9.0-14 バラの木14
「お酒が全部ダメになった、って……何か、問題でもあったのかの?」
店員の女性の話を聞いて、その事情を問いかけるテレサ。
余計に首を突っ込むこと無く、そのまま身を引くべきか、と考えていた彼女だったが、思わず好奇心から聞いてしまったようである。
それに対し、女性は疲れたような表情のまま……。
この蔵元で起った問題を簡単に説明し始めた。
「実は、作っていたお酢というのは……食べるためのものではないんです」
「食べるためじゃ……ない……?お寿司を作るための材料なのに?」
「はい。皆さん……失礼ですが、町の方ではないと思うのですが、皆さんはこの町に虫が多いことをご存知ですか?」
その問いかけに対し――
「虫……虫かぁ……。虫って言ったら、やっぱり、本物の方の虫のことだよね?ここまで来る間は、あんまり気にならなかったけど……」
「多分そうだと思いますわよ?さすがにここに、ポテ様はいらっしゃらないと思いますし……」
「……虫と聞くだけで痒くなってくるのじゃ」ぽりぽり
と、3者3様の反応を見せるテレサたち。
どうやら3人とも、町の中に虫が飛んでいたことには、気づいていなかったようだ。
それを見て、女性が言葉を続ける。
「1年を通して温かい気候のライスでは、世界樹を取り囲んでいる森から、虫がよく飛んで来るんです。彼らがいなければ、ライスでの農作物の育成が進まないというのは分かっているのですが……中には悪い虫もいて、農作物を食べてしまうんですよ。そんな悪い虫を遠ざける効果が”酢”にあるかもしれないということが分かって、それをウチで作ろうと考えていたのですが……」
「うまく行かなかった、と言うのかの?」
「……なにぶん、初めてのことでしたので、どのような酵母――えっと、材料を使えばいいのか分からなくて……試験的に1樽分作ろうと思っていたのですが、それに使ったのが良くない材料だったみたいです。あれよあれよという間に、他の樽にも飛び火してしまって……」
「で、全滅したのじゃな?」
「はい……」げっそり
そう口にして、ため息を吐き、これまで以上に疲れたような表情を見せる悪魔族の女性。
もしかすると、その酵母を選んだのは、彼女だったのかもしれない。
そんな酒屋の女性のことが、段々と可哀想になってきたのか……。
ルシアとベアトリクスが、テレサに対し、揃って視線を向けた。
……それも、無言で。
「「…………」」じーっ
「……何じゃ?お主ら。妾にどうにかしろと言うのかの?」
「ふーん……。テレサちゃんは、この人がかわいそう、って思わないんだ?狐じゃなくて鬼だね……」
「テレサ……。どんなことがあっても……私は失望しないですわよ?たとえテレサが、鬼畜みたいなことを考えていても、ね……」
と、まだ何もしてないというのに、テレサのことを責め立てる2人。
そんな彼女たちの前で、テレサはあからさまに大きな溜息を吐くと……。
2人に向かって、こう口にした。
「主ら……。主らは分かっておらぬかもしれぬが、こういった酒造工房というのは、そこのカウンターから向こう側がブラックボックスみたいになっておるのじゃ。もうそれは、秘密の塊のようなものなのじゃ?例えるなら――ワルツの工房や、ルシア嬢の部屋にある冷蔵庫の中身みたいなものなのじゃ」
「……テレサちゃん?後で、ちょっと、お話があるから」ニコォ……
「……ま、まぁ、そんなわけでの?門外漢である妾が、そう簡単に首を突っ込んでいい世界の話ではないのじゃ。じゃから、農作物にかける農薬用の酢を大量に作りたくば、酒を酢酸発酵させてチマチマ作るのではなく、木酢液を使えば大量に作れると言っても、すぐには信じてもらえn」
ガシッ!
「是非、教えてください!」
テレサの話を聞いた途端、目の色を変えて、カウンター越しに、彼女の両肩を掴む酒屋の女性。
どうやら彼女は、酢を作ることに、余程必死になっていたようである。
「……さて。それじゃぁ、ベアちゃん?なんか、長くなりそうだから……私たちは先に帰ろっか?」
「そうですわね」
「ちょっ……?!主ら?!妾を1人だけここに置いていk」
「お願いします!酢が作れないと大変なことになりそうなんです!お礼はするのでどうか教えてください!」
と、テレサにしがみついて離れない女性の姿を見て、その場から立ち去ろうとするルシアたち。
ただ、それは冗談――いや、彼女たちの策略だったようで――
「で、真面目な話だけど……どうしよう?ベアちゃん?」
「愚問ですわ?テレサが地獄に行くなら、私も付いて行くだけですわ!」
「そっかぁ、そうだよね。……というわけで、テレサちゃん?付き合ってあげるから、対価として、お寿司作ってね?……ワサビ抜きで」にやり
「……もうダメかもしれぬ……」げっそり
ルシアたちにまんまと嵌められたテレサは、今日2回目の寿司作りを強制されることになったようである。
それから彼女は、酒屋の女性に向き直ると……。
彼女に対してこう口にした。
「仕方ないのう……。しかし良いのかの?妾のような狐が、お主らの問題に首を突っ込むような真似をしても……」
その言葉を聞いた女性は、直前とは少し異なる、どこか思い詰めたような表情を浮かべて、こう返答する。
「……幼馴染のためなんです。この店があるのも、幼馴染のおかげなんです……。いま苦しんでいるあの人のことを助けられるなら……プライドなんて考えていられません!どうかお願いします!」
「ふむ……。相当な覚悟を持っておるようじゃのう。なら――協力の対価は、この地で取れた米と大豆を分けてもらえるだけでいいのじゃ。それと、できればワサビと、のう?」
「「んなっ?!」」
「いや、主らがワサビを嫌っておっても、妾が大好きなのじゃから、別にいいじゃろ?まぁ、安心するが良いのじゃ。主らが食べる寿司は、ワサビ抜きにしておくからのう。まぁ……ルシア嬢の食い意地が張って、妾専用の稲荷寿司を食べてしまった時までは……責任は持たぬがの?」にやり
「ぐぬっ……!」
「というわけで、協力の条件はそれで良いかの?量はそれぞれ10kgくらいでいいのじゃ。まぁ、酒蔵じゃから、そのくらいはあるじゃろ?」
「たったそれだけで……いいんですか?」
「構わぬのじゃ。じゃが、こちらも、最後まで付き合っておるほど、時間は無いかもしれぬのじゃ。……2日。その間に作り方を教えるゆえ、ちゃんと覚えるのじゃぞ?」
「は、はい!お願いします!」
そう言って、頭を下げる酒屋の女性。
こうしてテレサたちは、今にも潰れそうになっていた酒屋で、酢を作ることになったのであった。
……秋雨前線。
休日に降る雨が、妾たちの行く手を遮るのじゃ……。
……じゃがの?
妾のこの愛までは、たとえ自然現象とて、遮ることは不可能なのじゃ……!
というわけで。
明日は、狐でも見てこようと思うのじゃ?
主殿、運転は頼むのじゃ?




