47 禁忌の言葉
「久しぶりよの、覇雁。そろそろ起きておるだろうと思うておうたが……壮健そうで何よりじゃ」
《そういうお主もあまり変わっておらんようじゃのう》
「カカッ、まだまだ老け込むような歳ではないわ」
そんな会話を交わす巨大な魔物と妙齢の美女。何も知らない者がこの光景を見れば、当然女の方を心配するだろう。
しかし自分は何の変哲もない女の方にこそ深刻な脅威を認識していた。何故ってその女からは何の脅威も感じられないからだ。
だがそれは本体あり得ないのだ。事前に得た情報からすれば目の前の女はまさに超級の存在。脅威でないはずがない。
にもかかわらず、そんな存在を前に未だに危険を意識することができない……それが本当に恐ろしい。
太陽を見ても、知識の上ではその身に宿す凄まじい熱量を知っていたとしても、実際にそれを正しく捉えることはできないだろう。
眼前の存在はそれに近い。知識の上では上位と認識していても、差が有りすぎてどれ程の差か分からないのだ。
「――それでこやつ等は何だ?」
そんな化け物でしかない存在の意識がこちらへと向いた。その無機質な瞳を見て確信する。
……これは駄目だ。覇雁と話していたときとは温度差が違いすぎる。
悪意はないが善意もない。完全に『物』を見る目だ。たぶん彼女がノエル達を殺すときは『殺す』という意識すらないだろう。
「……余の名はノエル。ダンジョン主だ」
よし、よしよしよし! 頑張って礼儀作法を教えたかいがあった。よくぞ空気を読んでくれた!
良いとは言えないが決して悪くもない。少なくとも問答無用で喧嘩を売らなかった時点で及第点である。
「ダンジョン主のう。……この辺りは妾が禁域にしておいたはずだが?」
ヤベッ! 確かにそんなことを聞いていた気がする。となれば我々は思いっきり不法侵入者ではないか。
ここで上手く言い訳せねば詰む。考えろ、刹那の間に考えろ自分。絶体絶命の状況でこそ、きっと絶妙な言い訳が思いつくはずだ。
《やれやれ、そう脅かしてやるでない龍花。そやつらは偶々この地の近くに『移転』してきただけじゃ》
覇雁の爺さんのナイスフォロー。足を向けて眠れませんな、マジで。
「ふむ……そんな者達が何故お主のところに居る?」
《儂の身体の掃除を頼んだんじゃよ、ちょうど良いタイミングだったのでな》
「……だが妾の意思に反した行動をとったのも事実だ」
《お主のことを知らなかったのだから無理もあるまい。……わかっておるじゃろう?》
――一部よくわからない会話があるものの、一応良い方向に話が流れていると判断していいのだろうか?
これが多少実力が上の相手であれば逃げの一択なのだが、これほどの相手では様子見しか出来ない。
ああもうっ! こんなことならやっぱりアレを創っておくべきだった!
「――やはり当人に訊いてみるとするか。おい、小娘。貴様、妾に仕える気はあるのか?」
遂に矛先がこちらを向いた。ここで失敗すれば終わりだ……慎重に返答せねばなるまい。
個人的には今までの状況から、傘下に加わるというのも悪い選択肢とは思えないのだが――
『もちろん嫌だぞ?』
ダヨネー。わかってた、わかってたよ、うん。とはいえ戦うのはなしだぞ?
『うむ、わかっておる。余は爺さんにも勝てぬ身だからな』
結構。そうなると対応としては――
「余は誰かの下に就くつもりはない。だが無意味な争いを仕掛けるつもりもない」
どっちつかずの答えではあるが、ノエルの気性を考えるとこれがベターだろう。あとは相手の反応次第だが……?
「――ふ、む。敵対する気はなくとも妾に仕える気のない者を放置する理由もないが……」
《そうけち臭いことを言わずともいいじゃろう。儂からも頼むわい》
「誰がけちか。……まあ、傘下に加わらずとも余計なことをせず、この辺りの守護をするというのなら考えなくもないが」
覇雁の爺さんの後押しもあり折れた様子を見せてくれる龍花。定住を認めてくれる条件としては十分だ。
後はノエルの説得さえ上手くいけば念願の安住の地が手に入るかもしれない。……妙に戦闘好きな彼女をどう説得するかというか問題はあるが。
そんな感じで捕らぬ狸の皮算用よろしく未来に希望を見出していた自分だが――運命とは何処までも残酷なものである。
先に予め断っておけば――ノエルに悪意は全くなかったと断言しよう。相手を馬鹿にするつもりはなかったし、挑発する意図もなかった。
彼女はただ知らなかっただけだ。覇雁の爺さんと対等に話しているのを見て、彼女もそうなのだと素直に思っただけなのだ。
その言葉がこんな結果を招くなど微塵も思っていなかったし、そもそも何故こんな結果になったのかも理解できまい。
最近は大分成長したと思うし、実際に成長しているのだろうが、それでもノエルはまだ子供だったということなのだろう。
経験の少なさ故に彼女にはそういった事への機微はまだわからなかったのだ。しかし無邪気だからこそ、人は時として禁忌に触れてしまうものなのかもしれない。
そして遂にその言葉がノエルの可愛らしい唇から放たれた。
「ありがたい、礼を言うぞ。龍花の婆さん!」
――空気が凍った。その場にいる誰一人として身動き一つできず顔を引き攣らせている
そんな周囲の様子を不思議そうに見るノエルと、ひたすらに無表情な龍花は例外だが……あっ、笑顔に変わった。だけど安心感は全くない。むしろ絶望感が増すばかりだ。
――自分はダンジョン。名前はまだない。
どうやら短い一生を終える時が来たようだ。
ふっ、こんなことなら辞世の句でも用意しておくべきだったか。




