8.9-02 準備02
「あー、忘れてたわー」
「……ワルツ。それ、実は忘れてなかっただろ?」
「……バレました?」
職務を放り出した狩人と共に、飛行艇発着場がある王城の天辺へと戻ってきたワルツ。
なお、先程まで彼女たち共にいたコルテックスとシラヌイは、それぞれ自分の持ち場に戻っていったので、ここには来てない。
ワルツと狩人が、地竜たちが載っていたポテンティアのところへとやってくると……。
そこでは、少々理解しがたい光景が展開されていたようだ。
「…………ぐすっ」ぎっとり
「……どうしたの?イブ。その格好……」
イブが謎の粘液まみれになって、泣きそうな表情を浮かべていたのである。
そんなイブの隣には、心配そうなローズマリーがいて……。
ショックを受けて喋れなそうなイブの代わりに、彼女が説明を始めた。
「イブ様……ドラゴンさんたちに、舐められたです」
「え?ナメられた?」
「いきなり走ってきて、寄ってたかられて……よだれまみれにされたです」
「何?唾かけられたってこと?酷いわね……」
と、何かを勘違いしている様子のワルツ。
そんな彼女の脳裏では、颯爽とやってきて、唾を吐き、そして颯爽と立ち去っていた地竜たちの姿が浮かび上がってきていたようだ。
それがなんとなく理解できたのか……。
今度はイブ自身が、冴えないままの表情で、詳しい説明を始めた。
「……ポラリス様の話だと、ドラゴンさんたち、イブに恩返しがしたかったかもだ、って……。それで、みんな、こっちに走ってきたかと思うと、イブのことベロベロ舐めてきたかもなの……。元の姿なら我慢できるかもだけど、人の姿でやられるのは……かなり気持ち悪かったかも……」げっそり
「……なるほど」
と、イブとローズマリーの説明を聞いて、あらかたの事情を察した様子のワルツ。
どうやら地竜たちは、いつも食事を作ってもらうことに対する感謝の気持ちを、イブを舐めることで伝えたかったようだ。
だが、それを、元の大きなドラゴンの姿ではなく、人の姿になってからやったがために、逆にイブの気を害してしまったらしい。
まぁ、48人もの人間たちに突然舐められるような展開になったなら、たとえ相手が少年少女たちだったとしても、気持ち悪いと感じて当然ではないだろうか。
「イブ……汚れちゃったかもだね……。ご飯を作る前に、ちょっとお風呂に入ってくるかも……」とぼとぼ
「ま、まぁ……頑張って……?」
たとえ、気持ちが悪くとも、自分の仕事をまっとうしようとしていたイブに対し、それ以上、言葉を掛けられなかった様子のワルツ。
それは狩人も、そしてローズマリーも同じだったようで……。
3人とも、ただ見守ることしかできなかったようだ。
それからイブは入浴をするために、ローズマリーと共に浴場へと向かったのであった。
「そんな展開になるなんて、思ってなかったわ……」
「まぁ、たしかに、魔物を小さなころから育てたりすると、大きくなっても舐められることはよくあるが……人の姿になってからもそれをやられるってのは、私も考えたことが無かったな……。注意しておこう……」
と、自分のペット(?)にマナを与えるつもりなのか、そんな呟きを口にする狩人。
そんな彼女に向かって苦笑を向けた後で、ワルツは本題に戻ることにしたようだ。
「で、その肝心の地竜たちはどこに行ったのかしら?」
「そういえばいないな……。48頭――じゃなくて、48人のドラゴンたちで良いんだよな?」
「えぇ……」
2人はそんな会話を交わしながら、その場をぐるりと見回すのだが……。
そこには誰もおらず、ただ巨大な飛行艇が2隻停泊しているだけだった。
いや。
その内、黒い方の姿がある以上、誰もいない、とは表現するのは適切ではないだろう。
実際、人の姿ではなく大きな戦艦の姿をしていたポテンティアが、ワルツたちに向かって、おもむろにこう告げた。
『……地竜様方なら、アトラス様に連れられて、お着替えをしに向かわれたようですよ?アトラス様曰く……”これ以上、地竜たちが裸のままでここにいると、その内、ロリコンが死んじまうからな”……とのことでした』
「確かに……」
「否定しないんだな……」
と、ロリコンが絶命する原因になる超重力を操るだろうワルツの発言に、苦笑を浮かべる狩人。
それから彼女はロリコンの無事を、一応、心の中で祈ると……。
どこか考え込むような表情を見せながら、ワルツに向かってこう口にした。
「この分だと……イブじゃなくて、私が料理を作ったほうが良いんじゃないか?彼女、あんな感じだし、それに長旅で疲れていると思うしな。これからワルツたちの夕食も作るつもりだったから、私が作れば一石二鳥だと思うんだが……どうだろう?」
「狩人さんが大変じゃないようでしたら……お願いできますか?」
「あぁ、任せとけ。……ふっ!久しぶりだから、腕が鳴るよ!」
「あの……4日前にも……いえ、楽しみにしてます……」
狩人があまりにも嬉しそうな表情を浮かべていたせいか、それ以上の言葉を口にできなかった様子のワルツ。
こうして。
ワルツは狩人の調理に付き合う形で、彼女と共に、王城の食堂へと向かったのであった。
……まぁ、料理中の食事をつまもうという魂胆だった可能性も否定は出来ないが。
◇
一方、その頃。
王城の上層階にあった、とある部屋の前では、人知れず(?)攻防戦が繰り広げられていた。
「……これより先は、ワルツ以外、何人たりとも通さぬのじゃ……!」ごごごごご
「何が何でも押し通りますわ!」ごごごごご
テレサの部屋があると聞いてやって来たベアトリクスが、その部屋の主と対峙していたのである。
「通さぬと言っておろう!ここから先は、妾の”ぷらいべーとえりあ”なのじゃ!」
「プライベートなら尚更のこと……。私はテレサのことをもっと詳しく知らなくてはならないのですわ!それに夜といえば……」ぽっ
「ちょっ……本当にやめてほしいのじゃ……」げっそり
ベアトリクスから向けられる言い知れない視線を感じて、保身のために言霊魔法を使おうか、本気で考える部屋の主。
……しかしである。
どうやら、彼女が強硬手段に出ずとも、身の安全は確保できそうであった。
というのも――
「ダメだよ?ベアちゃん。テレサちゃんのこと独り占めしたら……。今夜はテレサちゃんにお寿司を作って貰う、って約束をしてるんだから!」
その場には2人の他にも、ルシアがいたのだ。
まぁ、彼女がいることで、”身の安全”は確保できても、”自由”は確保できなさそうだが。
「えっ……お寿司……ですの?」ぐぅぅ……
「あ!もしかして、ベアちゃんもお腹減ってる?まぁ、そうだよね。まだ夜ご飯、食べてないし……」
「え、えぇ……。はしたない音を出して申し訳ありませんわ……。でも……テレサの作ったあの稲荷寿司という食べ物のことを思い出すと、どうしてもお腹が鳴ってしまうのですわ……」ぐぅぅ……
「あー、それ分かる!」ぐぅぅ……
グゥゥゥゥゥ……!!
「……なんじゃ?新手のイジメかの?」
「というわけだから、テレサちゃん。約束通り、お寿司作ってね?もちろん、テレサちゃんのお部屋で」
「良いですわね!それ。大賛成ですわ!私もお食事会に参加させてもらいますわよ?」
「はぁ…………もうダメかも知れぬ……」げっそり
援軍だと思っていたルシアが、急に寝返ってオリージャ側に付いたことで、猛烈な脱力感に襲われる元ミッドエデン王国第四王女。
しかし、ルシアとの約束を反故にするわけにもいかず……。
彼女は仕方なく、2人のことを、自室へと招き入れたようだ。
イブ嬢の話について、コメントを書こうと思ったのじゃ。
じゃが、なんというか……コメントしにくいのじゃ……。
『地竜たちに舐められて、ヨダレまみれにされた』
『人の姿になった地竜たちに舐められて、ヨダレまみれにされた』
意味は殆ど変わらぬはずなのじゃが、不思議なくらい気持ち悪く感じるのじゃ……。
何と言ったかのう……シンパシー?エンパシー?まぁ良いか。




