9.0-28 バラの木28
「お煎餅〜♪お煎餅〜♪」てててて
「ケーキ〜♪ケーキ〜♪」バッサバッサ
空気に乗って漂ってきていた香ばしい匂いを嗅いでからというもの、虫たちのことをすっかりと忘れた様子で、花屋へと駆け寄っていくイブとローズマリー。そんな彼女たちの目的は言うまでもなく、好物の食べ物である。
結果、2人は花屋へと入ると、店主の許可も得ずにカウンターの奥へと飛び込み、そしてそこにあった白く丸い机の上に、目当ての物を置いている最中だったダリアに駆け寄って、彼女が自分たちのために菓子を用意した、とは一言も言っていないのにもかかわらず――
「ありがとうかも!ダリアさん!」
「ありがとうです!ダリアさん!」
――2人揃って、そんな感謝の言葉を口にした。
するとダリアは、急に現れた2人を見て、一旦は驚いた表情を浮かべるものの、すぐに優しげな笑みを見せると、彼女たちに対し、こんな当然の質問を投げかけた。
「おかえりなさい、イブちゃん、マリーちゃん。思ったより帰って来るのが早かったわね。それで……お花はどうでした?」
その瞬間――
「「…………」」
――ピタッ、と石化の魔法を受けたかのように固まて動かなくなるイブとローズマリー。そんな彼女たちの頭の中では、目の前の報酬が、音を立てながら、猛烈な勢いで遠のいていく幻影が浮かび上がってきていたに違いない。
それから間もなくして、2人の後ろからユリアが遅れて現れると、少女たちの表情から事情を察して苦笑していたダリアに対し、ため息混じりにこう言った。
「……ねぇ、ダリア。あなた、もしかして、私たちのこと殺す気だった?」
「……急に現れたと思ったら、随分と物騒な物言いね?何かあったの?」
「森で花を摘もうと思ったら、凄まじい量の虫たちに追いかけられたんだけど……」
「…………?一体、何を言ってるの?マーガレット……」
戻ってきた途端、ジト目と共に、暴言にも近い言葉を向けてきた従姉妹に対し、困惑気味に事情を問いかけるダリア。
そんな彼女に対し、内心で憤っていたユリアは、森であったことの一部始終を説明し始めたのである。
◇
「……ごめんなさい。まさか、そんなことになっているなんて思わなくて……悪意があったとか、そんなことは無いのよ?」
温かいお茶と、出来立ての煎餅、それにケーキ……。その他にも幾つかのお菓子が載った机を囲んで、ユリアたちから事情を聞いていたダリア。そんな彼女は、1匹1匹の”黒い虫”の危険性については、ある程度理解していたものの、大量に発生して危険な状態になっていたことまでは知らなかったらしく、おやつを頬張っていた少女たちや従姉妹に向かって、ただ平謝りを繰り返していたようである。
「もう……。イブちゃんが機転を利かせてくれて、マリーちゃんが頑張ってくれたから、どうにか無事でしたけど、一歩間違えたら、誰かが大怪我をしてたかもしれなかったんですからね?報酬とは別に、慰謝料として、お煎餅とケーキを2人にたくさん食べさせてあげてください」
「そりゃもう、お腹いっぱいに食べさせてあげるわよ。イブちゃんもマリーちゃんも、おかわりはたくさん作ったから、遠慮なく言ってちょうだいね?」
「い、いいかもなの?!」ばりぼり
「マリー……幸せです……!」もぐもぐ
「えぇ、もちろん、いいわよ?掛かった材料費は、マーガレットから貰うから」
「「わーい!」」
「それ、慰謝料って言わないじゃん……」
「だって今、私、収入無いし?」しれっ
イブやマリーたちには優しかったものの、ユリアに対しては厳しい態度(?)を見せるダリア。まぁ、厳しいというよりは、従姉妹に対して素直に接していた、と表現すべきか。
ただ、彼女のその表情は長くは続かず……。ダリアは、お茶に口を付けて、思い詰めたように眉を顰めると、ユリアに対し、こう口にした。
「それじゃぁ、お花の調達は難しそう、ってわけね?」
「えぇ。むしろ、難しいって言うより、この町周辺から花を調達する事自体、ほぼ不可能じゃないかしら?」
「……そんなに酷いの?」
「もう、酷いなんてものじゃなかったわよ?草花だけじゃなくて、木の葉や、硬いはずの木の幹まで食い荒らされてたんだから。あの感じ、もしかすると……世界樹の根にも食らいついてるんじゃないかしら?」
それを聞いたダリアは――
「……マーガレット。それ、本気で言ってるの?」
――と、思わず耳を疑ってしまったようである。
すると、ユリアは溜息をつきながら、そこにあったクッキーを一つ手にとって、遠慮気味に小さく齧りつくと。彼女は、窓の外に見えていた巨大な世界樹の根を眺めながら再び口を開いた。
「直接見たわけじゃないから、今のところ推測でしか無いけど、世界樹の根が岩みたいに硬くない限り、多分、食べられてるんじゃないかしら?……あら、美味しいじゃない?これ」もぐもぐ
「……アーデルハイトお祖母様からの直伝だからね」
そう言って苦笑を浮かべるダリア。そんな彼女の言葉を聞いて、ユリアは心底嫌そうな表情を浮かべていたようだが、それでも彼女の手が止まらなかったのは、世辞を抜きにして本当に美味しかったからか。
そんなユリアに向かって、ダリアはこんな質問を追加する。
「大変な思いをして帰って来た後、すぐで申し訳ないんだけど……もう一つ、頼み事をしていいかしら?ユリア?」
「……何よボタン?その名前で呼ぶってことは、仕事の話かしら?内容によっては断るからね?この娘たちもいるんだし……」
「多分、大丈夫よ。何かと戦うとか、誰かを暗殺するとか、そういうのじゃないから。単刀直入にいうと……さっきあなたが言った話、本当かどうか、確かめられないかしら?」
「……虫に世界樹が喰われてないか、確認して来いって?(それ、すっごい危険よね……)」
「だって、もしも世界樹が虫に喰われてるって言うなら……大変なことになると思うのよ。下手をすれば、この町から逃げなきゃならないし、場合によっては……真面目に仕事をしなきゃならないし……」
「最初から真面目に仕事しなさいよ……」
そう言いながら、ダリアへとジト目を向けるユリア。とはいえ彼女は、従姉妹の頼み事を断らず、世界樹の根の調査をすることにしたようである。
なにしろ、その調査は、ユリアに無関係な話ではなく、場合によっては、隣国のボレアス帝国のみならず、ミッドエデンにも大きく関係する可能性のある事柄だったのだから。
最近、土日は雨の日が多いのじゃ……。
ウチの雨女のせいかのう……。
……のう?アメよ。




