6 リディア
人間=人種・エルフ種・獣人種など、魔物以外の人型個体全てを表します。
リディアはエルフとして生まれた。
大陸北部、アルシェル大森林。
その森には妖精樹に住まうハイエルフを頂点として、いくつかのエルフの部族が点在している。
リディアが生まれたのも、そんな部族の集落の一つだ。
幼少期は幸せだったのだろう――おそらくだが。
今となっては夢のようにおぼろげで実感がないが、両親は自分を愛してくれていて、仲の良い友人もいたと思う。
朝起きて、朝食をとり、農業を手伝い、友人と遊び、狩り――エルフでも肉は食べる――へ赴いた男衆を迎え、妖精樹に祈り、眠りにつく。
変化のない、しかし穏やかな日々。
そんな日々の中、望みもしなかった変化が訪れたのは、リディアが思春期を迎えた頃。
リディアのきめ細やかな肌が、少しずつ褐色に染まり始めた。
リディアはエルフとして生まれた――しかしリディアはダークエルフだったのだ。
この世界には『ダークエルフ』という種族は存在しない。
その存在はエルフの中から突然変異的に誕生する。
多くのダークエルフは強力な魔力を持つが、同時に人格面で欠陥を抱え、周囲を傷つける者が大半だった。
それ故ダークエルフは、厄災をもたらす忌み子として迫害を受けるのが常だった。
無論リディアもまた例外ではなかった。
――大人たちから無視されるようになった。
――仲の良かった友人が離れていった。
――両親すらリディアを疎み始めた。
そのような環境の変化にリディアは耐えられなかった。
いや、そんな周囲に対する苛立ちと抑えきれない破壊欲。
そんな感情が己の内から沸き上がってくることが何より恐ろしかった。
逃げるように集落から離れ、大森林を抜けた。
しかし、リディアが心穏やかに過ごせる場所は外の世界にも存在しなかった。
素性を隠すことで、初めのうちはうまくやれていても、ダークエルフということが露見すれば居場所を追われる。
それでも迫害されるだけであればまだよかった。
リディアを追い立てる者の中には、正義を語りリディアを殺そうとする者、あるいはリディアを商売道具として捕えようとする者すらいた。
日々生きるための糧を得るため必死に働く中、時折そんな者達を相手取り、リディアの心は徐々に荒んでいった。
大陸各地を放浪し、それでも安住の地は見つからない。
――五人組の襲撃者が現れたのはそんな時だった。
相手が何者なのか――そんなことはどうでもいい。
心当たりなどそれこそ腐るほどにある。
殺される前に殺す、ただそれだけだ。
襲撃者は強かった。
個々の力量はリディアに劣るが、巧みに連携しリディアを追い詰めた。
しかし、リディアとてこのような状況は迫害と放浪の日々の中、幾度となく経験してきた。
五人の連携のほんのわずかな緩みを突き、一人ひとり確実に削っていった。
とうとう最後の二人になった襲撃者は賭けに出た。
一人を捨て駒前提の囮とし、リディアを仕留めようとしてきたのだ。
リディアは相手の狙いを読み冷静に対処した――対処したつもりだった。
一人を囮とする――そんな戦術自体がブラフだった。残るもう一人も初めから生き残るつもりがなかったのだ。
相打ち覚悟で放たれた一閃はリディアの命には届かなかったが、それでも深手を負わせることに成功した。
◇ ◇ ◇
――リディアは歯を食いしばっていた。
襲撃者に負わされた傷はほとんど軽症だったが、最後の一撃、これが不味かった。
かなりの深手で出血量は無視できないものになっている。
加えて念入りに毒まで塗られていたらしく、徐々に体の自由が利かなくなっていく。
何とも間の悪いことに雨まで降り出し、リディアから体温を奪っていく。
どこかで身を休めねばならない。
せめて雨をしのげるところで。
おそらく相手は初めから狙っていたのだろうが、襲撃を受けたのは街からも街道からも外れた場所だった。
体に魔力を奔らせ命を繋ぎ、必死に足を進めるリディアの眼に洞窟が映る。
――獣穴か?
そんな疑問が頭を過ぎるも、今はとにかくそこへ足を進める。
何とか辿り着き腰を下ろす。
一気に疲労に体を支配される。
治療を行おうとするも、もはやまともに手も動かせない状態だと今更に気づく。
そして――悪いこととはどこまでも重なるものである。
寒気を覚える気配を感じ、目を向けて見れば、複数のスケルトンを連れたレイスがこちらに近づいてくるのが見えた。
普段であれば恐れるほどの相手ではないが……流石にタイミングが悪すぎた。
――ここまでか。
自分でも意外なほどあっさりと「終わり」を受け入れる。
まぁ、自称正義の味方に殺されたり、道具として使われるよりかはマシな終わりだろうと思い、リディアは意識を手放した。
◆ ◆ ◆
その侵入者が現れた時、初めはいつものような冒険者だと思った。
……しかし様子がどうもおかしい。
人数は一人きりだし、そもそも既に怪我をしているのか身動き一つ取らない。
とりあえずセバスにスケルトン部隊を率いらせ、様子を見に行かせる。
敵対するようなら殺害を許可しておく。
セバスが件の侵入者と接触すると、こちらにも詳しい情報が入って来る。
女性のようだが意識を失っているようだ。
殺してもよいのだが、少しばかり思うところがありセバスに寝室へ運ぶよう指示を出す。
女性が寝室のベッドへ横たえられると、セバスが容体を診る。
どうも血を多量に失い、そのうえ毒にも侵されているようだ。
『道具作製』で回復薬と解毒剤を創り、強引に服用させる。
現在の状態で作製できる道具で対応できたのは幸いだった。
治療が終わり次第、女性と入れ替えるようにノエルをセバスに預ける。
ノエルは初めて見る人物に興味津々のようだったが、ここは我慢してもらいセバスとともに退出してもらう。
改めて女性を眺めてみる。
腰まで届きそうな長い白銀の髪、褐色の肌、端麗な容姿だが鋭利な硬さを感じさせる20代前半の女性だ。
もっとも特徴的なのはやはり耳だろう。
人間のそれとは違い長くとがっている。
――ひょっとしてファンタジーにお約束のダークエルフというやつだろうか?
《違います》
……なぜか尋ねてもいないのに回答が返って来た。
ならば目の前の女性は何だというのだ?
《魔素吸収個体:エルフ型です》
なんじゃそりゃ?
意味が分からないので詳しく尋ねてみると、この世界には稀に周囲の魔素を吸収する性質をもった個体が生まれるらしい。
それらの多くは強力な力を有するが、保有する魔素に精神がついていけず、感情的になりやすいそうな。
地道に肉体を鍛え上げ、精神を研鑽し保有魔素を上げた場合はそんなことにはならないらしいが。
ともあれ、そうした特性故、魔素吸収個体は迫害の対象になるのがほとんどだと。
ちなみに『ダークエルフ』という種族は存在せず、エルフに生まれる魔素吸収個体がそのように呼称されるらしい。
――魔素吸収個体についての情報を把握し、再び女性に視線を戻す。
殺すのは簡単だ。おそらく多くの魔素を得られるだろう。
しかし――もったいない。
ひょっとしたらこの女性は自分が必要としていた人材かもしれないのだ。
とはいえどうしたものか。
セバスに交渉が可能とは思えないし、ノエルは論外。
それに裏切りを警戒したくないから、出来れば自発的に協力してほしい。
――そんなふうに考えていると一つ使えるかもしれない道具を思い出す。
それを軸に対応を考えつつ、まずはセバスを呼び戻すことにした。
◆ ◆ ◆
――目を覚ますと、のぞき込む幼子と目が合った。
……?
さすがに混乱し、幼子を脇へとやり、意識を失う前の状況を思い出す。
襲撃者を退けたはいいが、深手を負い洞窟へ逃げ込んだ。
そして最後にレイスを見て意識を失った。
そこまで思いだし、更に状況に疑問を抱く。
見回すと、今まで見たことがないほど清潔で快適なベッドの上だった。
傍にいるのは幼子だけで、その幼子はこちらを見上げ首を傾げている。
身体が気怠いのはおそらく出血が原因だが、傷の手当てはされているようだ。
――一体誰が何の目的で?
そんな疑問を抱いていると、唐突に何者かの意志が己に届く。
――目の前の幼子を守れと。
首に違和感を感じ首もとを確認すると、覚えのないチョーカーが存在した。
そしてそのチョーカーから意思が伝わってくる。
改めて幼子を見ると、見た目は人種の幼子にしか見えない。
しかしよくよく探るとはっきり違うと分かる。
おそらくは魔物の仔なのだろう。
そしてこの意思の持ち主の目的はこの仔を守ること。
私の治療もその為に行ったのだと思われる。
――考える。一部の例外を除き、魔物と言うものは人間の敵だ。
見つければ殺すのが当然である。
しかしこの身は人間に排斥された身。
人間のために骨を折る義理もない。
……そして同時にこの幼子を守る義務もない。
治療には感謝するがそれはソレだ。
そう結論づけ、気怠い体を動かし部屋から出ようとすると……まるで反応しないこちらに業を煮やしたのか、幼子の顔が歪む。
――マズい。頭を占めたのはその言葉だった。
何が不味いのか自身にも分からず、何も出来ないまま――その時が訪れる。
「ふぇえええぇぇええええ~!」
幼子が泣き出した。
どうしたらいいか全く分からない。
今まで感じたことのない焦燥に苛まれる。
自分がどうしようもなく混乱していることを自覚する。
自分の人生の中でもこれは最大級の危機だと思えた。
とりあえず幼子を抱き上げる。
今までそんな経験などなかったのでおっかなびっくりと……。
以前、街中で見かけた母子の見よう見まねだ。
想像よりもずっと重いことに驚いた。
すると幼子は落ち着いたのか、こちらにしがみつき泣き止んだ。
そして、あろうことか――私に笑いかけた。
「あ~♪」
「――ッ!?」
敵意も悪意も感じない。打算も下心も含まない。
そんな笑顔を前に――理解できない感情が心を満たす。
身体の震えが何処から来ているのか分からない。
人間にそっくりでも、やはり魔物の仔なのか体温は低い。
しかし、しっかりと私にしがみつき、自分が此所にいると訴えてくる。
いつの間に流れたのか――頬を伝うものが涙だと、しばらくして気づく。
幼子は物珍しげに私の頬をペチペチと叩く。
小さな手だ。ふっくらとして、柔らかい無垢な手。
――この子を護ろう。
理屈も打算も何もなく、ただ想う。
他者が見れば愚かと笑うかもしれない。
だがそれでも――そうすると心から誓った。
私は幼子を抱きしめ、しばし涙を流し続けた。
◆ ◆ ◆
――どうやらうまくいったようだ。
ダークエルフの女性に着けたのは『意思伝達紐』。
道具作製で作ったこちらの意思を伝える魔法道具。
と言っても、創造魔物に対するような強制力はない。
あくまでも意思を伝えるだけである。
なので最後は当人の意思次第なのだが、うまくいったようである。
命を助けたという恩義・魔素吸収個体の人間社会での扱い・全く打算のない幼児。
これらの要素があったとはいえ、それでもダンジョン主を無防備にさらすのは肝が冷えた。
セバスにもかなり抵抗された。
一応、『意思伝達紐』には使い捨てとして、対象の動きを一瞬止める効果があり、ノエルに何かしようものなら動きを止め、即座にセバスに始末させるつもりだった。
しかし、それでも不安だった。二度とこんなことはしたくない。
だが、おかげで専属世話係兼血液提供係が手に入ったのだからよしとすべきだろう。
――とりあえずは、あのダークエルフに服を用意せねばなるまい。
ダンジョン測定値
名称:
ランク:F中位
保有魔素:17980P(残30P)
『意思伝達紐』:魔法道具。ダンジョンの意思を装備者に伝えることができる。
一度だけ装備者の行動を一定時間強制停止できる。糸と名が付いているが実際は紐サイズ。