8.7-28 シャッハ家28
そんなこんなで騒がしい者たちがひしめき合う馬車周辺。
しかし、中には、静かに、そして優雅にお茶を楽しむ者たちの姿があった。
「……勇者様方が怪我をされたようですが、カタリナ様は行かなくてもよろしいのですの?」
「……あの程度の怪我なら、唾を付けておけば、そのうち治るでしょう。魔法や薬を常用して怪我を直すことは、体力の弱体化にもつながるので、私としてはあまりおすすめしません」
と話す、ベアトリクスとカタリナの2人である。
先程、ルシアたちが買い物に出かけた際、ベアトリクスも一緒に行こうとしたようだが……。
彼女は結局付いて行かず、この場に留まることを優先したのである。
その理由は、彼女の眼の前にいるカタリナにあったらしい。
「そうでしたの?てっきり、すぐに治したほうが良い、と思っていましたけれど……」
「生き物というのは、ただ生きているだけでも、身体が勝手に病気や怪我を治そうと頑張るものなのです。それを魔法や薬で治そうとすると、身体が混乱して、『傷を直さなくていいんだ』って誤解しちゃうんですよ。そうすると、次に怪我をした時も、『勝手に治るんだからわざわざ治さなくてもいいかな』って身体が覚えちゃってるので、それを繰り返す内に、傷がだんだんと治りにくくなる、というわけです。ただ、そんなに短い時間で学習するわけではないので、月に1回とか、その程度の頻度なら、回復魔法を浴びても問題は無いと思いますけどね」
「人の身体って……怪我を覚えるのですのね?」
「はい。なにより、この手がその証拠です」
と、言いながら紅茶の入ったカップを口へと持っていくカタリナ。
そんな彼女の白い手は、よく見ると、まるで四六時中水仕事をしているかのような見た目で、所々にひび割れた跡や、小さな出血の跡があった。
常日頃から、回復魔法の研究をしている弊害で、体内の免疫・修復機能が狂ってしまっているのだ。
「…………」
その手を、何も言わずに、じーっと眺めるベアトリクス。
すると、カタリナは苦笑を浮かべると、机の上にそっとカップを置いて……。
そして、もう片方の手で、自分の手を隠してしまったようだ。
尤も、そのもう片方の手も、傷だらけになっていることに違いはないのだが。
「あの……恥ずかしいのであまり見ないで下さい」
「っ!す、すみません!つい……」
「……つい?」じとー
「うっ……いえ……そ、そんな……悪気があったわけではないのですのよ?」あせあせ
「えぇ。分かってます。私もつい、ベアトリクス様が可愛くて、イジメてしまいました」
と、平然とそんな事を言ってのけるカタリナ。
対して、ベアトリクスの方は、圧倒的に人生経験のボリュームが異なるカタリナの前で、顔を真赤にして、身を小さくしてしまったようだ。
それを見たカタリナが、再び苦笑しながら、そこにあったお菓子を、白い手で掴み……。
そしてそれを、自分の口には運ばずに、白衣の中にいた黒い影へと与えていると――
「実は……カタリナ様にひとつ、ご相談があるのですわ!」
と、ベアトリクスが、真っ赤にししたままで、半分腰を浮かべて、カタリナの方へと前のめりになりながら、そんなことを口にした。
「相談、ですか?」
「えぇ。私に……結界魔法の使い方を教えて下さりませんかしら?」
「……何かあったのですか?」
と、首を傾げながら問いかけるカタリナ。
どうやら彼女は、回復魔法や医療ならまだしも、まさか、結界魔法の使い方を教えてほしい、などと言われるとは思っていなかったようである。
対してベアトリクスは、まっすぐな視線をカタリナへと向けながら、事情を説明した。
「2日ほど前に、ここの兵士たちに馬車を襲撃されたのですが、その際……私には何もできなかったのですわ……。みなさんには、少なからず何かやることがあったのに、私だけは、飛んでくる魔力の塊をただ眺めていただけ……。それが悲しくて、悔しくて……」
「……そうですか。でも……そこまで焦って、何かできることを探す必要は無いのでは?ベアトリクス様は、ワルツさんと一緒に行動するようになってからまだ日が浅いのですから、徐々に自分のやりたいことや、特技を見つけていけばいいと思いますよ?」
「えぇ。きっとそれが一番良いと、私も思いますわ。ですけれど、そんな悠長なことは言ってられませんの」
「それは……何故です?」
「友人たちが、私よりももっと速い速度で、手の届かないくらい遠くに行ってしまうからですわ」
「……なるほど。ルシアちゃんたちですね」
「……主にテレサですわ」
と、わざわざ、相手を指定するベアトリクス。
そんな彼女の発言に、2人の関係をよく知らなかったカタリナは、納得げな表情を浮かべると……。
今度は、優しげに微笑みながら、こう口にした。
「なら、頑張らなくてはいけませんね。というより……私が頑張らなくても良い、と言ったとしても、ベアトリクス様は一人でも頑張るのでしょう?」
「はいっ!」
「分かりました。そういった姿勢は嫌いではないので、協力させてもらいましょう。ですがその前に、ひとつ確認しておかなければならないことがあります。ベアトリクス様は……結界魔法に対する適性があるんですよね?」
と、一応念のため、といった様子で問いかけるカタリナ。
というのも、この世界の人々が使える魔法の種類は、彼らが生まれた時点で、大体決まっているものなのである。
もちろん、何事にも例外はあって、人並み外れた努力と時間があれば、新しい魔法を覚えることも不可能ではなかったが、それは十数年単位の話であって、今回のベアトリクスの希望を叶えることを考えるなら、それは選択肢の内に入らなかった。
つまり、ベアトリクスが、テレサたちと同じレベルの魔法が使えるようにこれから努力することを考えるなら、今の時点で彼女に結界魔法の適性がない場合、わざわざ結界魔法を学ぶというのは、単に時間のムダなだけだったのである。
ただ、幸いなことに、ベアトリクスは結界魔法が使えたようだ。
とはいえ――
「こ、こんな感じですわ?」ちんまり
両手で囲った空間に、薄いガラスのような物理障壁を作れる程度。
まさに、雀の涙、と表現できる規模でしか無かったようだが。
「……もう少し大きくなりませんか?」
「え、えっと…………ぐぬぬぬぬ……!」ちんまり
「これは骨が折れそうですね……」
「すみません……。今まで結界魔法を使う機会が殆どなかったので、火魔法や雷魔法と比べて、使い慣れていないのですわ……」
と口にしながら、シュンとするベアトリクス。
そんな彼女に対し、何やら疑問が湧いてきたのか、カタリナがこんな質問を口にする。
「ちなみにどうして結界魔法を強くしたいと思ったんですか?余程、火魔法や雷魔法の方を鍛えたほうが良いと思うのですが……」
「……住み分けを考えたのですわ。火魔法も雷魔法もルシアちゃんには勝てる気がしませんから……」
「そういうことですか……」
と言って、納得げな表情を浮かべながら、何気なく紅茶だけを口へと持ってくるカタリナ。
それは結界魔法を使って、カップの中身の液体だけをすくい取る、という高度な技術で……。
ベアトリクスは、思わずその光景に見入ってしまったようだ。
「まぁ、何も、結界の強さだけが、すべてではありませんからね。それに……才能が無いというわけでもなさそうですし、とりあえずやってみましょうか?」
「えっ?あ、はい!お願いいたしますわ!(……私、才能があるのですの?!)」
「でも……耐えられるでしょうか?私の教育は大変ですよ?例えるなら、ユキさん……この国の元魔王の方が、音を上げるくらいに、ね?」にっこり
「えっ……で、でも、頑張りますわ!私には追いついて超えて、そして振り向かせなければならない人がいるのですから!」
「そうですか……。まぁ、頑張ってください」
ベアトリクスの言葉に、何処か引っかかるものを感じつつも、とりあえず彼女の指導を受け持つことにした様子のカタリナ。
こうしてベアトリクスの、地獄のようなトレーニングの日々が、人知れず始まったのである……。
妾を追い越すというのに、妾に振り向けとな?
それ、追い越せてないじゃろ……。
……と、書いておって、自分に突っ込む今日このごろ。
というわけでの?
カタリナ殿と、ベアは、師弟関係になったのじゃ。
フォックストロットの方で、我が家にベアがいないのは、そういった理由があったからなのじゃ?
そもそも、カタリナ殿は、フォックストロットにまだ登場しておらぬからのう……。
というか、主殿の家にベアが居候しておったら……もう、妾は、多分、ストレスのせいでげっそりとして、骨みたいな狐になっておるに違いないのじゃ。
……これからそうならぬとも言い切れぬがの……。




