A3 レイラ
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イステリア公国の下級貴族であるクロード・ロイドバーグには、ここ数年頭を悩ませていることがあった。
国の事ではない。
イステリア公国は周囲を他国に囲まれているが、そのうちの一つアシュアード教国との関係は良好で、その影響もあり比較的隣国間の関係は穏やかなものだった。
公国内部の事でもない。
宮中では権力と陰謀が大好きな御仁方がそれなりにやりあっているようだが、下級貴族であるクロードまで飛び火するようなことはほとんどない。
領地の事でもない。
治める領地は決して豊かとは言えないが、クロードは分不相応な野心を持つこともなく堅実に運営していた。
領民の支持もおおむね好意的である。
では結局何に悩んでいたかと言えば――家族の事であった。
長男に関しては問題はない。
真面目な性格で、現在は自身の仕事の補佐をしており、何事もなければいずれ跡目を譲ることになるだろう。
長女も問題はない。
数年後には婚約者のもとに嫁ぐことが決まっており、その仲も良好だ。
相手は自分の古い友人の息子であり、幼い頃からよく知っている好人物だ。
きっと娘を幸せにしてくれるだろう。
問題は次女――レイラ・ロイドバーグにあった。
レイラは特に身体に問題があるわけではない。
むしろ元気過ぎるくらい元気な娘だ。
頭の方も悪くはない。
父親の贔屓目かもしれないが、どちらかと言えば優秀な部類だと思われる。
しかしレイラの問題はその性格にあった。
……と言っても、レイラの性格は高慢なわけでも貴族としての自覚に欠けるわけでもなかった。
むしろ「高貴なる義務」をきちんと理解し、貴族足らんと努力する姿は他の放蕩貴族にも見習わせたいくらいである。
しかし如何せん、レイラは貴族としては正直すぎた。
加えて寝物語として聞かされた英雄譚の登場人物に強い憧れを持っていた。
結果としてそれにレイラ自身の行動力も合わさり、どうにもレイラは志とは裏腹にズレた行動を全力で突っ走りがちだった。
クロードはこの娘をどう扱うべきか非常に悩んだ。
とても権謀術数渦巻く貴族社会でやっていけるとは思えず、娘を御しきれそうな嫁ぎ先に心当たりもない。
さりとて性根はまっすぐな可愛い娘、放り出すなどあり得ない。
――最終的に彼は娘を教会に預けることにした。
アシュアード教国と関係の深いイステリア公国では、爵位を継がない貴族の子女が神官位に進むことも珍しくなかったからである。
……彼に失敗があったとすれば、娘の行動力を見誤っていたことだろう。
そんな父親の懊悩など全く知らず、教会へと入門したレイラは、初めのうちは特に問題を起こすこともなく日々を過ごしていた。
レイラは才能豊かとは言えなかったが、生来真面目で向上心も高く、幸いにも光魔法の適性があったのもあり、順調に実力を伸ばしていた。
……しかしレイラには問題なくとも教会には問題があった。
大陸で最も広く信仰され、歴史と権威ある宗教であるが故に、教会の一部では腐敗が横行していたのである。
正義感の強いレイラはそのような現状を受け入れられず、なんとかしたいと思っていたが、どうすればよいか分からず忸怩たる思いで日々を過ごしていた。
そんなある日、レイラの耳に将来を嘱望された先輩神官が女性に不埒な要求をする高司祭を張り飛ばし、破門されたという話が流れてきた。
その話を聞いたレイラは、
「これですわ!」
と歓声を上げ……いつものようにズレた行動を全力で突っ走り始めた。
行動を開始したレイラが何をしたかと言えば……なんのことはない。
教会の恥部の類を暴露し、その手の神官に積極的に盾突くようになったのである。
もちろん恥部と言えど、レイラ程度の立場で知れることは高が知れており、教会側もレイラに「指導」を施すことで矯正を行おうとした。
しかし、己の正しさを確信するレイラが行動を改めることはなく、教会側もいささか困り果ててしまった。
通常の神官であれば破門にすれば済む話だが、レイラは隣国の貴族出身。
この程度の事で手荒な真似をするわけにもいかない。
――最終的に教会がレイラに対して出した結論は、「レイラ・ロイドバーグを宣教神官に任ずる」と言うものだった。
宣教神官――未だ女神を知らぬ人々にその尊き教えを伝える役職。
……と言えば聞こえがいいが、大陸最大宗派である「アイシス教」ではもはや有名無実化した役職である。
要は「好きにしていいからもう帰って来るな」という左遷先なのだ。
しかしレイラはむしろ喜んでこの任を受けた。
我が道を行くレイラにとって、他人に強制されない立場というものは魅力的なものだったのだ。
宣教神官の役職に就いたレイラは、まず冒険者ギルドに登録を済ませた。
この行動自体は珍しいことではない。
宣教神官の給金は雀の涙で、収入を得るため冒険者を兼任することは一般的だったからだ。
教会としても、神官が冒険者として活躍することは組織としてプラスになるのでむしろ奨励していた。
そして宣教神官兼冒険者としての一歩を歩みだしたレイラは、人の良さそうな剣士・物静かな魔法使い・警戒心の強い盗賊といった同世代の冒険者三人組とパーティーを組むことになり……。
「だからっ! どうしてわからないんですの!?」
「わかるかっ! ボケッ!」
現在、盗賊の少年と睨み合っている。
◆ ◆ ◆
――最初のきっかけは冒険者ギルドで少年を見かけたことだ。
自分達より少しだけ年上に見える少年は、見るからに警戒心旺盛で、他の冒険者に対して敵意に近い視線を向けていた。
普段であれば避けるであろう相手にそれでも声をかけたのは、一人でいる様子がかつての自分達――ロイとシーラに重なったからであろうか。
いずれにせよ、この日から二人のパーティーは三人になった。
パーティーを組んだ当初、新たに加入した盗賊の少年――ジャックは二人に対して猜疑心を剥き出しにしていた。
その態度は基本的にお人好しのロイと、ほとんど感情を表に出さないシーラでなければ破綻してもおかしくないものだった。
しかしそうした態度も何度か依頼を共に受けていくうちに緩和していった。
……警戒心が薄れたというよりも、警戒するのが馬鹿馬鹿しくなったといった様子ではあったが。
それからのジャックはロイやシーラでは気づかないこと、気の回らないところを積極的かつ的確にフォローした。
角が取れてしまえば生来の気質は面倒見の良い少年だったのだ。
そしてそんなジャックがある日受けてきた依頼。
それは隊商の護衛というものだった。
報酬自体はお世辞にも多いとは言えないが、依頼中の食事は依頼者持ちだし、馬車にも乗せてもらえる。
加えて護衛任務に関しては他にも依頼を受けている冒険者がいるという内容だった。
今まで目の当たりにしたことがない未知の場所に胸を高鳴らせ依頼を承諾したロイに、なぜかジャックはきまり悪げだった。
シーラは特に文句もなしと言った感じだ。
無事に依頼を終え、ヴェロニカ共和国エルニグの街の冒険者ギルドを訪れた三人は、ギルドから治癒術士を紹介されることになった。
……貴重な治癒術士でありながらギルドからの紹介を挟む時点で何か訳ありなのは明白だったが、初級冒険者の身としては断りづらい。
そうして治癒術士の少女――レイラとパーティーを組むことになり、いくつかの依頼をこなしたのだが……彼女とジャックの相性は致命的なまでに悪かった。
「――だからこそ! わたくし達冒険者は力なき民のためにも戦わなければならないのですっ!」
「……アホか」
宣言するかのように述べるレイラに対し、対面からボソリと声が溢れる。
「なんですってっ!?」
「……なんだよ」
「ちょっ、二人とも落ち着いて!?」
「……」
……レイラとて自分の言っていることが理想論であることは分かっている。
しかし「こうあるべき」、「こうありたい」という想いまでが間違っているとは思わない。
故にココに関しては譲る気はなかった。
譲ればレイラはレイラでいられなくなる。
対するジャックは何処までも現実主義だ。
理想で飯が食えるか。英雄ごっこは他所でやれといった様子だ。
間に挟まれたロイとしてはどうにも難しい。
少年らしい冒険心や正義感はレイラに賛同し、冒険者としての現実的思考としてはジャックに賛成しているのだ。
「……それで……結局レイラは……どうしたいの……?」
故に冷静に両者の主張を聞いていたシーラが議論の方向性に修正を図るのは当然だったのである。
「もちろんダンジョン攻略ですわ!」
「できるかわけねーだろ、ボケ」
「~~~っ! あなたはっ! いちいち茶々を入れなければ気が済まないのですか!?」
「……常識で考えろって言ってんだ、ボケ」
誇らしげに答えるレイラに間髪入れずジャックが答え、再び両者は睨み合う。
「……どう思う? シーラ」
「…………」
ロイとしてはせっかくできた仲間にあまり危険なことをしてほしくない。
しかし仲間が増えたからこそダンジョンに挑戦したい気持ちも確かにあった。
シーラの思考はもう少し先を言っている。
――仮にダンジョンに挑むことになればどこに挑むべきかと。
エルニグの街近郊のダンジョンは現在四つ、いずれもランクF中位。
数多くの豚人ひしめく、通称豚人迷宮。
魔物は全く見かけないが、内部が複雑で罠の豊富な、通称罠迷宮。
ダンジョン自体は平均以下だが、ダンジョン主である『悪鬼』が手強い、通称悪鬼迷宮。
……そして最近現れたばかりで情報がほとんどない新規迷宮。
正直なところを言えば、どれも自分達には手に余るダンジョンだと思える。
しかし、それをそのまま伝えたところでレイラが納得するとも思えない。
……何とか頭の中で考えをまとめ、ロイに伝える。
シーラからの提案に賛同したロイは、未だに睨み合う二人の仲裁に入ることにしたのだった。
ジャック君はとにかく元の街から離れたかったようです。