9.1-02 黒い虫02
本来、普通の木のように、中がビッシリと詰まっているはずの世界樹の根。しかし、今、その内部は、黒い虫たちによって食い散らかされ、見るも無残な姿に変わっていた。より具体的に言えば、人どころか、ワルツの機動装甲が自由に出入りできるくらいの大きな空洞が出来上がっていて、入り口から入っただけでは、その穴がどこまで続いているのか見通すことすらできないくらい、深くまで続いているようだった。
そんな中を、イブとローズマリー、それにユリアとダリアが、即席の松明を手に、ゆっくりと進んでいく。
「む、虫さんいないかもだよね……?」
「え?そこにいますよ?」
「ひぃっ!」びくぅ
ドゴォォォォッ!!
空洞の中を、ユリアが指を差した先に向かって、凄まじい火力の火魔法を行使するイブ。どうやら、コルテックスに借りた”魔力ブーストリング”の効果で、本来貧弱なはずの彼女の魔法は、かなり強化されていたようである。
ただ、ルシアの”極超”が付くほどに強力な魔法とは違い、対象の温度を上げるには至らず、湿った世界樹の根に発火してしまうことは無かったようである。尤も、そこにいた虫まで無事、というわけではなかったようだが。
その様子を見たユリアは、少し慌てた様子で、イブに対しこう言った。
「ちょっ……イブちゃん。こんな閉鎖空間の中で火魔法を使ったりなんかしたらダメですよ。酸素が無くなって、みんな呼吸ができなくなってしまいます」
「あ、うん……ごめんなさいかも……」しゅん……
「もちろん、護身のために魔法を使っちゃいけない、とは言いません。でも使うなら、火魔法以外の魔法がいいと思います。例えば……氷魔法なんて良いんじゃないでしょうか?」
「氷魔法?」
「はい。虫という生き物は、変温動物と言って、私たちのように身体の中で熱を作れる動物ではありません。ですから、冬には比較的温かい土の中に潜って眠り、温かい春になると土の中から出てくるんです」
「あ、その話、イブも知ってるかも。ずっと前に、とーちゃんから教えてもらったことがあるかもだね。ということは……氷魔法を使ってあの黒い虫を冷やせば、勝手に動きが鈍くなって……そのまま冷やし続ければ死んじゃうかも、ってことかもだね?動きが鈍くなるってことは、魔法が当てやすくなるってことかもだし……」
「えぇ。そうです。……ほら。あそこにも虫がいますよ?」
「えっと……試してみるかも!」
ガキンッ……
ユリアとそんなやり取りを交わしながら、いつもよりも強力な氷魔法を行使するイブ。結果、そこにいた虫たちは、まばたきをするよりも短い時間で、氷漬けにされてしまったようだ。
その様子を見ていたダリアが、驚いたような表情を浮かべながら口を開く。
「イブちゃんの魔法……なんて強さなの?それに、マーガレットとあの娘が何を話してるのか、まったく分からないんだけど……」
すると、姉と師(?)が忙しいことを察したローズマリーが、2人の代わりに、こう言った。
「イブ師匠、本気を出すと、すっごく強くなるですよ?それに、ユリアお姉ちゃんもです!」
「……マーガレットも、そんなに強いの?」
「はいです!マリーたちが乗った馬車に襲い掛かってきた沢山のサキュバスやインキュバスたちの群れを、千切っては投げ、千切っては投げと繰り返して、マリーたちのことを助けてくれたです!あれは、かっこよかったですよ?」
「サキュバスやインキュバスたちを……千切った?」がくぜん
ローズマリーの発言を聞いた瞬間、何を想像したのか、唖然とするダリア。なお、彼女が頭の中で想像した事柄は、あまりに残忍すぎるので、説明は省略する。
すると、その会話を聞いていたらしいユリアが、後ろにいた2人に対し、複雑そうな表情を浮かべながら反論の言葉を口にした。
「もう、マリーちゃんったら……私、そんなことしてないですよ?」
「そうです?でも前に襲われた時、マリーには……ユリアお姉ちゃんが魔法で作り出した大きな手で、まるで虫を捕まえるかのようにサキュバスやインキュバスたちを握りつぶして、それを地面に叩きつけるように見えたですけど……」
「そんなこと……」
そう口にすると、何故か固まるユリア。どうやら彼女には、何らかの心当たりがあったらしい。
「マーガレット……まさか、あなた本当に同胞たちを……」
「い、いや、殺してなんかいないわよ?みんな無事だからね?捕まえたのは本当だけど、その後でアーデルハイトお祖母様の所に、ちゃんと送り届けたんだから。……まぁ、それから彼女たちがどうなったのかは知らないけど……」ぼそっ
「…………」
「…………」
そして、閉口する従姉妹2人。どうやら、彼女たちの記憶にあったアーデルハイトという人物は、身内に対して、とても厳しい人物だったようである。
なお、ユリアたちに捉えられたサキュバスやインキュバスたちが実際はどうなったのかというと、状況が状況なこともあって、罰を受けること無く、そのまま戦線に復帰していたりする。
「えっと……まぁ、頼りにしてるわよ?ダリア?」
「私がここに来た意味……囮になる以外に考えられないんだけど……気のせいかしら?」
ダリアが自身に向けられたユリアの期待の意味に、何となく気づいた――そんな時である。
「なんだろう、ここ……」
一行の先頭で、喜々として氷魔法を連射しながら歩き続けていたイブが、何かに気がついたらしく、不意に立ち止まった。
「何かあったんですか?イブちゃん?」
「うん……。イブの松明だけじゃよく見えないかもなんだけど……何か大きな空間に出たかもじゃないかなって。ほら、声もこだましてる感じかもだし……」
「そうですか?ぃやっほぉーっ!……ホントです!」
イブの言葉通り、本当に声がこだまするのか、目の前の暗い空間へと声を飛ばしたローズマリー。その結果、彼女の声は、壁に何度も反響して戻ってきたようである。
その跳ね返ってきた声の間隔を聞いて――
「……あんまりいい予感がしないですね。ダリア?早速出番かもしれないですよ?」
「ちょっと止めてよ……。まだ心の準備が――」
――と、それぞれユリアとダリアが、そう口にした、その瞬間だった。
ぷぅ〜ん……
ぷぅ〜ん……
ぷぅ〜ん……
暗闇の向こう側から、そんな耳に障る音が、大量に聞こえてくる。どうやら何らかの物体が、4人が持つ松明の光と、ローズマリーの声に反応して、動き始めたらしい。
それを聞いて――
「……私の松明を投げてみますね?」ひょいっ
――と、ユリアが自身の松明を穴の奥の方へと投げ込むと、空洞の中にあった色々なものが、ぼんやりと浮かび上がってきた。
白い小さな花のような塊。地面でうごめく影。それに空中に浮かぶ黒い何か……。
どうやらここは――
「あの虫の巣のようですね……」
ぶぉぉぉぉん……!!
――ライスの町で人々の生活を脅かしていた黒い虫たちが形作る、巨大なコロニーだったようである。
家具の隙間などに潜む親指大の黒い昆虫と、米粒ほどの大きさしか無い小さな吸血鬼……。
どちらが家の中にいたら嫌か……まぁ、両方かの。
絶対にどちらかを選ばねばならぬと言うなら、まだGの方が良いかもしれぬのじゃ。
――想像してほしいのじゃ。
夜、寝ておると、耳元から聞こえてくる、ぷぅ〜ん、という、あのなんとも言い難い音を……。
妾の場合、あやつの死をこの眼で確認するまで、絶対に眠れぬのじゃ。
まぁ、最近は、寒くなってきたゆえ、段々と見かけなくなってきたがの。




