第十八話・神の加護
次の瞬間、目の前に広がっていたのは真っ赤な炎だった。
レオの村だ。
レオの家の玄関先。
レオの家が赤々と燃えていた。
俺は呆気にとられてしばらく全く動けずにいた。
家事になった高校を思い出していた。
黒い煙、赤い炎――。
あの時は炎を直に感じられるほどではなかった。
しかし、俺の現状を創り出したキッカケは確実にあの炎の中にあった。
恐ろしき炎だ。
――そして今、半年の間住んでいた家が燃えている。
レオの、シルビアの家が火に包まれている。
俺にはたった半年だが、様々な出来事のあった家だ。
楽しいこと、助けてもらったこと、教えてもらったこと――。
俺のこの世界での思い出はそのほとんどがこの家の中にあった。
俺の人生で最も楽しかった半年間かもしれない。
ここには俺の家族とも呼べる人々の生活があったのだ。
たった半年かも知れない、それでもかけがえのない時間だった。
思わず玄関の扉に手をかけると中から火が勢い良く溢れだしてきた。
これはもう手遅れだ、今更消火の術もない。
火の回りが早いのか、家の半ばが火に包まれている。
ここには誰も居そうにない。
この家の思い出はもうすべて火の中だ。
(レオは?敵は?村人はどうなってるんだ!?)
「レオーッ!俺だ、アラタだ!誰か居るか!?」
玄関口から叫んだところで家の中に聞こえるはずもない。
それでも叫ばずにはいられなかった。
俺は思い直す。
(彼は村長、いつまでも家の中にいるわけないじゃないか!)
大丈夫、大丈夫だ。
この中には誰もいるはずがないんだ、と自分に言い聞かせた。
俺の身体にレオの家からと違う熱と音が、背中にぶつかってくることに気がついて振り向くと他の家々からも炎が出ていた。
バチバチ、バチンと木の燃える音や破裂音がそこかしこから聞こえる。
二〇戸に満たないような村がまるで競い合うように燃えている。
建物に意思があるかの如く家々が揺らめくように炎を上げている。
見渡す限り火の海だ。
つい、今日の昼過ぎまで平穏な田舎の村だったというのに!
まさか、すでに全滅してしまっているなんて言うんじゃないよな。
(村人は?敵は?)
夜といえど火事の真っ只中、轟々と燃え盛る家々のすぐ傍だ。
人影があればすぐに目に付くに違いない。
どれほど呆けていたのだろうか。
一分、二分か、状況が全くわからない。
俺はまず現状がどうなっているか見定めなければならない。
敵はすでに村の中にいるのか。
村人はどこにいるのか。
俺は村人じゃない、部外者なんだ。
驚愕している場合じゃない。
燃えている家々の間を通り抜けるように村の中を進む。
建物によっては火の回りが遅い物がある。
すぐに消火しなければ、と思ったがちょっとやそっとの水ではまさに焼け石に水だ。
人影が見えないのにこれ程に建物に火が回っている事が理解できない。
敵は何処にいるのか。
俺は右手に神経を集中して、すぐにでも念動力の弾丸を放てるように身構えた。
まずは住人そしてレオを探さねばならない。
村長の話ではレオと男達が応戦しているとのことだった。
男達は村から出て戦っているのだろうか。
だとしても、酷い有様だ。
村の中で戦って撃退したとでもいうのだろうか。
それにしては戦闘の跡が見られない。
火を避けながら、村の中央まで辿り着いた。
燃え方の少ないいくつかの家には超能力で水をぶち撒け、出来るだけ消火した。
ほんの二三軒に過ぎなかったが。
村の中央にある教会は幸い火に包まれていなかった。
教会に着くまでの間に誰かと会うこともなかった。
村人は何処に行ったのか。
敬虔な彼らのことだから教会の中に避難しているのだろうか。
燃えていないのであれば確かめる必要がある。
教会の正面扉に手を掛けるがびくともしない。
内側からバリケードで塞がれているのか。
教会の横に廻ると窓も全て塞がれている。
外から大声を張り上げたが、周囲の家を燃やす火事の音が激しくて中に届いているようには感じられなかった。
(……仕方ない)
俺は裏口に回り、裏口の扉を塞いでいるバリケードごと念動力で粉砕した。
扉は後でもう一度塞いで貰えばいい。
教会の中からは複数の悲鳴が響いたが構ってられなかった。
やはり中に誰かいるのだ。
教会が燃えていなかったのは不幸中の幸いなのか、教会が他の建物と離れて建っているからなのか。
まさか神の加護ってことはないだろうが、今は神様にお礼を言っておこう。
「俺はレオ・ドールマンのとこのアラタだ!
今、この村の状況はどうなってる!?
誰か説明してくれ!」
同じ事を何度も声を張り上げながら教会の中に入っていった。
怯えた村人からいきなりズドンッと、腹に一発貰うのだけは勘弁願いたい。
普段教会に足を踏み入れることのない俺は建物内部の作りが全くわからない。
慎重に移動しながら、礼拝堂と覚しき扉を僅かに開けるといきなり農業用フォークが飛び出して襲いかかってきた。
藁を移動させる時に使う巨大なフォークで、フォーク一族の親玉みたいなやつだ。
鋭い切っ先を何とか躱す。
「おい!俺はレオ・ドールマンとこのアラタだ!助けに来た!攻撃するな!」
フォークを突き出してきたのは、畑仕事の時に何度か話をしたことのある近所のおばさんだった。
人族の俺にとって猫族の人々は顔の判別がつき辛いものだが、何度も顔を合わせれば次第に分かるようになる。
彼女の傍には小さな子どもが縋り付いている。
おばさんの血走った目が俺を見て少し安堵の色を見せた。
「アンタ、レネと本家に行ったんじゃないのかい!?なんでここにいるんだい!!」
「今はそれどころじゃない!俺の事はどうだっていいんだ!それより村がどうなっているのか説明してくれ」
「アタシだって詳しいことは知らないよ、レオが女子供は教会に集まれって言ったんだ!
裏口から逃げるのかと思ったら、戻って来たハンスに立て籠もっていろって言われて……。
だけど、そのうち家に火が着きだして、どうしていいかわからないんだよ!」
教会の礼拝堂には三十人くらいの女、子供、老人が不安そうに寄り集まっていた。
椅子や机は尽くバリケードに使ったようで、部屋の中には何もない。
蝋燭の灯りもない部屋には塞ぎきれなかった窓の向こうから炎の明かりが入り込んでいた。
彼らはまさに自分の家が燃えている最中に、隠れて見ていることしか出来なかったのだ。
盗賊の襲来など彼らにとって埒外の出来事に違いない。
彼らの中にいた神官が現状を説明してくれた。
この村にいる神官は村人と同じように猫族だった。
この世界で宗教がどうなっているのか聞いたこともないが、このまま村人を救ってくれるなら祈る甲斐がある。
俺も入信してやるから助けてくれ。
神官曰く、
・熊族がこの村の襲撃のため、森の中に入って来ているようだ。
・緊急事態を報せるために、本家ドールマンの村に村人を三人向かわせた。
・村の男達は熊族の連中が村に侵入しないように、撃退のために森に打って出た。
・男達が村を出て暫くしてから、村に火矢が飛んできて防壁や家に火事が発生している。
・まだ熊族は村に侵入していないようだが、時間の問題と思われる。
・このまま教会に留まった方が良いか、女子供だけでも村を出た方が良いのか判断がつかない。
との事だった。
本家ドールマンの村に三人向かわせたって話はさっき聞いた通りだった。
そのうち一人がやられたということなのだから盗賊は本当にすぐそこに来ているのではないのか。
神官なんだからもうちょっと状況判断しろよ、と思ったが"説教するだけの簡単なお仕事です"の青瓢箪に任せたら、「あの世で仲良く幸せになりましょう」とか言い出しかねない。
もう少し、現世利益を追求してくれ。
「教会から出ると火事に巻き込まれて危険だが、何時でも逃げられる準備だけはしておいてくれ。
俺は村の周りを見てくる。
教会まで火が迫ってくるようだったら、村の裏口から逃げられるように先導して欲しい」
ひとまず、火事は出来るだけ消火することと、延焼防止のために必要なら家を壊す許可を取って教会から外に出た。
ここからはまさに時間との勝負だ。
レオ達が熊族にどれくらい対抗出来ているか。
どう考えてもグレゴリー兵長を待っている暇はなかった。
盗賊ども覚悟しやがれ、ぶっ殺してやる。