」
「なんでそうなるんだよ。一緒に連れて行くのはとても危険だよ。
俺はレオの村から出たこともないような世間知らずなんだ。
シルビアを連れて行くことは出来ない」
暫く沈黙が続く。
もう随分と夜も遅い時間なのだろう。
ただでさえ静かな村のことだ。
時計もないこの家には風のそよがせる木々の音さえ聞こえてこなかった。
そのうちに、シルビアの態度がおかしくなってくる。
彼女から発せられる挑発的な凄みのオーラが急速に萎んでいく。
攻撃的な視線から伏し目がちなものへと変わっていく。
まるで他人行儀な態度へと変化して行く。
彼女が酷く弱々しい声を上げる。
「ア、アタシが混ざり者だから嫌いニャって、言えばいいじゃニャい……」
一瞬、何のことだか全く意味がわからなかった。
混ざり者?そんなこと全然気にしたことがなかった。
それどころか、彼女が猫族の混ざり者だと言うことを初めて知った。
確かにシルビアは他の猫族より人間的な顔立ちをしているし、彼女の母親の顔を見たこともなかった。
もしかすると、彼女はレオと人間の女性の間に産まれた子供ということなのか。
勝ち気な彼女の瞳から大粒の涙が零れ落ちていく。
全てを諦めているような魂の独白が余韻を残す。
混ざり者――異種族間の混血児。
この世界は多様な人間の種族があり、時に友好的な、時に敵対的な関係にある。
彼らはいくつもの国を作り、似たような種族だけで纏まっている場合もあれば、この国のように種族間の交流が活発な国もある。
そんな異種族が共存するような国でも、異種族間での婚姻は非常に稀なことなのだという。
特に無毛族と長毛族、魔族という大枠を超えて混血すること、はほとんど禁忌と言ってもいいものだと聞いた。
それはこの世界の人々が閉鎖的であるというよりも常識が違うのだろう。
文化が大きく異なる種族に産まれる混血児は、コミュニティに馴染むことができない。
前の世界でもほんの少し前まで黒人と白人、黄色人の混血が差別の対象になったのと同じことだ。
生活習慣、身体能力、寿命、その全てが違うのだ。
それはこの世界に住む人間の生活の知恵と言っても良かった。
全てはレネから聞いた知識だ。
レネはこうなることを予測して俺にこの世界の常識を教えてくれていたのだろう。
しかし、そんなことは俺には関係ない。
俺はこの世界の住人ではないのだから。
「そんなの関係ない。
お前がどんなでも、俺はシルビアが好きだ」
シルビアの耳がぴくんと俺の言葉に反応する。
彼女が自分の身体を己の腕で抱きしめて怯えた眼を向ける。
母を失くした子供のような頼りない、弱々しい眼だ。
自分の全てを曝け出して良いのか葛藤している。
「だって、兵長だって、そんな女は貰い手がないから俺が飼ってやる。
自分の所に来いって言ってるニャ……」
自信なさげに己の身体を強く抱きしめるシルビア。
こんなことを言わせるグレゴリー兵長という男に強い憤りを憶える。
いつでも自分の立場を明確にすることに余念のない矮小な男に対して。
「そんな巫山戯たこと赦せるはずがないだろ。
……だけど、済まない、今はダメだ。
俺と一緒に逃げだらお前も仲間にされちまう。
お前を犯罪者にする訳にはいかない」
俺はこの村に残っても、逃げ出しても犯罪者に祭り上げられることは兵長の中で決定事項だ。
レネの情報からすれば間違いない。
そんな男と逃げ出してもシルビアに幸せは訪れない。
俺はシルビアの震える肩に手を置くと彼女の美しく輝く瞳を見据えた。
「……待っててくれ。
絶対に迎えに来る」
返事を待たず強く抱きしめると、その愛らしい唇を奪った。
「ホントに迎えに来てよね?」
怯えも、弱さも心の裡に抑え込んだような眼が再び強い光を放ち始める。
それでこそいつものシルビアだ。
「絶対だ」
俺はもう一度強く抱きしめる。
この温もりはもう暫くは味わうことができないだろう。
出来ればずっと噛み締めていたい。
このまま離れずにいられればそれ以上の幸福はない。
俺はシルビアの瞳を見つめるともう一度唇を重ねた――。