10 リディアの一日
リディア視点です。
――私の一日はもちろんお嬢様から始まります。
朝目覚めればまずはお嬢様の寝顔を堪能です。
側仕えのみに許された特権と言えるでしょう。
……ああ、今日もお嬢様はたいへん愛らしい。
天使がいればきっとお嬢様のようなのでしょう。
いえ、天使と言えどお嬢様の愛らしさに及ぶはずがありません。
――十分にお嬢様の寝顔を堪能した後で、手早く寝間着を着替えます。
着替えは人種の使用人がよく着るメイド服という服です。
なぜか用意されていたこの服は、前任であるセバス曰く、ダンジョンの意思が用意したものではないかということでした。
……それを聞いた時は思わずダンジョンの意思とやらの正気を疑いましたが、思っていたよりも機能的だったのでそのまま愛用しています。
着替え終われば、お嬢様のお食事の準備です。
お嬢様はまだ固形物は食べられないので、離乳食を用意します。
材料はダンジョンの意思によって用意されているようで、なかなか良い手際だと言えるでしょう。
ちょうどお食事が出来上がる頃、お嬢様がお目覚めになります。
お着替えを済ませ、用意しておいた離乳食をお召し上がりになります。
――お嬢様はお食事中もたいへん愛らしいです。
お食事が終わればお嬢様はお休みになられます。
その間に私の食事や洗濯を済ませてしまいます。
玉座の間から繋がる六部屋には、王侯貴族でも持ちえない便利で快適な品々があり、なかなか重宝しています。
お嬢様にふさわしい品だと言えるでしょう。
「……ネリスを呼んでください」
仕事を片付ければ、次はダンジョンの見回りです。
しかしその間、お嬢様をお守りする者がいなくなるので、不本意ですが私はダンジョンに呼びかけます。
ダンジョンの意思はこちらの状況をある程度把握しているようで、こうして呼びかければ要望に応えてくれます。
……覗き見されているようでいささか不愉快ですが、お嬢様をお守りするためと考えればなかなかに便利です。
「呼びましたかぁ~?」
独特の間延びした口調とともに現れたのは、以前ダンジョンに侵入し、不埒にもお嬢様を害そうとしたので始末した元冒険者です。
現在はダンジョンの意思によってサキュバスへと生まれ変わり、相変わらず無駄に色香を振り撒いています。
サキュバス固有の布面積の低い服には不満があったのか、ダンジョンに直談判し用意させた町娘のような服装をしていますが、むやみやたらと肉の多い体は隠せていません。
「私は今からダンジョンを見回ります。その間お嬢様のお世話をお願いします」
「は~い、わかりぃましたぁ~」
人間だった頃の彼女を私が殺したわけですが、特に隔意は抱いていないようです。
いささか不思議な感性の持ち主と言えるでしょう。
返事とともに意味もなく脂肪の塊である胸が揺れました。
……嫉妬などしていません、本当です。
「リーディーアーーどぉーーのーーー!」
……ダンジョンの見回りを開始して真っ先に向かってくるのがこのレイスです。
全くもってしつこ――もとい根性のあるレイスです。
「リディア殿! どうかこのセバスめにもお嬢様のお世話という大役をお任せください!」
「……お嬢様のお世話は私に一任されております」
そう何度も言っているのですが……なかなかめげませんねこのレイス。
あとお嬢様のお世話を一任されているのは嘘ではありません。
首のチョーカーからそのような意思が伝わってくるのです。
「そこをなんとか! リディア殿の方からも是非とも進言を! 爺では無理なようですがリディア殿ならば!」
「……そもそも男性のあなたにお嬢様のお世話は無理があるかと」
しつこいですね、このレイス。
「大丈夫ですぞ! なんでしたら目隠しをしてお世話いたしますので!」
「……できるわけがないでしょう」
目隠しをして乳児の世話をするレイス。
人はそれを変態と呼ぶ。
「そんなこ――」
「……やかましい!」
「ッブフォォオオオオオ!?」
いい加減うっとうしくなったので、右ストレートを叩き込む。
やはり馬鹿は拳で黙らせるにかぎる。
これで少しはおとなしく……おっと、いけません。
お嬢様をお守りすると決めた時からその役目にふさわしい態度を心がけていたというのに。
忘れましょう――忘れました。
視界の隅でピクピクと痙攣するレイスなど気のせいです。
ありもしない幻覚など無視して見回りに戻りましょう。
……しばらくダンジョンを見回っていると、スケルトン元リーダーが現れました。
この元リーダーは初日に怪しげな踊りとともに近づいてきたので、上下関係を叩き込みました。
以降は従順ですが、偶に不愉快な視線を向けてくるので、その時は躾を行います。
今回はそのようなことはなかったので、ダンジョン内の清掃を命じづけます。
改めてダンジョン内を見回っていると、やはりいささか殺風景に感じます。
今はよいですが、お嬢様が大きくなられた時のことを考えると改善が必要です。
ダンジョンに何度か訴えていますが、黙殺されているようです。
……まったく、使えないダンジョンです。
入り口付近にたどり着くと、『木人』と『石像』を見かけました。
彼らは文句一つ言わず、己が役割に忠実です。
この寡黙さを、少しはあのレイスとスケルトンにも見習ってほしいです。
彼らに軽く頭を下げ、私はダンジョン入り口に簡単な偽装を施し、外へと出ることにしました。
◆ ◆ ◆
――彼は餓えていた。
彼は以前この辺りとは違う所を住み処としていた。
だが、ある日唐突にその住み処が崩壊し、彼は外の世界へと放り出された。
しかし住み処が壊れたこと自体は別にどうでもよかった。
むしろ、自分に命令する鬱陶しいモノがなくなって清々したくらいだ。
加えて、あの住み処では獲物を他の連中に取られることも多々あった。
だから住み処が壊れたことは本当にどうでもよかった。
故に彼が考えるべき問題は、現在、己を支配する餓えである。
ここ最近、全く獲物が取れていなかった。
少し前まではこの辺りでも十分に取れていたのだが、己を警戒してか獲物が姿を現さなくなってしまった。
……狩り場を変えるべきか、そう考えていた矢先にソイツが現れた。
以前の住み処に偶にやって来ていた獲物とよく似た獲物。
せっかくのチャンスを逃すまいと彼はソイツに襲いかかることにした。
彼は己の隠密性に絶対の自信を持っており、それがなくとも掠り傷でもつければ己の勝ちだと言う確信があった。
その自信と確信はけして慢心などではなかった――相手がソイツでさえなければ。
◆ ◆ ◆
『サイレントスネーク』:レベル40相当。戦闘能力こそ高くはないものの、優れた隠密能力と強力な遅行性毒が危険視される魔物。
気づかないうちに傷を負わされ、かすり傷だと放置していたら、ダンジョン奥で毒が全身に回っていたなどという状況も珍しくない。
――そんな危険な魔物であるサイレントスネークは現在……ズタズタに引き裂かれていた。
サイレントスネークの隠密能力は確かに高かった。
しかし風魔法を応用したリディアの探知魔法の前では意味をなさず、自慢の毒を打ち込む前に八つ裂きにされてしまった。
リディアがこうしてダンジョン周辺の魔物を狩るのは初めてではない。
リディアがダンジョンに来てからも何度かダンジョンは『移転』していたが、その度にこの掃除は行われていた。
というのも、野生化した魔物の中には、どうにもセバス達では手に余るモノも存在していたからである。
リディアとしては正直セバス達はどうでもいい。
しかしセバス達が殺されればダンジョンの防衛力が落ち、ノエルが危機にさらされる可能性が高まる。
それは断じて許容できないので、断腸の思いでノエルの側を離れ魔物を始末しているのである。
そして今日も掃除を終えたリディアはダンジョンへと帰る。
帰ったらお嬢様に血を与えねばならない。
その時間はリディアにとってまさに至福の時間である。
帰る足も心持ち軽い。
――余談だがサイレントスネークの部位は魔物の部位の中ではなかなかに高額な部類の入る。
しかしリディアにとってそんなことはどうでもいいことだった。
◆ ◆ ◆
一日の仕事を終え就寝時間です。
隣にはお嬢様がすやすやとお休みなさっています。
その寝顔を見ていると、明日も頑張ろうという活力が湧いてきます。
それでは明日もお嬢様にとって良き日であるようお祈りし……お休みなさいませ、お嬢様。