13 親ならば一度は経験すること
実話に基づくお話です。
リディアはノエルを抱き抱え森を歩いていた。
ダンジョンを出る直前まで、チョーカーからは何やらダンジョンの意志が騒いでいるような気配が伝わってきたが、知ったことではない。
リディアにとってノエルの望みこそが最優先である。
もちろんリディアとて、ノエル可愛さに何も考えずにダンジョンから出てきたわけではない……多分。
現在の時刻は夜半。
空を見上げれば蒼ざめた月の光がどこか冷たく大地を照らすも、見渡せる視界は闇に包まれ肌に感じる気温も低い。
まともな冒険者であればこんな時間に行動などせず、魔物も夜行性のモノでなければ棲み処へと帰るものが大半だ。
加えて言えば、恒例のリディアの「掃除」で危険度の高い魔物は処分済みの上、風属性を応用した探知魔法と魔法障壁を展開し鉄壁の守りを敷いている。
ノエルには傷一つつけるつもりはないという決意が普段以上にリディアに集中力を与えていた。
――ダンジョンは知らないことだが、野生化した魔物にはダンジョン内の魔物よりも高い知能を持つものが多かった。
これは自身に命令を与えるダンジョンが崩壊したことで、自らの意思で行動する必要に駆られた魔物が自然と知恵を蓄えていった結果であった。
野生化したばかりで知能の低い魔物たちは積極的にリディアに襲い掛かり返り討ちにあったが、ある程度の知能を備えた魔物は敏感にリディアの危険度を感じ取り交戦を控えていた。
実際のところ、リディアによって保護されている限り、ダンジョンが思っていたほどノエルへの危険はなかったのである。
そしてそのノエルはと言えば……。
「――っ! あえっ! あえなに!?」
そんな事情など露とも知らず、初めての外出をご機嫌に満喫中であった。
もちろん吸血鬼の性として夜の方が活力に満ちるということはあるのだろう。
しかしそれ以上に目に映る目新しい全てのものがノエルを魅了した。
好奇心の赴くままリディアに尋ね、近づき、触れ、存分に楽しみつくしている。
そしてそんなノエルを抱き抱え、リディアもまた二人きりの夜の散歩を満喫していた。
ダンジョン内でもノエルとは触れ合えるが、邪魔者が多すぎる。
いっそこのままノエルと共にダンジョンなど捨て、旅に出ようかという考えさえ浮かぶ。
しかしリディアは冷静に自分を戒める。
自分はダークエルフでノエルは吸血鬼。
ダンジョンを捨てても迫害に遭うことは目に見えている。
ノエルとダンジョンの関係も不明瞭だ。
一時の感情で不用意な行動をとるべきではない。
――ノエルに対しては真摯に答えながら、頭の片隅でそんな思考を重ねつつ魔法を維持する。
そんな器用な真似をしながら散歩するリディアの探知魔法に引っかかるものがあった。
「――――」
目を細めゆっくりと反応があった方向へと足を進める。
いつでも対処できるよう自身の肉体を完全にコントロール下に置く。
……ノエルもリディアの雰囲気の変化を感じ取ったのか、息を潜めリディアの視線の向く方へ目を向ける。
――そして現れたモノを前にノエルは目を輝かせた。
◆ ◆ ◆
――ノエルとリディアがダンジョンから出て行ってしまい、無い胃を精神的に痛めつつ待つことしかできなかった。
以前にリディアが何度かダンジョン外へと出かけた際に分かったことだが、『意思伝達紐』の効力はダンジョン内でしか効果を発揮しないようだった。
対しノエルにはこちらの意思が伝わっているようだが、こちらの意思などガン無視で楽しげな気配だけが伝わってくる。
リディアが傍にいる以上めったなことにはならないと思うが、それでも心配なものは心配なのだ。
だからこそ二人が無事に戻ってきた時は心から安堵したのだが……何故こうなった?
ノエルには傷ひとつ見当たらない。
外がよほど楽しかったのかとても機嫌良さげだ……ちょっと羨ましいがこれはいい。
リディアは何時もと変わらず涼しげだ……ダンジョンの指示に従う気が全く見えないのが気になるが、まぁこれもいい。
……問題なのはノエルとリディアが持ち帰ったモノ。
そいつは傷ついていたが、ネリスの治療魔法によって無事に完治した。
そいつはとても小さい……ノエルよりも小さい。
そいつの全身は黒い毛で被われていた……モフモフだ。
そいつは鋭い牙と爪を持っている……現在リディアが手入れをしている。
そいつは血のように紅いつぶらな眼をしている……ノエルがお揃いの眼を輝かせて見つめあっている。
…………どう見ても魔物の子供です。本当にありがとうございます。
……ってなんでじゃ! 何でこんな状況になっている!?
とにかく説明しろとリディアに意思を送る。
リディアは迷惑そうに天井を見上げると、手入れを続けながら説明する。
黒い毛玉は『レッサーウルフ』というウルフ系の魔物の最下種であること。
親はおそらく『ロンリーウルフ』であること。
母親はすでに死亡していたこと。
傷口から冒険者の手によるものであろうということ。
父親は二匹を逃がすために足止めを行ったのだろうということ。
ノエルが望んだので連れ帰ってきたこと……。
すべて聞き終え、かつてない危機感に震える。
これは……マズイ、ひっじょーに不味い。
きっとアレが来るに違いない。
……不味いとは思いつつも訊かないわけにもいかないのでノエルに尋ねる。
――え、えーとノエルさん? その仔をどうされるおつもりでしょーか?
「いっしょっ!!」
……実に弾んだ声で答えて下さる。
これはつまりあれか、その魔物の子供とダンジョンで一緒に生活すると――駄目に決まってんだろーがっ!
「ッ! やー! いっしょ、いっしょっ!」
駄目ったら駄目! 絶対に認めん!
「うーっ!」
膨れっ面の涙目で天井を見上げてくる。
こちらの声は聞こえずともノエルの様子で状況は理解できているのだろう。
ネリスも非難するかのように見上げてくる。
リディアに至っては言わずもがな……めっちゃ怖い。
しかし! 今回ばかりは引く気はない、徹底抗線だ!
――それからしばらくし、根負けした自分は『道具作成』で首輪代わりの『意思伝達紐』を創ることになるのであった。
……泣く子と女性二人の非難の眼差しとか反則だろう。
ともあれ……ひとまずレッサーウルフを飼うことは承諾したものの、大切なことを忘れてはならない。
大切なこととはそう――名前である。
リディアに確認してもらったところ雄のようなので、勇壮かつ男前な名前を自分が直々につけてやらねばなるまい。
さてどんな名前がいいものか――
「くろ!」
そう、クロって――いやいやそんな安直な。
もっといい感じの名前が……。
《名前が入力されました》
――ってうぉい!
容赦なく響く天の声。
なに? ひょっとしてダンジョン主も名付け出来んの!?
《肯定》
マジか~、これは予想外。
そんなわけでレッサーウルフの名前は「クロ」となった。
……いいんだけどね、別に。
◇ ◇ ◇
正直に言えば、野生化した魔物だということでかなり心配していたのだが、その心配は杞憂に終わった。
クロの知能はなかなか高く、自分が助けられた立場だということを理解しているのか、ノエルによく懐いていた。
親を失ったことで警戒心が強くなってはいないかと危惧したが、考えてみればクロの親を殺したのは人間で、ノエルは魔物である。
クロがノエルに懐くのは自然なことだったのかもしれない。
ダンジョン内でのクロのポジションはノエルの遊び相手である。
ノエルも自分よりも小さい相手というのが珍しいのか、クロに夢中だ。
おかげでリディアやネリスの手が空くようになった。
……野生化した魔物も引き入れるべきだろうかと少し考えたが、クロだけが例外という可能性もあるので、ノエルがもう少し大きくなるまでは自重することにした。
……そして現在、二人と一匹はダンジョン内をお散歩中である。
「お~じょ~う~さ――」
「声がでかい」
「フォブッ!」
真っ先に跳び込んできたのはもちろんこのレイスである。
そして当然のようにリディアに殴り飛ばされる。
しかしセバスもさるもの。いい加減殴られ慣れたのか、即座に復活する。
「フォッフォッフォ。リディア殿は手厳しいですな!」
……だんだんタフになっていないだろうか、このレイス?
「そしてお嬢様、ご機嫌麗しゅう。散歩ですかな? それでしたら是非ともこのセバ――」
「ワウッ!」
「ぬぉっ!? 何をするかこの犬畜生!」
「だめッ!」
しかしここで予想だにしない追撃が入った。
セバスを不審者だと思ったのか、クロがセバスの顔面に飛びかかったのだ。
当然セバスは引き剥がそうとするが、ノエルの怒りの声が上がる。
「……こ、これは申し訳ありません、お嬢様」
「む~」
セバスはそろそろとクロを床に下し平謝りするが、ノエルは機嫌悪げにそっぽを向く。
あっ、セバスが床に沈み込んだ。ガーン! なんていう擬音が聞こえそうな感じだ。
リディアがそんなセバスを見て冷笑を浮かべている。
これはあれだ、ザマァ!ってやつだな。
そして打ちひしがれるセバスを捨て置いて、二人と一匹は散歩に戻っていった。
「あらあら~、お散歩ですかぁ~?」
次に行き会ったのはネリスである。
ネリスは慣れた様子でクロを抱き上げる。
……おおっ、クロがネリスの胸で溺れそうになっている。
それを見たノエルが「のえも~」とせがむ。
……なんかリディアさんの目が暗殺者のように鋭くなっているが……気のせいだよね?
――そしてリーダーよ、物陰でこそこそと君はいったい何をやっているんだ?
ウザったくなったのでリーダーにさっさと姿を現すよう命令を下す。
「……」
「なにか~御用ですか~?」
……うむ、リーダーの登場で女性陣の気配が変わったな。
まさに絶対零度というやつだ……リーダーは日頃から何をしてるのだろう?
何やら必死で奇妙な踊りを踊っているようだが。
「ハッハッハッ……」
「お~♪」
「…………ッ!」
そんなリーダーの周りをクロが舌を垂らしながらグルグルと回る。
クロはなにやらリーダーに興味津々のようだ。
そしてそんなクロの後ろをノエルが付いて回る。
……どっちが主人か分からんな、コレは。
リーダーはと言えば……何故だか震えているようだ。
クロに対して脅威を感じるようなものでもあったのだろうか?
やがて飽きたのか、ノエルとクロは散歩に戻り、リディアも付いて行き、ネリスもさっさと立ち去った。
その場には震えるハイスケルトンのみが取り残されるのだった。
その後、散歩を終えたノエルとクロは自室へと戻る。
十分に遊んだので食事の時間だ。
準備はもちろんリディアが行う。
面白いのはクロはその間全く動かず、ビシィ!といった感じでお座りをしていることだ。
……どうやらリディアに完全に上下関係を叩き込まれているようだ。
おそらくクロの中では、
ノエル≧リディア>越えられない壁>ネリス>クロ>セバス≧リーダー
といった感じの上下構造が刷り込まれているに違いない。
躾というのは実に大事である。
……自分の立場はどの辺なのだろう?
一応本来はノエルと対等の立場のはずだが……うん、めんどくさいし確かめないでおこう。
……断じてひよってなどいない。
食事や入浴が終わればお休みの時間である。
ノエルはクロと寝たいようだが、それはリディアが許さなかった。
……それはもう時間をかけてノエルを説得していた。
ノエルに嫌われないよう最大限の注意を払い、それでいて決して譲ることはなく。
う~む、そんなにも二人だけで眠る特権を手放したくなかったのだろうか?
――とまぁ、ダンジョン内に多少の波紋を生じさせつつも、クロは特に問題もなく受け入れられたのであった。
『ロンリーウルフ』:獣系レベル30相当。『ウルフ』の進化形。群れを作らず単独で活動する。
繁殖期と子育て期のみ番いを作る。知能は比較的高く、子供への情愛も深い。