7 一寸先は……
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順調である。
ノエルの神がかり的愛らしさでもって懐柔に成功したダークエルフの女性――リディアは実に甲斐甲斐しく、ノエルの世話をやいている。
ダンジョン内の魔素はダンジョンが吸収するので、精神的にも安定しているようだ。
『道具作製』で何故か用意できたメイド服に身を包み、食事を与え、服を着せ、遊び相手をし、風呂へ入れ、添い寝をし、そして自らの血を与える。
子育ては初めての経験のようで、いろいろと戸惑うことも多いようだが、そういったことを全く苦に感じていないようだ。
むしろノエルの世話ができるのが心から嬉しいといった様子だ。
横から見ている身としては、ノエル以外の相手との対応の違いに唖然とする思いなのだが……これはギャップ萌えというやつなのだろうか?
むしろ女性の怖さに戦慄しているなのだが。
……そんなリディアに対抗心を燃やしたのか、雄叫びを上げノエルに突っ込んでいくセバスをリディアがぶん殴り、怪しげに踊りながらリディアに近づいていくスケルトンリーダーをリディアが吹っ飛ばしたりもしていたが、これはまぁどうでもいい。
ノエルも日頃から世話をしてくれ、魔素を豊潤に含んだ血液を与えてくれるリディアには、ことのほか懐いている。
ダンジョン主が餌付けされてる!? ――と思ったのは自分だけの秘密だ。
偶に侵入者がやってくると、ノエルにもその情報が伝わったのか「あぅ!」と声を上げつつ腕を振り回し、やる気満々の様子だが流石に戦闘をさせるわけにもいかず、寝室で待機してもらっている。
戦闘欲求を抑えるためにも、ノエルには情操教育の一環として絵本を与えたのだが、リディアが優しげに読み聞かせている。
端から見ていると、二人の関係は母娘か姉妹のようにも見える。
仲睦まじく、とても微笑ましい。
……そんな二人を影から羨ましげに窺う二匹がいたが、やはりそれはどうでもいい。
とても順調である。
セバスはリディアの妨害で、ノエルに奉仕出来ない鬱憤を晴らすかのごとく、訓練でスケルトンリーダーを扱きに扱いている。
スケルトンリーダーも必死に食らいつき修行に励んでいる。
やはりリーダーは、知性のない他のスケルトン達とは動きが一味違う。
実に順調である。
まだダンジョンの規模が小さく消費魔素が少なく済むので、『移転』を繰り返すことができ、情報漏れを防ぐことができている。
相変わらず冒険者はやって来るが、手練れと言えるような相手は来ず、低レベル冒険者ばかりで、ストレス発散とばかりにセバスが蹂躙している。
戦闘を重ねる中、スケルトンリーダーもなかなかに良い動きをし始め、スケルトン部隊の被害も減ってきている。
ダンジョン内の生物が増えたおかげで、日々得られる魔素も微量ながら増えている。
本当に順調である。
獲得した魔素で徐々にダンジョンを整え、ノエルに魔素を注ぎ成長を促す。
冒険者達から押収した戦利品は一応回収し、ノエルやリディアに必要な食糧などは『道具作成』で創る。
メイド服や絵本を創った際に気がついたが、『道具作製』では、強力な武器や効果が高い薬品は未だに作成出来ない。
しかし、簡単なものや効果の弱いものであれば大概の物は創れるようだ。
もっとも、重火器の類いのような現代科学に類する物は《作成不能》、「不可」でなく「不能」であった。
自分に詳しい構造知識がないせいか、あるいはこの世界に存在しないゆえか、なにか法則性がある気がする。
ともあれノエルが成長すれば、ダンジョンとして出来ることも増えるだろうから、将来を見越して魔素を貯蓄しておく。
何をするか、今から楽しみである。
――そう、ほとんどのことが順調だった。
あらゆることが上手くいっていた――いき過ぎていた。
だからこそ――油断してしまったのだろう。
いや、油断したつもりはなかったのだ。
きちんと警戒しているつもりだった。
しかし結局のところ、それは「つもり」にすぎず、そもそもそんな思考自体が油断の証明でしかなかったのだろう。
――ほんの数日後、自分はそれを思い知らされることになった。
◇ ◇ ◇
――その日、ダンジョンに現れたのは一人の冒険者だった。
年の頃はリディアと同じ位に見える20代前半。
艶やかな青髪を首後ろで束ね、黒い修道服のような服で身を包んでいる。
柔和で穏やかな容貌で、どこかのんびりとした雰囲気をまとっている。
体つきは豊満という言葉さえ足りず、胸元は黒い服を窮屈そうに押し上げ色気を醸し出していた。
……およそ戦う人間には見えない。
冒険者というより修道女だろうか?
一人でダンジョンに挑むなど、己の実力を把握できないほどに間抜けなのか、それともよほど自分に自信があるのか……。
どちらであってもいいように、スケルトンリーダーにスケルトン部隊を率いらせ、向かわせる。
しばらくし、対峙した両者の格付けは一瞬で終わった。
「【聖光陣】!」
――そんな言葉とともに女から放たれた光によって、一撃でスケルトン部隊が消滅してしまったのである。
………………ス、スケルトォォォオオオオオオオオン!?
ばっ、馬鹿なっ! 一撃で全滅だと!?
……いや、全滅ではなかった。辛うじてスケルトンリーダーは射程外に逃れていた。
即時撤退の指示を出す。
慌てて逃げるスケルトンリーダー、追い立てる修道女。
……完全に立場が逆転してしまっている。
増援として残存のスケルトンを派遣するも、鎧袖一蹴、消し飛ばされる。
戦闘どころか足止めにさえなっていない。
魔素の消費を惜しみ、魔物創造や罠設置を怠っていたツケがここで来た。
こうなってはセバスに出陣してもらうしかないのだが、セバスはスケルトンと同じアンデット系。
相性的にセバスでも勝負になるか怪しい。
しかし他に手もなく、彼に一縷の望みを託す。
セバスはお嬢様に貢献するチャンス! とばかりに張り切って侵入者撃退に向かうも――。
「ノフォオオオオオオオオオー!?」
……ダメでした。
何とかギリギリ離脱には成功したようだが、危うく逝きそうになってしまっている。
……これでこちらの手札は零である。
――いや、玉座の間には戦闘員ではないがリディアがいる。
彼女が時間を稼いでくれている間に、貯蓄しておいた魔素で、侵入者に対抗出来そうな新たな魔物を創造する。
リディアにノエルを寝室に避難させるよう指示を出し……遂に侵入者が玉座の間の前に辿り着くのを確認しながら、そんな算段を自分は練っていた。
◆ ◆ ◆
大陸中央部、アシュアード教国。
人種の間で最も盛んな、『女神アイシス』を崇めるアイシス教。
その総本山たる国がネリスの生まれた国だ。
とある商家の次女として生まれたネリスは、一言で言うとおおらかな少女だった。
幼いころから頼まれごとは断らなかったし、人々が驚き忌避するようなことでも鷹揚に受け入れた。
そんな気質のネリスだったので、魔法適正検査で貴重な二属性持ち、それも第一属性は珍しい光属性だと判明し、アイシス教会への入門を勧められた時も自然に受け入れた。
もともとアシュアード教国の国民の多くはアイシス教徒であり、実家の商売は年の離れた姉と姉の夫が継いでいたこともあり、周囲の反対もなかった。
教会へと入門したネリスはすぐに頭角を現した。
のんびりとしたところもあったが、根が真面目で、己のやるべきことに対しては努力家のネリスである。
もとより才能に恵まれていたこともあり、順調に実力を伸ばし、将来を嘱望されるようになった。
……しかし、ある事件がきっかけとなりネリスは教会を破門されることとなる。
ネリスはおおらかな少女である。大抵のことは笑って受け入れられる。
しかし、そんなネリスがどうあっても受け入れられない物事が一つだけあった。
生来の気性だったのか、教会という組織に入ったからなのか、それはネリスにもわからない。
ただ事実として言えるのは、ネリスは潔癖症と言えるほどに強い貞操観念の持ち主だったということである。
……だからこそ、ブクブクと太った教会の高司祭が出世を見返りにセクハラを働いてきた時――ネリスは迷うことなく高司祭を引っ叩いた。
穏やかな性格ゆえ誤解されがちだが、一度決めると迷わない性質のネリスは、懲りずに破門の取り消しと引き換えに身体を要求してきた高司祭をもう一度引っ叩き、おおらかに破門を受け入れた。
しかしネリスはけして馬鹿ではない。
このまま実家に帰るのは、誰にとっても体裁が悪いだろうと判断し、実家には手紙をしたため、自身は冒険者へと転身した。
幸いにも、浄化と回復が行える光属性魔法の使い手たる治療術士は数が少なく、ネリスは多くのパーティーから誘いを受けた。
……しかしどのパーティーも長続きはしなかった。
ネリスの艶かしい姿態に魅了された男性冒険者が露骨に性的視線を向けてくるためだ。
その結果、通算10回のパーティー離脱を経験し、女性冒険者からも「お高くとまった女」というレッテルを張られ、倦厭されるようになってしまった。
――その依頼が冒険者ギルドからもたらされたのはそんな時だった。
「街の近郊に出現したダンジョンの調査」
依頼内容は簡単に言えばそんなものだった。
保有魔素測定の結果、対象のダンジョンはランクF中位。
ダンジョンの奥に行く必要はないが、それでも初級冒険者には厳しい内容で、パーティーが組めないネリスにギルドが好意で回してくれた依頼だった。
◇ ◇ ◇
依頼を受けたネリスはダンジョンへ向かった。
ギルドの職員は無理はせず、軽く調査してくれるだけでいいと言ってくれたが、出来ればきちんと調査し、好意に報いたかった。
そんなネリスの前に現れたのはスケルトンの一団だった。
迷わず光魔法を叩き込み、ほぼ全滅させた。
残ったスケルトンを思わず追い掛け回してしまったのは、何だかんだで自分の置かれた状況にストレスが溜まっていたのか、それともそのスケルトンから感じた何となくの不快感が原因か。
とにかく、そのままネリスはスケルトン追い続け、ダンジョン最深部まで行きついてしまった。
道中、レイスのようなものを見かけた気がしたが、反射的に光魔法を叩き込んでそれっきりだ。
ここに来るまで、他に脅威らしきものもなかった。
流石にここまでくるとネリスも不思議に感じ始めた。
――ランクF中位と聞いていたが、これではランクF下位程度だ。
この時、ネリスはこの違和感を突き詰めて考えるべきだったのである。
しかし、ネリスは違和感をスルーしてしまった。
ネリスの生来のおおらかさが悪い方向へ作用してしまった。
ダンジョンの最深部へ至ったネリスは、まず目の前の光景に少しだけ感嘆した。
今まで二度ほどランクFのダンジョンの最深部に到達したことはあったが、ここまで立派ではなかった。
そんなネリスの目の前には、待ち受けていたかのように一人の女性が佇んでいた。
美しい銀髪に褐色の肌。切れ長の目が怜悧な印象を与えるが、同性のネリスから見ても憧憬の念を覚える美女だ。
特にメイド服に包まれたしなやかでスレンダーな肢体は、大きすぎる胸を持て余すネリスには羨ましかった。
「あなたがぁ、このダンジョンのぉ、主さんですか~?」
「……いいえ、違います」
美女は容姿にふさわしい涼しげな声を返す。
ダンジョン主でないのなら、何故こんなところにいるのだろう? ――内心で首を傾げるネリスに質問が返される。
「ダンジョン主を見つけてどうされるおつもりですか?」
「~? それはぁ、殺さなくちゃぁ、いけませんね~」
ごくごく当然の返答。
魔物は殺す。当たり前のことだ。
――しかし、その当たり前の返答を受けて女性の雰囲気が変わる。
先程まで雰囲気が冷風なら今は極寒だ。
「――ッ!」
その変化を受け、ネリスは気を引き締めなおす。
―――――当たり前の話だが、ネリスは油断などしていなかった。
間延びした話し方で誤解されがちだが、ネリスは才能に恵まれ、努力を苦にせず、経験を積んだ冒険者である。
ここはダンジョン最深部。
相手が女性と言えど、そんな場所にいるなど怪しいことこの上ない。
距離は十分に取っていたし、魔法障壁も張っていた。
不審な様子を見せれば、第二属性の火魔法を撃ち込むつもりだった。
「……?……カ……ッ……フッ……?」
――だからこそ信じられなかった。
自分の胸にダガーが突き立っていることが。
目の前の女性に目をやると、ちょうど片腕をおろすところだった。
まるで――投擲を終えた後のように。
つまり――こういうことらしい。
ネリスが返事をした瞬間、目の前の女性はダガーを投擲した。
投擲されたダガーはこちらの障壁を紙のように貫通し、ネリスの胸に突き立った。
間の抜けたことに、ネリスが気を引き締めたのはその後だったというわけだ。
明らかに――格が違う。
冒険者なら上級を超えて一握りの特級と呼ばれる実力だ。
力が抜け意識が落ちていく中、ネリスは理解した。
このダンジョンの保有魔素――その大半を目の前の女性が担っていることに。
だからこそ規模や魔物、罠のレベルはランクF下位なのにランクF中位なのだと。
(油断してぇ、ましたかね~?)
死に際にあってなお、どこかのんびりとした思考のまま、ネリスの意識は闇へと落ちていった。
◆ ◆ ◆
……………………………………メイドTUEEEEEEEEE!?
完全に予想外だ。
いや、魔素吸収個体に関する情報から結構強いのではないかとは思ってはいたが、エルフに対するイメージから魔法戦主体と勝手に思い込んでいた。
……しかし実態は恐るべきキリングメイドだったようだ。
なにしろ、――手が霞んだ? と思ったら既に侵入者の胸にダガーが突き立っていた。
意味が分からない。強すぎるだろう。
とはいえ正直助かった。
今回はリディアが居なければ、詰んでいた可能性もある。
……というか彼女のせいで、強力な冒険者がやって来たのではないかとさえ思う。
――何にせよ、こんな物騒なところからはさっさと撤退だ。
少々、方針を練り直す必要があるだろう。
ダンジョン測定値
名称:
ランク:F中位
保有魔素:19530P(残2420P)