8.7-36 シャッハ家36
ギィンッ!!
ドシャァァァァ!!
「……なかなかやるようですね」
「……ガンバルです!」
ローズマリーによる身卸包丁の一撃を自身の剣で受け止めたアーデルハイトは、その反動で、数メートルほど、後ろへと吹き飛んだ。
それはローズマリー本人も同じで、彼女も反動で、1歩2歩と後退してしまったようである。
「その齢でこれほどの腕力……。たしかに剣士としては、抜群の才能を持っているようですね。しかし……それは剣士としての話。サキュバスとしては、及第点に遠く及びません」
と、ローズマリーの一撃を受けても、特にダメージを受けた様子無く、自身の剣に欠けが無いかを確認しながら、淡々と感想を口にするアーデルハイト。
その際、何やら遠くの方で、何かが倒れたような音がしていたようだが……。
戦闘の場が賑やかだったためか、誰もその変化に気付いていなかったようである。
「まだです!」ズサッ
ガァァァァァァン!!
ズサァァァァァッ!!
と、再び、まっすぐにアーデルハイトへと突っ込んで、そして包丁を振りかざすローズマリー。
しかし、その包丁は、やはりアーデルハイトによって止められてしまい……。
今度はローズマリーの方が、3mほど押し返されてしまう。
「何度やっても、今のままでは、評価を変えることはありませんよ?あなたのその刃は、言ってしまえば単なる乱暴でしかない……。我々、サキュバスとしての才能とは、まるで関係ないことですからね」
と、幻滅するかのように、そんな言葉を口にするアーデルハイト。
この時も、少し離れた場所で、何やら硬いものが落ちたような音が響いていたようだが……。
やはり、その場にいいた全員が、そのことに気付いていなかったようである。
……ただし。
その場で包丁を振るっていたローズマリーを除いて、だが。
2人のやり取りを見守っていたユリアも、その変化には気付いていなかったようである。
というよりも、彼女の場合は、ローズマリーの行動に思うところがあったらしい。
結果、ユリアは、相対する2人の間に――
「ちょっと良いですか?」
と、割り込むと……。
ローズマリーの前にしゃがみ込んでから、彼女に対し、こう言った。
「……マリーちゃん?遠慮しなくて良いんですよ?本気でやっても、おばあちゃんが切れることはないので、マリーちゃんがやりたいようにやっちゃっていいんです」
その言葉を向けられたローズマリーは――
「でも、マリー……心配です……」
とだけ短く口にして、俯いてしまった。
その言葉の中には、アーデルハイトを心配する意味合い以外にも、様々な意味が含まれていたのだが、そのことにユリアが気付くことはなかったようである。
するとユリアは、努めて優しげな笑みを見せると、包丁を振るうことに戸惑っていたローズマリーのすぐ目の前に顔を近づけて……。
そして、彼女にしか聞こえないだろう、こんな言葉を呟いた。
「マリーちゃんは優しいですね。でも、大丈夫。おばあちゃんからは、ちゃんと許可を貰っているので、遠慮なくやっちゃっていいです」
それを聞いて――
「…………分かりましたです」
ローズマリーは、幼いながらに、何やら覚悟を決めたようである。
そしてユリアが安全な場所に後退したことを確認した後で、彼女はアーデルハイトに対して、頭を下げながらこう言った。
「……これからマリーが包丁を振る前に、謝っておくです。……おばあちゃん、ごめんなさいです。それに、ユリアお姉ちゃんのごかぞくの皆さんも、ごめんなさいです……」
そんな謝罪の言葉を聞いて――
「…………?何を言って……」
と、怪訝そうな表情を浮かべるアーデルハイト。
見た目よりも遥かに長く生きてきた彼女にとって、ローズマリーの剣術は、底が知れないというわけではなく……。
ローズマリーが全力で自身に斬りかかってきていた事を感じ取っていたので、彼女がこれ以上の力を隠しているようには思えなかったったようだ。
一方、ローズマリーのことを焚き付けた本人であるユリアも、アーデルハイトと同じように、眉を顰めていたようである。
アーデルハイトに対して謝罪するならまだしも、ただ見ているだけの周囲の者たちに対して、どうして謝罪する必要があるのか……。
それがユリアには理解できなかったのだ。
彼女の頭の中では、ローズマリーがアーデルハイトの剣を切る、といったストーリが繰り広げられていたようだが、そこにオーディエンスたちが介在する余地は皆無のはずだったのだから……。
しかし、彼女はその瞬間、不意に気付くことになる。
ローズマリーに向けていた、その視線の延長線上にあった机が、不自然に倒れていたことを。
そして、更にその向こう側の壁にあった祖父の肖像画が、上下に分かれていたことを……。
結果、彼女は慌ててローズマリーを止めようとするのだが――時既に遅し。
ローズマリーは、その自身の身長よりも長い包丁を水平に構えると――
「…………いくです!」
そう口にして、その眼を、まるで魔眼でも使うかのように真っ赤に輝かせて――
ブゥン……
と、その場で、包丁を振るったのである。
あるいは、空振りした、と表現できるかもしれない。
しかしそれは空振りでもなんでもなく――
スパパパパパンッ!!
確実に何かを切ったようだ。
その光景には、皆が息を飲んでしまった。
全員が全員、ローズマリーに斬られたのではないか、と錯覚してしまったのである。
しかし、幸いなことに、流血騒ぎになることはなく……。
皆、腹部を押さえて、自分の身体が無事なことに、安堵の表情を浮かべていたようだ。
それから皆が、ローズマリーのその空振りを、大規模な幻影魔法による精神攻撃だ、と片付けて……。
そして納得げな表情を浮かべながら、彼女の評価を上方修正し始めた――そんな時だった。
不意に――
ズズズズズ……
と、その場にあった人以外のすべてのものが、不意にズレ始めた。
そう。
ズレたのである。
そこにあった机は、土台の部分が、下部の足の部分と別れて滑り始め……。
壁にかけられていた絵画は、真ん中から半分が床に落ち……。
そしてアーデルハイトが持っていた剣は、どういうわけか縦に割れてしまった。
それも、アーデルハイトのことを、一切、傷つけること無く、である。
それだけではない。
ズズズズズ……ゴゴゴゴゴ……!!
建物全体が、鈍い音を立てて、壁に描いた直線の上を動くかのように、斜めに滑り始めたのである。
それに対して最初に反応したのは、この瞬間も建物の外に本体があったワルツだったようだ。
「ちょっ!死人出るって!」
と、必死になって、重力制御システムを使い、外から建物を押さえようとするワルツ。
その甲斐あってか。
どうにか、建物の倒壊は免れたようだ。
尤も、建物の上半分は完全にズレてしまっているので、ほぼ全壊と言っても過言ではない状態だったようだが。
ちなみに。
アーデルハイトには、何が起ったのか、すぐに理解できなかったらしく――
「…………」ぽかーん
ローズマリーが振るった包丁の延長線上にあったすべてのものが切れてしまった様子や、自身の剣が未だかつてない方向に分断してしまった様子を見て、ただただ唖然として固まる他なかったようである。
そんな彼女の様子を見る限り……。
どうやらユリアの『アーデルハイトでも見抜けない幻影魔法』という言葉は、決して間違いではなかったようだ。
まぁ――
「ちょっ?!」
その場で一番驚いていたのは、ローズマリーの事を親族たちに紹介しにきたはずのユリア本人だったようだが……。
3日くらい前に、ローズマリーの話の完成度が云々、という話をしたじゃろ?
その結果がこれなのじゃ。
もう、駄文。
そう、駄文。
ズレもブレもない、駄文なのじゃ。
重要なことじゃから2回言う、というのは、なるほど、こういうことだったのじゃなー、と思わなくもない今日このごろなのじゃ。
……いや、『駄文』のことではないのじゃ?




