H1 帝国皇族
大陸で最も巨大な版図を誇るローランディア帝国。
その首都たるローランは帝国の中枢にして皇帝ジオレス・ウル・ロディウスのお膝元――必然、帝国で最も栄え洗練された街並みを見ることができる。
そんな華やかな街並みとは切り離された一区画――人の近づくことも疎らなその場所には、帝国の表の学問とは別種の研究所が存在している。
「――あああああアアアアアアあ゛あ゛あ゛あ゛あ゛アアアッ!?」
暗く澱んだその場所に悲痛な叫び声が響く――しかし、その叫びを受けとめ慈悲を示すようなまともな人間はここにはいない。
いるのは研究という大義のもと人倫を捨てた探究者のみである。
「やれやれ、今回も失敗か。また小僧に煩く言われるわ」
肺が裂けかねないほどに絶叫し、命を終えるとともに沈黙した被験体を前に面倒そうに呟くのは初老の男。白衣を纏った小柄なこの男こそ、この研究所の責任者である。
「所長! 研究の成果は出たのか!?」
研究室の扉を力任せに開き、足音も荒々しく乗り込んできたのは金髪を靡かせた美丈夫だ
父親譲りの逞しい体躯も合わさり、にこやかに微笑んでいれば、さぞや世の令嬢方を夢中にさせそうな男だが、ここ数年は常に顔色を不機嫌そうに顰めている。
「おや、これはこれは殿下。わざわざこんなところ所までご足労いただき――」
「御託はいい、それよりも強化兵の成果は出たのかと聞いている」
「ご覧の有様ですよ。出来ればもっと良い素材をお願いしたいものですな」
「貴様っ……!」
形ばかりで欠片ほどの敬意も込められていない返答に、殿下と呼ばれた男――帝国第一皇子ルギス・アルト・ロディウスの顔が歪む。
許されるならば目の前の男の首を斬り飛ばし、そのにやけた顔を永遠に消し去ってしまいたい。
だが――できない。どれほど皇族への忠節の欠ける男であっても、その才能だけは本物なのだから。
男も自身の価値を正しく理解しているからこそ、皇族程度にへりくだるような真似はしない。
「――ッ、戦までに成果を出せなければ覚悟しておけ!」
結局、負け惜しみのような言葉を残し足早に立ち去ることしかできない。
(文句を言いに来ただけか、あの小僧……)
呆れながらも所長と呼ばれた男もまた研究室を後にする。
部下にいくつか指示を出し、向かう先は別の研究室である。
「――あまり芳しい結果ではないようだね」
「おっと失礼、待たせてしまいましたかな」
研究室にはすでにスポンサーが待ち受けていた。
兄と同じ金髪だが、体つきは女性のように華奢で容貌も幼い――帝国第二皇子リオネス・レグラ・ロディウスである。
「別に無理して敬語を使う必要はないよ。僕は兄とは違うのだから」
「そいつは助かるの」
言葉では追随しつつも、内では嘲られずにはいられない。
度量を見せようとしつつも、兄と比較し一々意識してしまうその滑稽さを。
「やはり術式の書き込みは難しいかい?」
「理論的には可能なはずだがの、やはり机上の空論と言わざるおえんわ。実現するにはいくつかハードルがあるわい」
現在、男は二つの研究で主導的役割を担っている。
一つは第一皇子からの依頼で、魔素の外部からの注入をベースとした強化兵の開発。
もう一つは第二皇子からの依頼で、解析した術式を再現し直接精神に書き込む術者の量産化実験。
どちらも理論段階の技術であり、研究は上手く行っているとは言えなかった。
「理論的には可能なら、具体的に何が問題なんだい?」
「術式書き込みの際に、外部干渉によって精神が焼き切れ廃人同然になる。これでは兵士としては使いものにならんわ」
まだ技能を持っていない人間の精神に術式を書き込むことで、人工的に術者を創ろうという試みだが、人格まで壊れてしまえば役立たずである。
「それなら問題ないじゃないか。別に兵士として使う必要はないんだから、命令に従う最低限の知能があればいい」
「……つまりは砲台ということかの?」
「うん、そういうことだね」
さも良い案を思い付いた、とでもいうかのようににこやかに非道な提案をしてくる。
要は魔法を放つだけの使い捨ての駒として仕立て上げろということだ。
(これで社交界では貴公子などと言われているのだから呆れるわい)
自分の事は棚に上げつつ、目の前の皇子の外道ぶりを再認識する。もっとも、だからこそ継承権争いでは脳筋の第一皇子に対し、優位に立てているのだろうが。
「それじゃあ、吉報を期待しているよ」
「……できれば固有技能持ちでも回してもらえると、有り難いんだがのう」
「八ハッ、それは駄目さ。彼らは貴重な人員なんだから」
ドサクサ紛れに出した要望をサラリと躱し去っていく第二皇子を見送りつつ、今後の身の振り方を考える。
所長としては、皇子たちを担ぎ上げた派閥争いになど興味はないのだ。
両方からの依頼を受けているのも、単に頼まれたからというだけの話である。
――やはり彼女の意見を聞いておきたい。
そう考えた所長は自身が唯一敬意を払う、本当の主の元へと向かうことにした。
◇ ◇ ◇
「こんな場所に来られる必要があるのですか?」
「……こういう場所だからこそ、見えるものもあるのだよ」
所長が辿り着いたのは帝都の片隅にある自然公園の一つだ。
一般市民にも開放されているこの場所では、子供たちが遊びまわり老夫婦がのんびりと散歩している姿が見える。
そんな場所に彼女はいた――ベンチに気だるげに腰掛けに人々の様子を眺めている。
波打つ蜂蜜色の豊かな髪、空色の美しい瞳、整った鼻梁、形の良い唇、しみ一つない陶器のような肌、細身だがメリハリのきいた姿態――構成するパーツの一つ一つは正に、「姫」という言葉を体現するかの如きものだが、全身に纏った退廃的な雰囲気がまったく別種の魅力をこの女性に与えている。
末妹にして帝国第一皇女リーズディナ・カルネ・ロディウス――下らない派閥争いで内側から瓦解しそうな帝国が未だに形を保っているのは、彼女と皇帝の力によるところが大きい。
そして所長にとっては唯一忠誠を尽くすべき相手でもある。
「皇子方の方は放っておいてよろしいので?」
「ああ、別に構わない」
本来であればこのような場所でする話ではないが、彼女が一緒であれば話は別である。
現に、人目を引かずにはいられない容姿の持ち主であるリーズディナに、誰一人として目を向けてはいない。
「……いっそのこと彼らを排除し、姫様が帝国を牛耳られてはいかがでしょうか?」
「好き好んで沈没船の船長になりたがる物好きがいるとでも?」
これは本心だった。皇帝の三人の子の中で、最もその気質を受け継いでいるのは彼女だという確信がある。しかし――
「……やはり、崩れると?」
「ああ、そもそも父上にはその気が全くないからな」
思わずため息が漏れる。皇帝には帝国を存続させる気がなく、第一皇子と第二皇子は内輪で争い、唯一可能性を持つ第一皇女はすでに帝国を見限っている。
愛国心など欠片もない所長だが、流石にこの状況には頭が痛くなってくる。
「皇帝の暗殺は――」
「無理だ。確実に返り討ちに遭うぞ」
そう、そこが問題なのだ。この国の最高権力者に手を出す術がない。
しかも第一皇子と違い搦め手でどうにかなる相手でもない。
「私は適当なところで降りるつもりだ。君も身の振り方を考えておくといい」
そう言い残し、怠そうな態度を隠しもせずにその場を後にする第一皇女――これで公務では「白百合」とも称される貞淑さを見せるのだから、女という生物は魔物だとつくづく思う。
皇女が去ったことで人目を取り戻した周囲を意識し、さっさと立ち去ることにする。
空を見上げると少しずつ暗くなっていくのが見て取れ、日の落ちていく様に帝国の未来を幻視してしまう。
とりあえず息子夫婦と孫はどうにかせねばの――そんなことを考えつつ帰路に就く。
その脳裏には皇族の事も、いまも実験漬けである被検体の事も綺麗さっぱり消えているのだった。




