1.1-07 村1
山を越えて、谷を越えて……。
徐々に空へと浮かび上がりつつあった太陽へと向かって飛んでいくワルツ。
そんな彼女の胸元には、1人の狐娘が抱えられていたわけだが……。
ワルツにとって、実のところ、それは不本意なことだったようだ。
なにしろ、ワルツはこれまで力を持っていることを隠しながら、兄姉たちとともに生きてきたのである。
たとえここが異世界だったとしても、彼女は誰にも自分の力を見られたくはなかったのだ。
とはいえ、見られた相手が先程の男たちだけなら、大きな問題にはならないはずだった。
最悪、誰もいない山奥で、ひっそりと身を隠して暮せば、そのうち、皆、ワルツの存在など忘れてしまうはずなのだから……。
あるいは、魔法が溢れているこの世界のことを考えるなら、酒場で交わされる笑い話のひとつになるかもしれない。
尤も、それは、塵のように吹き飛んでいった男たちが無事だったなら、の話だが。
しかしである。
ここにいる狐娘――ルシアは違った。
人生の中で無視できないほど、大きな岐路に立たされた彼女は、その分岐点で、ワルツに手を引かれることになったのである。
それがどれほどの影響を彼女の人生に与えることになったのか……。
分岐して間もないとはいえ、その影響は計り知れないことだろう。
ワルツはそれを慮って、内心で悩んでいたようだ。
……自身が積極的に干渉せず、ルシアのことをどこかの町にある孤児院に預けていたなら、彼女は普通に大人になって、子を育み、そして幸せに人生を終えたのではないか。
しかし、自分が干渉したことで、それがすべてご破算になり、本来あるべき彼女の未来を奪ってしまったのではないか……。
ルシアの保護者でも、親族でも、教師でもなく、そればかりかこれまで人と接したことすら無かったワルツは、自分の行いが正しいのかどうか、分からなかったようである。
しかし、こうして共に空を飛んでしまった以上……。
どうやっても、ルシアと自身との関係を、以前の状態に戻すことはできなかった。
結果、ワルツは前を向いて進むことにしたようである。
――ルシアに与えるよりも大きな影響を、逆に彼女から受けていることにも気づかずに。
さて。
男たちを吹き飛ばし、空に舞い上がってから、およそ30分。
先程まで陰が多かった地上の世界にも、いつの間にか日の光が満ち満ちて……。
深緑と若緑、それに青と白と黄色が、ワルツたちの視界いっぱいに広がっていた。
ただ、そこから見える景色は、何も自然のいろ一色、というわけでもなかったようである。
所々に残るクレーターや、不自然に倒れた木々、それに何かが燃えたせいで黒くなっていた草原……。
一般的な視力しか持たないルシアがそれに気づくことは無かったようだが、ワルツの眼から見る限り、そんな痛々しい跡――戦争の痕跡が見えていたようである。
その様子から察するに、どうやらここが国境線ということなるらしい。
ワルツはそんな光景に眼を細めて視線を前に向けると……。
ホログラムでできた自身の胸の中で、嬉しそうな表情を浮かべながら景色を眺めていたルシアに対し、問いかけた。
「ルシア?どっか行きたい場所ある?……できればあまり人が多くない場所がいいんだけど」ぼそっ
そんなワルツの言葉を聞いて、ルシアは首を上に向けると……。
かろうじて見ていたワルツの顔を見上げながら、こう答えた。
「特にないよ?お姉ちゃんが行くところなら……どこにでも行く!でも……出来ることなら……お姉ちゃんと一緒に旅がしてみたいかなぁ?」
「……例えばだけど、親戚とかいないの?(まぁ、町の名前を言われても、場所分かんないから連れていけないけど……)」
「うん……おじさんもおばさんも、お爺ちゃんもお婆ちゃんも……みんなあの村に住んでたから……」しゅん
「うっ…………わ、分かった!今の話、無しで!」
加速度的にルシアの表情が暗くなっていく様子を見て、必死に話を誤魔化そうとするワルツ。
ただ、その脳裏では、未だ悩んでいたようだ。
「(元の世界に帰るためにやらなきゃならないことが沢山あるんだけどね……ホント、どうしようかしら?)」
ルシアの”旅をしたい”という発言に、否やは無かったワルツ。
せっかく異世界に来たのだから、地球とは異なる景色を見てみたい……。
彼女もそう思っていたようだ。
だが、話はそう簡単ではなく……。
ワルツの前には、すでに問題が山積みになっていて……。
彼女はそれをどう処理しようかと考えて、人知れず内心で頭を抱えていたようである。
◇
それから更に30分ほど飛行して――
「朝も来たことだし、あの村に降りてみる?」
ワルツはちょうど眼下に見えてきた村を指差しながらそう口にした。
空から見た"村"は、森を貫く街道沿いに出来た小さな集落で……。
この時間になると、すでに村人たちが活動を始めていたのか、所々から白い煙が立ち上っていた。
おそらくは村人たちが朝餉の準備でもしているのだろう。
また、戦場からも程よく離れており、戦禍に巻き込まれる心配はなさそうだった。
……場合によっては、そこを拠点にして、これからのことを考える、というも悪くないかもしれない。
村を眺めていたワルツは、そんなことを考えていたようである。
ちなみに。
ワルツがその村に降りようと思った理由は、それでだけではない。
「(お、おなか減った……)」げっそり
そう。
ワルツの燃料が切れかかっていた(?)のである。
彼女に搭載されているジェットエンジンにしても、あるいは重力を操る重力制御システムにしても、その燃料は、普通の食事なのである。
それが切れたらどうなるか……。
墜落どころか、ワルツ自体が停止してしまうことだろう。
……尤も。
それはやる気の問題であって……。
空腹をどうにか我慢することができれば、3日間くらいは飛び続けられるほどのエネルギーは残っていたようだが……。
ちなみに余談だが……。
彼女は摂取した食事を体内で直接燃やすことで、そこから熱エネルギーを取り出している、というわけではない。
ワルツの体内には縮退炉が内蔵されており、彼女はそれを使って、食料が持つ”質量”をエネルギーに変換していたのである。
そうでもしなければ、機動装甲を動かすだけの大出力のエネルギーを生み出せないのだ。
なお、そのエネルギー生成系のどこで、ビタミンやら必須アミノ酸やらが消費されているのかは、ガーディアンたちの間でも分かっていない……。
まぁ、それはさておいて。
そんなワルツの問いかけを聞いたルシアは、そこに見えた家々を一瞥した後で……。
顔に笑みを浮かべながら、その口を開いた。
「私は全然かまわないよ?お姉ちゃんが行きたいなら、あの村に行こう?それに……私も少しお腹が減ったしね」
といいながら、尻尾をブンブンと振るルシア。
それを見たワルツは苦笑を浮かべると――
「んー、じゃぁ、降りましょっか?」
「うん!」
村へと向かって、降下を始めたのであった。